空を黄金の光が埋め尽くしていた。
その下で、絶望と共に呻くのは、魔女にして太陽神。名をキルケー。
「ふふ、まさか、これほどとは。さすがは《鋼》の一柱ですわ」
身体はすでに満身創痍。
もとより、この身は死にかけだ。数年前に半分の命を神殺しに持っていかれたのだから、『まつろわぬ神』と正面から戦って勝てる公算は少なかった。
それでも、途中までは互角の戦いだったのだ。
彼女の権能には、勇士を篭絡して配下にするという能力がある。その力で、相手の化身をいくつか奪い取ることができたのである。戦いを優勢に進めるも、ここに来て限界に行き着いた。
光が墜ちてくる。
それは、キルケーを斬り裂くための黄金の剣。
「く、あああああああああッ!」
無数の剣が、美しき女神の身体に突き立つ。
刃が身体を斬り裂くごとに、命が零れ落ちていく。
奪い取った化身たちが抜け落ちていく。
神殺しの刃。
『まつろわぬ神』の核を斬り裂くことで、致命的なダメージを負わせる言霊の剣だ。
キルケーの肉体を断ち、命を奪うのではなく、彼女の本質そのものを断ち切って存在自体を否定する悪辣な神剣なのである。
万全ではないキルケーには防ぐ手立てはなかった。
万事休す。黄金の光が収まった後、キルケーは脱力して仰向けに倒れ、空を仰いでいた。
そんなキルケーの視界を、白銀の光が埋め尽くした。。
太陽だ。キルケーと同じ太陽の権能。それが、彗星のように空から墜ちて来る。
地図に載らない、南の島での出来事。
強敵を求める『まつろわぬ神』と勇士を求める『まつろわぬ神』が出会い、決別しただけのことである。
だが、そこで火の手は上がってしまった。
いずれ、火の粉は風に乗り、神殺しの下にまで届くだろう。
□ ■ □ ■
草薙護堂の冬休みは驚くほど平穏に流れていった。
春休みはガブリエルと戦い、夏休みはイタリアで死闘を繰り広げ、秋休みを冠した十月の三連休は羅濠教主や斉天大聖とぶつかった。振り返れば纏まった休みには狙ったように事件が舞い込んできたもので、後少しで新学期が始まろうというこの時になってもこれといって事件が起こらないのが不思議に思えるのである。
「何もないのはいいことなんだけどな……」
サトゥルヌスとかいうのが東京湾にいたが、敵というほどではなかったし、勘定に入れる必要はないだろう。『まつろわぬ神』を熊とすれば、あれは羽虫だ。退治するのに、さほど苦労はなかった。
勉強机に肘を突いて、カレンダーを見る。一月の第二週の月曜から新学期が始まる。残り五日ほど、冬休みが残っているわけだ。
年始だというのに、護堂の家は実に静かだ。
父と妹はカリブ海に旅行、祖父もブータンの友人を訪ねているし、母は年末年始に家にいた試しがない。まあ、父と母は基本的に家にいないのでもはやどうでもいい。あの二人は、おそらく自分以上に生命力が強いから、なんにしても心配する要素は何一つないのである。
護堂は正史編纂委員会から借りた初心者向けの魔導書を閉じた。
それを見計らったように、ドアがノックされる。
「先輩、夕ご飯できましたよ」
「ん、分かった。今いくよ」
護堂は立ち上がると、自室を出て居間に向かった。
廊下を歩いているうちから漂ってくる夕食の香りに刺激を受けて、腹の虫が鳴る。
居間に入ると、炬燵の上にはすでに料理が並んでいた。
「あ、全部出してくれたのか」
「はい。今日のおかずは、鶏肉の和風グリルにしてみました」
晶は持ってきたコップに麦茶を注いでいる。
「そうか。うん、おいしそうだ」
「えへへ、ありがとうございます」
炊き込みご飯に鶏肉の和風グリル、千切りキャベツ、アサリの味噌汁、豆腐、ほうれん草のおひたしといった家庭的なものだ。すべて、晶の手作りだ。
「じゃあ、先輩。先に食べててください。わたし、エプロンを洗濯機に入れてきますから」
「それくらい待つよ」
「そうですか。じゃあ、すぐに放り込んできますね」
そう言って、晶はエプロンを脱いで居間を出て行った。洗濯機が設置されている洗面所に向かったのだ。
