カンピオーネ~生まれ変わって主人公~《完結》   作:山中 一

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中編 東方の軍神編 Ⅳ

 ウルスラグナは、富士山の六合目付近に陣取っていた。

 この季節、富士山の上部は厚い氷に閉ざされ、寒風吹き荒ぶ凍結地獄と化している。この年の六合目は、雪と土のちょうど境目辺りであった。

「冷たく凍える白き大地か。ふぅむ。我が生国にも似たような地がなかったわけではないが」

 イランは大部分が砂漠の国ではあるが、土地によっては豪雪になるところもある。

 郷里の四季を思い描いて、ウルスラグナは富士山の冷気に身を曝す。

 風は冷たく、刃物のように吹き渡る。

 雪が舞い上げられて、霧のように視界を妨げるのが常である。触れれば溶けて水に変わる。これだけの水があれば、アナーヒターすら不要かもしれないなどと埒もない考えに耽る。

 少年の姿は、ウルスラグナが好んで取る化身でもある。

 一五歳の少年は、英雄のシンボル。敵を打ち砕く軍神が取るには最良の化身であろう。

 山の天気は変わりやすく、雲はいつの間にか流れてどこかに消えていた。いつもよりも近くなった星を見ながら、ウルスラグナは雪原という神秘に遊ぶ。

「ずいぶんと、物珍しそうだな。雪がそんなに面白いか?」

 閃電を纏って現れた神殺しの声に、驚きはない。

 なんとなく、再び相見えることになるだろうと思っていたからだ。とはいえ、心臓を抉り出されてよく生きていたものだと感心はする。彼の回復能力は封じていたはずだが。

「俄かには信じがたいな。如何様にして、あの死から蘇ったのじゃ?」

「そりゃ企業秘密だよ。あんたに教えたらまた斬られちまうだろ」

「ふむ。なるほど。当然じゃな。我は、お主の中で厄介な《蛇》を封じにかかった。《蛇》は死と再生の象徴じゃ。お主の火雷大神もまたその性質を有する神故に、確実を期して剣で斬ったのじゃがな」

「そう簡単に死んで堪るかっての」

「やはり神殺しじゃ。生き汚いにも程があろうて」

 ウルスラグナは流麗な笑みを浮かべた。

 護堂の生命力に呆れながらも、好敵手の復活を喜んでいる。そんな笑みだ。

「では、決着と――――いこうかの!」

 雪原をウルスラグナが蹴った。一息に護堂との距離を詰めて、跳び蹴りを放ってきたのだ。護堂は楯を創造して、これを受け止める。真正直に受けては、以前の二の舞だ。これはただの蹴りではなく、『駱駝』の化身なのだから、キック力は桁外れ。ウルスラグナが楯に蹴りを入れたときには、護堂は斜面を転がるようにしてウルスラグナの射線から逃れていた。反撃に、一〇挺の剣を投じる。ウルスラグナに迫る刃を、軍神は笑みすら浮かべながらすり抜ける。

『弾け』

 護道は言霊を放ってウルスラグナを牽制。動きが鈍ったところに神槍を投撃する。

「同じ手ばかりでつまら、ぬ!」

『来たれ』

 神槍を伏せてかわしたウルスラグナが後方を振り返る。そこには、ブーメランのように回転しながら迫る一〇挺の刃があった。

 護堂の言霊が、先ほど投じた剣を呼び寄せたのだ。回転する剣はギロチンのようにウルスラグナの首を狙う。

『去ね』

 ウルスラグナもまた言霊使い。護堂が言霊を使うのならば、自分もまた言霊で対処しよう。

 ウルスラグナの言霊を受けた剣が弾かれ、複数本を纏めて激突。互いに喰らい合う形になって地に墜ちる。

 護堂が神槍を突き込んだのはそのときだ。

 今のウルスラグナは『少年』の化身。『駱駝』ではなく、格闘戦では『駱駝』に劣る。『強制言語(ロゴス)』による先読みを駆使して、ウルスラグナに近接戦を挑んだ。

 それでも、敵は軍神。素の身体能力や格闘能力が護堂とは比べ物にならない。背後から襲い掛かった護堂の神槍を脇で挟み、固定する。

「ふふ、後ろからとはつくづく貪欲な男じゃな!」

「それが嫌なら他の神殺しでも当たってくれ!」

「何、嫌なものか。畢竟、戦とはそういうものじゃ。無論、我はそのような手は使わぬ。堂々とお主を打倒してくれよう!」

 ウルスラグナは、そう言い放って護堂の神槍を掴んだまま、身体を捻る。梃子の原理で護堂は振り回されて、柄から手を離してしまう。勢いのままに飛ばされた護堂の眼前に神槍が迫ってきていた。

