アイが助けた男の末路です。
「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ」
押さえた右腕から血がにじむ。
中途半端に避けようとしたのがいけなかった。いや、命があるだけましだな。
胴を2つにされるのは免れたものの、太ももをやられた。
血が地にしたたる。
痛みで足が満足に動かない。
それでも男は幾本もある木を伝いながら、人里を目指すしかなかった。
それにしても幸運だった。
あの“失敗作”に殺されかけるところだったが、すんでのところで謎の女に助けられた。
あの服……人間だったのか?
しかしあの大剣を素手で弾くなんて人間技ではない。
とにかく人里に戻りさえすれば安全だ。
妖怪達は下手にあそこへは入ってこれまい。
「ふっ、ふっ。今度こそ成功させてみせる。
無駄な抵抗をされたから失敗したのだ。
今度こそ、あの “腕” を使って、憎き妖怪を手中に……」
「へぇ、ずいぶんと愉快なことを考えてるわね。まぁ愉快なのはその汚い体だけにしてほしいのだけれど」
「……ッ! この声は……!」
立ち止まって周りを見渡すが姿は見えない。
しかし男はこの声の主を知っていた。
「八雲、紫!!」
男は空に向かってその名を呼ぶ。
「あら、私の名前を知ってるの?
それは光栄ね。
だけどもう二度とその名を呼ばないでくれるかしら?
汚らわしい者に私の名前を言ってほしくない」
穏やかな口調だが、その裏にあるのは凍える程冷酷な感情。
その全てが血を流す男に向けられていた。
「汚らわしいのはどっちだ、妖怪風情が!
“私たち”は長く続いた妖怪の支配を終わらせる。
虐げられてきた人間の尊厳を取り戻し、人間が天下をとる幻想郷を創るのだ。
そう、あの“黒鉄の腕”があればお前達の負けは……」
「その“腕”っていうのは、この事かしら?」
突然すぐ後ろから声が聞こえた。
男はすぐ振り向いたが姿はない。
その直後、男は苦しむ。
「ウッ、グッ! ……!!」
首を絞められている。
片手だ。
それなのに信じられない程の力で男の首が握られている。
空中に開いた不気味な穴からその手は伸びていた。
“スキマ”と言われるその穴から歩んで現れたのは、漢服のような中華風の服を着た、九つの尾を持つ妖怪だった。
男を睨みながら首を絞める狐の妖獣。
その目は磨がれた刃の如く鋭いものだった。
無論、男は背後を向くことはできない。
そして前方から、背後と同じ不気味な穴が、まるで空気を裂くかのように現れた。
その中から姿を見せたのは、フリルのついた白と紫のドレス。
妖怪の賢者。
幻想郷の創始者の1人。
右手には愛用のエレガントな傘を携え、
そして左手には男が勝ち誇った顔で話していた″黒鉄の腕″が握られていた。
「グァ……ナ……ゼ……ソエ……ヲ……」
男は絞られた喉で声を出す。
その声を聞いて九尾の妖怪は一層手の力を強めた。
目の前でひどく苦しみ出す男。
九尾の手を両手で引き剥がそうとするがその手はびくともしない。
男打ち上げられた魚のごとく足を暴れさせていた。
「藍、この男が死んでしまうわ。
手を離してちょうだい」
「……」
主人の命に従い手を離す。
宙に浮いていた男の体は、そのままドサッと地に落ちる。
男は苦しげな咳を何編も発する。
しかしそれもお構い無く、藍と呼ばれた九尾のあやかしはその足で、眼下の男を踏みにじった。
地に全身をつけ、うつ伏せから動けない状態の男。
その男を見下ろしながら、八雲紫はうっすらと微笑んだ。
「これ? これはあなたのお仲間の家からもらってきたものよ。
ルーミアを狂わせて、あなたのお仲間はあなたを見捨ててそそくさと戻っていたようね。
大丈夫。あなたと同じ行き先の、あの世へ行くことは決定してるわ」
紫はさらに言葉を続ける。
「無知蒙昧の凡夫よ。
可哀想だからもう1つ教えてあげるわ。
幻想郷が妖怪の天下であることは必然。
それは外の世界が人間の天下だからよ。
その理は幻想郷の維持にも繋がっている。
もし仮にその理を壊し、お前達の愚かな願いである妖怪の駆逐が、仮にも、この変な腕で成功しても、その先は幻想郷の崩壊。
お前達もその崩壊に耐えられず死ぬ。
必ずね。
……やっぱり今なら見逃してあげるわ。
仲間は殺すけどね。
こんなことは忘れて、人里のありふれた人間として大事な一生をここで過ごしなさい。
望むなら任意のとこまで、忘れさせてあげるわよ?」
それが真実。
実に未来も生産性もない野望。
しかしそれをつきつけられて、慈悲を与えられてもなお、地に這いつくばった男の威勢は変わらなかった。
むしろ強く、おかしくなった。
「ふざけるなっ!!!
