カンピオーネ~生まれ変わって主人公~《完結》   作:山中 一

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短編 お菓子作り

 二月十四日を目前にして、護堂の四方を囲む四人+一の少女たちは一同に会していた。

 集ったのは祐理の家。

 祐理の両親が不在のこのとき、キッチンは祐理以外の使用者を持たず、昼間ゆえにそこは静まり返っているべきであったが、この日は異なる様相を呈していた。

 部屋に充満する甘い香り。

 それは、チョコレートの匂いである。

「やっぱり、普通の家はあったかくていいねぇ」

 と、からから笑ったのは艶やかな黒髪を腰まで伸ばした恵那だった。冬の雪山に篭るという想像を絶する苦境をあっさりと乗り越えた直後である。見目麗しい良家の子女である彼女は、おそらく日本で最も苛酷な環境で生きられる女子高生でもあった。

 そんな恵那でも冬山はさすがに堪えるのか、祐理の家にやってきて風呂に入ったら一時間ばかり出てこなかった。このまま、この日は祐理の家を宿にする算段のようだ。

「というか、清秋院さんも作業してください」

 少し癖のあるショートヘアの上に白いカチューシャを乗せた晶は包丁を握り締め、慎重にチョコレートを刻んでいた。

「ただいまー。ゼラチンとか買ってきたよ」

 と、そこに買い物袋をひっさげてやってきたのは明日香だ。足りない材料を買出しに行っていたのである。

「ついでだから、お菓子とかも買っちゃった。後で時間があったら開けよう」

「お、いいねー。何々、ポテチ? ねるねるある?」

「ポテチはあるけど、ねるねるはさすがにないわよ」

 明日香はそう言いながらテーブルの上に袋を置き、中に入っているものを取り出して並べる。

「すみません、明日香さん。わざわざ買出しに行っていただいいて」

「いいのよ。教えてもらうんだから、これくらい」

 少女たちがこの場に集まったのは、偏にチョコレート菓子の製作に取り組むためである。バレンタイン・デイという乙女のイベントを前にして、互いにライバル視するよりは、協力して一つの作品を製作し、それを護堂に渡すほうが後腐れがないという方針で一致したのである。

 個別にチョコレートを準備しては、お菓子作りに一日の長がある者に軍配が上がるのは必至。それでは不公平であるという事情もあった。少なくとも、ここにいる面々はそれ以外の外野と違って競争相手ではなく、協力者であるべきだ。

 外堀を埋めさせない。そのためには、彼女たちは一致団結している必要がある。

「晶さん。このチョコレートは、少し苦味が強すぎる気がします……」

 祐理が晶の用意したチョコレートの箱を見て指摘する。

「そ、そうですか?」

「カカオ八六パーセントは、お菓子に使うにはちょっと……」

「苦すぎ」

 恵那が祐理の後を受けて言った。

「むぅ、ちょっと苦いくらいがいいんですよ」

 晶は頬を膨らませた。

 ガリガリと晶はチョコレートを削る包丁に力を入れた。

「まあ、チョコの量とか、生クリームとかで調整できるでしょ。そんなに気にすることはないんじゃない」

 明日香が助け舟を出して、晶の前に購入したばかりの生クリームの箱を置いた。

 今回、作るのは同じ物。しかし、味付けは個々人に任されるため、結局五通りの菓子ができる。チョコレートのカカオ含有量や、生クリームに使用量なども結果と関わってくる。

 しかし、この中でまともに菓子作りをしたことがあるのは祐理だけだ。恵那は興味の欠片もなかったし、明日香は片思いの相手であった護堂から距離を取っていた。思春期の大半を日常生活から切り離されていた晶は言うに及ばない。

