街角の塵 作:1998
「あれぇ?ここどこ?」
起きれば付近に吐瀉物。臭いに顔をしかめながら見渡せば、どうやらここは商店街。シャッターにもたれて寝ていたらしい。頭がガンガンと痛み、未だにフラフラと世界が揺れる、いや、揺れているのは自分自身か。薄ら寒く、薄ら明るい空を見るにおそらく今は5時くらい。4時半と6時の間の空気感。よ~く知っている。商店街には誰もいない。正確な把握のために腕時計をなんとか見ようとしたところで――力及ばず大の字に。
どふん、と音を立てて倒れた先に柔らかい何か。クッションになって痛みはない。
「ぱっちーる!」
寝ていたパッチールに倒れてしまったらしい。生命の温度が服越しでも暖かい。下でもぞもぞと暴れているが、起き上がる気力もないのでなんとか脱出できることを願う。ああ、世界が揺れている、いや、揺れているのは自分自身か。酔っているので思考がループする。ああ、酔っているので思考がループする。世界が揺れている。いや、揺れているのは自分自身か。
「ごめんねえ、ぱっちーる、動けないやあ」
「ぱっち!」
「うぐう」
腹を殴られて出そうになる、産まれる。
なんとか抑えて視線を向ければ、脱出に成功したパッチールはふらふらと横にくっついてきた。こうして酔った時はいつも介抱してくれる。てくてくと、千鳥足で酔っているかのようにどこかへ歩いていく。水を買ってきてくれるのだろう。私に似て賢いやつだ。
「う、ぷ……ふぅ……」
妙に頭が冴えていて、しかし冴えているわけでもないのに外で吐けない。こういう良心が損をさせるんだなあ、と思いながらパッチールを待つ。悪臭を放つ辺りのソレは、産んだ記憶がないので私の子ではないと思うことにしている。溜まりを作って、見るも恐ろしく商店街を地獄へと変えている。臭いがきつい。
風が吹くたび新鮮な空気、無臭を感じる。臭わないということがどれだけ幸福なことか。冷たい風が吹くごとに喜ぶのは、人生でこの瞬間だけだ。
「……限界」
ぱたり、と冷たくて硬い地面のベッドでふたたび眠りについた。
☆
「……はっ」
覚醒。
酒を飲んでそれから商店街で寝たはずだ。ひんやりと硬いベッドはそのままに、転がって三軒、店の前を渡っている。頭は変わらず痛いが、平衡感覚は元通り。かなり酔いが覚めてきた。
「パッチール?どこ?」
「る!」
また後ろにいたらしい。ペットボトルに入ったおいしい水と、これはおそらく……
「ばんのうごな……?」
「ぱっち!」
胸を張ってフレンドリィショップの方角を指すパッチール。漢方薬のひとつ、万能粉を買ってきてくれたようである。二日酔いにも効くと聞く。財布はパッチールに預けてあるので、この子はひとりで買い物もできる。私に似て本当に賢い子だ。
「飲まないとダメ…?」
顔を伺う。とても、とても苦いので可能であれば飲みたくない。買ってきてくれた水を飲みながら、目線を合わせる。
「ぱっ!ちー!る!」
怒られてしまった。折角買ってきてくれた物、元から飲むつもりではある。ただの茶番だ。
「……よし」
意を決して閉じられた袋を開く。紙に粉が載せられている。手元に置いた水の準備は万端、あとは心の準備だけ。口元に運んで呼吸を整える。
「ふぅー……ふぅー……」
「ぱっちーる!」
ぱし!
