寺院での晩年は苦痛に塗れていた。
僧どもに嬲られ凌辱されると同時に、それらを目撃して興味を示した尼僧までもが激しい“苦痛”を伴う凌辱を強いてきた。
また、日々の雑用は時を追う毎に増え、“苦痛”を齎す凌辱は日々苛烈になる一方であった。
――そうしていつしか、寺院では“私を凌辱することが主体”となっていき、寺院にて高い位にある僧までもが凌辱に参入してきた。
また、この頃より寺院が辛うじて保ってきた“規範”や“教義”がもはや形骸となりつつあり治安もまた悪化の一途を辿る。
それすらも“私が原因”とされ更なる凌辱を強いられる。
もはや正常な意識を保つことも出来ず、そもそも私が正常な意識とやらを育むこともなく生きてきたことを思い知る。
何が“正解”かも分からないままに、ただ嬲られ凌辱される毎日は確実に私の……俺の精神を削り取り自我すら覚束ない有様であった。
そのような日々の果てで、私は“運命と出会った”。
その日。
過酷な労働を強いられ、過酷な凌辱を加えられた疲労から寺院の敷地内にある森で倒れていた私は、身動き一つできないまでに衰弱していた。
意識が消えゆく中で思ったのは「こんな俺の人生に意味などあったのか?」という疑念だった。
恨み辛みはとうに枯れ果て、嘆きすら忘れた当時の私はまさしく屍と同義であり迫る死への恐怖も特に無かった。
――あの方の、言葉を聞くまでは。
『……惨たらしいことをするものだ、未だ齢十に足らずしてここまでの責め苦を与えるなど。
とうに途絶えたはずの“宗派”が現存する、との噂を聞いて来てみたが。これはもはや“かつての立川真言流ではないな”』
倒れ伏したままの私の耳に、厳格そうな男の声が響く。
寺の僧だろうか? だとすればいけない。倒れたままではまた殴られる。
もはや生きる気力すら無いはずなのに、条件反射で立ち上がろうとした私は、ピクリとも動かない我が身にようやく気付いた。
『……ほう、まだ息があったか。ならば……
ふむ、これもまた一興か。
“衆愚の悪辣”に嬲られる幼子は
おい、少年。
身動き出来ぬならばそのままで良い。
私の問いに対して、是か否かを“念じよ”』
厳かな声に対して、当然口も聞けない私は黙って耳を傾ける。
この人の声は怖いけれど、なぜか“安心する”からだ。
そんな私に彼は問い掛ける。
『お前はまだ、
ジルとの一件ののち、私はあの女悪魔に呼び出され市街区へと向かった。
夕凪市に含まれる
夕凪本町から東の位置にあるこの町は、大部分を小高い山が占めている関係から道の起伏が激しく各種交通機関からも離れているために利便性に乏しい。そのため日用品の供給は個人店に限られ、必然的に人口も少ない(尤も、居住可能な土地が乏しいことも原因の一つだが)。
とはいえ、ここには町内に大学が設置されており、学生やそれらを相手とする店は最寄り駅から大学までの道にかけて幾つか点在し、学生以外の住民もそこを利用する者が多く、田舎と呼べるほど過疎化が進行しているわけでは無かった。
故に、人目を避けるための場所はここ、『旧・山谷団地』しか無かった。
バブル崩壊後の人口減少から廃墟と化した団地跡は市の財政事情もあって半ば放置された状態にあり、管理が途絶えたことから団地全体が荒廃し不気味な雰囲気を醸し出していることで周辺の住民も滅多には近寄らない。
身を隠すには絶好の場所だ。
朽ちて外装の剥げた壁に囲まれながら、ボロボロになった階段を登る。
傍には“あの怨霊”も連れている。
鎌倉にてCOMPを紛失してしまったことから今の私は仲魔を収納する術を持っていないのだ。
無論、戦闘の際には“呪術”を用いて幾らか悪魔を呼び出すことも可能だが。
「ねぇ」
不意に、“彼”が声をかけてきた。
「なんです?」
問い掛ければ無言で差し出される左手。
はて?