護堂は、いつもの定位置に腰掛け、炬燵に足を入れる。冬も極まる一月初旬。雪こそ降っていないものの、外気は五度に満たない。これで寒いというのは、雪国の人に申し訳ないが、東京人の護堂にとってはこれが中々堪えるのだ。こうして炬燵に入ると、炬燵のありがたみがよくわかる。暖房の入っている洋室もいいが、やっぱり布団があるというのは大きな違いだ。少なくとも、護堂は炬燵のほうがリラックスできると思っていた。
晶が戻ってきて、護堂の正面に腰掛けた。
いつもは静花が座っている場所なのだが、今、静花はいない。
「それじゃ、食べるか」
「はい」
二人で手を合わせてから、食事を始める。
そもそも、晶が護堂の家に泊まり込み始めたのは、大祓の翌日からである。静花も祖父の一郎も、所用で海外に出かけているので、草薙家は護堂だけとなっている。そこで晶が、式神らしいことをさせて欲しいと言いだして、このような形になっているのだ。他の媛巫女たちは、年末年始の行事で忙しく、明日香は両親の目もあり護堂の家に泊まるというわけにもいかない。この機会に草薙家を訪れることができるのは、晶だけだったのだ。
「今更だけど、晶って料理できたんだな」
「半年は一人暮らししてますからね。でも、本格的に始めたのは最近なんですよ」
「そうなのか。それでも、しっかりしてて、美味いし、すごいと思うぞ」
全体的に薄めの味付けが、護堂の好みにあっているということもあるのだろう。味噌汁などは、作り手によって味が変わるので、人によって好みが分かれたりもすると思うが、晶の味噌汁は静花の味噌汁に慣れた護堂でも違和感なく味わうことができた。
「ありがとうございます。気張った甲斐がありました」
嬉しそうにしながら、晶も箸を進める。
「そういえば、今頃静花ちゃんはどうしているんでしょうか」
「そうだな。泳いでる、としか言えないな……カリブ海って泳ぐ以外に何かあるのか?」
「え……と、よく知らないです」
「だよなぁ」
カリブ海は北アメリカと南アメリカの間の海域のことだ。護堂は今まで、ヨーロッパとの関わりは多かったのだが、南北アメリカ大陸との関わりはほとんどない。強いて関わりを挙げるとすればロサンゼルスの魔王、ジョン・プルートー・スミスと交流があったということくらいだ。
「先輩が迂闊にカリブなんかに行くと、向こうの『まつろわぬ神』が出てきてしまうかもしれませんね」
護堂が動く先で騒動が起こる。これまでの経験則ではそうなってしまっているのである。実際には、騒動が起こった先に護堂が呼び出されるという場面もあったので、一概にそうとは言い切れないはずなのだが、どちらにしても巻き込まれ体質なのは変わらない事実である。
「南アメリカにはカンピオーネがいないしな」
現在、世界には七人のカンピオーネが存在しているが、その内の四人はヨーロッパに居を構えている。アジアに二人、北アメリカに一人という内訳だ。そのため、それ以外のアフリカやオーストラリア、南アメリカは、『まつろわぬ神』の降臨に対してどうしても後手に回らざるを得ず、最も近くにいるカンピオーネに救援を請うのが常であった。しかし、その一方で、カンピオーネのほうが問題を起こしたり、とても頼れない人格であったりすることも多い。思いつきで人の迷惑を顧みずに行動する者や、人類社会に対してまったくといっていいほど関心を示さない者などがいて、彼らは基本的に神々との戦いを第一義とするために『まつろわぬ神』を討伐するためにカンピオーネを頼ったのに、そのカンピオーネに被害を齎されるといった事態も少なからず報告されているのである。
それが、人類社会に適応したカンピオーネやスミスが頼られやすくなる要因であり、護堂が、夏休みにわざわざイタリアにまで顔を出してしまった原因でもあった。
「まあ、南アメリカで何かあってもスミスが動くだろうから俺には関わりないはずなんだけどな」
護堂はバラエティー番組を見ながら呟く。
かつては、ロサンゼルスに巣食う邪術師たちに梃子摺らされてきたスミスも、今はその組織が壊滅したことで余裕が出てきているという。彼の活動範囲も、今まで以上に広がっていくことが予想された。
