その後に水着を思い出して絶望した。
「お前は捨てられたのよ」
遠い記憶の彼方、かつて住処とした寺院にて“俺”はそう教えられた。
随分と昔に途絶えた立川真言流の教えを継承し続ける分派の一つ。迫害からの排斥を逃れるために世間から隔絶された山奥の秘境に身を寄せ成立する密教宗派で俺は育った。
尼僧たちの話では、俺は山に捨て子として放置されていたところを、捨て子の守護を司る六地蔵によって救われてこの地に流れ着いたのだという。
寺院に着いた段階で強い“六地蔵の加護”を受けていた俺は重宝され、大事に育てられてきた。
……しかし、根本的に立川真言流との相性が悪かったこの加護は、彼らの研鑽にさしたる利益を与えず。結果として俺は寺の雑用係として酷使される境遇に落ち着いた。
寺院の清掃はもとより、あらゆる雑用を押し付けられ、無茶振りも珍しくなかった。出来なければ殴られ蹴られ、身体に痣の無い日は無かった。
それでも――
衣食住を提供してくれる寺院には、無意識ながら価値を感じておりここから離れるという選択肢はなかった。
幼い時分にも一丁前に“生きたい”という願いがあったがゆえに。
日々虐待を受ける一方で、俺は生来の“優れた容姿”を注目されていた。
子ども特有の中性的な見た目が、特に尼僧たちに受けたらしく。俺は時折彼女らに助けられながら日々を生き抜いた。
……もちろん、密教宗派であるからには彼女たちへの“見返り”として
――そんな日々も、そう長くは続かなかったが。
尼僧たちの助けと、それへの“見返り”を知った“僧”たちは憤慨した。
解脱に至る修行として“性交”を実践する彼らではあるが、実のところは快楽を貪るだけの獣に過ぎなかったのだ。
……密教宗派といえど分派、それも世間から離れた組織ともなれば本来の意義が失われるのもそう珍しくはなく。
かの“隠れなんちゃら”よろしく、独自の教義と実践に変化していたのは確かだった。
要するに、彼らは尼僧との戯れを“ただの快楽”として貪っていた。
その楽しみを、俺のような“ゴミ”が隠れて感受していたことが気に食わなかったらしい。
俺はすぐに捕らえられて、激しい暴行を受けた。
でもそんなのはいつものことだ、耐えていればいずれ終わるしまた明日からは――
「こいつ……よく見たら
――――。
「聖女ジャンヌの反転存在、しかしてオリジナルには存在し得ない“悪性個体”。さながら“ジャンヌ・オルタ”とでも言いましょうか」
ジルと二人でなにやら話し込んでいる“英傑”を眺めながら呟く。その言葉は傍にいる女悪魔へ向けたものだ。
「いいわねそれ、じゃあ彼女の名前はジャンヌ・オルタ。同じジャンヌだけでは区別し辛いものね」
「……」
冗談のつもりだったのだが、彼女は本気でそう呼ぶことに決めたようだ。
「はぁい、ジャンヌ・オルタ。私の仲魔とお喋りするのもいいけど、マスターである私ともお話してほしいわぁ」
いつもの、ねっとり絡みつくような口調で女悪魔はジャンヌ・オルタへと話しかけた。
案の定、オルタは不機嫌そうな顔で女悪魔へと目を向ける。
「……貴女は誰ですか?」
「んー、今言ったと思うけど? 私は、そこの
道化、ジルを指してそう述べた瞬間に。
――凄まじい勢いで炎が女悪魔を包み込んだ。
「ならば、そのマスター権は今から私のモノです。貴女のような
そこまで言って当のジルへと振り向く。
「……貴方からも何か言ってやったらd……」
その視線の先、佇むジルの目は
まるで
ジルの異変を感じ取って直後。
オルタへと声がかけられる。
「無駄よ、彼にはとっくに“偽りの光景”を見せているのだから」
「っ!!」
その声は先ほど炎に包んだ女悪魔のもの。驚き迅速に声の方へ向き直ったオルタは、女悪魔の肉体に傷一つ、ローブすら一片も焼けていないことに気がつく。
「貴女、どうやって……」
確かに焼いた、
だというのに。
なぜ、この悪魔は無傷のまま平然と立っていられるのか。
「“虚偽の魔王”ですもの、それくらいはね。
そんなことよりも――」
ゆらり、とオルタに近づいた彼女は徐に自らの右手の甲を見せつける。
そこには“蠅を模した三画の令呪”が刻まれていた。
「私、ジルのマスターではあるけれど。
「……くっ!」
一瞬、悩んだオルタはすぐに顔を背けた。
「勘違いしないでね。別に私は貴女たちを傷つけるつもりはないの、ただ、
