〈あらすじ!〉
「一人暮らし」を始めた男女の話。
実は、同じ部屋に住んでいます。
…え?
一人の女の子がいた。
彼女はこの春に卒業し、就職する新社会人だった。
彼女は一人暮らしを始めようと、新たな住居を探していた。
彼女はこの春、失恋をした。
勇気を出して、自分から告げた告白だった。想いを告げられた男の子は、少しだけ考え「ごめんね」と謝った。
彼女の淡い桜色の恋心は実らなかった。
しかし男の子の前で泣くことはせずに、「いいんです」と言って健気に笑った。
実家を離れた彼女は一人で暮らし始めた。
今日から私、一人暮らしを始めたの。♪素敵なお部屋を見つけたんだ♪
彼女は歌うように友人へ言った。
家具もほとんど揃っててね、家賃はちょっと高いかな。狭い気もするけど、一人だもん。すぐに慣れちゃうよ。
彼女は新しい生活に浮き足立っていた。
仕事が始まると、昼間はずっと外にいる。忙しい毎日。慣れない作業。新しい人との付き合い。
彼女は疲れ果てて帰宅しては、夜になるとベッドで沈むように眠りに着いた。そして朝が来ればのろのろと起き、職場に向かう。
彼女は辛くはなかった。とても充実した日々を送っていた。
失恋したことが嘘だったかのように、彼女の笑顔は輝いていた。
今日から私、一人暮らしを始めるんだ。そう言われた友人は、吹っ切れたかのような彼女を見ながらある時こう言った。
「そろそろ彼氏でも作ったら?」
言われた彼女は満面の笑みでこう返した。
「もういいんだ!」
彼氏はもういい。もういらない。そう返されたのだと思った友人は、それ以上彼氏に関する話をしなくなった。
彼女の失恋の傷は思った以上に深かったんだな。友人はそう感じた。
彼女は外出することが好きだった。学生時代の頃から、可愛らしい雑貨が窓際に並ぶ喫茶店や本屋には時間と財布の許す限り訪れた。かといって浪費家でもなかった。購入するものはいつだって実用性のある物を選んでいた。
いくら惚れたものであっても高価すぎるものには手を出さない。例えばテディベア等の人形がそうであった。
そのため、彼女は買い物の時間よりウィンドウショッピングの時間の方が多かったかもしれない。それは社会人となっても変わることがなかった。
彼女は外出することが好きだ。新社会人として、大人の女性としてスーツを着、化粧をして出勤するのはそれなりに好きだった。ただし、クタクタになって帰宅しすぐに眠ってしまう生活は好ましくなかった。
それでも彼女は外出することが好きだ。
休日も彼女は外出する。近場の喫茶店に行ったり、ショッピングモールに友人と出掛けたり、春の公園、夏の海、秋の野山、冬の協会に行ったりもした。それが彼女の楽しみであったから、休日であっても家にいることの方が少なかった。
彼女が家にいるときと言えば夜しかない。
料理もうまくできないので自炊などする気にはほとんどならない。彼女がキッチンに立つ時は飲み物を作る時ぐらいのものだった。外食やコンビニ等の弁当、惣菜で食事を終わらすことは日常だ。
だから、一人暮らしを始めたと言っていた家での暮らしだって風呂と睡眠ぐらいのものだった。
彼女は夜にしか家にいなかった。
それも、誰もが眠る時間にしかいなかった。当然、そんな時間にいたとしても眠るだけだ。
一人暮らしをしているはずの部屋は、いつだって誰もいないかのように静かだった。
その部屋は、いつだって人一人分の気配しか部屋の中にはなかった。
それが彼女の「一人暮らしをし始めた」部屋であった。
ある時彼女は友人に言った。
「最近、部屋の中が変な気がするの」
好きだった色の歯ブラシがなくなっちゃった。先週買ったふわふわタオル、どこかにやっちゃった。キッチンに置いておいたお菓子の箱、いつの間にか空っぽになってゴミ箱の中にあった。
何かおかしい。何か変。
一つ一つはどれも小さな事だった。だが、その小さな事の数が多過ぎた。
友人は大家か警察に相談した方がいいのではと言った。彼女は少し考えて
「うーん、そこまでじゃないかな」
現状をそのままにすることにした。
その後も彼女の一人暮らしをする家では、度々小さなものがなくなったという。どれも彼女が置いたものだ。
友人は何度も彼女に尋ねた。大丈夫か、と。