「んんっ!?」
前から手を叩かれて飲み込んだ。
途端に口に広がる地獄、苦味の蹂躙。味覚を持ったことを後悔するようなざらざら。これが深酒の罰ですか、カミサマ。
「みぶ!みず!」
手元に置いてあったボトルに手をかけ――
「あっ」
すぐに飲めるようにキャップを開けていたことが、こんな風に裏目に出るなんて。世界は私を嫌っている。倒れたペットボトルと、地面に流れる水を呆然と眺めて一句。
「深酒に 流れる水と 我が涙」
「ぱっち……」
「ごめんねぇ、折角買ってきてくれたのに」
と、口の中に未だに残る暴力の跡。水が僅かに残ったボトルに口をつけて、少しぬるくなった癒しを口へと運ぶ。ここは商店街のはずだったが、砂漠にいるかのような気分だ。立ち上がって家を目指す。
「おっ、とっ、あぶない」
「ぱっち」
戻って来ていたはずの平衡感覚がどこかに旅立ってしまった。パッチールと合わせて一人一匹、つまりは二人、ふらふらと二重螺旋を描きながら商店街を歩く。誰もいない道は世界に二人だけかのよう。二日酔いの痛みは恨めしいが、この朝が好きだった。時間は6時半、そろそろまともな人たちが来る。
彼らにとっての起床の時間は、私にとっての家路の時間。忙しそうに時間に追われる人たちを、ふらふらと気ままに眺めて日々を過ごしている。頬を撫でる冷たい風が、くだらない思考を引き起こす。おそらく赤くなっている顔が、いつもより熱く感じる。
そんな合間に声ひとつ。後ろから聞こえた。心の底から心配するような、親切な少女の声。
「あの、お姉さん大丈夫ですか?」
いたいけな少女に心配させてしまったらしい。フラフラしているがこれでも足取りは確かだ。パッチールと二人、どこまででも歩いていける。
「大丈夫、帰れる、から」
「お酒くさっ!?……あっ!なんでもないです!ジュンサーさん呼びましょうか?」
ハッキリと聞こえた。もう意識はしっかりしている。すこしも酔ってはいない。本当だ。すこしも酔ってはいない。すこしも。心配して声をかけてくれるような優しい少女だが、見くびられては困る。
「バトルしましょう、私たちは家に帰れるからぁ」
「落ち着いてください!バトルしてたら帰れませんよ!?」
「何言ってるのよお、見せてあげるからあ」
「はいはい、家はどっちですか?」
肩を担がれて道を聞かれる。ほんとうに親切な子らしい。ええと、ここからだと――
「あっちぃ」
「指差せてませんよ……」
「ぱっち……」
パッチールが頭を下げて礼をする。私からも言っておかなければならない。
「ぁりがとねえ」
「いえいえ、ふらついてる人を見過ごせませんから」
「だからこれはあ、大丈夫なんだってえ」
「ええ……」
朝焼けの商店街を二人と一匹、今度はしっかりと歩く。
☆
次に意識が覚醒したのは――白昼、青すぎる空が眩しい。何よりも嫌いな空。そして歓声を上げる観客、観客、観客。スタジアムの中心だった。
私はこんなところで何をしている?
と、正面に立つ男を見て理解した。これは夢だ――私の人生が変わった日――チャンピオン戦の夢だ。有象無象と同じように、私もまた、彼のリザードンの炎に焼かれていく。早く覚めてくれ、と思う反面、当時の心に思いを馳せずにはいられなかった。
「天才だ!ダンデを倒して新しい時代を築くのは君だ!」
無責任なスポンサーの声がする。
「あなたはきっと、チャンピオンになれるよ!」
街中で、それはそれは嬉しいことを言ってくれる大衆。負けたトレーナーがどう落ちぶれるかも知らないで。
――光景はスタジアムに戻り、正面には炎を構えたリザードンが。
「チャンピオンタイムだ!」
世界は最初から、一人のトレーナー以外を認めはしなかった。始めからこれは私の挑戦ではなく、彼の覇業の一部だったのだ。
(はは、逃れられやしないのね)
瞼を閉じても、この光景は離れやしない。呪詛のひとつでも吐いてやろうか、と口を動かそうとしても動かない。精神の安定のために、一刻も早く目が覚めることを願いながら忌々しい光景のリピートを眺め続ける。
「リザードン、キョダイゴクエン!」
――そうして、炎に包まれて夢は終わった。
☆
「――ん」
意識が戻ったのは、家のベッド。同時に頭痛が訪れ、それ以外何も考えられないほどに私を苛む。二日酔いだ。「うー」だか「あー」だか、あるいはその間くらいの発音で唸るしかできない。
昨日、少女に肩を貸してもらってからの記憶がない。
今、無事にベッドでウネウネすることができているということは、家まで送ってくれたのだろう。と、隣の布団の膨らみに気が付いてめくり上げる。どうやらパッチールに絡んだまま寝てしまったらしい。
「ぱっちーる……生きてる?」
「ぱっち」
聞こえてきたのは、ベッドの下から。定位置のクッションで寝ていたらしい。
「え?」
ではこの布団で寝ているのは――
「すぅ………」
寝ていたのは、昨日の少女。
「え?」
手を離すと布団がぱさりと被さって、再び正体不明の膨らみが出来上がる。目を擦ってもう一度。
「ん……」
寝ていたのは、昨日の少女。
「うそでしょ」
未成年誘拐の文字が頭に浮かんで、私は意識を失った。