 護堂が手放した神槍をウルスラグナが投げたのだ。

「う、おォ!?」

 護堂は咄嗟につま先を伸ばして雪に触れ、土雷神の化身を行使する。雷光となった護堂は瞬時に雪の中に潜りこんで投槍から逃れた。

 護堂が現れたのは、ウルスラグナから二〇メートルは離れた地点だ。

 これでも、あの軍神からすれば数歩で詰められる距離であろう。油断はできず、精神は常に張り詰めている。

 だが、それが妙に心地いい。

 身体に走る震えは、寒さによるものでもなければ恐怖によるものでもない。

 この軍神と渡り合うことの喜びを感じている、武者震いに相違ない。ウルスラグナという猛者と、智勇を総動員して戦い乗り越えることを欲してしまっているのだ。この心が。

「善き哉、草薙護堂! お主も心が煮え滾っておるようじゃな! それでこそ我が強敵じゃ! お主の持てる力を尽くして我に敗北を与えてみよ!」

「言われなくても、そうするさ!」 

 護堂は呪力を放つ。無形の呪力がウルスラグナに向かって放たれ、それは細いワイヤのように結晶化する。『武具生成』の権能で作った即製の網だ。これがウルスラグナを包む。糸といっても、神具である。そう易々とは千切れない。

「む、なんとも小賢しい真似を。じゃが、甘い!」

 ウルスラグナは即座に『雄牛』の化身を使う。

 身体が膨れ上がり、ミチミチを音を立てて内側から網を引き千切ろうとする。本来ならば、逆に身体のほうが細切れになってもおかしくないのだが、ウルスラグナの『雄牛』は怪力の化身であり、その怪力に見合った頑丈さを得ている。怪物そのものの肉体は、糸で傷を負いながらも、硬すぎる筋肉が一定以上に食い込むことを許さず、やがて、バツン、と網のほうが耐え切れなくなり弾け飛んだ。

 その間に、護堂は次の仕掛けを使う。

 思い切り呪力を練り上げて、山に向かって叫んだ。

『墜ちろ』

 唐突に地鳴りが響き渡った。

 富士山を震わせる、地震を思わせる振動は真白な雪原に亀裂を入れて、ごっそりと移動させる。

 可能な限り広範囲に対して解き放った言霊は、全層雪崩という形で破壊をばら撒いた。

「何!?」

 富士山の斜面を、雪の壁が降り落ちてくる。それはもはや氷の大瀑布。岩石の塊が転がり落ちてくるようなもので、ふわふわとした雪が身体の上に乗るのとは訳が違う。毎年数多くの人命を奪う自然の猛威は、白銀の怒涛と化してウルスラグナと護堂を纏めて呑み込んだ。

 護堂は土雷神の化身を発動して、雪崩の中に溶け込む。護堂にとっては雪崩も移動経路の一つに過ぎない。

 対するウルスラグナはどう出るか。

 彼の化身の中で範囲攻撃ができるものはいくつかある。『白馬』『強風』『猪』。どれでくるか。

「オオオオオオオオオンッ!」 

 響き渡る咆哮は、氷雪の地獄を吹き散らして余りある正義の鉄槌。

 漆黒の大猪が、雪崩の中から現れた。全身から衝撃波を放って、雪崩を押し返し、逸らしてしまったのだ。圧倒的な巨獣の力を存分に見せ付ける。

「い、猪って、全身から衝撃波が出んのか」

 護堂の知る原作では、とにかく突撃という性格の猪だったのでこれは驚きだ。吹き散らされた雪の中で実体化した護堂は、言霊を叫ぶ。

『撃て』

 言霊が干渉するのは、雪崩の中に仕込まれた刃たち。

 五〇を超える黄金の剣が漆黒の獣に群がった。四方八方から刃を突き立てられたウルスラグナだが、身体を揺すって剣を振るい落としてしまった。やはり、頑丈だ。猪の毛皮は厚く、筋肉は硬い。簡単に、刃を通しはしないのだ。

「ハハハハハハッ。今のは面白い攻めであったな! どれ、そろそろ我も攻めねばならんな!」

 大猪が強靭な後ろ足で地を蹴った。爆発的な加速が生まれ、巨獣は一瞬にして護堂との距離を無に帰した。護堂は、反射的に伏雷神の化身を使い、肉体を雷に変えた。雪崩で舞った粉雪が発動条件を満たしていたのだ。