「許せない存在?」
女悪魔の言葉にピクリ、と反応して大人しく耳を傾ける。
「非業の死を遂げたジャンヌ、助けた人々に裏切られた哀れなジャンヌ・ダルク。そんなジャンヌ・ダルクは“復讐を望んでいる”。
女悪魔の問い掛けにオルタは
私もよく見た光景、アレは
「ええ……私は復讐する、
「ええ、ええ、そうね。その通りだわ。
……でも、“そんなことはない”と否定する人がいるの」
「……はい?」
悲しそうに告げる女悪魔の言葉に、オルタは眉をしかめる。
「おかしいわよね、理解できないわよね? それがよりにもよって
「っ!!」
――復讐を望まれ、
ジャンヌは酷い死に方をした、酷い拷問を受けた、酷い裏切りを受けた、ならば復讐を願うのが当然のこと。
そのようにジルが、
そして――
――その在り方を否定するのが、よりにもよって自分自身ともなれば。彼女が烈火の如き怒りを抱くのはごく自然な流れだった。
尤も。
つまり、この女悪魔は
虚偽の権能をフル活用して、オルタをオリジナルに差し向けようとしているのだ。
本来であれば邪魔してしかるべきジルはすでに“彼女の術中にある”。
無論のこと私は干渉しない。
となれば、オルタが彼女の思惑通りに動くのは確定していた。
「やって、くれるわよね?」
「言われるまでもありません。私は“復讐の魔女”、裁判とは名ばかりの茶番劇の末に火刑に処された聖女の成れの果て。
それを、“ジャンヌ自身”が否定するというのならば殺すしかあり得ません。私が、殺さねばならない。だって――」
――そうしなければ私は。他ならぬ聖女“本人”に否定されたならば。
彼女の権能を受けたジャンヌ・オルタはとても従順だった。表向きは勝気な態度を崩さないものの、甘言を弄する女悪魔のいいように操られている。
当面の間は、ジャンヌ・オルタの“調整”を行いつつ。標的たる英傑ジャンヌの捜索及び、最適な襲撃タイミングの選定を行う。
……一方で、もはや用済みとなった元帥の指揮権は彼女から俺へと移され、“自由に使って良い”とのお達しをいただいた。
現在は、サマナー協会やメシアンの目から逃れるために夕凪の隣町にある廃ビルに待機しているという元帥のもとへ向かっているところだ。
まあ、指揮権といっても
「とはいえ……」
街路を歩きつつ思う。
街の様子は、郊外らしく静かで人通りも疎らなものの、商業施設は十分に揃っている。なにより、ベッドタウンとして有名な夕凪市の“一部”に含まれる関係から人口は夕凪本町に勝るとも劣らない。
「そんなところに、あの“青髭”を放置するなど正気の沙汰とは思えませんが」
召喚時の狂乱ぶりを見るに、理性的な行動が出来るとは思えない。そんな彼をよりにもよってベッドタウンの、それも人目につきにくい廃ビルに置くなど。
“犯罪を犯せ”と言っているようなものだ。
「急いだ方が良さそうだ……」
私は歩く速度を速めた。
街区から離れた住宅街。山の麓に位置する閑静な住宅街はバブル期に乱立した築三十年超えの家々が立ち並ぶ。しかし、バブル崩壊に際してローン返済に苦心した多くの家庭が去り、結果として廃屋の多く立ち並ぶ廃墟群になった。
その最奥、かつて“反社会的組織”が根城としていた廃ビルこそが元帥との合流場所だった。
「……覚えのある空気だ」
その正面玄関に至って、すぐに私は呟いた。
ボロボロになった両開きの扉の隙間から漏れ出す空気は鬱屈としてこちらの気力を沈めてくる。
この空気を、私は“冬木”にて感じたことがあった。
英傑召喚式の調査のため、また、“泥”に関する調査のために私は以前に冬木市へと赴いていた。
その際に立ち寄った“水路跡”にて、コレと全く同じ“空気”を経験していた。
そこで出会った
曰く、その場所はかつて冬木市で行われた第四次聖杯戦争の際にキャスター陣営の工房兼拠点として使用された場所ということ。
そして……そこで
「ああ……本当に不愉快でした」
階段を登りながら呟く。そして己の心中に問い掛ける。
今更な話だが、私とて
……だが。
子どもを、弄ぶことはしない。貶める真似は、
特に――
――
そこまで考えてようやく、自身の“不快感”の謎が解けた。
なんてことはない。
「いやはや……私にもまだ、そんな
あまりに“くだらない”理由に、私自身乾いた笑いが溢れた。
