少女の目が元に戻る。
すべてを黒に染めていた眼球に、通常の色彩が取り戻される。
すると少女は全身の力が抜けたように、カウンターに倒れ伏した。
私は少女の安全を確かめるか、このままあの言葉を信じて去るか、逡巡したが、結論が出る前に2人の来客がこの空間に現れた。
1人はカウンター奥の扉から。
橙色がベースの、花柄の着物を着た女性。
もう1人は鈴奈庵の入口から。
頭に白いシニヨンキャップが2つ。
そして右腕が全く見えないほどに包帯が巻かれている女性だった。
その見開かれた2つの視線は、どちらも、小鈴に向けられていた。
「小鈴!!」
着物の女性が少女へ駆け寄る。
少女よりは歳をとっているように見える。
少女の母親だろう。
「小鈴、大丈夫?! 一体何があったの?!」
少女は気を失っているようだ。
カウンターに伏したまま反応がなかった。
「小鈴! 小鈴!!」
包帯をまいた女性が私の横を通り、少女と母親に駆け寄る。
突如現れた女性だがこの場の者に害を為そうという敵意は感じられない。
通り過ぎるその横顔に、驚きはあれども焦りなどの表情はほとんど見られなかった。
私は入り口の真正面に立っていたので、少し距離を置く。
少女に近寄りはしないが状況を確認できるほどの距離だ。
立ち去った方が良いのか分からなかったが、小鈴という少女の安否も気になる。
冷静な人物もいるので、もし犯人扱いをされても、事情を話せば理解してくれるだろう。
邪魔をしない所で状況を観察することに決定した。
母親が駆け寄ってきた女性に気づく。
「華扇様! さっき物凄い殺気が来て、こ、小鈴が!」
「落ち着いて。今確かめます」
包帯の女性は少女の顔を上げる。
観察するように見回すと、指で少女の目を開けた。
「……目か。ちょっと厄介ね。命に別状はありませんが、強い妖力にあてられて少し不安定になっています。念のため竹林の医者に診てもらいましょう。黄帝!」
その声に呼応するように、咆哮と共に、外から蛇のような生物が包帯の女性の元に現れた。
緑の細長い体に、白い……髭? が生えている。
それは伝説上の生き物、“龍”の特徴だった。
実物を見たことはもちろん無い。
しかしやはり、この世界にはこういった生物も存在するのか。
少女の母親は龍の姿を認めると、龍に向かって身を伏した。
おそらく謝罪しているわけではない。
この龍に対して敬意を払っているのだろう。
伝説であることには間違いないようだ。
「この子を永遠亭まで運んで。永遠亭への行き方は練習はしたよね。できる?」
龍は無言でうなずく。
「そ、そんな、畏れ多いです……! 華扇様の龍にそのようなこと……!」
「顔を上げてください。これは私の責任でもあるんです。もっと早く、この場所を突き詰められたら良かったのですが……間に合わなかった」
「ここに来てくださっただけで、感謝の念に絶えません!」
「ありがとう。でもやはり、私の力不足が原因です。私の至らなさで、あなたの娘が害されてしまいました。だから気になさらないでください」
母親と包帯の女性との会話から考察すると、中華服を着ているこの包帯の女性は相当な権力者、また実力者だと推測された。
興奮状態とはいえ、人里の1人間が龍に加えて彼女にも頭を垂れている。
見る限り彼女は龍を使役している。
尊敬の念を送られる程の人物であることに違いはないようだ。
「それに黄帝はまだ龍の子供ですが、立派に責務を果たしてくれます。それに人間に友好的な龍です。安心してください」
包帯の女性はしゃがんで、母親の手を握る。
女性は小さく感謝の言葉を伝えた。
「さて、今、小鈴ちゃんをこの子の背に乗せま──」
女性が言い終わる前に、龍はおもむろに、そして自信満々に伏している少女に近づいていた。
自分の行為に寸分の疑いもないのだろう。
そして龍は少女に向かって大きく口を開けた。
「「!?」」
はたから見れば完全な捕食シーンだった。
私や母親がなんらかの動作をする前に、速く鋭いチョップが龍の頭に落ちる。
クリティカルに入った主の罰に身じろぐ龍。
心なしか龍の目がうるうるしているように見える。
「黄帝! 人を咥えるのはダメって、前にも言ったでしょ! 私が、あなたの、背に乗せるから! 咥えて運ぶのは霊夢の時だけよ!」
説教だ。
人が龍に説教するとはなんと特異な状況だろう。
こんなのがこの世界では日常茶飯事なのだろうか。
龍がうんうんと凄い勢いでうなずいている。
先ほどの威厳が全く台無しである。
さらっと言っていたが霊夢の扱いが結構ぞんざいだということも分かった。
「だ、大丈夫なんでしょうか? 今、小鈴が食べられそうになってませんでしたか……?」
「いえ! 違うんです、お母さん!