 実体を失った護堂を捉えられず、ウルスラグナの突撃は大地に亀裂を入れるだけに終わった。

「おお、なるほど雷光の煌きと化す化身か。それは、伏雷神かの。よし、ならば我も後れを取るわけにはいかんな」

 大猪が身体を萎ませて消えた。それと同時に、護堂は剣を創って振り上げる。刃とぶつかったのは、大きな鳥の爪だ。神速の『鳳』の化身となって、護堂に襲い掛かってきたのである。それでも、護堂もまた神速に飛び込んでいる。機動力では『鳳』に負けずとも劣らない。雷光となって羽ばたく鳥を追い、神槍と爪を幾度もぶつけ合う。火花が散り、お互いに相手の身体にいくつかの裂傷を与え合った。

 濛々と立ち込める雪雲は、風に流されて散っていく。雪の密度が低くなるに従って、護堂の速度が鈍くなりやがては神速が解除されて地面に足を付けた。

 その直後、肩を鋭利な刃物のようなもので斬り裂かれて転倒する。

 前のめりに倒れた護堂は、富士山の斜面を転がり落ちてしまう。雪崩で雪がなくなり地面が露出しているので、止まりにくい。土雷神の化身を使って実体を解き、地中に逃れることで勢いを打ち消し地上に何事もなく帰還する。

 ただし、護堂のそれは、明らかな隙であったはずだ。それでも、ウルスラグナは追撃をすることなく自身もまた『鳳』から少年の姿に変身して地に足をつけた。

 姿が少年だからといって、『少年』の化身というわけではないだろう。彼は、変身しなくても能力だけを使うことだってできるのだ。

 ウルスラグナの能力は一〇の化身に変身して戦うこと。状況に合せて手札を切ってくる変幻自在さは、今まで戦ったあらゆる『まつろわぬ神』を凌駕している。

 技の数では呪術神であったまつろわぬ法道のほうが上だろうが、カンピオーネの呪術に対する耐性もあって脅威の度合いは低かった。しかし、ウルスラグナは違う。格闘戦にも秀でた彼は、カンピオーネを殴殺して余りある能力の持ち主だ。

 それぞれの化身に的確に対応しないことには、護堂の勝利はない。

 手数ならば、護堂も互角以上だ。ただし、咲雷神は周囲に背の高い建造物や木がないため使用不可。もともと回避されている化身だけに、惜しくはない。大雷神も敵の『山羊』に防がれている。しかし、出力はこちらが上だったのは確認できている。撃ち合いを避け、直接当てることができれば必殺となるに違いない。火雷神も同様だ。

「ふむ、やはりお主の火雷大神。化身の使用に何かしらの条件があるようじゃな。難儀なことじゃの、神殺しというのは」

 案の定、ウルスラグナは護堂の権能の欠陥に気付いている。一つの権能で複数の化身に変化する場合、化身の発動に制限がかかるのが常識だった。原作護堂然り、ジョン・プルートー・スミス然り、この護堂然り。それでも状況に応じて使い分けられるというのは、デメリットを差し引いても大きなメリットだが、ウルスラグナのように、ほぼ制限なく化身を使い分ける『まつろわぬ神』と戦う際には枷ともなりかねない。

 初期条件からして不利なのだ。

「とはいえ、お主の権能の中で戦術的に高い役割を果たしておるのが火雷大神というのは事実じゃ。発動条件による縛り以上の恩恵をお主に与えているのは明白……故に封じるのであれば、その権能と判じたのじゃ」

 ウルスラグナが右手を挙げた。その手に黄金の光が集束していく。

 ウルスラグナの切り札『戦士』の化身を使ったのだ。あの黄金の星は、あらゆる神格を斬り裂く神殺しの剣だ。

「お主が殺めた火雷大神は、雷を神格化したものじゃ。稲作を営むこの国の古代人にとって、雷は脅威であると同時に恵みの雨をもたらすものでもあった。それ故に、雷神以外にも稲作、雨乞いの神でもあるのじゃ。別名の八雷神は、火雷大神が一柱の神でありながらも、八柱の神でもあったことに由来する。八通りの雷の姿を、それぞれ神として崇めた結果生まれたのが、火雷大神じゃ」

 ウルスラグナが、火雷大神を語るごとに光が増していく。あれに斬られると、護堂は機動力に回復力、おまけに火力までをごっそりと失うことになる。

 前回はそれで死にかけた。だが、同じ轍は踏まない。

「天叢雲剣。俺にも神殺しの剣を!」

『応!』

 威勢のよい返事と共に、天叢雲剣がウルスラグナから『戦士』の化身を複製する。

 右手に宿った熱を感じながら、護堂もまた言霊を唱えた。

「ウルスラグナ。あんたは、ペルシャ、今のイランの辺りで崇拝された神格だ! 軍神だったこともあり、サーサーン朝ペルシャの初代皇帝アルダシール一世は自らウルスラグナの聖火を建立し、以後の皇帝は代々ウルスラグナを崇拝することになる。その証拠に、四代皇帝バハラーム一世の名はウルスラグナの中期ペルシャ語形だ!」

