「……浅倉、行くよ」
正直、まだ半信半疑ではあるものの、わたしにはどうしようもないのが事実だ。だから、幽谷さんに従う。
「え、どこに」
「線路の上、歩いて帰る」
「それ、プロデューサーが?」
「ううん、幽谷さん」
「霧子ちゃんが? 面白そうじゃん」
そう言って、透は先にやみ駅の方へ向かって歩き始めた。ホームの端に階段があって、線路には簡単に降りられるようだ。
「電話はどうすればいい?」
電話の向こうにいる幽谷さんに訊ねる。
『あ、できれば……切らないで、欲しいな……』
「分かった。こっちもスピーカーにしておく」
耳元に当てていたスマホを離して、スピーカー設定にしてポケットに放り込む。透は既に線路の上に降りていて、こちらを向いて手招きしている。
「樋口ー、早くー」
「分かってる」
『何かあったら、すぐに言うんだぞ』
スピーカーから、あの人の声がした。わたしはそれに返事をせずに、歩き始めた。
しばらく、線路の上を歩いた。ときどき、小糸や雛菜がたわいない話をしてくれるが、それ以外に聞こえるのは、わたしたちの足音だけだ。風のひとつさえ吹かない、無音の世界だった。
「ねえ樋口」
「何?」
「なんか、違う世界に来たみたいじゃない?」
「違う世界、ね……」
確かに、透の言う通りだと思う。
周囲の草原よりやや高く盛られた土の上に、砂利が敷いてある。朽ちかけた枕木が並べられていて、その上には、錆びついて赤茶色になったレールがずっと先まで続いている。
ときどき、点滅する街灯のようなものがあるだけで、他には何もない。
墨が澱んだような涅色(くりいろ)の闇が延々と広がっている。遠くに大きな山のような影が見えるが、あとはずっと薄ぼけた草原ばかり。
どこまで続いているのかも、どこに向かっているのかも分からない道を、わたしと透は歩き続けている。
知らない世界で、少し先を行く透に置いて行かれないように、わたしは歩く。
ふと、何かが聞こえたような気がした。
「ちょっと、浅倉」
わたしは思わず、透を呼び止める。立ち止まった彼女は、その何かには気がついていないようで、不思議そうな顔をして振り返った。
「どしたの」
「いや……何か、音がした」
耳を凝らしてみると、やはり何かが聞こえる。それが何の音なのかは小さすぎて判別がつかないが、風すら吹いていないこの世界で、確かにそれは途切れることなく響いている。
「ほら、やっぱり聞こえる」
「うーん、わからん」
「もう少し行けば、はっきり聞こえるかも」
そう考えて、わたしは再び歩き始めた。
その音は歩みを進めるほど大きくなってゆき、すぐにはっきりと聞き取れるくらいまでになった。
どんどん、どんどんどん。
一定のリズムで繰り返し、それは鳴り続けている。
「太鼓……?」
「と、鈴みたい」
そう透が言うのでよく聞いてみると、確かに太鼓の音に混ざって、しゃらんしゃらんと、透き通った鈴の音が確かに聞こえてくる。しかし、どこから聞こえてきているのか判然としない。
どんどん、しゃらんしゃらん。どんどんどん、しゃらんしゃらん。
神社の祈祷なんかで使われるような鈴の音だ。そんな鈴や太鼓が、自然に音を出すはずがない。明らかに意図して鳴らされているこの音が意味するのは。
「いるみたい、誰か」
透が、わたしの内心を代弁した。
「……」
『ま、円香ちゃん……! 何か、聞こえるの……?』
ポケットから幽谷さんの声がした。わたしはスマホを取り出して、なるべく小さな声でマイクに話し掛ける。
「太鼓と鈴の音。まだ遠いけど、どこからか聞こえてくる」
『あは~、お祭りやってるのかも~』
あんまり状況を分かっていなさそうな雛菜の言葉に、透がくすりと笑う。
「ふふ、そうだといいけど」
「そんな訳ないでしょ。……幽谷さん、この音が何か分かる?」
『……ごめんなさい』
少しの間があって聞こえてきたのは、幽谷さんの謝罪だった。
「別に。期待はしてなかった」
そもそも向こうにこの音は聞こえていないだろうから、無理もない。
「で、引き返した方が良い?」
『ううん……気にせず進んで……欲しいな……』
「りょうかーい」
適当な返事をして、透は歩き始める。