彼女はいつも笑顔で大丈夫と答えた。どこか幸せそうな笑顔だった。
しばらくして、彼女は突然引っ越すのだと友人に言った。
友人は思った。物が勝手になくなる部屋なんて不気味だよね。その部屋には結局一度も友人は招かれなかった。
彼女は言った。
「あーあ。うまくいくと思ったんだけどなぁ」
一人の男の子がいた。
彼はこの春に卒業し、就職する新社会人だった。
彼は一人暮らしを始めようと、新たな住居を探していた。
彼はこの春、一人の女の子を振った。
勇気を出して、自分から告げたであろう告白だった。
想いを告げられた彼は、少しだけ考え「ごめんね」と謝った。しかし本当は、考えたように見せるため少しだけ間を置いただけであった。
彼は女の子のことを全く知らなかった。外見も声も、おそらく性格も自分好みではないと判断して「No.」の返事をした。
彼にとって女の子という存在は、取り換えのきく玩具だった。
女の子を振っても、彼の心は全く痛くも痒くもなかった。ただ、面倒なものが一つなくなった。彼にとってはそれだけのことだった。
実家を離れた彼は一人で暮らし始めた。
今日から俺、一人暮らしを始めたんだぜ。だから、いつでも遊びに来いよ。
彼は幼馴染に言った。
家賃はちょっと高いかな。でも職場からも近いし、稼げばいいんだよ、稼げば。大丈夫、すぐに慣れちまうよ。
彼は新しい生活に浮き足立っていた。
仕事が始まると、昼間はずっと家にいる。忙しい毎日。慣れない接客。新しい人との出会いと付き合い。
彼はホストになった。男が女を接待する。「お姫様」を接待する「騎士」や「王子様」を演じることは簡単だ。そこに感情が入れさえしなければ接客なんてらくなもの。彼はそう思っていた。
彼は女に興味がなかった。例外は幼馴染のただ一人だけだった。
彼の幼馴染は気の置かない付き合いのできる女性だった。夕方に出勤し、朝方に帰宅する生活は辛かった。疲れ果てて帰宅しては、ベッドで沈むように眠りに着く。そして昼に起きては仮眠を取ったりして時間を潰し、再び夕方には出勤する。
職場の仲間との付き合いはとても良好で楽しい。次第に夜型の生活にも慣れ、彼はやっと自分は社会人になれたと実感した。
彼は両手両足の指では足りないほどの数の女から、淡く濃い想いを向けられ続けた。そして、向けられたそれらを「ごめんね」と言っては振り続けた。
一人暮らしを始めてからもそんなことが何度もあったが、彼はそんなことなどなかったかのように爽やかな笑顔を振り撒き続けた。
彼はおんな泣かせだった。
今日から俺、一人暮らしを始めるんだ。そう言われた幼馴染は彼の隣に一歩間を開けて座り、こう言った。
「そろそろ、本気の彼女でも作ったら?」
言われた彼は呆れた顔をしてこう返した。
「いいんだよ、そういうのは」
決まった一人と付き合い続けるのなんて疲れてしまう。本気の恋愛は崩れた時が辛い。
付かず離れず。重い想いを抱えて生きるのも、想いを抱えさせられるのもしんどいから、自分は一人と決めない。誰もいらないんだ。
冷めてる人ね。そんな貴方とだから友人でいられるのよ。幼馴染は思っても口にしなかった。
彼は昼間、家にいることが多かった。
外出が嫌いというわけではなかったが、仕事の時間が夜間ということもあって昼に出掛ける機会は少なかった。たまに同僚や幼馴染等と食事に行ったりはする。外出する中で最も多い場所はショッピングセンターだった。
彼は化粧が好きだ。趣味の範囲として好むため、自分の財布と時間が許す限り没頭することができる。
遊びで爪を彩ることもある。気分と季節に合わせたネイルたちは同僚と客の女たちに人気だった。金を出させるほどではないと言い、彼の趣味は職場でのサービスにもなった。
彼は外出が嫌いではない。
引きこもりでもニートでもない彼は、人並みに外へ出る。学生時代には友人たちとサッカーや野球等のスポーツもした。小遣いが入るようになってからはバッティングセンターやカラオケ、ゲームセンターにも入り浸った。
彼は気分屋だった。出入りする店はころころ変わった。友人たちは彼のそんなところを理解していたため、一緒になってふらふらしていた。もちろん、社会人となってからは彼らとの付き合いはない。