 サーサーン朝を開いたアルダシール一世は、ゾロアスター教の女神アナーヒター神殿の神官だった。彼の王朝が、ゾロアスター教と深く結び付くのは、至極当然の流れなのである。

 また、王が神の名を名乗ることは珍しいことでもない。

 三世紀初頭にローマ帝国に君臨したヘリオガバルスの名は、太陽神ミトラスの別名であった。エジプトのファラオは、多くがその名に神名を取り込んだ。こうした、神の名を名乗りその加護を賜ることは、テオフォリックネームとも呼ばれる。

 サーサーン朝の皇帝がウルスラグナの名を名乗る。それは、ウルスラグナへの信仰がそれほどに篤かったということだ。

 護堂の周囲にも、黄金の星が瞬いた。ウルスラグナのそれとまったく同じ、神殺しの剣だ。

「何!? お主、それは……ハハハハハハハッ! なんとも盗人染みたことをするな、神殺し! このような手を隠していたか!」

 ウルスラグナの『戦士』の化身は、敵の力を見抜く目を持つ。これで、敵の来歴を解き明かすのだろう。当然、天叢雲剣が『戦士』の化身をコピーしたと気付いていた。

 星と星がぶつかって対消滅する。

 まだだ、まだ、ウルスラグナを斬るには弱い。護堂は言霊をさらに唱えていく。

「ウルスラグナは《鋼》の軍神ではあるが、《鋼》らしいエピソードにはそれほど縁がない。太陽神ミスラの先陣を切って敵を打ち倒すだけならただの軍神でもいいはず。それが、《鋼》になるのは、あんたの起源となる神格や習合した神格が《鋼》だからだ! 例えばサーサーン朝以前、パルティアの時代にはすでにギリシャのヘラクレスと習合しているし、アルメニアではヴァハグンという英雄神として信仰される。どちらも竜殺しの《鋼》だ!」

 ウルスラグナの剣が夜闇を斬り裂いて護堂に迫る。それを迎撃するのもまた剣の言霊。幾度目かの激突は、ついに護堂の剣の勝利という形に納まった。

 護堂の剣は、ウルスラグナを斬る剣だが、ウルスラグナの剣は火雷大神を斬る剣。剣の言霊の性質上、護堂の剣をウルスラグナが斬ることができないのに対して、護堂の剣はウルスラグナの剣すらも斬り裂くことができる。

「くく、確かにこれは劣勢じゃ。よもや、我の力で我を斬ろうとはな。じゃが、まだまだ負けてはおらん! ――――お主が我の剣を使えるのは、天叢雲剣によるものじゃな。この国の《鋼》の英雄神スサノオの神剣であり、王権の象徴たる剣。それそのものが神格を有し、数多の敵をまつろわせた最源流の《鋼》。故に、お主は他者の権能を複製し、操ることができるのじゃ!」

 ウルスラグナの剣の輝きが変わったように見える。火雷大神を斬る剣を無理矢理、天叢雲剣を斬る剣に作り変えたのだろう。

 ウルスラグナが斬るのは、己の化身を複製し操っている根本部分。根を切ってしまえば如何なる大樹も朽ち果てるのみ。護堂の切り札はそこで打ち止めになる。対する護堂もそう易々と負けるわけにはいかない。相手は無理な剣の組み換えで疲弊しているし、何よりも自分が操っているのはウルスラグナを斬り裂く言霊の剣。光の激突は、未だにこちらが有利なはずだ。

 縦横に駆ける星たちが、激突しては対消滅を繰り返す。僅かに護堂の剣が優位に立っているものの、剣の数はウルスラグナのほうが多い。オリジナルと複製の差は、弾数という面に現れているのか。量より質の護堂と質より量のウルスラグナの削り合いの様相を呈してきた。

 剣は使えば使うほど斬れ味が鈍る。数が少ないというのは、そのまま不利にも繋がりかねない。対処するには、剣の質を底上げするしかない。

「ウルスラグナの意味は『障害を打破する者』。だから軍神としても崇められる。だけど、この神はペルシャの地で誕生した神じゃない。あんたの他にも、『障害を打破する者』という名で崇められた神がいる。その神名はヴリトラハン。ウルスラグナの起源となったインド神話の雷神、インドラの別名だ!」