「手、繋いでいい?」
「……」
少し不安そうな、それでいてこちらに“縋る”ような表情で彼は言った。
その様を見て、私は“迷う”。
……元来、私に迷いなどあってはならないというのに。
私に情けは必要なく、憂いや“哀れみ”もまた不要。
この身、この魂の起源が“怨讐”であるならば。
私にそのような“情”は必要ないのだ。
人が人たる所以、“繋がり”から発展した“社会”を私は魂の底から憎んでいる。
とある賢人が個人の時分に有していた“知性”は、“大衆”となった時点で失われる。
いつの世も大衆は愚かで、弾かれた個人を嬲るだけに飽き足らず時に自らさえも滅さんと暴走する。
画一的で単調、短慮で幼稚な思想をさも大袈裟に掲げて、先人の築き上げた文化を、秩序を破壊する。
後の祭りと見れば互いに素知らぬ振りをして責任を押し付けあい、挙句には下らない闘争の果てに自滅する。
有史以来、延々と繰り返されてきた愚行だ。
それはつまり、人類という種が持つ“変えようもない欠陥”でありその点において人類が未だ遅々として確固たる社会性を築けない要因。
“衆愚”という業に他ならない。
仮に“原罪”というものを定義するならばまさに衆愚こそが原罪であろう。
故に私は“人類を怨む”。
別に、世界を変えようとか。よりよい社会を築こう、なんて考えはない。そんなのは
もっと個人的、私欲に塗れた原動力で私は動く。
つまりは“憎しみ”。
単に私が、人類とその社会を“醜い”と感じたから滅ぼすのだ。
ただ滅ぼすなど生温い。
“人は人が育てた悪意によって凌辱されて滅ぶべきだ”。
“悪辣は悪辣によってこそ贖われる”。
だから、私は人類社会を凌辱し、徹底的に貶めた上で滅ぼす。
そのためにはなによりも“力”が必要なのだ。
その、なによりも求める力が手に入るからこそ、あの女悪魔の計画にも乗っている。計画が無事に完遂されればもはや私の望みは叶ったも同然。そのためにはいち早く、計画を遂行すべきなのだ。
……だから。
だから、本来は“この怨霊”は必要ない。
必要ない、はずなのに――
「だめ……かな?」
眉を下げた悲しげな顔、その割には“仕方ない”とばかりに苦笑する彼を見て。
私は無意識のうちにその手を掴んだ。
「あ……」
驚いた様子で目を見開く彼から視線を逸らし、私は先を急ぐ。
ああ、本当に調子が狂う。
必要ないモノを必要とする、その行為に吐き気を覚える。
私はこんな、“仲良しごっこ”がしたくて生きてきたわけじゃない。
あの日あの時、人類を悪辣で滅ぼすと、そう決めたはずではないか?
その後も燻っていた迷いは、
なのに、なぜ……私は、彼の手を取ったのか?
“情”を持つべきではない、情けを与えるべきではない。
私はそんな不要物を捨て去り、悪に魅入られ、悪こそ世の真理とし、その上で偽善を嘯く人類社会を辱めてから殺そう、と決意した。
私は“悪”が好きなのだ、悪辣に酔いしれて知性体を思うままに凌辱して殺し尽くすことが何よりの“喜び”なのだ。
なのに、なんでこの手を取った?
どうせ、全部壊すつもりなのに。
「あら? その子、どうしたの?」
合流場所たる一室に辿り着くなり、彼女はそう問いかけてきた。
「先日、気紛れに仲魔にした悪魔です。計画には特に関係ありませんよ」
「……」
袈裟をギュッと掴んだまま“彼”は動かなかった。
その様子を見て興味深そうに「ふぅん」と呟いた彼女は、しばらくしてこちらに向き直った。
「というか……貴方、ジルを
唐突に飛び出した発言に一瞬、動揺する。が、彼女ほどの大悪魔ともなれば察するのも容易いか、と納得する。
「ええ、まあ。
「っ!」
私の言葉に“彼”はピクリと反応してこちらに視線を向けてくるが無視する。
「まあ、“アレ”はちょっと扱い難いもんねぇ。堕落した英雄、っていうから期待してたんだけど。アレは
思考回路までぶっ壊れてたんじゃどうせ使い道なんてなかったし」
でも、と付け加えてこちらに微笑む。
「珍しいわね、貴方ならああいう手合いは嬉々として街中にでも放り出すと思ってたけど。
なんで殺したの?」
あくまで和かに、単なる世間話のような気軽さで彼女は聞いてきた。
そこにはなんの重みもなく、彼女が本当にジルを「どうでもよい」と見做していたと確信するほどに。
そのことに内心安堵する。
もし仮に、ジルにまだ使い道があったならば同盟が破綻していたかもしれないからだ。
「単に
「へぇ……まあ、“貴方からしたら”面白くない男かもしれないわね」