相変わらず、透にはあまり危機意識がないようだ。こんな何もないところで、存在しない場所で、祭り囃子のような音を奏でている何かが、真っ当なものであるはずがないのだ。万が一鉢合わせでもすれば、どうなるか想像もつかない。
わたしが、しっかりしないと。
そう心に決めて、わたしは透の後に付いて行く。
歩いて行くほどに、わたしたちに聞こえてくる太鼓と鈴の音はだんだんと大きくなっていき、それと共に、わたしの中の恐怖心もどんどん冷静な思考を奪っていく。
その音はなんだか後ろの方から聞こえてくるような気がする。わたしたちがいたきさらぎ駅の方から。遠ざかっているはずなのに、音が大きくなってくるということは、その音の源は、わたしたちの後を付いてきているのかもしれない。
「おうい」
突然背後から声がして、わたしは思わず肩をビクッと震わせて立ち止まった。
年配の男性の声。ずっと歩いてきた線路には、わたしたち以外には誰もいなかったはずだ。なのに、背後から誰かの声がする。
わたしだけに聞こえているわけではないらしい。透も立ち止まった。
「危ないから、線路の上は歩いちゃ駄目だぞお」
きさらぎ駅の駅員だろうかと思ったけれど、駅からはかなり歩いているはずだ。こんなところに駅員がいる訳がない。だとすれば、いまわたしたちに声を掛けてきたのは、一体誰なのか……。
わたしが何かをする前に、透がその声の主の方へと顔を向けようとする。
「浅倉――」
わたしはそれを止めようとしたが、すでに手遅れだった。透の視線はわたしの背後、声の主である何者かへと向けられていた。
「げ」
彼女の口から漏れたのは、たったそれだけだった。だが、その表情を見れば、何かまずいものを見てしまったのだということが分かった。
声の正体をはっきりとさせて恐怖心を紛らわせたかったのか、それとも、好奇心によるものか――わたしは、振り返ってしまった。
そこには、老人が立っていた。
一〇メートルほど先だろうか。真っ暗なはずなのに、その姿ははっきりと見てとれる。
白い髭をたくわえ薄汚れた服を着ている、まるで浮浪者のようなその老人は、一見するといたって普通の人間のようにも思える。
しかし、一点、明らかに異様な箇所がある。
脚が、片方しかない。
それにも関わらず、老人は一切ふらつくことなく、不安定な線路の上に直立している。杖さえ持たず、どうしてこんな場所に立っているのだろうか。
疑問を抱いた瞬間。
老人と、目が合った。合ってしまった。
にたあ、と。
さぞ愉快そうな、気味の悪い笑みを満面にたたえて、どこへともなく消えていった。
文字通り、消えたのだ。まるでわたしたちが見ていたものが幻だったかのように、そこにいたはずの老人は、その場から動くことなく霞のように暗闇の中に溶けていなくなってしまった。
「やば」
透が、茫然と呟いたのが聞こえた。わたしは声も出せず、立ち尽くしていた。
「樋口、いまの見た?」
「う、うん……」
そう返事をするのがやっとだ。
いままではまだ、ただ気味の悪い場所に迷い込んだというだけだった。だが、わたしたちは目の当たりにしてしまった。常識では説明することのできない不可解な現象――怪異を。
いまにも腰が抜けそうなわたしのもとへ浅倉が歩み寄ってきて、するりと上着のポケットに手を滑り込ませた。一瞬どきっとしたが、彼女はわたしのスマホを取り出しただけだった。
「ねえ、霧子ちゃん」
口元までスマホを寄せて、透が呼び掛ける。
『何か、あったの……?』
「うん。お化け、いた」
『ぴぇ……!』
透の言葉に、小糸が怯えた子鹿のような声を上げたのが聞こえた。
『まだ、いる……?』
「ううん、消えちゃった。こう……すうーって」
『そう……良かった……』
幽谷さんの言う「良かった」とはどういう意味なのだろうか。いまの老人がわたしたちに何も害を与えず消えたことが、だろうか。だとすれば、もし仮に何かされていたとしたら、わたしたちはどうなっていたのだろう……。
『とにかく……そこで会う人には……なるべく、関わらないように……』
「なんで?」
『えっと、それは……』
幽谷さんは返答に困ったように言葉を濁す。
「……別に、どうだっていいでしょ。行こう、浅倉。早く帰らないと」
もう、あんなものに出会うのはごめんだ。
「そうだね」
たったいま怪異に遭遇したにも関わらず、透はほとんど動揺していないようだ。