職場の同僚たちは彼の師であり、先輩であり後輩であり、友人だった。そんな関係を彼は知らなかった。
気紛れな自分と真摯に向き合ってくれる同僚たちとの関係を、彼は好ましく思っていた。だから、彼らとの付き合いも蔑ろにすることはなかった。
彼は昼には大抵家にいる。
夜の仕事のために体力を温存しておくという意味も含まれるが、彼は意外と家事をこまめに行う。洗濯も掃除もほぼ毎日行うし、ゴミもまとめて仕分けし、ゴミ出しの曜日もきっちりと守る。
だから、一人暮らしを始めた部屋のどこに何があるのかもわかっていた。彼は昼にしか家にいなかった。
誰もが起きて外に出るような時間にしかいなかった。逆に、誰もが眠る夜の時間には外へ出て仕事をする。
一人暮らしをしているはずの部屋はいつだって、昼には物音がし、夜には静まり返る。どこにでもある当たり前の生活を繰り返していた。
その部屋は、いつだって人一人分の気配しか部屋の中にはなかった。
それが彼の「一人暮らしをし始めた」部屋であった。
ある時彼は幼馴染に言った。
「最近、部屋の中が変な気がする」
買ったはずのない色の歯ブラシが増えている。自分は硬いブラシしか使わない。やわらかいブラシを買うはずない。
知らないタオルが増えている。しかも新品。タオルは職場の同僚がくれるものが山ほどある。宣伝も兼ねているからどこかしらに同じマークが入っている。知らないタオルにはそれがない。
ゴミ箱の中身が増えている。前日に出したばかりなのにどこから出てきた。
化粧品と香水が気づかないような場所に増えている。香水がふわりと香るそれらは女性が使う物ばかり。自分が使う化粧品は男性用の無香料。女性用なんて部屋にあるはずがない。
何かおかしい。何か変。
あるはずのない物がある。
一つ一つはどれも小さな事だった。だが、その小さな事の数が多過ぎた。幼馴染は言った。
「その増えた物、どうしたの?」
彼は無表情に答えた。
「もちろん、すぐにすてたよ」
どこかの女が彼のために用意したものだとしても、そんな顔であっさりとゴミ箱に入れるのだろうな。幼馴染はそう思った。
そんな顔で、あっさりと女をすてていくんだろうな。幼馴染は思った。
彼は現状をそのままにすることにした。気味が悪い。でも、害はないんじゃないか。そう思っているようだった。
学生時代も含めて、彼には女性からの贈り物がたくさんあった。その中には良いものと悪いものがあった。
誰かからの想いは重い。貴金属や高価な物は重い。箱の中に髪の毛が大量に入った物を見てみろ。吐き気がするだろう。
彼は一人暮らしを始めた部屋で起こっていることは、まだ軽いことだと思っていたのだ。
その後も彼の一人暮らしをする部屋には、知らないはずの物が増えていった。
そういった物はすぐにゴミ袋の中に入れられ、次の日にはゴミ置き場に直行となる。
幼馴染は何度も彼に尋ねた。大丈夫か、と。
彼はいつも心配させないように大丈夫だと答えた。次第に顔には疲れが見えるようになっていったが、幼馴染にはどうすることもできなかった。
しばらくして、彼は突然引っ越すと幼馴染に言った。
友人は思った。物が勝手に増える部屋なんて不気味だよね。その部屋には結局一度も幼馴染は訪れなかった。
「どこかで聴いたような話だな」
幼馴染は呟いた。
女の子の友人は、男の子の幼馴染だった。
それを彼も彼女も知らなかった。女の子との友人としての関係も、男の子との幼馴染としての関係も全く別のもので、繋がるはずのないものだからだ。女の子と男の子は他人で面識もなくて、互いに知るはずのない存在。
その間に自分がわざわざ立って繋げる必要もないと思うからこそ、何も言わなかったのだ。
だがある日、気づいてしまった。
彼から彼女の着けている香水の香りがした。彼は香料が入った化粧品も、女性が好む香水も使わない。
「何か、香水とか着けてる?」
彼は答える。
「着けるはずないだろ」
じゃあ、何故彼から彼女の匂いがする。
別に嫉妬やヤキモチ等ではなかった。彼とはただの幼馴染だ。それ以上の感情はない。
彼がどう思っていようと、ただの幼馴染なのだ。
彼女に対してもそうだ。彼女とはただの気の合う友人だ。
彼と自分は幼馴染。彼女と自分は友人。では、彼と彼女の関係は?