「天叢雲剣はスサノオが討ち果たしたヤマタノオロチから生まれた神剣じゃ。それそのものが《蛇》からの力の簒奪を意味しておる。神剣は太陽神に献上された後、再び地上に戻り、王権の象徴となりヤマトタケルという《鋼》の英雄神の剣として草薙剣の名を得るに至る!」

 剣と剣の激突が激しさを増す。

 あたかも世界が始まる創世のときを早回しで見ているかのように、星は互いに互いを喰らいあっている。

「なかなか攻め切れんの! さすがは我の権能といったところか! それを操って見せるお主も見事じゃがな!」

「なんで笑ってられんだよ、こんなときに!」 

 一歩間違えば自分が死ぬ。まさに綱渡りの状態なのだ。そんなときに笑うなど尋常の精神ではない。

「笑うとも! かつてない強敵に出会い、ここまで苦戦しておる。軍神として、これほど愉快なことはない!」

 剣の削り合いは、確実に両者の権能に影響を与えている。剣を介して間接的に斬られている天叢雲剣はまだしも、直接斬られているウルスラグナの消耗は激しいはずだ。

 それでも笑い、戦いを続けるのは、やはり軍神だからだろう。アテナを初めとする今まで戦った多くの神々がそうであった。

「インド神話のヴリトラはインダス人が崇めた神だった。ヴリトラの名は『障害』を意味し、インドラはこの竜神を殺すことでヴリトラ殺しを意味するヴリトラハンの称号を得る。それはつまり『障害を打破する者』ということだ!」

 剣をより輝かせ、精錬する。神格を解き明かせば解き明かすほどに、その輝きは強くなり、斬れ味は増していく。

 だが、如何せん敵の数が多い。降り注ぐ剣をいくつか取りこぼした。それが真っ直ぐ護堂に向かって迫ってくる。ここで、本体が斬られてしまえば一巻の終わりだ。だが、今更切り替える余裕もない。

 そこに二つの影が飛び込んできた。

 恵那と晶だ。この拮抗状態は、事前に予期できるものだった。二人には、ウルスラグナの言霊の剣を凌ぎきれなくなったときに手助けして欲しいと頼んでいたのだ。晶は初めから護堂の傍にいたし、恵那は雪崩のあとに息せき切って富士山を駆け上ってきた。山育ちの媛巫女の異常な脚力が輝いた瞬間だった。

「我が背の君を守りたまえ!」

 恵那が童子切安綱を振るい、スサノオの神力を纏った風の斬撃を放った。草薙剣を使わず、あえて霊格の劣る童子切安綱を召喚したのは、あの剣の言霊が草薙剣殺しだからだ。

「陰陽の神技を具現せよ。鬼道を行き、悪鬼を以て名を高めん!」

 晶が法道の聖句を唱えて、水墨画で描いた鬼を思わせる鎧を身に纏う。『黒き魔物の群れ(ザ・ファントム・オブ・ダークネス)』は護堂本人が使えば無数の鬼を式神として操る権能だが、晶が使う場合は晶の身体を神獣と殴り合いができるほどに強化する。それは、晶自身がこの権能を体現する者だからできる荒業である。

