翌日は、ストレイライトの皆を現場へ送っていく仕事が朝に入っていた。
社用車に三人を乗せ、イベント会場であるショッピングモールへ車を走らせる。助手席に冬優子、後部座席に和泉愛依と芹沢あさひという配置だ。
「……そういえば冬優子、昨日はあれから変わったことはなかったか?」
恐る恐る、訊ねてみる。
昨夜はよく寝付けなかったのか、腕を組んで仮眠を取ろうとしていた冬優子が目を開ける。
「あー……悪夢を、ちょっとね」
「冬優子ちゃん、悪夢見たんすか!? どんな悪夢見たんすか!?」
後部座席から身を乗り出すようにして、あさひが聞く。それを愛依が「あさひちゃんマジ危ないって~」と言いながら抑える。あさひが座席に戻されるタイミングで、冬優子が「うるさいわよあんた!」とデコピンをした。
「あいたっ」
額をさすりながら、あさひは渋々定位置へ戻る。
「でも、冬優子ちゃんがどんな悪夢見たかはうちも気になるかな~」
「え、愛依も? ……まあ、隠すようなもんでもないけどね」
「冬優子ちゃん、わたしのときとリアクションが違うっす~」
「あんたはいいの」
三人のそんな掛け合いを聞いて苦笑しながら、おれが改めて訊ねる。
「で、どんな悪夢だったんだ?」
「何て言うか……暗くて、底が見えない谷底からたくさんの人が這い上がってくるのよ。ふゆはその人たちの少し上で崖を登ってて、捕まらないように、必死で逃げてるの。あと少し、もう崖の天辺が目の前だっていうところで、女の人に足首を捕まれちゃって……」
いつの間にか、車内はしんと静まりかえっていた。おれと愛依が息を呑む音だけが聞こえた。
冬優子が、口を開く。
「連れてってよお!!」
「ひいっ!」
「っ!」
突然冬優子が大声を出すものだから、びっくりして危うくハンドルを変な方向に切りかけた。愛依は愛依で引きつったような悲鳴を上げている。
「って叫ばれたところで目が覚めたの。……ちょっと驚かせすぎた?」
「いや、面白かったっすよ?」
あさひだけがニコニコと返事をする。
「どっちかというと、事故起こさないかヒヤッとしたよ」
だが、これで分かった。やはり冬優子には、明らかに何らかの異常が起こっている。
霧子の嫌な予感は、間違いなく当たっていた。その異常の正体が何なのかは判然としないが、それさえも、彼女が答えを提示してくれるような気がするのだ。
事務所に帰る前に、愛依とあさひを家まで送った。冬優子には用事があるからと言って残ってもらった。それからなんだか冬優子がもじもじしているような気がするが、多分気のせいだろう。
事務所の下に着いた。二人で車を降りて、事務所までの階段を上っていく。
「で、用事って何よ」
「いや、ちょっとな」
はぐらかしながら、事務所のドアを開ける。時間が遅いから、はづきさんは先に帰ったのだろう。
室内にはただひとり。幽谷霧子だけがソファに座っていた。
ストレイライトの三人が仕事中に、彼女に電話をして、こうして待っていてもらったのだ。
昨日よりも、更に包帯の数が増えた気がする。彼女も何か、違和感を感じていたのかもしれない。おれたちに気付いたようで、彼女がソファに座ったままこちらを振り向いた。
「あ、プロデューサーさん……お帰りなさ──ッ!」
最後まで言い終える前に、霧子はびくっと身体を跳ねさせて、両手で肩を抱いて縮こまってしまった。息も荒く、顔色はみるみる青くなってゆく。
おれの後ろから入ってきた、冬優子の姿を見た瞬間の出来事だった。
「霧子!」
慌てて彼女に駆け寄り、ソファにそっと寝かせる。冬優子も心配そうに近づいてくる。
「霧子ちゃん、だ……大丈夫?」
「ふ、ふゆちゃんこそ……だい、じょうぶ……?」
肩で息をしながら、霧子が問いかける。明らかに異常を来しているはずの彼女に逆に心配された冬優子は、困惑の色を浮かべた。
「え……ふ、ふゆが?」
霧子から視線を上げて、冬優子の方を向く。
「冬優子、おまえ昨日から変なことが起きてただろう。実は、それを霧子に相談したくて、今日残ってもらってたんだ」
「え、じゃあ用事ってそのこと?」
「ああ。にしても、霧子がこんなになるなんて……霧子、ゆっくり呼吸するんだぞ」
