67話:最悪の序章
過去にたった一発の銃弾が数千万の犠牲を産み出す大戦を引き起こした事象のように、ただ1人のヒトの死が世界の命運を大きく変える事は十分に有り得る。しかし、それをどれだけ危惧したとて未来がどうなるのか誰にもわからない以上、いかな賢者でもこれを回避するのは難しい。
人類史とは闘争の歴史だと誰かが言った。いくら技術が進もうと、人間は理性を欠いた獣なのだ。
憎悪が更なる憎悪を呼ぶこの世界では、一度でも闘争の口火が切られた途端に人は剣を、銃を手に取る。時にそれは、万の命を瞬時に蒸発させる核攻撃のボタンだったりするのかもしれない──
グラ・バルカス帝国
それは西の果てに突如として現れた軍事大国である。彼らはその高い技術力と軍事力を以て新世界の列強を含む周辺諸国の地を瞬く間に制圧、全土を配下に収め、遂には全世界に対し宣戦布告を行った。
その名は今や「敵国」の代名詞として語られており、軍事力に乏しい小国にとっては「邪神にも等しい大いなる脅威」の意味すら纏っている。
「そんな国の第一皇太子が殺されたらしい」
とある港町の酒場で誰かが言った。列強序列一位とされている神聖ミリシアル帝国の情報部ですらまだ確認できていない噂話は、これを機に全世界に流布される事となる。
「誰にだ?」
「それはッ──」
別の人がそう聞くと、商人らしき格好の男は冷や汗を垂らして俯き、沈黙した。酒場に来ている誰もが固唾を飲んで彼の返答を待つ。室内の温度が徐々に下がっているような気分がした。
「────日本国だ…!」
その日、帝国の首都は恐ろしい雰囲気に包まれていた。軍楽隊の演奏する音楽はどこかおどろおどろしい雰囲気を纏っており、早朝から駆けつけた大勢の民の目は憎悪の色に満ちていた。
帝王陛下の住まうニヴルズ城。そして、そこに設置された帝王陛下本人が直々に重大発表を行うはずの場に現れたのは、陛下グラルークスではなく帝王府長官であるカーツ氏。
直後にざわめく民衆。しかし、カーツはそれを意に介さずに懐から紙を取り出した。
次に彼の口から出たのは、皇太子殿下死去に対するお悔やみの言葉。それから何に代えても尊い殿下の命を弄び、終いには虐殺した日本国に対する恨み辛み。
「日本国はあろうことか、グラカバル殿下を拷問の末に殺害し、その遺体をワイバーンの餌として消費した」
カーツ氏の言葉が翌日の新聞に大体的に載せられた後、全人口の怒りの矛先は一瞬にして極東に向けられ、帝国の世論は前例がない程に過激化、極右化が進む。「憎き日本国討つべし」の標語の下に経済は即座に総動員体制へと移行し、あらゆる軍事物資が民間の工場で製造され始め、日本国懲罰部隊はまさに飛ぶ鳥を落とす勢いで出撃準備を終えた。
『皇太子殿下の仇を討つべし』
『黄色い猿共を滅ぼすべく行って参ります。』
『蛮族の世界を征服せよ!!』
『新世界に冠たる我が祖国!』
国威発揚だけでなく、対外に敵意を向けるべく作られたポスターが町中の至る所に貼られた結果、徴兵制を敷いているのかと誤解される程に集まった志願兵により、帝国軍は海だけでなく陸空も大幅な拡充がなされる。
しかし「日本国懲罰艦隊」に配属された臣民は数字上はかなりの数になるにも関わらず、何故かその部隊に配属された知り合いが全く一人もいないという新兵が後を絶たず、帝国軍内ではしばらくの間、ある噂が広まった。
「今度の日本懲罰艦隊は敵の実力を知るための生贄なのではないか」「もしかしたら数年後に第二次、第三次もあるのではないか」と。そして「知り合いの受刑者数人と急に面談が出来なくなった」と言う兵士もチラホラ見かけられた。
新聞では連日のように懲罰艦隊に関する情報が大見出しを飾り、出撃までの日数はまるでロケット発射のカウントダウンのように零へと近づく。
そしてついに「日本国懲罰艦隊」が出撃する日、カーツ氏を頭領とする臨時総裁政府は国内外に向けて大々的に「皇太子殿下を殺害した日本国を懲罰する」と宣言し、それと同時に全国の港から力強く重厚な汽笛が鳴り響いた。