同時に
私は人間が嫌いだ。須らくこの世から、この宇宙から消え去るべき汚物であり他ならぬ私自身の手で葬り去りたい
無論、
悪は悪によって滅びるべきだし、なにより自らが育てた悪性の果てに滅亡するなんてのは最高の皮肉だと思うから。
――だというのに。
私は今、
子ども、それも男児を弄んだ“ヤツ”に対して堪えきれない殺意と憎悪を向けている。そして。
そんな自分が“吐き気がするほど憎い”。
義憤、正義なんて概念は
この世に正義なんてものは存在しない、世に蔓延る善意なんてものは全て偽善だし、義憤も同じく自己満足の延長でしかない。
憎くて憎くて、今にも“中身”が溢れ出しそうになる。
そんな大嫌いな概念を、よりにもよって自分が抱いているという事実が耐え難い。
「くだらない、くだらない……ああ、本当に……吐き気がするほどくだらない」
だからこそ、どうか
階段を登った先にある、この扉の先に。私が予想する“光景”が広がっていないことを願う。強く、願う。
願いながら、ドアノブに手をかけて。
ゆっくりと、開く。
ああ、どうか。杞憂であってくれ――
「……おや? これはこれは、エィラクジ殿。時間通りのご到着ですな。
しかし、申し訳ない。
今は少々
宜しければ、
「……」
扉の先は――まさしく
床一面に広がる“潜血の海”、飛び散った“肉片”の数々。
なにより
猟奇殺人でも早々見ないような
顔面を切り取られて出来た“窪み”に置かれた時計。
腹を掻っ捌き引き摺り出した腸を並べた奇怪な造形物。
目玉をくり抜いて、頭部を切り取り串刺しにして、まるで胸像のように“切り取った”遺体にランプを灯して……
「はは…………青髭など目ではないな。流石は悪名高きジル・ド・レだ」
犠牲者たちに性別の区別はなかった、なかったが……気持ち、男の子が多いかな?
まあ、そもそも
「ホッホッ……
喜悦に満ちた笑みを浮かべて元帥はこちらに振り向く。その顔には返り血がべっとりと塗りたくられ、彼の手元には手足を切断された子どもがか細い息で焦点の合わない目を宙に漂わせていた。
「アート、ですか」
彼は部屋に並べられた十数点ほどの
なるほど、奇特な感性をお持ちでいらっしゃる。
この遺体たちが
しかし。
「――ジル・ド・レは男児を好んで拐い、惨殺したと聞く。一説には“男児を凌辱することを好んだ”とも」
「ふぅむ、確かに“記憶”の中では
「――」
一瞬で思考が爆ぜた。
難しいことはどうでもよくなった。
この男は、この“怪物”は、必ずやこの場で“滅さねばならぬ”という思いが心中を満たした。
人類社会、いや、人類の生態が生み出した“膿”をこの場で取り除かねばならないと決意した。
人類社会を滅ぼすよりも前に、いち早くこの汚物を消すべきだと結論付けた。
その時――
『ミツケタ、ミツケタ……!』
私の周囲で“声が響いた”。
まるで洞窟内で反響しているかのような声は
『ミツケタ……ミツケタ……!!』
『カタキ……ミツケタ……!』
『コワイヒト、イタイヒト、ミツケタ』
『ワルイヒト……ミツケタ!』
『ミ・ツ・ケ・タ』
その声は“子ども”だった、そして冬木市で聞いたものと“同一”だった。
声は段々と増えていき、それに伴って私の周囲で霊力が渦巻き可視化され竜巻となった。
やがて風は一つに迎合し、脈動を放つ。
まるでレギオンのような肉塊と成り果てた霊力からは先ほどと同じ“声”が絶えず漏れ続ける。
生々しい肉音を立てて蠢いた肉塊は――
『ミツケタ……ミツ、ミツケ……
コロス!!!!』
一直線に、ジルへと襲い掛かった。
ぶわり、と傘のように広がった肉は一瞬でジルを包み込んで大きな
肉を噛みちぎり擦り潰し、骨を砕く音が響き渡る。
断末魔は無かった、いや聞こえなかったというのが正しいか。
蠢く肉塊はしばらくの間、咀嚼を続け、私はその光景をただ見ていた。
やがて、ピタリと動きを止めた肉塊は今度はピンクの触手を無数に伸ばして部屋中の“遺体”を取り込み始めた。
しかし、ジルの時のような“咀嚼音”はなく。その動きも“丁寧”で、まるで労わるかのような動きでゆっくりと肉塊の中へと遺体を取り込み続けた。
それも終わると、今度は私の方へと近づき、
はて、この流れで私も呑み込もうとしてくると思っていたのだが。どういうつもりだろうか?
