牛頭天王と羅濠教主は、所有する権能の性質が似通っている。
トラック程度は軽々と持ち上げる怪力を持ち、風と衝撃波の違いはあれど目に見えない打撃を行うという権能がある。そして、その二つの権能と近接戦闘の高い技術を融和させることで敵を打ち破るのである。
戦闘スタイルも能力も似通った者同士の戦いは、純粋に相手よりも優れているほうが勝つ。
まして、裏をかくような思考が一切存在しない者同士である。
正面からの一騎打ちは、敗北の言い訳が一切許されない誇りをかけた戦いでもあるのだ。
自分の武に絶対の自信を持つ羅濠教主は、たとえ相手が武神であろうとも臆することはない。敢然と立ち向かい、堂々とこれを打ち破る。
今までもそうして来た。そして、これからもそうしていくだろう。
羅翠蓮は武芸の頂点に君臨する者。
「我が絶技を前にしてここまで打ち合うとは、見事です。牛頭天王とやら」
ト……、とあまりに気軽な歩みで牛頭天王の懐に入り込む羅濠教主。
牛頭天王の意識と意識の隙間を突き、一瞬の空白を掌握する。それだけで、完全に無防備な身体を敵はさらすのである。
「しかし、あなたの底は見えました。ここから先、あなたはわたくしに埃一つ付けることは叶いません」
羅濠教主は牛頭天王の赤い鎧に拳を当て、二本の足でしっかりと大地を掴む。
「ぬ……!」
「ハァッ!」
密着状態から放たれる絶技――――零勁。
『大力金剛神功』と『竜吟虎嘯大法』の二つの権能を上乗せして放たれた一撃は、羅濠教主が二世紀に渡って磨き上げた武によって、僅かばかりの無駄もなく牛頭天王の鎧を砕き、その内部にまで衝撃を伝えた。
ただ怪力の権能を持っているだけでは文字通り力の持ち腐れ。羅濠教主のように、その怪力を存分に振るうだけの技術があって初めて活きる権能である。
「ご、ぬうおおあッ!」
牛頭天王は、ただの一撃で大きく弾き飛ばされた。
二メートル近い巨漢の男が、線の細い女性に吹き飛ばされるのだ。事情を知らない者からすれば、目を疑う場面である。
牛頭天王の巌のような身体は、見た目どおりの硬さである。
筋肉と骨格が、そもそも人間を遥かに上回る頑強さなのだ。
一撃。
羅濠教主が、牛頭天王の肉体を砕くのに要した手数である。
これまでの戦いは、小手調べのようなもの。
牛頭天王の力を見極めるための前哨戦であり、本命はここから。
それも、彼が再び立ち上がることができればの話だが。
「立ち上がりますか」
「無論。俺は、牛頭天王。竜蛇を屠りし《鋼》の武神! 魔王如きに膝を屈するなどありえぬ話!」
大地を踏みしめて直立する牛頭天王。
決して少なくないダメージを受けながら、その身体は今でも峻険な城砦のように羅濠教主の前に立ちはだかる。
「おお。なるほど、真の英雄豪傑たるに相応しき心意気。ならば、あなたの力をこの羅濠に示しなさい」
「オオオオオオオオオオオオオオオッ!」
愚直に一歩を踏み出す牛頭天王。
羅濠教主は、敢えて一歩も動かず、牛頭天王が進むに任せている。
剛力無双の牛頭天王が振るう神剣は、羅濠教主といえども正面から防げるものではない。そもそも、拳一つで敵と戦う羅濠教主は、リーチという点で常に劣勢に立たされている。
だが、それは牛頭天王以外を相手にしたときも同じだ。
初めに簒奪した仁王を除けば、ほぼすべての敵が何かしらの武器や能力を使ってきた。
その試練を、尽くねじ伏せてきた羅濠教主が、今さら剣と拳のリーチで遅れを取るはずもない。
牛頭天王の嵐のような猛攻を、羅濠教主は見事に受け流していく。
一撃貰えば即死もありえる剣と風の乱舞。
それほどまでの攻撃を加えていながら、牛頭天王は羅濠教主を捉えることができないでいる。
受け止めるのではない。
柔らかくいなして、弾く。
柔よく剛を制す。
今、羅濠教主がしているのはそういうことであろう。