ふたたび、歩き始めた。
ますます太鼓と鈴の音が近づいてくる。遠くに見えていたはずだった山の影も、だいぶ近くまできているように思える。それで、思い出した。
「そうだ……トンネル」
電車に乗っているときに、随分長いトンネルを通ったはずだ。その後にたどり着いたのがきさらぎ駅だった。
山が近づいているということは、線路がそこを通るためのトンネルがあるということでもある。それがわたしたちの通って来たトンネルだとすれば、そこを抜ければ元の世界に帰れるのではないだろうか。
希望が見えてくると、不思議と恐怖心が和らぎ、身体にも力が戻ってきた。脚に力を込めて、わたしは歩みを進めた。
「着いた……」
「だね」
暗闇の中、真っ黒な山の腹にぽかんと空いた大きな空洞は、異様な存在感を放っている。旧トンネルのように石レンガで作られており、普通ならついているはずの明かりはなく、暗黒だけが永遠に続いているような錯覚を覚える。中からは、ぴちゃーん、ぴちゃーんと、水の滴る音が反響して聞こえてくる。
大抵のトンネルの入り口横には、そのトンネルの名前が書いてある。このトンネルも例には漏れず、きちんとその名前が記されていた。
『伊佐貫トンネル』と。
わたしは懐からスマホを取り出して、幽谷さんに話し掛ける。
「来るときに通ったトンネルまで来たけど」
『じゃあ……そこを、通り抜けてください……。何があっても……気にしちゃ駄目だよ……』
「何があるのか知らないけど、分かった」
そう答えてから、ふと思い出した。来るときには、トンネルの中では電波が繋がらなかったのだ。
「多分圏外になるし、一度通話切るから」
『うん……』
心配そうな幽谷さんの返事。わたしだって不安だ。もしトンネルの中で何かがあれば、わたしたちだけで判断して動かないといけないのだから。
『円香、トンネル抜けたら、すぐに掛けてくるんだぞ』
「分かってる」
プロデューサーにそう言い返して、通話を切る。これで完全に、この世界にはわたしと透だけだ。信用できるものは他に、何もない。
「お、樋口。準備オッケー?」
「うん」
「じゃ、行こう」
ふたりで、トンネルの中に足を踏み入れた。
スマホのLEDライトをつけてはいるものの、僅かな先すら見えない暗闇の中では、足下が照らせるくらいでほとんど意味をなさない。ただ、わたしたちの足音が反響し大きく響いている他には、人工的な音は何一つ聞こえない。外ではあれだけ聞こえていた太鼓も、鈴の音も、まったく聞こえなくなっていた。トンネルに入ったことで振り切れたのかもしれない。
「ねえ」
不意に透が話し掛けてくる。彼女以外に言葉を発する者がいないと分かっていても、いきなりの言葉に少し驚く。
「……どうしたの」
「出たらどうする?」
「……何が」
「お化け」
「逃げるでしょ」
「うん」
「浅倉は?」
「逃げる」
「……」
こうして、中身のない話をしているだけでも気が紛れる。もし透がいなくて、わたしひとりだったならば、すでに心が折れていたと思う。
電車で一分くらい掛かったトンネルだ。長さもそれなりのはずで、徒歩で抜けるにはかなりの時間が掛かるだろうと思っていた。
だが、意外にも終わりはすぐに見えた。
暗闇のずっと向こう、そこに僅かに外の光が見えた。
「……あれ、本当に出口だと思う?」
「一本道だったじゃん」
「……だよね」
注意しながら歩いていたが、透の言うようにトンネルの中に分岐点などなかった。しかしあまりにも短すぎるように思えるのだが、もはや常識が通用しないのは、先程の老人の件で分かったことだ。
できれば、幽谷さんに指示を仰ぎたいところだが、トンネルから出ないと電話はできない。念のためスマホを確認してみるが、やはり表示は圏外のままである。
「浅倉、どうする?」
「出るしかないんじゃない」
「わたしもそう思う」
お互いの意志は確認できた。ならばもう、躊躇うことはない。
出口が近づいてくる。粒のようだった外の明かりがどんどんと大きくなってゆく。
透を見る。目が合い、互いに頷き合う。ここまで来て、もう後戻りはできないだろう。わたしたちは帰らなければならないのだから。
トンネルを出た。
相変わらず広がっているのは草原ばかりだ。線路も延々と続いているが、トンネルに入る前よりは、心なしか明るくなっているような気がする。
