幽谷怪異譚   作: だいふく

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「プロデューサーさん、お疲れ様です〜」

「お疲れ様です」

 

 事務所の扉を開けて中に入ると、いつものようにはづきさんが挨拶をくれる。一応終業時間は回っているのだが、わざわざおれの帰りを待っていてくれたようだ──と思ったが、事務所内にいたのははづきさんだけではなかった。

 

「あれ。小糸と雛菜じゃないか。円香たちと一緒じゃなかったのか?」

 

 おれが声を掛けると、ソファに座っていた小糸が小さく肩を跳ねさせた。

 

「は、はい! 透ちゃんが現場に忘れ物しちゃったみたいで、円香ちゃんとふたりで取りに戻ったので……」

「雛菜も一緒に行きたかったな〜」

 

 テーブルの上に常備してあったお菓子を頬張りながら、雛菜が残念そうに言う。それを見て、小糸が小さくため息をこぼして、ふたたびおれの方を向いた。

 

「円香ちゃんが、遅くなるからってわたしたちだけ先に帰してくれたんです」

「さっき円香から連絡貰ったよ。乗る電車間違えたから迎えに来て欲しいって」

「あは〜、円香先輩、やっぱり迷子だ〜」

「たまにはそういうこともあるさ。透ひとりよりは、円香がいてくれた方が安心だ」

 

 雛菜の言葉に、おれは苦笑しながら返事をする。

 透だけでは、どこに行ってしまうかわからない。猫のように、興味を持ったことすべてに飛びつくあさひとはまた違って、透は雲みたいに自然に、いつの間にかいなくなるのだ。だから、透と長い付き合いで扱いもよく分かっている円香が一緒にいてくれるというのは、本当に安心できる。

 

「それで、プロデューサーさんはいまから透ちゃんたちを迎えに行くんですよね?」

「ふたりがいる場所調べてからだけどな。ふたりとも、ついでに家まで送っていこうか?」

 

 提案すると、小糸はおずおずと返事をくれる。

 

「……いいんですか?」

「ああ、どうせ透と円香を送っていかなくちゃいけないし」

「やは〜、ラッキ〜」

「あ、じゃあわたしはそろそろお暇して大丈夫ですか?」

 

 とは、はづきさんの言葉だ。鞄は側に置いてあるし、コートも羽織っていて、帰る準備はすっかりできているようだった。

 

「もちろん。わざわざすみません、残っていただいて」

「いえいえ、こんな可愛いアイドルふたりを置いて帰れませんから~」

 

 そう言いながら、彼女は鞄を持って事務所のドアノブに手を掛ける。

 

「それでは、お先に失礼します~」

「お疲れ様です」

「お、お疲れ様ですっ!」

「やは~、お疲れ様です~」

 

 おれたちの労いの言葉を背に、はづきさんは帰って行った。

 

「ところで、透ちゃんと円香ちゃんがいるのってどこなんですか?」

「えっと、確かきさらぎ駅って言ってたな。知らない駅だから、ちょっと調べてみる」

 

 そう言って、スマホの地図アプリで『きさらぎ駅』を検索する。しかし、そのような名前の駅は検索にヒットしなかった。

 

「あれ、おかしいな」

「ん~、どうしたの~?」

「いや、検索してもそんな駅、出てこないんだ」

「で、でも、円香ちゃんたちはそこにいるんですよね?」

「そのはずだけど……」

 

 おれは何度も検索ボタンを押してみる。しかし、画面に表示される結果は変わらない。

 

「あれぇ~?」

「雛菜、どうしたんだ?」

「ググっても、そんな駅出てこないよ~」

「……」

 

 おかしい。現代で、調べて出てこない鉄道駅が存在する訳がない。ましてや電車が停まる、廃駅でも何でもない現存の駅だ。

 平仮名ではなく漢字ではないかと思って『如月駅』で検索を掛けてみても、結果は同じだった。

 

「ちょっと、円香に確認してみる」

 

 ふたりに断って、円香に電話を掛ける。数コールのうちに、スマホの向こうから円香の不機嫌そうな『はい』という声が聞こえた。

 

「すまん、円香。確認なんだが、ふたりがいるのは、平仮名できさらぎ駅で間違いないな?」

『だから、そう言ってるじゃないですか』

「前後の駅は分かるか?」

『前の駅がやみ駅。次がかたす駅です。どっちも平仮名』

「やみ駅とかたす駅だな、わかった」

 

 いずれも聞いたことのない駅名だった。

 

『まさか、駅の場所が分からないなんて言うんじゃないですよね』

「……面目ない」

『……別に構いませんけど。はやく迎えに来てください』

 

 無能だとかの罵倒が飛んでくるかと思ったが、意外にもそんな気配すらなかった。その円香の態度に、違和感を覚えた。

 

「……ああ、分かってるよ。それじゃ、また連絡する」

 

 そう言って、電話を切る。

 多分彼女も、自分たちがいまどこにいるのかを分かっていない。自分たちがいる場所を調べないはずがないし、それで場所が分かったのならば、まずそれを伝えてくるのが普通だ。それをしないということは、おれたちと同様に検索してもヒットしないのだろう。恐らくは、位置情報も使えていない。