「明日香さんはチョコレートとか作ったことないんですか?」

 晶が尋ねると、明日香は頷いた。

「そうね。正直、あまりないわね。バレンタインとかは基本的に買ったので済ませてたから」

「そうなんですか。てっきり、そういう経験はあるのかと思ってました」

「うーん、聞きたくないけど、なんでそう思ったのかな?」

「それは、だってバレンタインが定着し始めたころの……ぐむ」

 明日香が笑顔で弾いたチョコレートの欠片が晶の口の中に放り込まれた。

「ふぇぇ!? 苦ッしぶッ!?」

「カカオ九九パーセント。健康にいいのよ」

 甘さなど一切ないチョコレートの一撃に、晶は涙目になる。

「けほ、けほ、何するんですか」

「乙女の歳に関わることを言うからよ」

 明日香の肉体は、確かに十六歳だ。しかし、彼女は道満によって転生させられたのであり、その魂はそれ以前にも二〇年に満たないながらも人生があった。記憶と戸籍を辿れば、おそらくは前世の家族のその後も分かるだろうし、自分の墓を訪ねることもできるだろう。

 要するには明日香の魂がこの世に生を受けたのはバレンタイン・デイが定着し始めた七〇年代の終わりごろになるのである。

 一方の晶は肉体面では誕生から未だ三ヶ月も経っていない乳幼児だ。そして、人格も形成されてから一年も経っていない。正しく高橋晶という人間の時を刻んでいるのは、その中核にある魂の部分だけである。

 人格が記憶や経験を下に構成されるのなら、道満によって記憶を整理された晶の人格は擬似神祖の肉体で活動を始めたその時に新たに形成されたと考えるべきだろう。そもそも、オリジナルの人格など、道満の調教の初期段階で、早々に壊れてなくなっている。そういう意味では晶は精神を保持して転生した明日香とは正反対の存在なのである。

 しかし、そんな過去のことは今はもうどうでもいいので、晶は前向きに生きている。

「お姉ちゃん。わたし、こんな感じだけど大丈夫?」

 皆がそれぞれの作業に没頭する中、ひかりが祐理の下に刻んだチョコレートが入ったボールを持っていった。

「うん、大丈夫。後で湯煎するから、溶けやすい程度に細かくなっていればいいの」

「はーい。じゃあ、わたしお湯沸かすね」

 そう言って、ひかりは鍋に水を入れて火に掛ける。

 今回作るのは、チョコムースだ。

 溶かして成型するチョコレートよりも多少手間がかかるが、甘さも控えめで食べやすいお菓子だ。

 ほぼ初心者ばかりなので、特筆するような工夫をすることもなく、個人差となるのは使用した材料の僅かな違いと、入れ物の形状くらいであろう。

「ねえねえ、アッキーはさ。食べたものはどうなるの?」

「はい? どうとは?」

 恵那の突然の疑問に、晶は首を捻る。

「だって、食べ物の栄養とか、もう関係ないんでしょ?」

「そうですね。確かに、ビタミンとか、そういうのは必要ないみたいです」

 晶の身体は呪力で構成されたものだ。よって、自然界の栄養素は生存になんの意味も為さない。晶に必要なのは呪力という名の目に見えぬ生命力だ。

「食べたのはみんな呪力に変換されるようです。微々たるものですが」

「そうなんだ。じゃあ、たくさん食べれば呪力補給になるわけか」

「いや、食べ物から摂取するのは本当に僅かなんですよね。特に調理したのは呪力が少なくて。できるなら新鮮な生がいいです」

 呪力を食べ物から摂取するのは難しい。それが生命力である以上、生きていなければ呪力は宿らず、食品に含まれる呪力は、時間と共に減少していくからだ。調理などしようものなら、ほとんど呪力は散逸する。食べ物を分解して得られる呪力は、晶が言うとおり微々たるものだ。

「ふぅん、それなら結局は護堂依存なわけね」

 明日香が言う。

 晶が頷いて答える。

「そうですね。先輩からの呪力供給が九割九分を占めています。安定して活動するには、先輩のサポートが必要ってことですね」

「王さまからの供給がなければ、アッキーはもうダメってこと?」

「厳密にはそうではないですね。わたしの根幹を維持しているのは、先輩の権能の他に御老公の術式も混じっていますから両方ダメにならない限りは存在できます。ただ、実体化するだけの呪力を得るのが難しくなるので、霊体として彷徨うことになると思いますけど」

 護堂がなんらかの形で死亡した後、晶が生き残ってしまった場合、彼女はすぐに消滅せずにこの世に留まることになる。ただし、その際は高位のはぐれ式神となり、権能の代理行使などの護堂依存の力は使えなくなるといったデメリットを背負う。