それでも、面積で言えば日本の数倍以上になるアメリカの王だ。彼が担当する領域は、中華圏を支配する羅濠教主以上になるので、忙しさは護堂よりも上だと思われる。
「そういえば、あの南の島の話はどうなったんだ?」
以前、鹿児島にある晶の実家を訪れた際に、晶の父親が東南アジアで『まつろわぬ神』同士の死闘について情報を寄越していた。その追加調査が今、行われているところなのだ。
「そうですね。今のところ進展は何もない感じです。もともと、地図にない島でしたし」
「何年か前に突然できた島なんだっけ」
「はい。おそらくは何かしらの権能によるものだと思います。地元の漁師たちは不気味がって近づかなかったらしいですし、島を目指そうとした物好きな人は、みんな迷って漂流する羽目になったらしいです。そのせいで、ほとんど情報がないんですよね」
「そうか……」
護堂は麦茶で喉を潤す。
「というか、それ絶対ミノスの権能だろ」
島についての情報はなくとも、誰がその島を用意したのかは想像がつく。
「やっぱり、そう思います?」
「見てるからな、実物を」
思い出されるのは東京湾での死闘の数々。
最強の《鋼》を蘇らせるべく現れたランスロット・デュ・ラックとグィネヴィア。そして、古くからの因縁にけりをつけるべく策を巡らせたアレクサンドル・ガスコイン。
護堂もまた、東京を舞台にして行われる戦いゆえに関わらざるを得なかった。
あのとき、アレクサンドルはミノスの権能と創世の神具を利用して紛い物のアヴァロンを作り出して見せた。ミノスの権能は、迷宮を作り出す権能。それは単純な迷路を構築するのではなく、異界創世の権能と言ってもいいかもしれない。
「準備が整い次第、現地で西の媛巫女が霊視をする手はずになっているので、詳しいことはその報告待ちですね」
「ああ、まあ、なんにしても東南アジアで終わってくれれば御の字だな」
二柱の『まつろわぬ神』が激突し、島が消失した事件。生き残った『まつろわぬ神』がどのような神格で、その後にどういった行動を取っているのかは未だに分かっていない。
護堂は視線をテレビに向ける。
画面の中では小さな猫と戯れる小太りの芸人が笑いを取っていた。
■ □ ■ □
翌日、護堂は朝から慌しさに襲われていた。
それも、秩父で修行中兼療養中の恵那から連絡が届いたからことが原因だ。
「神獣か……」
どうやら、奥多摩の辺りに神獣が現れたらしい。恵那がいる秩父は、奥多摩と隣接している。もちろん、それもかなり広範囲なので決してご近所というほどではないが、恵那の実家は日本呪術界の最高峰である清秋院家である。個人で所有する情報網もかなりの範囲をカバーしている。
この日、神獣狩りに参加するのは護堂、恵那、晶の三名だ。
「どうして神様は俺を休ませてくれないのだろうか?」
「神殺しだからじゃないですか?」
「まあ、そうなんだけどさ」
晶の身も蓋もない言葉にげんなりしつつ、山を見上げる。
「いや、もう雪積もってるし、ここに分け入っていくって相当重労働だな。雪山登山とか、俺はやだぞ」
土雷神の化身を使って、一気に移動してしまおうか。
「それが一番よさそうだな……」
神獣の居場所は、分かっているのだ。今は身を潜めているが、さすがに神獣ほどの呪力の塊が完全に隠れきるには、それ専用の能力が必要になる。そして、かの神獣は気配を隠す能力を有していない。
「先輩、今回の神獣の相手はわたしにさせてくれませんか?」
「晶が?」
「はい。今のわたしの力を試すいい機会だと思うんです」
今の晶は護堂の式神であり、厳密に言えば人間ではない。人の姿をした意思を持つ権能とも言えるだろうか。理論上は、神々とも殴り合えることになるわけだが、それを試したことはなかった。
「じゃあ、そうするか」
「はい!」
返事をした晶は、黄金に輝く槍を呼び出す。
「はいはい! じゃあ恵那もやるよ! 恵那もまだこの子を試してないもん!」
そう言って、恵那は腰に佩いた剣の柄を撫でた。