 最近、身の回りで起こった異常な現象のことを思い返す。

 冬優子が手にした奇妙な玩具。

 結華が魅入られた背の高い女。

 そして、透と円香が迷い込んだ存在しない駅――。

 これは、思っていたよりもずっとまずい状況なのかもしれない。

 

「あの、円香ちゃんはなんて……」

 

 小糸が心配そうに訊ねてくる。

 

「……大丈夫だ、はやく迎えに来てくれってさ」

 

 胸中の不安を表に出さないように、にこやかな表情を作ってみせる。

 ……霧子に、連絡するべきかもしれない。

 確証は持てないが、これは過去に巻き込まれた怪異事件に類するものの可能性がある。もしそうであれば、おれの手には負えない問題だ。

 一応、いま聞いた駅名を調べてみる。――当然だが、それらしいものはヒットしない。完全に手掛かりを失った状態だ。

 

「……連絡、してみるか」

 

 呟いて、おれは立ち上がる。

 

「すまん、ちょっと電話を掛けてくる」

 

 小糸と雛菜にそう言って、廊下に出る。別に電話の内容を聞かれてもいいのだが、それによってふたりを不安にさせてはいけないと思ってのことだ。

 霧子に電話を掛ける。すぐに繋がって、霧子の小さな声が聞こえる。

 

『はい……』

「すまん、霧子。ちょっと面倒なことになってて、力を貸して欲しいんだが」

 

 そう言うと、僅かな沈黙の後に質問が返ってきた。

 

『もしかして……前みたいな……事件ですか……?』

「ああ」

『やっぱり……』

 

 おれの言い方からなんとなく予想できたのだろう。

 

「いまから迎えに行っても構わないか?」

『いえ……大丈夫です……』

「大丈夫?」

『わたし、いま……事務所の近くに……いますから……』

 

 それは、本当に偶然なのだろうか。それとも、彼女が今回の件を予見して、既に事務所に向かっていたのだろうか。

 

「……そうか、ちょうど良かった。すぐ来てもらえるか?」

 

 おれはその疑問について言及しなかった。もともと、霧子の予見能力は包帯や絆創膏で分かっていることだ。

 

『分かりました……』

「悪いな、頼んだぞ」

 

 霧子の返事を聞いて、電話を切り事務所に戻る。

 

「プロデューサー、誰に電話してたの~?」

「霧子だ」

 

 雛菜の問い掛けにおれがそう返すと、小糸が不思議そうな顔をした。

 

「え、霧子ちゃん? どうしてですか?」

「う~ん、どう説明したらいいか……」

 

 前回の結華のときのように、明らかな怪異存在を認知していれば、霧子の霊感の話をしても信じてもらえるだろうが、いきなりそんな話をしても受け入れがたいはずだ。

 

「まあ、霧子が来てから話すよ」

 

 彼女の能力のことは、実際に事件解決に取り組んでくれたときに自ずと分かるだろう。

 

 

 

 五分とせず、事務所のドアが開いて霧子が入ってきた。

 

「すみません……お待たせしました……」

「いや、わざわざ来てくもらって悪かったな」

「いえ、すぐ近くにいたので……。あ……小糸ちゃん、雛菜ちゃん、こんばんは……」

「こんばんは~」

「こ、こんばんは……!」

 

 霧子は着ていたトレンチコートを脱いで、おれたちの座っているソファに並んで腰掛けた。あまり露出のない服を着ているため、包帯や絆創膏の数はいつもと変わらないように見える。

 

「それで……何があったんですか……?」

「……簡単に言うとだな、透と円香が存在しない駅に迷い込んだ」

 

 おれの中では、それはほとんど確信に変わっていた。霧子が来るまでにも少し調べたが、過去に存在し、いまはなくなった廃駅をまとめてあるサイトを確認してみたりもしたが、きさらぎ駅や、他ふたつの駅の名前は見つからなかった。

 

「存在しない駅、ですか……」

 

 霧子が、小さな手をぎゅっと膝の上で握り締める。

 

「ああ。多分真っ当な方法ではアクセスできない場所にある。いまはふたりとも駅で待機してもらっている」

「駅の名前は……なんていうんですか……?」

「きさらぎ駅。前の駅がやみ駅で、次がかたす駅だ。全部平仮名」

 

 霧子はすぐには言葉を返さず、少し考え込むような様子を見せた。

 

「……透ちゃんたちに……電話はできますか……?」

「ああ、掛けようか?」

「お願いします……」

「あ、あのっ」

 

 おれがスマホを手に取ろうとすると、小糸が声をあげた。

 

「どうして霧子ちゃんを呼んだんですか……?」

 

 小糸に言われて、そういえば説明を後回しにしていたのだと気付いた。気が急いていたせいですっかり忘れていた。

 おれが何かを言う前に、霧子本人が口を開いた。

 