俺は知っているぞ。それは妖怪の支配の為の、偽りの理由付けだということをな。
最もらしいことを言って、よくも私たちを、先祖を侮辱し虐げてきたな!!
まずはお前を殺してやる。あぁ、妖怪の賢者、ヨウカイノ、ケンジャ……コロス……コロスッ!!!」
男は鬼の形相で紫を睨み続ける。
その顔は徐々に人間の顔では無くなっていった。
そして紫の顔から笑みが消えた。
「無知蒙昧の哀れな凡夫かと思ったけど、どうやらそれよりも厄介な物になってきたわね」
地を抱く男の前に紫はしゃがむ。
紫の持つその腕は硬く黒い鉄のようなもので出来ており、関節で少し曲がっている。
そしてその黒い腕を、赤ん坊を目の前にするかのように振って見せる。
「ウデッ!! ウ……デヲ、ヨコセ!!!
コロス……コロしテヤる!!」
紫は“黒鉄の腕”と言われる腕の手のひらを、もはや人間ではないなにかに見せた。
指1つ1つが本物の指のように再現されている。
腕は黒ベースに赤のラインが入っており、指は黒一色である。
手のひらの中心には、小さな円があった。
「遅かれ速かれその様子じゃ死んでしまうから、早めてあげる。
……ねぇ、使い方は、こうよね?」
紫が持つ腕を真っ直ぐに伸ばす。
関節で曲がっていたものを伸ばしたのだ。
その行為によってか、“黒鉄の腕”の手のひらから、やや強めの青い光が男の顔面を集中して照らす。
そしてその効果はすぐに表れた。
男の顔面が醜く、ボコボコに膨らみ始めたのだ。
「藍、下がって」
その言葉が言い終わるとほぼ同時に藍が下がると、紫は男の下にスキマを作った。
重力に逆らうすべもなく、断末魔を上げながらスキマに落ちた男はそのまま消えてしまった。
紫はスキマを消すと、“黒鉄の腕”をもう一度曲げる。
すると、手のひらから放たれていた青い光がパッと消えた。
「あの人外はどこに飛ばしたのですか?」
下がっていた藍が紫の元に戻る。
「この腕を隠し持ってたあいつらの棲家よ。
これで大人しくしてくれれば良いけど」
紫はいまだ厳然な顔をしていた。
そうして自分の持つ黒い腕を見つめる。
これは……本当に外の世界で作られたものか?
報告には複数体上がっていたが、間近で変化を見たのは始めてであった。
その謎の光はもはや妖怪じみた力を持つものだった。
「相当厄介なものがこの幻想郷に入ってきてしまったようね」
「妖怪の力を増幅し、操る、もしくは狂わせる光。
紫様から聞いておりましたが、まさかリボンで抑えていたルーミアの力が発現する程なんて……。
この腕はすぐに処理すべき代物だと存じます」
藍が切迫したような顔で言う。
確かにこれはあまりにも危険な物だった。
「確かにこの腕は幻想郷にとってとても良くないもの。
幻想郷には置いておけないし、すぐに外の世界へ返すべきだと思う。
だけどここまでの物、これはおそらく“外の世界のものじゃない”」
「外の世界のではない、と言いますと?」
紫の発言に疑問を呈する藍。
それもそうだろう。
幻想郷の物ではなく、外の世界の物でもない。
ではこれは一体どこから来たのか。
「わからない。でもこれを外の世界に持っていったら、なにか取り返しのつかないことが起きる気がするの。今は私のスキマに入れておくから、藍は引き続き“例のこと”の調査、頼むわね」
「……かしこまりました。では失礼します」
藍は紫に礼をすると、空へ飛び立った。
紫は深いため息をつく。
(今まで一部の人間がこそこそと何かやっているのは知ってたけど、その動きが活発になっている。これもこの嫌な外来物のせい?)
紫の心は休まらなかった。
連日の騒動が妙に紫の中で引っ掛かっていたのだった。
それにあの男が私の声と名前を知っていたのも気になる。
元よりあの組織は妖怪の“放逐”が最終目的だったはすだ。
″駆逐″とは全く訳が違う。
人里にいる「謎の秘密歴史結社」の明らかな変化。
今まではどうでもいい集団だったがこうも行動を移されては黙って見過ごすわけにはいかない。
……面倒なことにこれ以上ならないことを切に願うだけである。
そういえば、あのルーミアを御した女性がいたことを思い出す。
お札が効いていたとはいえ、あの状態のルーミアを倒すとはなかなかのものだ。
もしかしたら幻想入りした能力者だろうか。
やることが山積みで挨拶にもいけないのが残念だが、いつかお礼もかねて挨拶をしにいこう。
幻想郷の代表者として。
紫はスキマを作って中にはいる。
そうしてそのスキマは跡も残さず消えてしまった。
このすぐ後に、ルーミアを担いだアイが歩いて来るのだった。
謎の秘密歴史結社は公式設定です。
妖怪を放逐し、幻想郷を人間が手にするように色々してる、大きいのか小さいのかもわからない組織です。
詳しくは書籍に。