それは、法道の従属神である牛頭天王が振るっていた草薙剣だ。あの戦いの後、正史編纂委員会が回収し、太刀の巫女の武装として貸与されることとなったのである。
「お前、まだ本調子じゃないんだろ?」
恵那は牛頭天王と戦ったときにかなり無茶をしている。神懸かりはしばらく厳禁と聞いていたのだが。
「ううん。もう完全回復したよ。ただ、周りの人がどうしてもっていうから休んでたけど、おじいちゃまもいいんじゃね? って言ってたし、大丈夫」
しかし、護堂の不安を恵那は一蹴する。
スサノオがいいというのなら大丈夫なんだろう。いざとなれば自分が助けにはいることもできる。
「いいのか、それ。一応、本物なんだろ?」
護堂は恵那が佩いている剣を指差して尋ねた。
というのも、恵那が持っている草薙剣は、日本書紀などに記される草薙剣と同一の剣なのである。つまり、考古学的、神話学的にも本物ということになる。護堂の相棒である天叢雲剣はまつろわぬスサノオの剣であり、この草薙剣はまた別物なのだ。
「大丈夫じゃない? 呪物である以上、普通の考古学者さんには見せられないし」
それに、気に当てられて普通の人間は病んじゃうよ、と恵那はなんということなく笑う。
「どうも、これ、おじいちゃまの神気とは相性いいんだよね。まあ、当たり前かもしれないけど、おじいちゃまの剣の原点ってことを考えるとまだまだ考察の余地はありそう」
「つまり、スサノオ伝説を生み出した原型……スサノオに習合された超古代の英雄神の遺物かもしれないと?」
晶の質問に、恵那は頷いた。
古事記や日本書紀が編纂される過程で、日本の古き神話は多くが失われたり書き換えられたりしている。たとえば、日本の本来の創世神はオオクニヌシとスクナビコナであったのに、日本書紀ではイザナミとイザナギという当時は無名の神を祀り上げているなどである。
その過程で、スサノオという英雄神が誕生したのだろうが、スサノオは多面的な神格であり、古くから様々な神格を取り込んで生まれたのではないかという説が唱えられてきた。
「とりあえず、ソイツは使えるんだな?」
「うん。練習済みだよ」
「ならいいんだ」
本番になって使えないというのでは、役に立たない。どうやら恵那はスサノオの天叢雲剣でなくともある程度使いこなせるらしい。この辺りはさすが太刀の巫女か。
「それじゃ、いくぞ」
特に気負うこともなく、護堂は二人の手を握って土雷神の化身を発動させた。
奥多摩の山奥、登山道や林道からも外れた場所に、人知れず大きな断層が形成された場所がある。
もう昨年の話になるのだが、ここで護堂とランスロットが激突し、互いの必殺の一撃をぶつけ合ったことで大地が大きく抉れたのである。
この断層の中に、問題の神獣が巣食ったらしい。
「ああ、なんというか懐かしいな」
護堂は周りを見て呟く。ここはランスロットと打ち合った場所であり、アテナと別れた場所でもある。はた迷惑な連中ではあったが、それでも印象には強く残っているので、戦場跡を見ればあの時のことが容易に思い出せる。
今は深い雪に閉ざされ、景色も変わってしまったようにも思えるが、それでも懐かしく思える。
「きっと、王さまの呪力に惹かれて来たんだろうね」
「何ヶ月前の話だよ……」
頭を掻いてぼやく。しかし、それでも否定しきれないのは、強大な呪力は何年もその地に残り続けるということを護堂も知っているからだった。
そして、神獣や神霊の類は強力な呪力に惹き付けられることがあるというのも、一目連の事件で学んだ。
「さて……」
護堂は山の頂上から中腹に口を広げる断層を見下ろした。
「ああ、いますね」
晶が雪の中に眠る巨体を見て、呟いた。
黒光りする甲殻。無数の足。細長い胴体。尋常じゃないくらいに大きなムカデである。
「大ムカデっていえば藤原秀郷ですけど」
「土蜘蛛のときみたいに、引っ張られて出てくるかもしれないね。まつろわぬ藤原秀郷」
「冗談じゃない。冬休みにまで神様と戦っていられるか」
護堂は心底嫌そうに表情を歪めて言った。