牛頭天王の攻撃が目にも止まらぬ早業ならば、羅濠教主の防御は早業を上回る神業だ。
嵐の中、僅かに見えた点を目掛けて羅濠教主は貫手を放つ。
「シッ!」
刃よりも鋭い右の貫手が、牛頭天王の胸板に突き立つ。
「ぐ、ぶぬおおおおッ!」
だが、牛頭天王は倒れない。
血を吐きながら剣を振り上げる。
風を纏った大斬撃で、跡形もなく消し飛ばすためだ。今、羅濠教主は牛頭天王の懐にいる。しかも、攻撃を放ったばかりである。
近接戦を得意とする者同士の戦いは、自分の攻撃半径と相手の攻撃半径が重なっているのに加え、遮蔽物を挟む間がないことから攻撃するということがそのまま、攻撃される危険性を増すことに繋がるのである。
羅濠教主は、今や牛頭天王に首を刎ねられる未来しかない。
確信と共に剣を振り下ろす。
速く拳を戻した羅濠教主の動きに、牛頭天王は目を見開いた。
羅濠教主は裏拳で剣の腹を叩き、この軌道を僅かに逸らしたのである。
標的を捉え損ねた神剣が、宙を大きく斬り裂いた。
筋肉量に関わらず、怪力を発揮するのが権能である。どれほど華奢な身体つきであっても、当てれば剣の軌道を変えることはできる。
だが、真に恐るべきはその怪力を、針の穴を通すような精度で扱うことである。
拳を引いて裏拳で振り下ろされる剣の腹を叩く。この一連の動作を、武神を相手にやってのけることなど考えられるだろうか。
如何に牛頭天王が《鋼》の武神であったとしても、驚愕に忘我するのは必然である。
そして、牛頭天王は羅濠教主の面前で、神剣を振り下ろした姿を曝している。
思考を白く染めたのは一秒にも満たない短時間で、牛頭天王はすぐに神剣を構えなおそうとしたが、
「終わりです。牛頭天王」
その僅かな時間すら、魔王と対峙するのであれば大きな隙であった。
「一勁即至! 大勁を以て小邪を制す!」
黄金の輝きと共に現れた二体の巨漢。牛頭天王と同じくらいの背丈の坊主頭。
羅濠教主が最初に倒した神・仁王であり、彼女の権能が具現化した影。しかし、それは影にして影にあらず。
この二体が現れたということはつまり、羅濠教主が三人になったのと同じことなのだ。
神の目を以てして見切ることのできない連続攻撃が放たれる。
貫手、掌打、正拳突きなどが織り交ぜられ、急所という急所を撃ち抜いていく。
「ご、ぶおおおおおおおおおおおおッ!」
牛頭天王の屈強な肉体が砕かれ、爆ぜる。血飛沫が舞い、苦悶の声も喉笛を貫かれて止まった。
百を越える打ち込みがありながら、打撃音はほぼ一つだけ。
それはまさに、拳の壁というべき攻撃であった。
驚異的なのは、それだけの連撃を放っておきながら、牛頭天王が吹き飛ばされないということである。
一度振るえば屍山血河を築き上げるという羅濠教主の拳は、彼女の技量によってその衝撃すらもコントロールされていたのだ。
打ち込まれたすべてのエネルギーは、そのまま肉体の破壊にのみ消費された。そのため、牛頭天王は吹き飛ばされることも、崩れ落ちることもなかったのである。
文字通りの殺人拳。
これこそ、羅濠教主が積み上げた破壊の極みである。
仁王立ちする牛頭天王に、羅濠教主はさらに一歩近づく。
地面を砕かんばかりの震脚。
大地からのエネルギーを余すことなく右手の先へ伝える。
握りこまれる拳は、まさしく大砲。
「ハッ!」
気合と共に放たれた縦拳が、牛頭天王の胸板を完膚なきまでに破壊しつくし、その巨体を数百メートルも先へ吹き飛ばした。
断末魔の叫びすらない。
牛頭人身の武神は、身体中の骨という骨、肉という肉、神経という神経を破壊され尽くして消滅していった。
牛頭天王の消滅を確認して、羅濠教主は、
「鷹化」
鋭く、弟子を呼ぶ。
「ハッ」
恵那を避難させた後、羅濠教主の戦いを見守っていた鷹化は茂みから飛び出して抱拳礼をする。
