『私』を見てよ。手を伸ばさせるくらい、私を見てよ。
人生で一体何回ほど他人と目があうのだろうか。初めて逢った時、私たちは初めて目が逢うのだろう。意思を交わそうとする時、私たちは互いに目を合わせて意思の疎通を図ろうとする。町で偶然すれ違った時、私たちは会いたくても会いたくなくてもとりあえず目は会ってしまう。
国内の人口は一億人を越える。世界の人口であれば七十五億人を越える。それらの持つ目はなにかしらを見ようと、常に目を合わせる対象を探すのである。
さて。人口が多いと感じるが、それに対して物の数などまさに数えきれないものである。その中から一つ一つを選ぶだから、運命的なものがあってもいいと思うのだ。例えば食べ物。例えば玩具。例えば日常用品。例えば筆記具。例えば娯楽用品。例えば…… ほら、あげていけば切りがないではないか。
スーパーや専門店の店頭にずらりと並ぶ彼らたち。同一の物として一定数製造される『商品』である彼らは、今日も自分が選ばれ手に取られることを待ち望んでいる。
これは、そんな日常のワンシーンを切り取った話である。
楽しい楽しいお買い物。と、言いながら私はいつも時間を潰す。大きなショッピングセンターの中を時に一人で、時に友人たちと時間をかけて歩き回るのは楽しいわ。でも、本当に欲しいと思ったものと出会えるのはほんのわずかなの。
好きなものはもちろんあるわ。好みもはっきりしているつもり。ただね。自分で思うのもなんだけど、私って冷めやすい性格みたい。あれが欲しい。そう思って出掛けて、いざ商品を目の前にすると、あ、やっぱり要らないや。そう思って帰って来ちゃう時もたくさんあるのよ。だって、あんなに同じ商品が並んでる中で一個だけ選ぶなんて。面倒じゃない?あんなにあるんだから、どれを選んだって同じよ。特別なものなんて何もないわ。私は、そう思っているの。
そう思うようになってね。私は買い物の時は商品を見ないようにしているの。商品自体は選んでいるわ。それは消費者として当然のことよ。より良いものを。自分に合ったものを。サイズを。好みのものを。
そう思うようになってね。人付き合いも適当になったわ。こんなに世界には「ヒト」という生き物が溢れているんだもの。誰と付き合ったって、別にかわりないわ。友人だって、恋人だって、いくらでも替えが利くでしょう? そこそこの交友関係は私にだってあるわ。でも、そこそこよ。
私は初めて会った人とは目を合わせない。目を見るけど、合わせることはしないわ。だって、特別にならないものと想いを通じ合わせて何になるの?
ほらね。私って、冷めてるでしょう?
貴方はどう? 一個一個見つめて、目を合わせて、考えて考えて選んでいる?そんなんじゃ、疲れてしまわない?
ある日のこと。
私は一人で雑貨屋さんに入った。足りなくなったノートに壊れたペン、寒くなるからカップも欲しいかな。売り場をくるくる回っていた時だった。
「ん?」
どこからか視線を感じた。でも、周りには誰もいない。
(気のせいかな?)
肌触りの良さそうなハンカチをかごに入れようとしたときだった。
『(コッチヲミテ)』
(?)