『ドウシテ?』
「はい?」
突然、肉塊から声がかけられた。
その声は先ほど周囲で響いていたものと同じだ。
『ドウシテ、
「倒す? なぜ?」
『ズット、ミテタ。アナタハ、ワルイヒト。アクマモ、ニンゲンモ、ミンナコロシタ。ドウシテ、ボクタチハ、タオサナイノ?』
「見てた、というと……まさか
肉塊の問い掛けを受ける前から薄々と勘付いていた“予測”を疑問として投げかけてみる。
『ソウ。アノトキモ、アナタハ、ボクタチヲ、タオサナイデ、ハナシ、キイテクレタ。ドウシテ?』
それはあの水路跡で語りかけてきた時のことか。
まあ、あれは話しかけるというよりも“呪詛をぶつける”にも等しい攻撃性を持った行動だったが、“彼ら”にとっては話しかけていたという感覚だったのだろう。
無論、一般人なら即死。私だったから静かに聞けた声だった。
「どうしてと言われても……なんででしょうね? 大方、気紛れか何かでしょうね」
本当は分かっている。
まして、目の前でジルに襲い掛かる彼らを黙認した。
『フシギ、フシギ。フシギナヒト』
肉塊は心底理解できない、といった声音で連呼する。
不思議でもなんでもないのだが……
「……君たちは、冬木で話しかけてきた“あの子たち”で間違いないのですね?」
『チガウ、チガウ。ボクタチハ、
「ほう……」
要約すると、冬木市から付いてきた彼らが私の行く先々で子どもの怨念を吸収し続けた集合体ということか。
もはや
「そうですか……で、無事に復讐は終えられた様子ですが。これからどうなされるおつもりで?」
彼らが冬木市の“あの場所”で発生した怨念だというならば、彼らが動き出した始まりの目的は果たされた。
始まりの目的が果たされたならばもはや動く原理はないはずだ。
『オワッテナイ、マダ、
「それは……」
まあ、分かっていた返答だった。
始まりがジルだったとしても、彼らが吸収してきた怨念は
だからこそ、ジルへの復讐もあんな簡素なものだった。
『オワラナイ、ゼンブ、コロスマデ、オワラナイ。ボクタチハ、ゼンブ、コロスマデ、オワラナイ』
憎しみに満ちた声が聞こえて来る。
謂れなき罪、理不尽な理由で殺された子どもたちの怨嗟に満ちた声が。
間違えてはいけないが、彼らは
本人たちの霊はとっくにあの世に旅立っているが、彼らが抱いた“憎しみ”は現世に残って“怨念”となった。
それらが寄せ集まって出来たのが、彼らだ。
ならばこの行動原理もおかしくはない。
おかしくは、ないのだが……
「……それは、終わりなき復讐だ」
万が一、この世の大人を殺し尽くしても彼らは止まらないだろう。あの世でも並行世界でも、大人が存在する場所に出向いて殺戮を繰り返す。もうそういう存在として誕生してしまっているのだ。
『オワラナイ、オワラナクテイイ。ボクタチハ、コロシツヅケル』
まるで
怨念を糧として終わらない復讐を続ける者。
そのようにしか在れないモノ。
だから、つい、魔が刺した。
「一緒に、来ますか?」
『……イイノ?』
「構いません。どうせ、私がやることも大差ない。それに戦力は多いに越したことはありませんからね」
『……』
「私は、貴方たちを“手駒”とする。その条件に従えるならば仲魔としましょう」
『……ウン、ウン。ワカッタ、ナカマ、ナル!』
その言葉を聞いた直後、
「なっ!?」
慌ててまさぐり、光源を取り出してみると――
「
英傑召喚の研究のため、あの女悪魔が回収し私に預けていた呼符が目映い光を放っていた。
同時に、肉塊もまた光り始める。
光はやがて部屋中を満たすまでに膨れ上がった。
――光が収まってしばらく。私はゆっくりと目を開ける。
すると、目の前に一人の“子ども”が立っていた。
「やっと、ちゃんとした姿になれた」
そう言って微笑むのは短い銀髪に、やたら
頬に傷跡を持ち、腰には複数の“ナイフ”を携えている。
なにより、際どい衣装ゆえに“丸わかり”になってしまう“局部の特徴”からしてこの子どもが“彼”であると理解できた。
いや、彼、ではない。
「
これからもよろしくね、
ジャック・ザ・リッパー。
そう名乗ったのは、悪魔としての肉体を手に入れた“彼ら”だった。
【あとがき】
言い訳させてくれ……俺は悪くないんだ。
召喚条件とか色々考えてたらこうなったんだ。
ジャックちゃん可愛い(思考放棄
[補足]
涅槃台たちの召喚式で令呪が付与されないのはあくまで『英傑』に限った話です。英霊召喚であれば普通に付与されます。
念のため。