「わたくしは、これより廬山に帰ります。草薙王の戦いぶりをしかとわたくしに報告なさい」
「お会いにはならないのですか?」
「此度は草薙王への借りを返すための戦いでした。そして、それは牛頭天王を討ち果たしたことで成し遂げられたと考えるべきでしょう。であれば、わたくしと草薙王は義姉と義弟。義姉は義弟を待つものでも会いに行くものでもないのです」
要するに、護堂のほうから会いに来いということだろう。
独特の感性の持ち主である羅濠教主。牛頭天王を倒したことを誇るでもなく泰然と受け止め、自らの筋を通そうとしているのである。
「この陸鷹化。しかと承りました」
鷹化の返事を聞いて、羅濠教主は牡丹の花を散らせて日本から立ち去っていった。
■ □ ■ □
法道は護堂の前にしっかりと立つ。
殴られた頬は薄らと赤くなっているようだが、もともと色が白い老人だ。見た目に大した変化はない。
だが、目に見えない部分。彼が身に纏う呪力は大きく揺らいでいた。
怒りの感情であろう。
法道の感情の変化が、呪力にまで影響しているのである。
「どうしたジジイ。来いよ」
護堂は槍を放り投げて無手となる。
腕を大きく広げて挑発する。
「晴明の忘れ形見風情が、調子に乗りおってからに……」
底冷えするような暗い口調で、法道は怒りを露にする。
ついさっきまでは愉悦の感情しか見せなかっただけに、護堂の拳はよほど効いたと見える。
「よかろう。そうまで言うのであれば」
ザリ、と法道の草鞋が地面を擦る。
「こちらから攻めてやろうではないか」
法道の姿が掻き消えた。
神速に突入したのである。
護堂は最小限の動きで法道の打撃を避けていく。
ひらりひらりと舞う様は、風に翻弄されている蝶を思わせた。
「おりゃあ!」
護堂が膝を振り上げる。めり、と何かにめり込む感触。
「ごほッ」
そして、法道がアスファルトに再び転がった。
「歳考えな、爺さん。運動しすぎは身体に悪いぞ」
「おのれ、神殺し!」
法道は起き上がり様に火炎を放つ。
本来なら、あらゆるものを焼き払うであろうそれを、護堂は言霊で散らす。
火の粉の中を、護堂は駆け抜け、法道に接近する。
「チィッ!」
法道は、神速を発動。護堂の脇をすり抜けるように移動する。
だが、護堂はこれを見逃さない。足払いをかけて、法道のバランスを崩し、振り向き様に襟元を鷲掴みにする。
そして、膝蹴り。法道が前屈みになったところで、顎に正拳突きを放つ。
「ご、ああ」
地面に仰向けに倒れた法道に、護堂は剣を降らせた。
「オン・シュリマリ・ママリ・マリシュシュリ・ソワカ!」
印を結び、早口で烏枢沙摩明王の真言を唱える。
破魔の真言で、障壁を築き剣群を受け止める。弾かれた剣が宙を舞う。
「セイッ!」
剣を弾き終わったところで、護堂が法道の腹に踵を落とした。
法道は転がってかわし、再び神速へ突入する。
護堂は前に飛び込むような体勢になり、地面に手を突いて足を振り上げた。
護堂の足裏が、背後に回った法道の顎を蹴り上げた。
「ごふ、ふあ。なぜじゃ。何が起こっておる……」
「なんてことねえ。あんたが、俺より弱かったんだろ」
先ほどまで蛸殴りにしていた相手に、自分が蛸殴りにされる。そのことに理解が追いつかないのであろう。
護堂もまともに取り合うことはない。
『やはり、予想の通りであろう』
頭の中でアテナが話しかけてくる。
『アヤツは、あなたの呪力を察知して動いておる。ゆえに呪力の強い権能の類には先読みを思わせる反応をするのだ』
拳で殴れ。
そう指示してきたのは、護堂に勝利を齎すアテナの導きである。
強い呪力の流れを感じ、それに対応することで護堂の剣群をかわしていた法道であったが、呪術の神ゆえに格闘戦の心得がない。
近接戦闘では、護堂と同じレベルの素人なのである。
