「動かないでね、動くと痛いから」
「動かなくても痛いんだけど!」
驚く間もなく、俺の腕が刃の細かいノコギリによって切断されていく。
引くときに力を入れると木材なんかが切りやすくなるって聞いたことがあるけれど、彼女はそれを知らないらしく押すときにも力を入れている。
冗談ではなく、死ぬほど痛い。てか死ぬ。
あまりの痛さに意識が飛びそうになるも、真っ白になる頭の中を、その白さすら感じなくなるほど無に近づける。
そうして、なんとか意識だけは繋ぎ止めていた。
だが、もう正常な思考力なんて微塵も残っていない。残されたのは凄絶な痛みと、大量に浮かぶ疑問符の数々だけだ。それ以外に、余計なことを考える余力はない。
しばらく痛みに堪えながら声なき声を発していた俺だったが、驚いたことに徐々に痛みの中でも思考力が回復してきた。
慣れ……というのとは違う気がするが、きっとこのままでは精神がおかしくなると脳が判断し、痛みを感じなくさせているのだろう。
それくらいに、俺の身体には異常事態が起こっていた。
またしばらくすると、だんだんと身体の末端、それから切断されている左腕が冷たくなっていくのが分かった。それと対照的に温かい血液が流れ出る感覚もまた明瞭になっていく。
「芽衣……お前、なにを……」
脳の自衛機能が限界を迎えないうちに、俺は彼女に問いかける。こうなった今、彼女がこうする理由を聞いたところで対処のしようがないことは理解している。しかし、だからといってこのまま理由も知らずに突然片腕を失うことに納得など出来ようはずがなく、それを解き明かす鍵は彼女しか持ち合わせていない。
そうなれば、彼女にこうして理由を尋ねることは当然の行為と言えるだろう。
しかし、芽衣は不思議そうに口を開く。
陰りのある、光沢の微塵もない不気味な眼をしていた。
「え? だって、お兄ちゃんに許可は取ったじゃん」
「……俺は……こんなこと、許可してなんか……」
「なにいってるの、とぼけないでよ」
彼女の瞳の陰りが強くなるに比例して、彼女がノコギリを引く強さが増していく。
そして、ゴリゴリと鈍い音が部屋に響き渡り。
しかし、そんな肉片の断ち切られる音にも負けないくらいに力強い声色で、彼女は言った。
「……私に、お兄ちゃんを食べさせて……って」
悪寒が、走った。
こんな全速力の悪寒を感じたことなんて、今までたったの一度も無かったように思える。
妹、芽衣。
彼女は先程リビングで、俺を食べたいと言い放った。それは紐解いてみると、俺を食べてしまいたいほどに好きだとか、性欲が爆発したとか、そんな甘酸っぱい愛の告白やら思春期の感情の暴走なんかでは到底なかったらしく。
お兄ちゃんへの禁断の愛だとか、そんな秘めた想い的なことなんかでは全然なかったらしく。
彼女が、純粋に俺の肉体を食材として口にしたい、という額面通りの意味だったらしい。
もう一度、彼女を見る。
彼女の長い黒髪に返り血が付着し、その光景は神秘的と表現するに値する見事なものだ。
芽衣が、舌舐めずりをする。
「それじゃあ、お兄ちゃん……いただきます」
その掛け声と同時、彼女は再度俺に身体を重ねてくる。そして。
まだ一部胴体と切り離されていない俺の左腕に、彼女は艶やかに濡れた、ピンク色の舌を這わせた。
「んぁ……んんっ、お兄ちゃん、おいしい……」
「ぐ……っ、ぁっ……おぇ……ぁぁ……っ……」
苦痛に表情が歪む俺とは対照的に、恍惚とした表情で血を啜る芽衣。赤黒い血で染まった、透明感のある柔らかい頬が、とても綺麗だった。
「……でもお兄ちゃん、一ついいかな?」
「……な、なんだ……」
芽衣が、何かを言いたそうにしている。
だから俺は先に続けるよう促したんだが。
「……ちょっと、ソースが多いかなって」
「……それはソースじゃない……血液というんだ」
俺の妹は頭がおかしくなってしまったらしい。
痛みと這うような舌の感触に喘ぎ、悶えながらも俺は声を上げる。
「……芽衣、お前……これから、俺の腕をどうするつもりだ……?」
すると彼女は「空気を掴めないことは当たり前のことだ」とでも言うかの如く、さも当然の事としてそのプランを回答する。
「もちろん、食べちゃうよ」
「……食べちゃいますか」
それから、幸せそうに口の中の血液をごくんと音を立てて飲み込んで。俺の腕に勢いよく、その尖ったかわいらしい八重歯を突き立てた。
「……ぐっ、ぐぁぁぁぁぁぁぁあっ!」
先程と変わらず、俺の腕はまだ胴体から切り離されていない。そんな状態で、最愛の妹に捕食されている。長い黒髪で、美人として有名な、実の妹に。左腕を、餌として献上している。
その事実を改めて認識し、より明瞭になっていく意識の中で捉え直す。すると俺は、今まで味わったことないほどの最上級の恐怖と快感の混沌を、全身で堪能できていることに気が付いてしまったのだった。
この瞬間から俺は、妹の餌になることを拒むことが出来なくなっていた。