ある日の朝のことであった。
家のリビングでくつろいでいると、ぺたぺたと眠たそうな足音が聴こえてくる。
確認しなくても分かる。妹の芽衣だ。
長いやわらかそうな髪の毛には、ほわほわとしたなんともかわいらしい寝癖を携え。
目をこすって近づいてくるところなどは、それこそ確認せずとも、細部に至るまで想像出来る。
それほどまでに、今まで何度も繰り返してきた日常的な光景である。
ただ、この日の彼女の様子はなんだか少しおかしかった。
いつもなら、真っ先に顔を洗うか、口をゆすぐために洗面台に向かうはずだった。
しかしその足音は、真っ直ぐに俺のところへと向かってきている。
もう暦の上では秋。
確かに、ベッドから出たものの寒くて水に触れたくないということもあるだろう。
でも、あの優等生な芽衣がそんな乱れた態度を見せるだろうか。
彼女にとって自分の乱れた姿を見られるのは、たとえ家族であっても許されざるはずで。
それほどまでに、俺の妹は潔癖だった。
そんなふうに彼女に思いを馳せていると、彼女はだらしなく横になっている俺の真上まで到達する。下から見ても崩れない美しい顔をしているのが、なんだかこの世界の不平等さをあらわしているようで、俺は兄として少しだけ、他の女性に対して罪悪感のようなものを覚えて目を逸らした。
そのまま、芽衣が立ち止まる。
立ち止まったまま、俺の顔を覗き込んで来て……。
「ええっと、おはよう芽衣。今日はどうしたんだ? いつもとなんだか雰囲気が違うような気がするけど……」
彼女の放つ異様なオーラのようなものに圧倒されつつも、その根源たる彼女にその理由を問いただしてみる。
日常との齟齬に不気味さを覚えるが、スルーするわけにはいかない。
俺から言い出さなかったところで彼女からアクションはあっただろうが、自分から切り出したことによって少しだけ心を落ち着かせようとする自分が情けなかった。
彼女は質問を受け、俺を見下ろして言った。
「おはよ、お兄ちゃん。あのね、突然なんだけど……」
嫌な予感が一層強まる。
こうして芽衣が俺に改まって話しかけるときは、今までだって大抵ろくなことがなかった。
大切なものを壊してしまったとか、そういった類のことが多かっただろうか。
だから今日も似たような状況で、なにか助けて欲しいことがあるのだと推察する。
しかし彼女の言葉の続きは、何かを壊してしまったなんてことが些細なことに思えるほどの波乱をまき起こす材料で……。
「……お兄ちゃん、私にお兄ちゃんを食べさせて……?」
「…………はっ!?」
耳を、疑った。
今、こいつ俺の事を食べたいって……?
ちょっと理解が追いつかないところがあるが、冷静になって考えてみよう。
芽衣が階段を降りてきて、俺のところに真っ先に来て……俺を食べたいと言った。
なるほど、わからん。
いや、わからないだろ! どうしろって言うんだ!
とりあえず彼女の思考を読むならば、その考えは二択であるに違いない。
一つは、思春期の性的な欲求が限界になって一番身近な異性である俺に身体を求めてきたということ。もう一つは、かねてから俺の事を異性として見ていた、ということ。
どっちにしろ、兄として妹を正しい道に導かなければいけないのは変わらないようだ。
でも、こんなのはもちろんながら初めてのこと。
どうやって彼女を真っ当な道へと導くのが正解なんだろうか。
そんなふうに俺が頭を捻っていると。
「お兄ちゃん、私にお兄ちゃんを食べさせて……?」
「いや聞こえてるよ!」
リピートしてきた。
聞こえてないとかそういうことじゃなくて、どう反応したらいいのか迷って声が出せないだけなんだ妹よ。お兄ちゃんの処理速度を過信しないでくれ。
くだらないことを考えながら、改めて芽衣を見る。
母親譲りの艶やかな黒髪に、透き通るような白い肌。そして引き締まった胴体からスラッと伸びた、ほどよく肉のついた柔らかそうな脚。そして、なんといっても注目してしまうのは控えめながら形のいいふたつの果実だ。
……うーむ、かわいいなあ。
我が妹ながら、絶世の美少女だ。
実際、こいつは性格もよくて、すごくモテる。
高校に入学したときも、上級生である俺のところにまでとんでもなくかわいい新入生が入ってきたという情報が伝わってきたほどだ。
そして、なにを隠そうこの俺はそんな絶世の美少女と兄妹であり、一緒に暮らしているという事実を幸運に思っている。
そりゃそうだ、だってこの世に女の兄弟がいる人だってひと握り。そんな中でかわいい姉妹がいる人間なんて東大生より少ないだろう。
そんな風に常日頃から思っていた妹から、突然のこんなトンデモ告白。
……思春期の男子として、ここで誘いを断る訳にはいかないというものだ。
気がつくと俺は彼女を真っ当な道へと導く使命なんてすっかり忘れて、欲望に忠実な獣のようになってしまっていた。
「聞いてる、お兄ちゃん? 答えてくれないと、勝手に食べちゃうよ……?」
芽衣が再度、俺の意思の確認をしてくる。
すると俺は、さっきまで反応出来なかったのが嘘のように、即刻首を縦に振っていた。
「ええと……お兄ちゃん、芽衣に食べられます」
「……え……ほんとに、いいの……?」
自分で言っておいて、動揺する芽衣。
しかし彼女の頬は薄紅に染まっていて、口の端が緩み切っている。もうふにゃふにゃだ。
しばらくその場で照れくさそうにふにゃふにゃとしていた彼女だったが、突然我に返ったかのように表情を整える。そして。
「途中で邪魔が入ったりすると嫌だからさ……お兄ちゃん、私の部屋にきて!」
いつになく上機嫌な芽衣に腕を引かれて、二階へと上がる。
「子供部屋」という括りから脱出して以後、妹の部屋に足を踏み入れるのは実に初めてのことであった。