だが、今は違う。
『さあ、畳みかけよ草薙護堂。パンクラチオンの真髄を見せてやるのだ』
「上等」
アテナの導きで、護堂は格闘戦の能力を得た。アテナの武神としての武技を、権能の発動中のみ身体に憑依させるのである。
導きの力の攻撃的用法である。
頭突きでよろめいた法道に、護堂は幾度も拳を叩き付ける。
法道の反撃は、瞬間的に放てる呪術で護堂を傷つけることができないために効果がない。
「どうした。呪力の先読みはしないのか? できないよな。俺は殴ってるだけだからな!」
権能で敵を攻撃するものではないため、法道の感知能力は低下している。
今の状態であれば、護堂の勘による先読みのほうが、法道を遥かに上回っている。
「な、めるなよ、小僧」
法道が護堂の拳を初めて避けた。
護堂は、空振りで体勢を崩す。
感知の呪術を調整したのだ。今までのような強力な呪力に反応するのではなく、カンピオーネの身体が放つ呪力にも対応させる。
これによって、今まで通り、護堂の先手を取れる。
カンピオーネと『まつろわぬ神』の戦いは呪力の戦い。呪力を伴わない戦闘はありえないのだから、呪力の流れを読んでしまえば攻撃を避けることは容易い。
法道はがら空きとなった護堂の腹に杖を突き込んだ。
「なん、じゃと」
法道は、あまりのことにそう呟いた。
護堂は、膝と肘で法道の杖を挟み込み、がっちりと固定したのである。
「バカな。貴様、そのような技が」
「舐めてたのは、おまえだったな。法道!」
法道の杖を護堂は空いた手で掴み、杖を固定していた手はそのまま法道の襟を掴んだ。足を下ろして法道の足を踏みつける。
「鋭く、速き雷よ! 我が敵を切り刻み、罪障を払え!」
法道を掴んだ手の平から、眩いばかりの閃光が迸る。
同時に、東名高速道路を支える柱が一本、中心から斜めに切断された。
咲雷神の化身による斬撃が、法道の身体を駆け抜けた。
□ ■ □ ■
形勢は逆転した。
満身創痍の法道は、右肩から左脇にかけて一本の切り傷を負っていた。
血が止めどなく溢れている。
「護身の術か。咲雷神を防ぐほどかよ」
仕留め損ねたことで舌打ちしつつ、護堂は自分に残されている時間を考える。
アテナの権能を使った以上、そのうち身体にガタがくる。あれは、肉体にかかる負担が他の権能よりも大きいのである。
「ぬぐぐ、貴様。もはや、許さぬ」
法道は憎憎しげな視線で護堂を睨みつけると、地面を強く踏んだ。
「悪鬼よ来たれ。我が敵を食らい尽くすのじゃ!」
呪力が吹き荒れ、暗い闇が現れる。
そして、その中からぬるりと現れたのは、巨大な四足の怪物である。
神獣を呼んだのだ。
「鵺よ。彼奴を討て! 主らもじゃ!」
さらに、その後ろから大柄な鬼が続く。どれも神獣としての格を持っている。法道と纏めて相手にするには、少々厳しい。
護堂がどうしたものかと思案していると、頭の中に声が響いた。
『王よ。己を使え』
天叢雲剣である。
アテナに負けじと、まつろわす権能を使おうというのだ。
「いいぜ、やって見せろ」
『応! 悪鬼羅刹を斬り従えるは《鋼》の性!』
右手に宿る相棒が、先頭を走る鵺と法道の繋がりを切断。鵺を支配下に置いた。
「ひょおおおおおお!」
鵺が尾を振るい、鬼を打ち上げる。
さらに、ゴリラのような太い腕を振るって法道の鬼を殴り飛ばしていく。鬼たちも突然の裏切りに混乱し、その隙を突かれて蹴散らされていく。
「わしの使い魔にまで手を出すか。盗人のような輩じゃな」
「そもそも、
「……鵺一匹でいい気になるでない。陰陽の道を究めたわしは、無数の式を扱う術を持つのじゃからな!」
法道の呪力が溢れ出し、その周囲を黒い集団が覆っていく。
様々な姿をした鬼。
百鬼夜行とは異なり、すべてが神獣の格を持っている。
数は、斉天大聖が召喚した猿よりも多いかもしれない。