わたしは、すぐにプロデューサーに電話を掛け直そうとした。
「あれっ」
透の呟きにその手を止め、彼女の視線の先を見る。
線路から少し離れたところ、草原の中にぽつんと。
そこには、ひとりの男性が立っていた。
若くはない。しかし先程の老人とは違って、スーツを着ていて身なりはしっかりしている。側には車もある。タクシーに使われているような、黒い車だ。
男性の方もわたしたちの方に気付いたようだ。
わたしは身構える。逃げようかとも思ったが、彼は前方から近づいてきており、線路の上を走ってもすぐに追いつかれてしまいそうだ。かといってトンネルに引き返すのは絶対に嫌だ。
わたしたちが息を呑んで様子を窺っていると、男性は線路の上まで上がってきて話し掛けてきた。
「やあ、こんばんは」
「……」
「こんばんは」
わたしは返事をせず睨み返すが、透は挨拶を返した。
男性は柔和な表情を浮かべて、引き続きわたしたちに言葉を掛ける。
「こんな時間にどうしたんですか?」
「……ちょっと、道に迷っちゃって」
透をかばうように前に出て、わたしが答える。
「それは災難でしたね。良ければ、近くの駅まで送っていきましょうか?」
男性は、ちらりと自身の車の方に視線を向ける。
この先も線路はずっと続いている。どこまで歩けば帰れるのかも分からないし、確かに車で送ってもらえるのならば助かるが……。
わたしが返事をせずにいると、男性は更に言葉を続ける。
「駅の近くにはビジネスホテルもあります。もう夜も遅いし、ひと晩泊まってから帰ってはどうですか?」
ホテルがあるということは、男性の言う駅とはきさらぎ駅のように何もない駅ではないらしい。それは、もしかするとわたしたちが戻ろうとしている場所なのかもしれない。
一歩、男性の方に歩み寄る。
ふと、幽谷さんの言葉を思い出した。
――何があっても……気にしちゃ駄目だよ……。
幽谷さんは、確かにそう言った。
その言葉がどこまでを意味するのかは彼女に尋ねなければ分からない。けれど、彼女と目の前の男性、どちらを信用するのかと聞かれれば、そんなもの決まっている。
「……すみませんが、今日のうちに帰りたいので。行こ、浅倉」
そう断って、わたしは男性の横を通り抜けようとしたのだが。
「待て」
がしりと、男がわたしの腕を掴んだ。
「ちょっと」
振りほどこうとするが、男は異常な力でわたしの腕を掴んで離さない。
「痛……っ!」
服の上から二の腕に指が食い込み、感覚がなくなるほどに強い力がわたしの腕に掛かる。
男の顔をキッと睨みつける。
しかし、男の表情を見て、わたしは思わず「ひっ」と引きつった声をあげてしまった。
ついさっきまで、あれだけ優しそうな表情を浮かべていたのに、いまは、目はつり上がり口は裂け、まるで鬼のような形相でわたしを逃すまいとしている。
「やめてっ! 放してっ!」
必死で抵抗するが、男の腕はわたしの力では振りほどけない。
「透――っ!」
せめて彼女ひとりだけでも帰さなくては。そう思い、彼女の方に視線を向けた。
――透はすでに、そこにはいなかった。
刹那。
宙を駆ける透の姿が視界に映った。
男の顔面に、透の膝が突き刺さる。
「ぐ、お……っ!」
その衝撃で男は大きく仰け反り、わたしの腕の拘束が緩んだ。その隙を逃さず、すぐに体勢を立て直した透がわたしの手を取って走り出す。
「行くよ――!」
わたしは透に手を引かれて、線路の上を走った。
何が起きたか、その瞬間に理解することはできなかったが、走りながら、何が起きたかを頭の中で思い起こす。
透は、わたしが襲われたあの瞬間に、男に飛び膝蹴りを喰らわせたのだ。
透がわたしを助けてくれた。
「はぁ、はぁ――」
彼女に置いて行かれないように必死で走る。手を引いてくれているからなんとか付いていけるが、呼吸は乱れ、いまにも心臓が張り裂けそうなほど苦しい。枕木に躓いて転びそうになりながら、夢中で脚を前へ出した。
あの男が追いかけてきているかもしれない。だけど、振り返らない。振り返る必要はない。
だって、透は止まらないから。
走り出してしまえば、ひとりでどこまでだって行ける。それはもう、誰にも止められない。
けれど、すこし、安心した。