霧子に視線を戻し、落ち着くよう促す。
「は……はい……」
「とにかく、霧子のこの様子からして、冬優子に何かあるのは間違いないな」
「ふゆに? どうして……?」
冬優子は困惑が隠せない様子だった。それもそうだろう。まるでその原因に心当たりがないのだ。
「ふ、ふゆちゃんの後ろ……」
少し落ち着いたらしい霧子が、右腕を持ち上げて、冬優子の方を指さした。冬優子ではなく、その背後を。
冬優子が慌てて振り返る。
「な、何もないじゃない」
語気を強めて言うが、明らかに怯えが混じっている。おれの目にも、何も映ってはいない。
霧子にだけ、見えているモノ。その正体を、霧子が口にする。
「動物さんの……オブジェが……」
背筋が凍った。
間違いなく、あの骨董店で買った、深い紅色をした正二十面体の玩具のことだ。冬優子が幾らか手を加えたから、いまは鷹か……あるいは魚の形になっているだろう。
霧子に、その存在を話してはいない。知らないはずだ。
なのにそれが、冬優子の背後に見えると言う。
「霧子、そのオブジェが、どうかしたのか……?」
恐る恐る、訊ねる。
何となく頭の中では分かっているそれの言語化を、彼女に委ねる。
霧子は少しずつ、言った。
「ふゆちゃんに……起こっている、変なことは……それのせいです……」
「あ、あの玩具が……?」
冬優子が絞り出すように呟いた。
そう、冬優子におかしなことが起きている原因は、あの玩具なのだ。
取り憑かれたようにそれで遊んでいた冬優子に対して、違和感を感じた。謎の電話も、悪夢も。異常が起き始めたのは、あの玩具が冬優子のもとにきてからだ。
「冬優子、あの玩具、いまはどこまで出来てるんだ?」
「魚の途中だけど……」
冬優子の回答に、わけもなく胸をなで下ろす。どうしてか、最後まで完成させていえてはまずいような気がしたのだ。
「とにかく……あれをどうにかすればいいの?」
冬優子が動揺したように霧子に問う。霧子は小さく頷いた。
「うん……。そのオブジェさえ捨てたら……大丈夫だと思う……」
「捨てれば良いのね? わかったわ!」
そう言って、引き留める間もなく、冬優子は慌てて事務所を飛び出していった。一緒に着いて行ってやりたかったが、このような状態の霧子を一人にしておくわけにもいかなかった。
「……ひとりにして、大丈夫だったかな」
「たぶん、大丈夫……です……」
霧子に聞くと、彼女はこくりと首を縦に振った。
それから、霧子はあの玩具に対して感じたことを、少しずつ語り始めた。
曰く、あれは呪われた品などという生やさしいものではなく、凝縮された地獄だという。生前罪を犯した者たちが死後送られ、責め苦を受けるという場所。宗教によってその詳細は異なるが、必ずと言って良いほど類似のものが存在する。その地獄が、あの正二十面体の中に封じ込められていたのだそうだ。
冬優子にかかってきた電話も、大勢の人がいたのは駅前などではなく、地獄だったのだろう。話し声は、地獄の亡者たちのもの。『彼方』という発信者は、地獄からかけてきていたのだ。悪夢は、地獄から這い上がろうとした亡者たちが冬優子を引きずり下ろそうとしていたということ。
霧子は、昔からそういうモノに敏感な体質なのだという。普段つけている包帯や絆創膏は、気休めではあるがそういったモノから自分の身を守るためのものらしい。今回のように、予感があれば数を増やして自衛をするのだそうだ。
霧子がそういう能力を持っていて、本当に良かったと思う。
しばらく話をしていると、冬優子から『捨てたわよ!』というチェインが送られてきて、ふたりで胸をなで下ろした。
ふと、思う。
もし、あの説明書に載っていた形を最後まで完成させていたら、冬優子はどうなっていたのだろう。
頭によぎったその疑問を、おれはすぐに振り払った。現実には完成していないのだから、それで良い。
後日、冬優子にはあれは呪いの品だったと嘘をついておいた。
解決したことで、必要以上に彼女を怯えさせる必要はないという、おれと霧子の判断だ。あれは、おれたちふたりの間での秘密にしておくことになった。
これが、283プロダクションで起こった、最初の怪異事件なのだった。
リンフォン
終り