 実体化するだけの呪力も、どこかから持ってくる必要性がある。

 大地や月光から呪力を得るという手もあるが、あれは肉体の維持に使うよりも、戦闘に使うべき呪力だ。灯油と重油のような関係だろうか。

 ウルスラグナに護堂が瀕死の重傷を負ったときのような事例もあり、緊急時の呪力供給は晶の喫緊の課題であった。

「じゃあ、いっぱい食べても意味ないのか。結局、呪術的に呪力を摂取するのが一番なのかな」

「吸血、吸精、吸魂……この辺りが妥当なんでしょうけど、完全に魔の領分よね。魔女辺りもするのかしら」

 恵那と明日香が立て続けに言う。

 吸血は言わずもがな、他者の生血を吸うことでその血に宿る呪力を取り込む行為だ。吸精は相手との性的な接触が前提となり、吸魂は他者から直接生命力の根幹を抜き取ってしまう危険な行いだ。

「アッキーどれできる?」

「やろうと思えば、全部できますけど、やりませんよ。血は輸血パックで試しましたけど、飲めたものじゃないです」

「試したんだ……」

「血を吸うのは、吸血鬼。吸精は、夢魔、とか? 吸魂だと、何かいたっけ?」

吸魂鬼(ディメンター)がいますよ、恵那お姉様」

 三人の会話に割って入ったのはひかりだった。

「お、そういえばいたね。ハリポタに。いいじゃん、アッキー。かっこいいんじゃない?」

「好き勝手言いますね……わたし、一応すでに鬼とか式神って肩書きがついちゃってるんですけど」

 鬼は種族名、式神は役職名と考えると、この二つは両立する。

 『おに』という言葉が定着したのは、平安時代とされる。その語源は、目に見えないものを指す『(おぬ)』が転じたもので、それ以前の怪異は『もの』と呼称された。現在の『物の怪』に続く呼び方である。