「ちぇすとーッ!」

 晶は叫んで豪槍を振るう。彼女が手に持つ一目連の神槍は、法道の黒い呪力を纏って黄金の剣を吹き散らす。

 対象となる神格以外には影響しないという『戦士』の特性が、裏目に出たのだ。

「そうくるか。ならば、我も我が身を可愛がってはおれん。お主を直接斬り捨ててくれようぞ!」

 ウルスラグナは覚悟を決めた。

 このままでは敵を斬る前に自分が斬られるかもしれない。護堂が操る言霊の剣と自分の剣の相性の悪さは、それが自分の化身だからこそよく分かっている。

 だからといって、逃げるなどもってのほかだ。ならば、どうするか。無論、死中に生を求めるだけだ。

 翳した右手に光を集め、剣の密度を最高に高める。星は集合して一振りの長剣へと変貌する。

 そこに護堂の星が襲い掛かった。四方八方から襲い来るウルスラグナ殺しの剣を、ウルスラグナは見事な体捌きでかわし、避けて、星と天叢雲剣との繋がりを断ち切っていく。

 ウルスラグナの剣では星を直接消滅させることはできない。だが、星と敵との繋がりは断てるのだ。

 戦士の神、逆境こそが我が喜び。障害を打破する者の敵に相応しい、強大な敵だ。久方ぶりの燃える戦いに、ウルスラグナの喜びは絶頂に達する。

「行くぞ、草薙護堂!!」

 ウルスラグナは地を駆ける。黄金の剣を携える戦士。神話に語られる最強の軍神像をそのままに、己を魔王を斬り裂く正義の剣と化してあの敵を打ち破るのだ。

「なんだよ、あの動き」

 無数の星に囲まれながらもウルスラグナは敢然と受けて立ち、星を打ち消していく。さすがは軍神と、舌を巻くよりほかにない

『王よ。あの軍神は自分の傷を無視して斬りかかるつもりぞ! 気をつけよ。今の軍神に、生半可な攻撃は通じん!』

 天叢雲剣の警告に護堂は頷いた。

 覚悟を決めたウルスラグナは鬼神の如き戦いを演じている。いくらか彼に剣が届いているはずだが、微々たるものでしかない。窮鼠猫を噛むというほど追い詰めたわけではないが、まさに死兵となって護堂に一太刀浴びせようとしているのだ。

 今のままでは攻めきれないしジリ貧だ。向こうが覚悟を決めたのなら、こちらもまた覚悟を決めねばならない。

「天叢雲剣。剣の制御を頼む」

 護堂もまた、右手に星を呼び込んだ。こちらは天叢雲剣を模した反りの入った黄金の大太刀。当初の三分の一程度にまで減少した星を掻き集め、一振りの刀とした。

 護堂は太刀を構えて斜面を下る。ウルスラグナもまた、護堂の狙いに気付いて笑みを深めて走ってくる。

 先に一太刀入れたほうが勝つ。

 太刀の維持を天叢雲剣に任せて護堂は脳裏にアテナの導きの力を使う。これで、格闘戦能力はウルスラグナに匹敵する。

「オオオオオオオオオオオオッ!」

「ハアアアアアアアアアアアッ!」

 互いに咆哮して刃を打ち付け合う。

 衝撃に地面が抉れて踏鞴を踏むが、アテナの導きが最適な体捌きを実現させる。

『分かっておるな。状況はこちらが有利だ。ウルスラグナの剣ではあなたの剣を斬ることはできぬが、あなたの剣はウルスラグナの剣ごとその神格を斬り裂くことができよう』

 脳裏でアテナが囁く。その通りだ。ウルスラグナは護堂と剣を交えることを避けるように、黄金の剣を振るっている。鍔迫り合いは最初の一撃のみで、それ以降は回避か刃に刃を当てて反らす絶技で凌いでいる。

 ただし、ウルスラグナの一太刀を受けてしまえば護堂は黄金の剣を維持できなくなり敗北する。

『故に、敵の剣を一切受けずに敵を斬れ。動きは妾に任せよ!』

 無理難題を押し付けてくるアテナであるが、心強いことも言ってくれる。護堂の身体が勝手に動いてウルスラグナの剣技に追いすがる。

「インド神話は世界各国の神話に大きな影響を与えた神話だ。その天空神はヨーロッパ全域に広がるほどに。それだけ古く強い神話だから、当然、あんたが信仰されたゾロアスター教の成立にも大きな影響を与えている」

 護堂は、剣の維持を天叢雲剣、肉体の動きをアテナの導きに任せて自分は剣を磨ぐことに集中することにした。ウルスラグナを斬り伏せる最強の剣を編み出すために。

「インド神話の影響を多いに受けたゾロアスター教には、インドの神々も名前を変えて登場する。ただし、インドの善神を現す『デーヴァ』はゾロアスター教では悪神を表す『ダエーワ』に、インドの悪神を現す『アスラ』はゾロアスター教では善神『アフラ・マズダ』となるように善悪が入れ替わっている。そのせいでインド神話で神々の王だったインドラは、ゾロアスター教では魔王の一人となって登場することになる。それなのに、何故、あんたが善神のままなのか――――」

 ウルスラグナとの剣戟は苛烈を極め、黄金の剣の欠片が飛んでは寒風に流れていく。

 何十合と打ち合う中で、ついに護堂とウルスラグナは鍔迫り合いの状況に陥った。

 護堂はここぞとばかりに黄金の剣を押し込んでいく。

「く……!」

 ウルスラグナが笑みを消して苦悶の表情を浮かべる。対ウルスラグナ用の剣がウルスラグナの『戦士』の化身を斬り進んでいるのだ。

「――――それは、インドラの別名、ヴリトラハンが一人歩きしてしまったからだ。インドラ自身は魔王へと墜ちたが、その別名であるヴリトラハンは別個の神格として崇められた。それが、『障害を打破する者』つまり、ウルスラグナなんだ!」