恵那と晶はその様子を見て笑った。
「それじゃ、早い内に始末したほうがいいですね」
「よし、いくよ草薙剣」
恵那と晶はほぼ同時に雪道を駆け下りて行った。
接近する呪力に気付いたのか、眠っていた大ムカデは鎌首を擡げた。
起き上がると伸び上がるようにして大ムカデが襲い掛かってくる。恵那と晶はそれぞれ左右に散開してこれをかわす。頭から地面に突っ込んだ大ムカデは、ただそれだけ地面を抉った。雪のみならず、土までも巻き上げて、大ムカデが蠢く。
「おおおおおりゃあああああッ」
恵那が嵐を纏って神剣を、大ムカデの足に叩き付け、太い足を斬り飛ばす。
「おおうッ」
恵那は、反撃を恐れて距離を置く。
縦に長い大ムカデは、側面にいる限りよほどのことがなければ反転攻撃ということもない。
「足を一つひとつ斬っても意味ないかな」
「まずは頭を潰しましょう」
「了解!」
恵那は呪力を練り上げ、風を呼び集める。
「ハッ!」
気合を入れて神剣を振りぬくと、渦巻く烈風が砲弾のように放たれる。その威力は大ムカデの固い殻を砕き、巨体を浮かせるほどのである。
横っ腹を強かに撃ち抜かれた大ムカデは、怒りを覚えたのか足をバタつかせて機敏な動きで恵那を捕捉する。その隙に、晶は懐に入り込んでいた。
右手を固く握り締め、露になった下っ腹を殴り上げる。
「大雷ッ!」
インパクトの瞬間、青白い閃光が炸裂し、大ムカデが海老ぞりするほどの打撃を与えた。
だが、大ムカデはその状態からすぐに持ち直した。鎌首を擡げた状態から、ギチギチと牙を打ち鳴らす。
「やっぱり固いですね」
「でも甲羅のほうから攻めるよりはダメージになってるみたい」
恵那の分析に、晶も頷いた。
背中側の黒い部分は固いが、腹側は柔らかい。晶の雷撃の拳が致命傷にならなかったのは、単に敵の生命力がそれだけ強かったからであり、防御力で晶の攻撃を上回ったからではない。
ならば、同じように攻めていけば、どうにかなりそうだ。
晶は槍を再び召喚して、大ムカデの様子を見る。恵那は晶が大ムカデを引き付けている間に側面に回りこむ。神気を纏っている恵那は、それだけで神獣と渡り合えるほど肉体を強化させることができるが、それでも晶ほどではないのだ。
数秒ほど、睨みあい、先に動いたのは大ムカデ。口を大きく開き、なにやら白い液体を晶に向かってぶちまけた。
「うひゃあああッ」
突撃を予想していただけに、意表を突かれた晶は、大きく飛び退いてこれを避けた。
「うっわ」
晶は異臭に顔を顰める。
大ムカデが吐き出した粘液は、触れた木々を朽ちさせ、地面から蒸気を吹き上げさせていた。
どうやら消化液を武器にしたらしい。
そこに、大ムカデが体当たりをしてくる。
フルパワーでこれを受け止めるか、それともかわすか。晶は後者を選択する。受け止めようと思えば受け止められるかもしれないが、ここで危険を冒す必要もない。何より、突進を受け止めると至近距離から消化液をかけられる可能性が高くなる。
晶は大ムカデの体当たりを横っ飛びでかわす。そして、晶に気を取られた大ムカデの背中に、恵那が飛び乗った。
「せぇのぉッ!」
草薙剣の切先を、甲羅の隙間に突き入れる。案の定、隙間は防御力が低い。恵那の草薙剣が刀身の半分ほども埋まった。
「吹っ飛べ!」
恵那は、刀身を介して風を大ムカデの体内に注ぎ込む。ボグン、と爆弾が炸裂したような音が響き渡り、剣を突き立てた部分が抉れて吹き飛んだ。
それは恵那の足場が崩れたことにもなるが、恵那は軽やかに飛び退き、地面に着地していた。
一部とはいえ、背中が抉れた大ムカデはさすがに身悶えしてしまう。それを好機と受け取った晶が、神槍に呪力を込める。
「南無八幡大菩薩!」
逆手に構えた神槍を、晶は投擲する。投じられた神槍は、雷光の輝きを宿して大ムカデの顎を撃ち砕く。
「やった!」
晶はぐ、と拳を握り締め笑みを浮かべる。
しかし、頭を砕かれた大ムカデは、ジタバタと暴れ回り、無造作に足を振り上げ、転がり回るだけで消滅しない。
「ど、どういうことです?」