おまけに、法道はこれを『合成』する。
粘土細工のように神獣がどろりと融解し、一つに合わさる。
「ひょおおおおおおおおおおお!」
そして、現れたのは二体目の鵺だ。
ただし、大きさは護堂の支配下にある鵺の三、四倍はあろうかという巨体だ。
「我は鉄を打つ者。我が武具を以て万の軍をまつろわせよ!」
槍と剣を掃射する。
黄金の輝きが夜空に散りばめられ、鵺の巨体に吸い込まれていく。
「ひゅおおおおおおおおおおお!!」
トラツグミのような鳴き声は健在だ。
あまりに巨大すぎて、即製の神剣神槍では致命傷を与えられない。肉の壁がそれだけ分厚いのだ。
巨大鵺は、護堂の鵺を爪で引き裂いて殺し、護堂にも巨大な拳を振り下ろした。
アスファルトの下の地面まで、深く掘り返す爪は重機のようだった。護堂は土雷神の化身で窮地を脱し、神剣を放つ。
四肢に撃ち込まれた神剣が、深々と突き刺さる。
「おおおおおおおおおおおおおお!!」
だが、痛みなどないとばかりに鵺は、護堂に飛びかかる。
「我は神々に代わり魔を討つ者。如何なる邪悪も、我が身に害を為すこと叶わぬと知れ!」
源頼光から簒奪した破魔の神酒の権能で霧を発生させる。
鵺の顔面に神酒を叩き付け、霧は薄く飛行場全体を包むようにする。
これで、呪術をメインに戦う法道は弱体化する。
だが、さすがに呪術の神は一筋縄ではいかない。霧の権能に対して、陀羅尼助という薬を服用することで抵抗する。
役小角が作ったとされるこの薬は、強い苦味から修行僧の眠気覚ましに重宝されたという。
現在でも生産されており、医薬品として販売されているが、法道が自ら製作したこの薬は外敵からの呪術的干渉に対して一定の抵抗力を与えてくれる。
特に、その成り立ちから酩酊には強い。
面倒だ。
法道にも気を配らねばならない状態で、鵺ばかり相手にもしていられない。
そう考えて、護堂はあの巨体を一撃で倒しうる巨大な神剣を創ろうと呪力を練ったとき、不意に足元の地面が割れた。
「またかッ」
土雷神の神速を封じる手っ取り早い手段は、護堂の足を地面から離すことである。
重力に引かれて落ちる。その上から蓋をするように、鵺が爪を振り下ろしてくる。
「天を覆う漆黒の雷雲よ。光を絶ち、星を喰らい、地上に恵みと暗闇をもたらせ!」
雷雲が護堂の前面に溢れ出し、漆黒の楯となる。
鵺の爪が黒雷神の暗雲と接触し、雷光が弾けた。
そして、怯んだ鵺の目に二挺の槍を叩き込んだ。一目連の権能を楯に使わなかったのは、このためだ。
「ひょおおおおおおおおおおお!」
鵺が背を逸らして大きく仰け反る。
その無防備になった腹に、護堂は大きな一撃を叩き込む。
「我は焼き尽くす者。破滅と破壊と豊穣を約束する者なり。全てを灰に。それは新たなる門出の証なり!」
膨大な熱量が、灼熱の炎となって放たれる。
火雷神の化身は、大雷神の化身に匹敵する大火力の熱線を放つものである。
伏雷神の化身とは逆に大気中の水分量が少なくなければ使えないため、雨天での使用はできないのである。
紅蓮の熱線は、巨大鵺の腹に直撃し、その身体を両断して焼き尽くした。
鵺が倒れるのを見届けて護堂は地面に足を付け、土雷神の化身を行使する。
地上に戻ってみたのは、自慢の使い魔を始末されて怒りに震える法道であった。
「おまえのペットは消えた。それに、牛頭天王も倒されたってな。後はおまえだけだ。大人しく、この場で倒されろ」
護堂は静かに、法道に告げた。
牛頭天王が羅濠教主に倒されたことは、護堂が天叢雲剣から聞かされるよりも前に知ることができただろう。
何せ、牛頭天王は法道の従属神である。
護堂の意識を逸らすため、あえて牛頭天王を明治神宮に向かわせたのだろうが、それは完全に裏目に出た形となったのである。
「罪障を払い、敵を滅ぼせ。急急如律令」