 ウルスラグナが《鋼》となるのも、その名前自体に竜殺しの意味があるというのも大きいだろう。

 恒星の爆発を思わせる光が瞬き、ウルスラグナの剣が両断される。護堂の黄金の太刀の刃がウルスラグナの身体を袈裟切りに斬り裂いた。

「ぐ、おおおおおおおおおおおおおッ!」

 傷口から光が溢れて、ウルスラグナの神力が散る。 

 そのような状態にあって、ウルスラグナの目には未だに闘志が燃えていた。

「まだじゃ!」

 両断された『戦士』の剣の残滓を、ウルスラグナは蹴り上げた。剣の切先部分が消滅するその刹那、それは護堂の腹部に深々と突き立った。

「な……」

 そして、周囲一帯を黄金の光が包み、両者は同時に弾き飛ばされた。

 

 

 両者がうつ伏せになっていた時間はほんの僅かであった。

 護堂は跳ね飛ばされたときに身体を強く打ちつけていくらか骨折したり切り傷を負ったりしたが、若雷神の化身がすでに治癒を始めている。

 改めて、この化身のありがたみを実感することとなった。

 それでもアテナの導きの力を使った反動が出始めている。身体を襲う倦怠感が、護堂の集中力を乱す。おまけに天叢雲剣が封じられてしまった。最後の最後で失態を犯した。

 舌打ちしながら立ち上がる。

 そして、ウルスラグナもまた蒼白な顔で立ち上がった。

「まさに毒を以て毒を制すじゃな。我が化身のうちいくつかを斬り裂いたか。まったく、ままならぬものよ」

 どうやら、ウルスラグナそのものを斬るには至らなかったようだ。もともとウルスラグナの力だからか、それとも複製した力だからか。手応えとしてはいくつかの化身を斬り伏せただけ。それでも、大きな戦果と言える。

「ずいぶんと顔色が悪いぞ。もう、ダウンか?」

「冗談を言うでない。これほど楽しい戦はいつ以来か。ここで終わらせるにはあまりに惜しい。決着が付くまでは、付き合ってもらうぞ」

 そう言いながらも、ウルスラグナは己の不利を悟っている。

 封じられた化身は直接斬られた『戦士』の他『雄羊』『雄牛』『強風』。神力も大幅に減じている。化身の出力は、完璧な状態の六割程度だろうか。それは、黄金の剣を受けた敵も同じだろうが、神格を斬られたウルスラグナに対し、権能の一つを封じられた護堂では消耗の具合が違う。