今のはこの子なりのジョークみたいなものなんですハハハ。……………………小鈴ちゃんを乗せますね!」
半ば強引に、包帯の女性は気を失っている少女を龍の首? あたりに乗せた。
威厳があったはずの龍が、少し心もとない、細い体に見えるのは……黙っておこう。
「久米! 来てください! あなたに頼み事があります!」
包帯の女性が建物の外に向けて、声を発する。
その声に応じて、外から少女程の大きさのある大きな鳥が飛んで来ると、しょぼんとした龍の頭にちょこんと乗った。
「久米、黄帝のサポートをしてくれますか? 黄帝にも修行をみっちりつけましたが、少し心配なんです。私は今は黄帝と共に行けそうになくて。もう歳なのに、ごめんなさいね」
申し訳ないと女性は大鷲に伝える。
返事なのだろうか。
大鷲は羽を広げて、2回鳴いた。
『グワァグワァ!』
「頼もしいですね。ありがとう」
包帯とは別の手で、女性は大鷲の頭を撫でた。
「黄帝も頼んだわよ。安全に小鈴ちゃんを永遠亭に届けて。これは貴方にしか出来ないことだから」
龍はその言葉に感化されたのか、龍の元気がみるみる戻っていくように見える。
目の光が眩しい。
龍の威厳が復活したようだ。
「お母さんも小鈴ちゃんと一緒に行きましょう。この龍なら、貴方も共に連れて行けると思います」
「い、行きたいのですけど、主人がまだ帰ってきてなくて。主人が知らないまま、この場所を誰もいない状態にするわけにはいきません」
「ま、まぁそれはそうよね。うーん。でも狙われた以上ここに残しておくのは危険だし……。
そうだ、そこのあなた」
桃色の髪を揺らして包帯の女性は振り返る。
少女の母親からは華扇様と呼ばれていた。
「……何でしょうか、“華扇様”」
今の私は偶々この場に居合わせた、人里の人間の1人と思われているはずだ。
ならば郷に従うことが、スムーズに物事を進めるために必要な行動だろう。
権力者である可能性の高い、華扇という女性に対して敬うような態度をとることが、今の私に必要な行為だと推測する。
「ここの店主を呼んできてもらえませんか?
来るのが無理そうなら、状況を伝えるだけで良いので」
「……かしこまりました、華扇様」
“断る”という選択肢はない。
敬語に関しては“あの日”からほとんど使ってこなかったため、敬語の使用に経年劣化の不安がある。
正しい使用法を行えているか、自分で確かめる術はない。
「ごめんなさいね、助かるわ」
しかし特に気にする反応がないところを見ると、私の言葉に問題はなかったようだ。
そうしてまた“華扇様”は少女の母親と話し始めた。
何をどうすれば良いか示してくれる存在は、拠りどころのない者にとって重要だ。
異常をきたしている、愛する娘。
その母親には今、“華扇様”という存在が必要なのだ。
敬語に限ったことではないが、言葉には、表には言い表さない裏の意味を持つものがある。
人間はそれを巧みに利用する。
が、機械にとってその意味を理解して使用する事は、大変難易度が高い。
そのため言葉に至っても、いまだに膨大なラーニングが必要である。
閑話休題。
さて、今から私は店主を探しに行き、この鈴奈庵に連れてくることが目的だ。万一無理そうなら、状況説明だけでも良いらしい。
家族での情報共有は重要だ。
携帯端末もない世界では、私にとっては不便であるが。
しかしそこはどうでも良い。
私は鈴奈庵を後にする。
数分前の店主の会話ログによると、店主は『権兵衛の所へ行く』と言っていた。
さらにそこでは何やら事件が起こったと、店主にそう話していた相手がいた。
“華扇”や少女の母親に『権兵衛の所』を聞かずとも、人気が集まっている所を探せば、『権兵衛の所』見つけ出すことができるだろう。
もし見つけ出せずとも、店主の行き先の手がかりは掴めるに違いない。
それに、自警団のリーダーを務めているとあの少女が言っていた事から、発見する事は難しくはないはずだ。
『パルス範囲を半径500mに設定。起動』
半径500m圏内に不可視のソナーパルスを放つ。
これで範囲中の障害物、ならびに生物の輪郭を観測できる。
目には見えないので人間達を混乱させることはない。
観測された情報はos内で処理される。
観測情報から得られた情報によると、ここから北西320mの位置に多くの人型を検知。
その辺りに『権兵衛の所』があるに違いない。
検知された人型は、全員生身の人間だろう。
この世界に偽装用デコイがあるとは思えない。
視界に目標地点をマーク。
私は行動を開始した。
目標地点の周りは先ほども見ていたような、何ということのない、古い民家や商店が並んでいた。
ただ唯一の異常は、ある一軒の民家を前に、住職と呼ばれる寺の者を筆頭に、いくつかの人間が数珠を持って正座し、拝んでいるのだ。
周りにいる他の人間の表情も、その多くは恐怖の表情が認められる。
扉は閉められていて中の様子は見えない。
人間が中にいないことは既にパルスで確認されている。
では何ゆえこのような状況になっているのか。
情報収集も含め近くの人間に聞くと、どうやら権兵衛を含む四人の男がこの家で死んでいたらしい。