法道が投じた呪符が、真っ黒な狼になる。
ただの使い魔ではない。実体を持たない代わりに、相手を呪い殺す呪詛を持っている。
この狼を剣の投擲で殺すと次に迫ってきたのは日本刀。
さらに、法道は無数の呪符を展開し、雨霰と呪術を放ってくる。
護堂はそれらを楯と言霊で防ぎつつ、打開策を模索する。
『急げ。時間も残り少ないぞ』
「分かってる」
とはいえ、敵の苛烈な攻撃は健在。使い魔をいくら倒したところで相手に傷を与えることにはならないのである。
さすがに、巨大鵺を倒されてすぐには同等の神獣は召喚できないようだが、それも時間の問題だろう。
「天叢雲剣、やれるか」
『いつでもよいぞ』
天叢雲剣の返事を聞き、護堂は聖句を唱える。
「雷雲に潜みし、疾くかける稲妻よ。我が刃に宿りて、敵を斬れ!」
法道の攻撃をかわしながら、護堂は伏雷神の化身を天叢雲剣に吸収させた。
右手に紫電を放つ天叢雲剣を持つ。
キン、
と軽い音がして、法道の呪術が霧散した。
「何?」
法道がいぶかしみつつ、再度呪術を放つ。
護堂に傷を負わせられるのは、物理攻撃だけ。ならばと、法道は無数の刃を召喚して解き放った。護堂の戦術を真似たような攻撃は、刃の壁のように護堂に襲い掛かる。
だが、それも、一瞬にしてすべてが斬り払われた。
神速の斬撃。
それが、伏雷神の化身と融合した天叢雲剣の力である。
もっとも、それだけならば神速状態で斬り合うのと変わりがない。
最大の違いは、
「斬ッ」
護堂は天叢雲剣を振るう。
神速の斬撃ゆえに、まともに目で追うことは不可能。
そして、法道の右腕が、肩から斬り落とされて宙を舞った。
血が吹き出し、赤い水溜りを作る。
「な、にあああああッ?」
法道が苦痛に顔を歪ませる。
切断面からは血が止めどなく溢れていく。
伏雷神の化身が持つ、雷撃のエネルギーを斬撃にして飛ばす。まさしく雷撃の刃である。
これで、敵は印を結べない。
「おおおおおおおおッ!」
「!?」
吹き出す血が、魔法陣を描いている。
法道の前に出現した
「我、神殺しを恨むこと限りなし。我が怨敵を討ち滅ぼすため、我が身命を賭して一撃を放たん!」
法道が、尋常ではない量の呪力を魔法陣に流し込んでいる。
「これは……!」
『用心せよ。王よ』
『ヤツめ、あなたを倒すために命を捨てる覚悟だ』
自分に対して呪詛をかけたのだ。
次の一撃に自分の命を預ける。自分自身に護堂を倒せなければ死ぬという呪詛をかけることで、リミッターを外したのであろう。
文字通り、命懸けの一撃は、だからこそ今までの呪術とは比べ物にならない力を有するはずだ。
「逆に、避けきれば自滅するってことか」
『いや、まず避けることが難しいだろう。あれの攻撃そのものにあなたを倒す呪詛が込められているはずだ。たとえ、神速を以てしても避けられるほど甘くはあるまい!』
それを聞いて、護堂も覚悟が固まった。
もともと、護堂には時間をかけている余裕はないのだ。
すでに、身体中に痛みが走っている。倦怠感もひどい。集中力が低下しているような気もする。
だから、敵が最後の勝負に出るのなら、正面から受けて立つほうがいい。
余計なことを考える必要がないからだ。
「晴明の忘れ形見よ。最後の一勝負じゃ!」
血を吐くような表情で、法道は吼えた。
「ノウマク・サラバタタギャテイビャク・サラバボッケイビャク・サラバタタラタ・センダマカロシャダ・ケンギャキギャキ・サラバビギナン・ウンタラタ・カンマン!!」
法道が最後に選んだのは、密教系最強の調伏呪術。不動明王の火界呪だった。
吼えるような真言の詠唱に合わせて、大気が焼け付くように熱を持つ。
炎の竜巻が天高くまで昇り、それが怒涛の如く押し寄せてくる。
「今ここに顕現せよ。天を翔け、地へ降り下る者。蛇にして豊穣の主。地下深く眠る死者の総帥よ、大いなる雷の神威を我が前に顕し給え!」