きっと透は、わたしたちを置いていったりはしない。わたしたちも、透に置いて行かれたりはしない。
透にできることは、わたしたちにだってできる。
いつの間にか、わたしは透と並んで走っていた。お互いに手を握り締めて、決して離れないように。
***
『次は~○○、○○』
聞き覚えのあるアナウンスで、わたしは目を覚ました。
座っているのは、どうやら電車の座席らしい。○○とは、もともとわたしたちが降りる予定だった駅の名前だ。
ぼーっと周囲を見渡してみる。車内には普通に人が乗っていて、各々、スマホを弄ったり、目を瞑っていたり、文庫本を読んだりしている。そこにあるのは、いつも見る光景だった。
左隣を見る。透は、まだ眠っているようだった。すぅすぅと静かな寝息を立てている。
わたしの左手には、ひんやりとした感触がある。わたしと透は、互いに手を握り合って眠っていたらしかった。
スマホを見る。時間はすでに二一時を回っていた。電波は通っている。チェインの通知が何件も来ていたが、わたしはまず地図アプリを開いた。わたしたちの現在地がきちんと表示されたのを見て、内心ほっとする。
どうやらわたしたちは、無事に戻って来られたらしい。
チェインを見ると、小糸や雛菜、プロデューサーからの不在通知や心配するメッセージなどが何十件も入っていた。
「はぁ……」
ため息をついて、プロデューサーにひとこと返信する。
『ただいま』
既読はすぐについて、返信の代わりに通話が掛かってきた。出ようかと思ったが、ここは電車の中だ。呼び出しには応じずに、メッセージを返す。
『○○で降りたら折り返します』
返事はすぐに返ってきた。
『無事で良かった』
わたしも、心の底からそう思う。透とふたりで帰って来られて、本当に良かった。
気付けば、電車は速度を緩め始めていた。間もなく駅に着くようだ。
「浅倉、着いたよ」
わたしは透の肩を揺さぶって、彼女を起こす。
「ん……あ、おはよ」
「夜だけど」
「ふふ」
透は微笑を浮かべながら、立ち上がって伸びをした。
「帰って来られたじゃん」
「うん」
「結構楽しかったね」
「……それは浅倉だけでしょ」
くすりと笑って、わたしは答える。
電車が駅に着く。ドアが開くのと同時にわたしは立ち上がった。
「――事務所に帰ったら、小糸と雛菜に謝らなきゃ」
「何て謝るの」
「心配掛けて、ごめんって」
話しながら、わたしたちはホームに足を踏み出した。
***
「結局、あの駅って何だったんだ」
仕事終わりに家まで霧子を送る途中、おれは助手席に座った彼女に尋ねた。
昨日は透と円香が無事に帰って来られたというので大騒ぎをしたのと、小糸や雛菜がいたから聞けなかったのだ。
霧子は、おずおずと話し始めた。
「あれは多分……この世とあの世の狭間、です……」
「狭間、ね……」
おれは霧子の言葉を反芻する。
その言葉が正しければ、透と円香は、生死の境目にいたことになる。
「わたしにも……詳しいことは分かりません……。けど、似たような経験は……あったので……」
「似たような経験?」
おれが疑問符を浮かべて訊ねると、彼女は小さく頷いた。
「はい……。小さい頃ですけど……違う世界に迷い込んだことがあって……」
「霧子はどうやって帰ってきたんだ」
驚いて、おれは立て続けに質問する。
「もと来た道を……戻ったんです……。そうしたら、帰れました……」
「それで、円香に線路を引き返せって言ったのか」
あのとき何故霧子がそう告げたのか、合点がいった。あれは自身の経験に基づく解決方法だったのだ。
「はい……。自信は、なかったんですけど……」
霧子は申し訳なさげに言うが、おれではその方法を見つけることすらできなかったかもしれない。
「けど、ふたりは帰って来られた。霧子の判断は正しかったよ」
返事はない。霧子は霧子なりに、自信を持って彼女たちを導けなかった責任を感じているようだった。
おれだってそうだ。霧子に頼りきりで、アイドルたちを守れていない。力がないというのは言い訳にしかならない。
これでもう、283プロが怪異事件に巻き込まれるのは三度目になる。今後も似たような事件が起こる可能性は大いにあるのだ。
見つけなければならない。アイドルたちを守る手段を。おれにできる何かを。
おれはハンドルを強く握り締め、そう心に誓った。