やっぱり、誰かが私を見ている。しかも、それはとてもとても熱い視線。今まで感じたことのないくらい熱いものだった。でも、不思議と熱が籠っていないようにも思える、不思議なもの。どこからだろう? そう思いながら、私は周囲を見渡した。熱のない熱い視線を送っているあなたはだぁれ?周りには冷たい雑貨たち。
ふと、顔を上にあげてみた。すると、そこに彼はいた。
驚くくらい私と彼は目があった。彼は、青い真ん丸なビー玉の目をしていた。棚の上にお座りをして、まっすぐに私を見ていた。三角の耳をまっすぐに立たせ、その視線の熱さとは逆に尻尾をだらんと下げていた。
彼は、犬のぬいぐるみだった。
『(ヤットコッチヲミテクレタ)』
私は思った。この子を選ばなきゃって。初めて心から欲しがった時だった。
それからよ。私が視線を感じるようになったのは。
ある時は地味で素敵な花の刺繍がされたワンピース。ある時は価格が割引にされてしまった相方を失ったペアカップ。ある時は曇りの入ってしまった青空色の透明グラス。ある時は ヒビの入ったクジラの泳ぐ夕暮れ色の照明ランプ。青い目の彼は、中途半端に高い値段を付けられ売れ残ってしまったぬいぐるみだった。
みんな、みんな、私を見ていた。私に連れていってもらいたくて、私と時間を過ごしたくて、私に視線を送っていたの。そんなの、それまで気付くことなんて一度もなかったわ。だって、私が彼らを見ようとしていなかったのだもの。
私は視線に気付くようになった。熱い視線を受け止めて、目を向けるようになった。
今じゃね。部屋に帰れば彼らはそれぞれの特別席に座っているわ。くるりと見渡せば、ほら。出逢った時のようにみんなと目が合うの。
幸せそうな視線と、目が合うのよ。
『(アリガトウ)』
そんな声が聞こえてきそう。
今日は楽しいお買いもの。
誰かが私を見てくれるなら、私はきっとその目に応えるわ。あなたが「私」を見つめてくれるなら、私はその目を見つめ返してあげる。それは物であったり、人であったり、様々だけど。
ほら。今日も誰かと目が合う。
私が手をとり選ぶ理由はただ一つだけ。今、目が合ったから。
楽しい楽しいお買いもの。
今日はどんな出逢いがあるかしら。どんなものと目が合うのかしら。
特別な視線と目線があったら、きっと素敵で楽しい日になるはずよ。
一つの例としてあげた彼女であるが、どうであっただろうか?物と目が合うなどあり得ない? ちゃんと商品を自分で選べ? 選ぶ理由として不適切? それでは、あなたの選ぶ理由を教えていただきたい。実物を見ずに名前だけ、画像だけで選びボタンを押しただけで買った気になっているあなたの理由。それはどのようなものだろうか。「商品」であり、選ばれる側である私たちに教えて欲しい。あなたは、私たちの何を見ているのか。
私は「物」である。私たちは「もの」である。使われ、消費されるためにつくられ用意された商品である。使う側であるあなたには、もちろん選ぶ権利がある。より良いものを手に入れたいだろう。貴重な金を支払うならば失敗はしたくないだろう。価格に見合った働きを、あなたは私たちに強要するだろう。そして、それらが満足できなくなったとき、あなたは私たちを手離すのだろう。すてるのだろう。
すてられた私たちの気持ちを考えもせずに。
いつかすてられる私たちを少しでもかわいそうと思うのならば、どうか私たちにも与えて欲しい。誰かに選ばれる権利を。そして、選ぶ人を選ぶ権利を。
例えば、彼女を見つめた青い目のぬいぐるみのように。これからを共にする人を、私たちにも選ばせて欲しい。手に取る人に視線を送る機会を与えて欲しい。
私たちは見つめている。たとえ目がなくとも、あなたを見つめているのだ。だから、あなたたちにも見てもらいたい。私たちの姿を、本質を見てもらいたいのだ。そして、たくさんいる私たちの中から選んでもらいたい。
そして、できれば彼女のように気づいてもらいたいのだ。「誰かから視線を感じた」と。私たちがあなたを選んだ理由が、きっとその視線には込められているであろう。
もしも、あなたと私の目が合ったら。それは互いに選んだ相手だということ。
どうか安心して、その手を伸ばして欲しい。
『私』を見てよ。目が合うくらい、私を見てよ。
見ていますとも。私たちと目が合うのは偶然ではありません。なぜなら、私があなたと。あなたが私と。目を合わせようと選んだ結果がその出逢いなのです。
今日も私は目をあわせようとあなたを探すでしょう。
ほら。今、目があいましたね?