「日本国懲罰艦隊、今日この日をもって抜錨す!!」
艦隊旗艦オリオン級戦艦の4番艦『アルニーラム』の艦橋で退役寸前の老人が叫ぶ。旗艦を含めてほとんどが旧式の戦闘艦、それも数が少ない航空母艦以外の艦の乗組員はほとんどが囚人、退役将校もしくはそれに近しい歳の老将校である。誰の目にも今艦隊が生贄なのは明白ではあった。
だが、その総数は約500隻。乗組員の質が多少悪かろうが、ただ敵に砲を撃っているだけで勝ててしまえそうな大艦隊だ。日本国の実力がきちんと報告通りであれば、数の暴力で何とか勝てそうな気もしなくもなかった。
艦隊司令であるロージンは半分白くなってしまった頭を掻きむしりながら、遠くの海を見つめる。
「日本国…と言ったか。はてさて、どのような相手じゃろか…」
艦隊の遥か前方には、どうにも怪しい色をした積乱雲がこちらを待ち構えるように居座っていた。
「ごひゃ……総数500隻だと⁉︎大艦隊ではないか!」
「それよりもあの事故の方はどうする⁉︎敵国とは言え、一応謝罪しておくべきか⁉︎」
一方、日本では人工衛星が捉えた前例の無い数の敵大艦隊の襲来、そして事故とは言え敵国の皇太子を殺害してしまった事実の両方をどう処理するかで政府は右往左往していた。技術が進み、ほぼ全ての日本人が人間社会のありとあらゆる分野を「人類の脳活動を補助する」事で支えるサポートチップを脳に埋め込んだとは言え、「人間の脳」は所詮は「人間の脳」であったのだ。
「皇太子を死亡させてしまった事は戦後で良いだろう! 国を纏める人間が敵によって殺されるなんて戦争中ならよくある事だ!」
「そのよくある事が最後に起こったのはいつだ⁉︎少なくとも数百年は起こってないぞ!」
「それは地球の話だろう! まずは敵艦隊だ! 対艦ミサイルの数は足りるのかね⁉︎」
政府のお偉方による会議は紛糾している。おまけに紛糾しているのは政府だけではないらしい。今まで数多くの軍事的苦難を難なく乗り越え、今や多少の事では動揺すらしない日本国民も、前代未聞とも言える敵の大艦隊──おまけにパーパルディアのような中世レベルの木造戦闘艦ではなく、主砲弾や爆弾が直撃すれば現代日本艦でさえ無事では済まないレベルの敵である──に国中がどこかソワソワとしている雰囲気を敏感に感じ取っていた。
「装甲の薄い艦艇と潜水艦なら小型無人機による飽和攻撃で事足りるでしょう。分析結果によると重装甲の艦は20程度、対艦誘導弾の数は十二分に足りるはずです」
防衛大臣の言葉に、会議出席者らはホッと一息つく。だが当の防衛大臣はと言うと、彼はやや苦々しい顔で「ですが」と続けた。
「ご存知の通り日本は、来るべき魔法帝国戦とその戦後を見据えて、たった1隻の『次世代型護衛艦』に年間予算の5%近くを当てています。それ故に過剰な出費は避けるべきでしょう。幸いにも相手は骨董品艦隊ですから、なるべく安価で撃退できるように鋭意努めるつもりです」
また改造人間の出番か、と皆が思うも誰も口には出さなかった。実際にはそれが最も安価かつミサイル乱射の次に効果的な手法であるからだ。
そして会議はしばしの間、雑談タイムへと移行する。
「例の『宇宙戦艦計画』か…。あれはもはや
「既存の最新鋭兵器に加えて目下研究開発中の反物質エンジンに大規模重力制御装置、粒子ビーム砲に各種防御用バリア装置だったっけか? 旧世界でも英仏印中露米とニュートン家一族が似たような兵器を保有していたが、こいつはそれすらも超える代物になるぞ」
「技術的にはとっくに実現可能なのに、余りにも高価過ぎて大量生産が出来ない事が確定している技術…。まさか生きているうちに純国産の物を拝めるなんて素晴らしいね。新世界様様だよ」
もちろんそれらも全部、日本国を内外から縛る鎖がほぼ全て解かれ、歴史的に類を見ない程の超好景気に加えてクイラ王国とパーパルディア皇国に存在する大量の地下資源を日本がほぼ単独で独占できている状態が織り成す産物である。
「さて、話を戻しますが──」
会議は夜遅くまで続き、とりあえずは敵艦隊迎撃に全力で取り組む事が決定した。