こちらの考えを見透かすような笑みで語ってくる。
果たしてこの女悪魔に、いったい
懸念事項ではあるが考えたところで分かるはずもない。
所詮は“悪意が具現化した存在”、人外の価値観相手では相互理解は不可能だ。
「別に咎める気はないわよ、たしかにどうでもよかったから。
……で、そろそろ本題なんだけど――」
――かの女悪魔の話を要約するとこうだ。
彼女はこれから一仕事あって夕凪を離れるらしい。
その代わりとして“別の同僚”を寄越したから今後はそいつと連絡を取り合え、とのことだった。
交代要員はもう少ししたら来るとのことで、彼女は一足先にこの地を発った。
そうして、私は“彼”と二人きりでこの廃墟に待機しているわけだが。
「……」
“彼”はこちらの腕を強く掴んだままにまったく動こうとも、口を開こうともしなかった。
――あの廃ビルで出会った時からあまり喋る子ではなかったが、“あの女悪魔”と会ってからは頑として口を開かない。
「彼女が、怖かったのですか?」
一番有力な予想を疑問として問い掛ける。
「……怖い、っていうか、寧ろ“温かい感じ”がしたよ。
でも……
「重い?」
不思議な表現だ、いや、そもそも
「まあ、気にすることではないな……」
それよりも、これから来るという新しい上司とやらに意識を向けよう。
あの女悪魔の同僚なのだからどうせ“ろくでもない”とは思うが、私自身がろくでなしなので結局は相性次第だろう。
どうせ、“この計画”が終わるまでの仲だ。あまり深入りせねばどうとでも――
コンコン。
扉をノックする音が不意に鳴り響き、私は思案を一旦止めて玄関に視線を向けた。
どこもかしこもボロボロな廃墟だが、この一室だけは比較的まともな状態だったために玄関扉も正常に機能していた。
やがて、ゆっくりとボロ扉が開け放たれ一人の“女性”が入ってくる。
黒いスーツを着こなしたポニーテールの女性は、眼鏡を片手でくいっと押し上げながら鋭い目をこちらに向けた。
底冷えするような眼光、一般人であればそのひと睨みだけで容易く“呪殺”できるであろう力がこもっている。
……いや、アレは意識的に込めているわけではないな。
いやはや、大悪魔というのはこうも“非常識”な輩ばかりなのか、と内心溜息を漏らす。
そんな状態で外を歩き回ればたちまち協会のサマナーに捕捉されてしまうだろうに。
……などという私の懸念を他所に、女はツカツカとこちらに近寄り口を開いた。
「どうも、初めまして。“彼女”から聞き及んでいると思いますが、今後の“計画遂行”のサポートを担当させていただくこととなりました。
■■■■■■です。
今後ともよろしくお願いします」
端的に、無機質な声音で彼女は告げた。
一見して“ただのOL”にしか見えなかった彼女だが、その『真名』を聞いて自然と緊張を取り戻す。
なにせ■■■■■■と言えば、“あの女悪魔”と同格として名を連ねる古き“魔王”。彼女と同じく“人類の業を体現する神格”なのだから。
「……こちらこそ、■■■■■■。私は涅槃台――」
「自己紹介は結構です、既に彼女より聞き及んでいますので。無駄な時間を使わせないで」
先ずは出方を見ようと一礼した私に対して、彼女は掌をむけて拒否した。
こ、こいつ……!
「それよりも早速取り掛かっていただきたい事案があるのです。
……静かに、ご傾聴いただけますか?」
「っ!!」
――強い語気で問い掛ける。
その言の葉には“濃密な霊力”が含まれ、こちらが動くよりも前に“身動き出来なく”されてしまった。
その事実、未だ
まったくもって
閉口する私を一瞥してすぐに
鞄を開けるなり“複数の魔石”を取り出した彼女は、それらを宙に放り投げる。
宙空にて淡い輝きと共に砕けた魔石のあとには“複数のモニターのようなもの”が浮かび上がる。
よく見れば“モニター”にはグラフやら図式、数値が細かく記され、ある一面には“山谷町の詳細な地図”まで記されていた。
「使い捨ての魔術です、証拠を残すわけにはいきませんので」
「……」
淡々とした口調で告げる彼女、しかし私は未だ“動きを封じられたまま”で返事すらできない。
その事を分かっているのか、こちらには目もくれずに彼女は語り出す。
「では、ブリーフィングを始めましょう」
【あとがき】
そろそろ妖精國のネタバレ発言しても大丈夫っぽいからぶっちゃけるけど。
ベリル、お前あれで終わり!?
お前とはブリテンでさよならなんやぞ!?
回想シーンが一番活き活きしてたまである。