 残された力は僅か。日の出を迎えれば幾分か回復するはずだが、そんな後ろ向きな戦術は面白くない。巨大な一撃に渾身の力を乗せて撃つ。それが最も相応しい戦い方だ。

 ウルスラグナは後方に跳躍した。

 護堂は追おうとして、足を止める。ウルスラグナから放たれる神力が急激に上昇したからだ。これは、何か大きな攻撃に出ようとしてるに違いない。

 ここに来て、ウルスラグナが放つ一撃と言えば、間違いなく。

「我が下に来たれ勝利のために。不死なる太陽よ。我がために輝ける駿馬を遣わしたまえ!」

 護堂の重力球にすら拮抗した、強大なる『白馬』の化身だ。

 東方の空が擬似的な暁を迎え、強烈な太陽光線を降らせる。

 土雷神の化身で逃げるか。

 ダメだ。おそらく、このタイミングでは岩盤ごと撃ち抜かれる。

 大火力の一撃を防ぐには、一目連の楯では弱すぎる。

 そのとき、護堂は閃いた。あの一撃は、太陽の一撃。太陽神の裁きだ。だったら、最適な化身がある。

「天を覆う漆黒の雷雲よ。光を絶ち、星を喰らい、地上に恵みと暗闇をもたらせ!」

 降り注ぐ白熱の閃光を遮るように、暗黒の雲が出現した。

 黒雷神の化身。

 火雷大神の化身の中でも唯一防御特化の化身だ。

 漆黒の雲が護堂の前面に展開して膜状に広がる。太陽光線と黒き雲が激突して、周囲を融解させる。鼻を突く刺激臭が堪らなく不快であるが、護堂は呪力を黒雲の楯に注ぎ込む。 

 黒雷神は、積乱雲が太陽を覆い隠す様を神格化した神だ。そのため、この化身は太陽神系の攻撃に対して高い防御力を誇る。

 今まで真っ当な太陽神と戦ってこなかったので、出番が少なかったのだが、ここに来て大きな見せ場となった。

「だから、きっちり守りきれよ、黒雷!」

 再び白と黒が喰らい合う。今度は重力球ではなく、暗黒の雲。太陽を遮る分厚い雲が、灼熱から護堂を守ったのだ。

 光は次第に収束し、やがて夜の闇が帰ってくる。

 『白馬』に焼かれた大地は赤い溶岩に変わってしまったが、冬の風に曝されて蒸気を発しながら冷えていく。

 そして、護堂は五体満足で立っていた。

 呪力を大分消耗したが、それでも倒れることはなかった。

 ウルスラグナは驚愕の表情を浮かべた後に、再び大いに笑った。

「ハ、ハハハハハッ……我が『白馬』すらも凌いだか。いやはや、お主には驚かされてばかりじゃ」

 一頻り笑った後で、ウルスラグナは護堂と向き合った。

「お互い、残された力は僅かのようじゃな。『戦士』は斬られてしまったが、それでもお主が消耗していることは分かる」

「本当に、こんなときでも笑えるなんて能天気な神様だよな」

「軍神とはそういうものじゃ。お主が出会ってきた神々もそうではなかったか」

「まあ、確かに……」

 アテナ、ペルセウス、一目連にランスロット。戦うことを至上の喜びとする連中は己の死すらも笑って受け入れる度量の持ち主たちだったと思う。それは、死の寸前まで命を謳歌する神々の基本姿勢なのかもしれない。

「じゃあ、俺がお前に敗北の味を教えてやるよ。感想は、あの世で考えてくれ」

「ふふ、それは楽しみじゃが、お主が我に勝てたらの話じゃ」

 彼我の距離は、およそ三〇メートル。

 この距離で相手を確実に仕留める化身は何か。両者が同時に思案し、その思考は一秒と経たずに終了する。

「さあ、決めるぞ。草薙護堂!」

 消耗して尚絶対の自信を胸に、ウルスラグナは吼える。

「咎人には裁きを下せ! 背を砕き、骨、髪、脳髄を抉り出し、血と泥と共に踏み潰せと! 我は鋭く近寄り難き者なれば、主の仰せにより汝に破滅を与えよう!」

 高らかに、朗々と。斜面を下り降りる風すらも、その勇ある声を掻き消せはしない。

 悪に絶望と破滅をもたらす断罪者。太陽神ミスラの先陣を切って、悪神の軍勢の道を切り開くもの。

 漆黒の大猪となったウルスラグナは、今こそ燃え立つ己の心のままに、すべてをこの一撃に捧げて突進する。その勇壮な嘶きと、大地を抉り取る蹄の力強さは、これまでの『猪』の比ではない。

 それを見て取った護堂は、脳裏に炎を思い描く。

「我は焼き尽くす者。破滅と破壊と豊穣を約束する者なり。全てを灰に。それは新たなる門出の証なり!」

 もはや自然と口を衝く聖句は、灼熱の炎の力を護堂に授けてくれる。

 真冬の山。すべての水分が凍りついたこの環境は、湿度が低くなっている。故に放たれる火雷神の化身の力は、大雷神の化身にも匹敵し、《鋼》の軍神すらも溶かし尽くす灼熱を生み出すのだ。

 一〇〇メートルの距離すらも一瞬で走破する大猪の蹄と牙が護堂を蹴散らすその寸前、解き放たれた紅蓮の光が大猪の身体を呑み込んだ。

 激突の衝撃は周囲に音の特異点を生み出し、岩盤が捲れ上がる。

 呪力を燃やし、力を尽くし、共に全力を傾けた戦いの勝敗は、能力の相性という形で決まった。

 己の肉体での体当たりは、当たれば最高の威力を発揮する。カンピオーネや『まつろわぬ神』も、この突進を防ぐことはできない。

 だが、ここで護堂はウルスラグナの体当たりを《鋼》をも溶かす炎で迎撃した。

 炎はウルスラグナの体毛を焼き肉に届き、体当たりの勢いも殺されて、閃光の中に身体が融解()けていく。

 賭けに負けた。

 敵の攻撃に先んじるか、あるいは敵の攻撃を受け止めた上で押し切ればウルスラグナの勝利だった。大雷神の化身は先日見知っているし、あの威力であれば突破できるはずだった。黒い重力球は天叢雲剣を封じたので使えない。

 だが、火雷神の化身がまさか大雷神の化身に匹敵する威力を誇る灼熱の権能だとは思いも寄らなかった。

 なるほど確かに、これならば《鋼》を撃ち殺すのに最適だ。

 爆裂なる閃光の中にあって、ウルスラグナは己の敗北を悟り、そして、大いに笑ったのだった。


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