天叢雲剣を地面に突き刺し、右手を砲身にして、護堂も大雷神の化身で迎え撃つ。
青白い閃光が、法道の炎とぶつかり合う。
地響きのような爆裂音が響き渡る。
飛行場近辺の家々の窓ガラスは砕け散り、道路のアスファルトは蒸発する。
「うおおおおおおおおおッ」
護堂は呪力を注ぎ、出力を上げる。
だが、押し負ける。
まずい。
このままでは大雷神の化身が敗れる。
そう直感した。
「ぐ、く……」
歯を食いしばって、耐える。
法道は、晶の仇だ。
ここで護堂が敗れれば、敵はのうのうと生き延びることになる。そんなことが許せるか。
「……死んでも許さねえ!!」
護堂は地面を踏みしめ、閃光の奥に隠れる法道を視据える。
覚悟を決めた。すべてを出し切って、法道を討ち果たすと。
「千の竜と千の蛇よ。今こそ集まり、剣となれ」
天叢雲剣を左手で持ち、聖句を唱えた。
刀身が漆黒の色を帯びる。
天地開闢の剣である。
ただし、事前準備に時間を取れなかったことと、大雷神の化身を使っていることで本来の威力を発揮できない。
できるとすればほんの一瞬だけ、強力な重力を発生させることくらいか。
だが、それで十分だ。
雷撃と火炎が激突するその奥。
法道が死力を尽くして呪力を練り上げている背後に、一挺の小刀が落ちている。
刃渡りは五センチほど。散らばった刃の中で、あまりにも存在感がない。
護堂と法道が権能と呪術で生み出した刃ではなく、とある名工が打ったというだけのただの小刀なので、呪力もほとんど籠もっていない。強いて言うなら、切れ味を高める程度である。
かつて、晶が護堂に渡した護身刀であり、護堂にとっては晶の遺品ともいうべき刀である。
この小刀には、ちょっとした細工が施してあるのだ。
護堂は重力の範囲をこの護身刀に絞り込む。
「来い」
呟く。
炎は目の前まで迫っている。
雷撃に回せる呪力も残り僅か。
法道も、このまま押し切ろうと呪力を搾り出して火界呪の火勢を強める。
「俺の勝ちだ」
紅蓮の熱が肌を焼く中、護堂はニヒルに微笑んだ。
「鋭く、速き雷よ! 我が敵を切り刻み、罪障を払え」
咲雷神の化身の聖句を唱える。
小刀に込めたなけなしの斬撃力を解放するためだ。
法道の首に背後から小刀が突き立った。
「かひゅ?」
空気が漏れるような音が法道の口から漏れた。
護堂の重力に引かれた小刀がその進路上にいた法道に突き刺さったのである。
ただの小刀ならば、法道に傷を付けることはできなかっただろうが、この小刀には微弱ながら咲雷神の化身が込められていた。
込められた権能は微弱で、しかも護堂が聖句を唱えるまでは眠っていた。
結果、強い呪力を放つ神剣の山の中に隠れ続けることができた。
そして、微弱とはいえ権能である。
攻撃に全神経、全呪力を集中していた法道はこれに気付くことも、これを防ぐこともできなかった。
「かひゅくひゃぁ」
ゴボゴボと血を吐き、血に溺れる法道。
もがき、悶える姿はマリオネットのようである。
これで、火界呪は勢力を急速に衰えさせて消えていく。
「千年分の落とし前だ。ぶっ飛べ法道!!」
閃光が極大化する。
法道の紅蓮を駆逐して、護堂の雷撃が青白い光で視界を染める。
「ぎ、ぎくああああああああッ!」
そして、灼熱の雷撃が法道を包み込み、跡形もなく蒸発させた。
護堂が今放てる全エネルギーを叩き込んだ最高の一撃は、千年にもなる護堂と法道との縁を焼き払い、消滅させたのである。
後には抉れた大地と鼻を突く異臭だけが残された。
全身から力が抜け落ちていく。
激しい疲労。体力も呪力もすっからかんだ。
護堂は崩れ落ちるように、その場に倒れこんだ。
襲い掛かってくる眠気。
身体の奥深くに重い何かが積み重なるのを感じ、それから吸い込まれるように眠りに落ちていった。