四人とも無惨な殺され方だったようだが、それも権兵衛だけがずば抜けて残酷に死んでいたという。
首が無く、さらに家中が血塗れになっており、まるで首が爆発でもしたのではないかと噂になっているらしい。
家の扉、窓は閉鎖され、死体もどこかへ持っていかれたそうだが、家の中の惨状を見た“兎の薬売り”からその噂は広まっていると聞いた。
今はこの家の“穢れ”というものを払うために、住職が祈り? を捧げているらしい。
化学的にはそのような物は確認できないが、この世界ではどうだかわからない。
おそらく存在する可能性は高いと推測した。
穢れが何を引き起こすのかと聞いてみたが、返ってきたのは曖昧な答えで実質、不明だった。
店主の捜索をすると案の定すぐに見つかった。
祈りの場所とは少し離れたところで数人の男たちとひそひそと話していた。
やはり潰された、権兵衛もその一員だったとは、などと言葉を交わしていた。
私にも予定があるので、話が終わるまで待つ余裕はない。
「少し良いか。一応聞くが、あなたが鈴奈庵の店主か」
取り巻きのような男達は急に話しかけた私を警戒し、数人は臨戦態勢までとった。
リーダーにいきなり話しかけるのは、さすがに良くなかったようだ。
しかし店主は周りの者を鎮め、応答した。
「はい。私の店に初めて来たお客さんでしたよね。小鈴に店は任せていると思いますが、何かありましたか?」
「個人的、かつ重大な出来事があなたの店で起こったのだが、ここで話すか?」
「個人的とは、お客さんの個人的な事ですか?」
「いや、店主のあなたにとって、個人的なことだ」
取り巻きの男達に、少し席を外すと店主は伝えると、ここじゃ場が悪いから移動させてくれと言う。
私は承諾すると、人気のない路地に移動することになった。
そこで鈴奈庵での出来事、今どうなっているかを伝えた。
「そんな、小鈴は大丈夫なんですか?!」
「あぁ、華扇……様が、命に別状はないとおっしゃっていた。
あなたの……女房も、娘に連れ添って永遠亭に行くそうだが、主人にこの状況を伝えなければならないというから。私が伝書係を引き受けることになったということだ」
時代に合わせて言葉も変化させなければ、相手に違和感を与えてしまうことになる。
そういったことにも気を付けなければならない。
「そうでしたか……華扇様がいらっしゃるなら安心できる。あなたもありがとうございます。えっと、お名前は……」
「アイだ」
「あ、愛さんですか! 私も永遠亭に今すぐにでも向かいたいのですが、今手を離せそうにないんです。
何しろこんな事件が発生してしまって……。
華扇様には申し訳ないですと、伝えておいてください」
店主が後頭部を乱暴に掻く。
少女の話によれば、店主は自警団のリーダーを務めている身だ。
仕方のないことだろう。
「愛さんにはこれを持っていってもらえませんか?」
そうして店主が懐から取り出したのは、鉄の小さな鍵だった。
「家内がまだいたらこの鍵を渡してください。鈴奈庵の鍵です。今日は休業します。
もしもういなければ、お手数をおかけしますが、鈴奈庵の扉の鍵をかけてもらえると助かります」
「私も“華扇様”に報告するために戻るつもりだからそれは良いのだが……そんな大事なもの、見知らぬ私に渡しても良いのか?」
「見知らぬって、あなたとお会いしたのはこれで2回目じゃないですか。それに、あなたは悪い人ではないように思えますから」
「……根拠は?」
「? 感覚ですよ」
「……なるほど」
危機管理能力がないのか、本当に私を信じているのか、それとも“華扇様”の遣いだからか。
理解不能だが、もしかすると、これが失われた“寛容の精神”というものかもしれない。
「もう行かないと。後日また、このお礼をさせてください。では頼みました!」
そう言って鍵を私に渡すと、店主は走って行ってしまった。
確かに鈴奈庵の鍵を使って私は悪巧みをするつもりはないが、相手側に私がしないという確証はないはずだ。
人里の外は妖怪が人間を襲ってくる。
この限られた土地の中では、悪事を働いても逃げ場がないということか。
私は人里のただの人間として見られているのなら、そう思うのが自然か。
神社でもらった作務衣がなかなか良いカモフラージュになっているようだった。
それにしても。
初対面で、さらに“敬意”まで払って、後で情報収集をしようと思っていたのだが、どうやら向こうには信用されていないらしい。
私と一定の距離を保ち続ける大鷲。
近づくと離れ、遠ざかると近づく。
その大鷲は最初、鈴奈庵の屋上に留まっていた。
パルス波起動時から不審に思い、マーキングしていたが。
移動中の私の後をつけるような、マーキングした大鷲の挙動は、自然の生物にしては不自然極まりないものだった。
監視だ。
私の、外の世界では常識だった概念。
だからといって、今は特にすることはない。
このまま鈴奈庵へ戻るだけ。
大鷲はまた一定の距離を、家の屋上を伝って私を監視するのだろう。
しかしそんなのは既に慣れていた。
外の世界での感覚が少しよみがえる。
安心というかなんというか。
何しろ変な心地だった。
展開ちょっと遅めです。