関係などあるはずがなかった。互いのことを聞いた時だってなかったのだから、関係なんて、接点なんてあるはずがない。
彼と彼女の関係は、「他人」だ。繋がるはずのない「他人」。
ただの「他人」なのだ。
ある日、彼は幼馴染を部屋に呼んだ。ただ、久々に酒を飲もうと誘っただけだった。
職場でも居酒屋でもなく自宅に誘ったことには他意はなかった。休日がたまたま重なったため、二人とも家でゆっくりと呑みたかった。ただそれだけだった。
二人の間には性的な関係は一切なかった。彼らの間には長い時間をかけて作られた信頼があった。
その日は、滅多にない彼が夜に出勤しない日だった。
つまり、彼は夜、自分の部屋にいた。一人暮らしをしていると言っている部屋だ。
「まだ勝手に物が増えるの?」
「たまにな」
「引っ越ししてもそうなるなんて、おかしいよ。やっぱりちゃんとしたとこに相談した方が」
「勝手に物が増えますって?」
「そう」
「気のせいとか、勘違いで終わらせられるって」
彼らは何度も同じ話をした。幼馴染は彼のことが心配だった。
その時。
入り口の鍵が回された。
「ただいまー」
いるはずのない彼女が住んでいる部屋に帰ってきた。
そこは確かに、彼が「一人暮らし」をしている部屋だった。
知らないものが気づかないうちに増えているとこわくなる。何でこんなものがここにあるのかと。
恐れた彼は、いつも増えたそれをすてていった。
増やしていたのは彼女だった。彼女がいつもなくなると言っていたのは、彼が自分の部屋を掃除していたからだった。
彼の幼馴染であり、彼女の友人である女性はこう言った。
「あの子、今日から一人暮らしをするって言ってたの。でも違ったのね。
あの時あの子が言ったのは、こういう意味だったのよ」
今日から私、ストーカーになるの!
その部屋は一見一人暮らしをしているように見えていたのかもしれない。本人たちも一人暮らしをしているつもりだった。だって、生活する時間が昼と夜で重ならなかったのだから。
一人の女は振られたショックで無意識にストーカーとなった。振った彼の部屋に上がり込み、自分の部屋だと思い込んで住み始めてしまった。
本当に? 本当に無意識だったのだろうか?
彼女は、彼の一部になりたかったのではないだろうか。彼の裏か表として生きてみたかったのではないだろうか。
長い間、彼は同じ部屋に彼女が住んでいたことに気がつかなかった。そんなことはあり得ないだろう。だが、気づかなかったのだ。
当たり前のように彼女は彼の生活に溶け込んでしまった。それが、ストーカーというものなのではないだろうか。
その部屋は、「二人暮らし」の部屋だったのだ。
その部屋に住んでいたのは彼と、彼のストーカーである彼女だった。
昼と夜で全く別の顔を見せるその部屋はリバーシブルだった。彼の部屋であり、彼女の部屋だった。
二つの顔を持つその部屋は、外からどう見えていたのだろう。一つの部屋で裏と表がある。どんなに違って見えても、それは同じ部屋で起こっていることなのだ。
今日から私、ストーカーになるね!
そう言って笑う彼女の顔が、友人には眩しかった。
『ほら、よくある話でしょ?』