「実はわたし……霊感があるの……」

「え~、霊感~?」

 

 雛菜が信じられないという声で言う。

 

「霧子の力のことはおれが保証する。うちのアイドルも、何度か助けてもらったことがあるんだ」

「そ、そんなことがあったんですか……」

 

 戸惑ったような表情を見せる小糸。自分たちの知らないところで怪異事件が起こっていたという事実を、どう受け止めて良いのか分からないという気持ちは分かる。おれも、当事者だったから信じられているが、そうでなかったなら半信半疑だったろう。

 

「てことは~、透先輩たちが帰って来られないのも、お化けのしわざってこと~?」

「そうとは言い切れないけど、その可能性が高い。透たちがいるのは、存在しない駅だ」

「やは~、なんか楽しそ~」

 

 こういうとき、すぐに状況に順応できる雛菜はすごいと思う。

 

「と、透ちゃんと円香ちゃんは無事なんですか……?」

「まだ分からないけど……帰って来る方法は、あるはず……」

 

 小糸の質問に申し訳なさそうに答える霧子。どうやら彼女にも確証は持てないらしい。

 

「とにかく、円香に掛けてみるぞ」

 

 そう言って、再度円香にチェイン通話を掛ける。二コールほどで繋がった。

 

『遅い。まだ来られないんですか、給料泥棒』

「すまない、おれが思ってるよりまずい状況かもしれないから、助けを呼んだ」

『は? 助け?』

 

 困惑の声をあげている円香を置いておいて、おれは「スピーカーにするぞ」と三人に断って、スマホをテーブルの上に置いた。

 

「円香ちゃん……こんばんは……」

『……幽谷さん?』

 

 やや間があって、円香が霧子の名前を呼んだ。どうやら、普段あまり他のアイドルと接点がないため、声から誰かを判断するのに時間が掛かったようである。

 霧子はぱあっと嬉しそうな表情になって、両手を胸の前で合わせる。

 

「は、はい……!」

『何で幽谷さん?』

「霧子には霊感があるんだ。円香たちがいる駅が、存在しない場所かもしれないから、霧子の力が必要だと思って呼んだ」

 

 小糸と雛菜にしたような説明を、円香にも簡単に話す。

 

『存在、しない? どういう意味?』

 

 電話越しでも分かる引きつったような声で、円香が疑問を投げかけてくる。

 

「調べても、きさらぎ駅なんて駅が出てこないんだ。やみ駅も、かたす駅も」

 

 すぐに返事はなかったが、同じことを彼女たちも体験しているはずだ。

 

『……それで、わたしたちが存在しない駅にいると?』

「まあ、そういうことになる」

『馬鹿言わないで。そんなの、わたしは信じない』

 

 怒気のこもった声音で円香は言う。当然だ。彼女たちはいままさに、その存在しない駅に立っているのだから。その駅が存在しないなんてことを、信じられるはずがない。

 だからそう、そのままでいい。

 

「信じてくれとは言わないさ。けど、おれはふたりに無事で帰ってきて欲しい。だからいまだけは、おれに任せてくれないか?」

 

 彼女たちが帰って来られる可能性があるとすれば、それは霧子の指示に従うこと。しかし、霧子の能力を実際に体験しており証言できるのは、この場ではおれだけしかいない。

 ノクチルと――彼女たちと出会ってまだ数ヶ月だ。充分な信頼関係を築けていないとしたら、それはおれの責任だ。

 

「円香ちゃん……!」

「円香せんぱ~い、ちゃんと透先輩を連れて帰ってきてよ~」

 

 ふたりの言葉を聞いてか、少しの間をおいてスピーカーから円香の声が聞こえた。

 

『……別に、あなたを信じないとは言ってない。で、どうすればいいの?』

 

 ただそれだけなのに、彼女のその言葉は嘘偽りではないのだと、そう感じた。

 

「……ありがとう、円香。それじゃ霧子、頼んだぞ」

 

 霧子にバトンを渡して、おれはスマホから顔を遠ざけた。代わりに霧子が近づいて、円香に尋ねる。

 

「あ、はい……。えっと……まず、駅の周りには何かある……? 建物とか……」

『何も。遠くに山が見えるのと、あとは草原だけ』

「他に人は……?」

『いない』

「線路は、続いてるよね……?」

『ええ』

 

 霧子の質問にどういう意味があるのか、おれには分からない。けれど、それだけで霧子はある程度の情報を得られたようで、両手を口元で合わせて考え込む。

 思考の時間は、そう長くはなかった。

 

「……じゃあ、その線路の上を、来た方に向かって歩いて欲しいの……」

『線路の上を? 犯罪でしょ、それ』

「で、でも……もと来た道を戻らないと……」

 

 おれも円香と同じことを思ったが、おれたちはもう、常識の通用しないところまで来てしまっているのだ。非日常における常識をもたない以上、霧子の言うことを信じて、その通りにするよりほかはない。

 

「円香、霧子を信じてくれ」

 

 僅かな沈黙の後、円香の声が聞こえた。

 

『……浅倉、行くよ』

 

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