「まあ、ムカデは切ってもしばらくは死なないからねえ。神獣ともなると、何日生き延びるかな」
恵那は山育ちなのでよく知っている。ムカデは両断しても上半身だけどこかに移動してしまうことが時折あるのだ。それでも当然、生き続けることはできないのだが、かなりの時間を生存することはできる。それが神獣ともなれば、どうなるか。
「頭がないから、放っておいても大丈夫とは思うけど。ここ、山奥だし」
「再生しませんかね?」
「しないとは言い切れないんだよねぇ」
神獣なので、頭を潰しても新しく生えてくるかもしれない。そういう理不尽が罷り通る生物なのだ。
「だったら、動かなくなるまでダメージを与えるしかないですね」
「仕方ないね」
恵那は風刃を連続で叩き込む。柔らかい腹部を曝す大ムカデの身体に、無数の裂傷が生じ、足も斬り落とされていく。
「咲雷ッ」
晶が手に持つ穂先に雷撃の切断力を込めて、神槍を振るう。
大きな身体に見合うだけの生命力があるようだが、立て続けに身体を切り刻まれては再生も容易ではない。まして、今の大ムカデは頭を潰された状態なのだ。敵を狙うことなど不可能だし、身体を動かしているのも反射に過ぎないのだ。
攻略難易度は大幅に低下している。
攻撃力のある晶が胴体を攻め立て、手数のある恵那が足を斬り飛ばしていく。上のほうから順に足を斬り飛ばされた大ムカデは、そう時を置かずに達磨状態になってしまった。
「よし、これくらいになればもう動けないね」
神懸かりの影響で体力を消耗した恵那が、剣を地面に付きたてて一息ついた。
そうして動けなくなった大ムカデの身体を、晶が神槍で縦に斬り裂いた。
「うん、ここまでやったらさすがに消えるしかないよね」
晶は神槍をトドメとばかりに突き立てつつ、もはやピクリともしなくなった大ムカデに語りかける。
もちろん、反応などあろうはずもない。
ムカデ特有のしぶとさも、ここまで身体を破壊されてしまえば発揮されない。遠からず消滅するだろう。
問題が発生したのはこの直後だった。
雪山で派手に大暴れした結果でもある。恵那や晶がいる地点より僅かに上方から、ごっそりと雪が抉れたのである。
雪崩である。
「ヤバッ」
悲鳴を上げる間もなく、恵那と晶は真っ白な雪の中に呑み込まれていった。
この時、恵那もさすがに、死を意識した。
神懸かりをした直後で対応するだけの力がなかったからだ。晶ならば実体を解いて簡単に脱出できただろうが、恵那には無理だった。
しかし、恵那は無事に生還した。
雪崩に呑まれた恵那の視界は次の瞬間には空にあった。
身体をがっしりと大きな爪が捉えている。
全長数メートルにもなる大きな鷲だった。水墨画から抜け出してきたかのような色彩の、生命力を感じさせないのっぺりとした巨鳥である。
二羽の大鷲が、恵那と晶を間一髪のところで救い出したのだ。
「二人ともお疲れ」
山の頂上で、開放された二人を護堂は労った。
「今の、王さまの新しい権能だよね。結局、助けられちゃったか」
「何言ってんだよ。本来、神獣の相手はカンピオーネがするべきものだ。それをたった二人でやったんだから、大したものだろう」
普通、神獣と戦うときは、一流の呪術師が専門の装備と部隊を整えて命懸けで戦うのである。特殊な能力を持つ二人だからこそ、神獣を圧倒することができたのだ。
おそらく、晶だけでなく恵那も神獣の単独撃破が可能なのではないだろうか。彼女の力を考えれば、それはありえない可能性ではない。
「晶も、権能の部分共有がうまくいったみたいだな」
「はい。なんとか。でも先輩ほど強力な力は無理でした」
「そりゃあな」
護堂と霊的に結びついている晶は、護堂の権能の性質を再現することができる。それが、晶の式神としての能力だ。
それだけでも、大抵の神獣には正面から挑めるだろう。
それが分かっただけでも、今後の戦い方を決める助けにはなる。この日の戦いは、それだけのいい収穫を齎した。
高橋晶の設定情報
H/W153cm/42kg B79/W54/H81
以降、1mmたりとも成長はない。劣化もない。