 まつろわぬ神などもおにの一種。それらの古代の概念が、仏教に触れて誕生したのが『鬼』という存在である。

 姿を隠す少女の霊、という点で、晶は本来の鬼の概念に当てはまるのである。

「アッキー今夜あたり夢魔ってくれば?」

「いきなり何言ってんですか、枕元でポルターガイストしますよ!」

 恵那の意図することを察して、顔を赤くした晶が脅しを掛ける。

「アハハ、確かにそれは怖いなぁ。霊体な上に隠形とかされたら堪らないよ。お、そろそろかな」

 恵那は湯煎で溶けたチョコレートが入ったボールを湯から出し、ヘラで中身を混ぜる。

「夢魔で思い出した。房中術ってのがあるね、明日香さん」

「ちょっと、なんでそれをいきなりあたしに聞くわけ?」

「いや、だって詳しいじゃん」

「へえ、詳しいんですか、明日香さん」

 今まで散々からかわれた晶が矛先を明日香に向けるべく、煽った。

「誤解を招くような言いかたしないで貰いたいわ。呪術の知識としてあるだけよ!」

「立川流とか玄旨帰命壇とかは今はないしね」

「邪教でしょ、それは」

 どちらも江戸時代の初めには国家によって廃絶に追い込まれた流派である。

「えー、でも、まあ興味がないわけではないしね。ね、祐理」

「わ、わたしに聞かれても……といいますか、今はお菓子作りに集中すべきです!」

「房中術もすべてが悪いってわけじゃないし。儒教とかでも認められていたはず……子孫繁栄はあの教えの重要事だし」

 一応、この中で最も呪術に詳しい明日香がフォローを入れる。

 客観的な意見で、自分のものではないという逃げ道も含ませる。

「子孫繁栄……」

 表情を翳らせるのは晶だった。

 あ、やべ、と明日香は慌てた。晶は呪力で肉体を構成しているために、子どもを宿せない肉体なのだ。

「まあ、うちは妹が跡を継ぐので家そのものは残るんで問題ないんですけどね」

「ふ、双子だっけ」

「そうです」

 明日香は必死に話題を逸らそうと躍起になる。晶も、一度しか帰省していないので、二人の妹には一度しか会っていない。

 晶の妹の(きよみ)(さや)は現在四歳だ。舌足らずな遊び盛りで、顔立ちは姉妹だからか晶によく似ている。

 晶が姿を消したのが五年前なので、晶はつい最近まで妹の存在を知らずに過ごしていた。

 晶母が、晶の行方不明からショックを受けて、勢いのままにハッスルしたらできた、というのは晶の知らない衝撃の真実である。

「二人もいるんだ。じゃあ、これから大変だね」

 恵那が驚きつつ、そんなことを言う。

「そうですね。これから大きくなると、何かと入用になりますし」

「んー、それは大丈夫だと思うな。アッキーが王さまの式神やってる限り、高橋家が生活苦になることはありえないし」

 高橋家を敵に回すことは、当然ながら護堂を敵に回すことになる。むしろ、高橋家とうまくやっていくほうが有益なのだから、高橋家が経済的に困窮するようなことは、その周囲が防ぐはずだ。

「アッキーの妹さんたちは、きっとこれから狙われるよ。結婚とかで」

「う、確かに……」

 最も危惧すべきは、晶の妹との婚姻を結ぶという政略を誰かが始めてしまうことである。

 高橋家の価値は今、それほどまでに高まっている。晶を介した間接的な護堂の恩恵を受けることができるからだ。

「そうですね。恵那さんや明日香さんは一人っ子ですし、うちも草薙さんと身近なのでそういった話はありませんが、晶さんの妹さんたちはまだ、草薙さんとの繋がりも弱いですし、縁談が舞い込んでもおかしくないですね」

 祐理が憂いを帯びた表情で言うと、説得力が増す。高橋家の血にはそれほどの価値がないのだが、カンピオーネの後ろ盾があるというだけで一般庶民の家ですら最高位の呪術の大家と同格に押し上げられる。

「一番簡単にこの問題を解決する方法は、ぶっちゃけアッキーの妹さんたちを東京に呼んで、王さまの庇護下にしちゃうってのがあるね。いっそ、将来のお妾さんにすればいいよ」

「四歳の女の子にそんなことできるわけないでしょ」

 明日香が突っ込みを入れる。

 護堂がそんな小さな娘に手を出したなんてことになれば、立派な犯罪である。

「あと十年もすれば、うちらと同じくらいになるし、二〇年すれば問題ないんだけどなぁ」

「ダメですよ。高橋家(うち)の女の子なんですよ。何が起こるか……」

 晶はまた別の理由で反対する。

 高橋家の血に隠された衝撃の秘密。

 恋愛に対する異様なまでの積極性と勝率である。

 薄いとはいえ媛巫女の血を宿しながら、高橋家の女は代々恋愛に勝利してきた実績がある。

 正史編纂委員会やその前身となる組織、またあるいはイエ制度による婚姻干渉すらも退けて、想い人を手に入れる。そのための手段を選ばない恐るべき一族である。晶の母も、十六にして策略を駆使して夫を手に入れているし、祖母もいろいろとやらかしたという。さらに遡れば、略奪婚も既成事実婚もあらゆるバリエーションで登場し、家に伝わる和綴じの本には、男を手に入れるための高橋流四十八手が事細かに記されていたりする。

 二〇までに相手がいないのは行き遅れ。そういう評価が現代にも残る家なのだ。

 しかも、晶がこの先もずっと中学三年生時の肉体のままなのに対して妹たちは正しく成長するだろう。

 十年後はいいとして、二〇年後にどのような体形になっているか。母親がグラマーなだけに心配だ。

 話をしているうちに、ムース作りは最終段階に突入した。

 それぞれが持ち寄ったカップに生地を流し込んで冷やして終わりだ。

「あ、そういえば恵那の友だちがバレンタインのチョコに血を入れたって去年言ってた。お呪い? みたいな感じだって。どーする?」

 思い出したように、恵那が尋ねた。

「入れる訳ないでしょ。それヤバイヤツ! その娘、注意しなきゃ!」

「恵那お姉さま、痛いのはよくないですよ」

「恵那さん、お願いですから余計なことはしないでくださいね」

「わたし、刃物が肌に通りません……」




晶の初登場からもうじき二年が経つのか……

就職も決まったはずだ。何かの間違いがなければ……!

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