――本当のことを言うと、私はずっと気付いていた。
この地の民が、いえ、この世界の民が
最初は、身分の差、労働環境によるものなど。納得は出来ずとも、許されることではないとしても理由というものがあった。
それが、いつしか“戯れ”で行われるようになった。
“豊か”になり過ぎた弊害だろう。人間たちは幼な子を踏みつけるようになったのだ。
幼な子だけではない。
次代を紡ぐべき、後を託すべき“若い命”に対しても使い潰すようになった。
生命の循環という“太母”の
……だが、これも時代の移り変わりなのだろうと思った。そもそも、この世界の支配権は人間の手に移ったのだ。今更、旧時代の神々がでしゃばるべきではないだろうと考えた。
考えて、目を瞑った。
私は“目を逸らした”のだ。人の世がどんどんと醜くなっていくことに耐え切れず、自ら目を閉じた。
そのツケが、負債が、今、目の前にいる。
「怒りは最もでしょう……恨みを抱くに余りある悪辣でしょう……
あなた方を、救おうとしなかった――
――“
だから……
だから、今度こそ。今ここで、終わらせましょう……」
自らの故郷たる夕凪の大地から最大限に魔力を、霊力を充填する。
そして、ブラックマリアは己の権能をフル稼働させた。
『っ、なん、だよ。これ…………力が……!』
突然、地面が淡い光を放ち始めたと思えば。急速に自分の呪力が吸い取られるような感覚に襲われた。
……厳密に言えば、呪いを吸い取っているのではなく“癒やして”いるのだが。
自らのホームグラウンドにいる大地母神だからこそ出来る芸当。
すなわち、“豊穣の権能”である。
敵には敵意と悪意の減衰、つまりデバフを掛け。
味方には、戦意向上や魔力や生命力の上昇……つまり、HP・MPを持続的に回復させ各種バフを掛ける。
さらには、夕凪の地に舞い降りた“呪詛の霧”を無理矢理にでも浄化していく。
これにより仲魔たちに掛けられた呪いはほとんど解除され、街に満ちていた死の霧もまた大幅に弱体化していた。
「どうやら、夕凪神を甘くみていたようだ」
ヒデオと刃を交えながら涅槃台は苦々しく呟く。
そこへ、ようやく呪いを振り払った飢怨権現が駆けつけた。
「ぐっ!」
勢いよく叩きつけられた爪の一撃を受け止め、足場としたアスファルトに亀裂が入る。
その隙を突いてヒデオは至近距離から火炎魔法を放つ。
「
上級魔法の直撃、しかも“泥”が苦手とする火炎属性の一撃ともなれば。泥を“取り込んでいる”涅槃台からしてみれば痛打である。
「ぐ、ぉ……小癪な!」
横っ腹を焼き焦がしながりも錫杖を回転させ、飢怨権現とヒデオを弾き飛ばす。
続けて彼らに泥の波を繰り出した。
「だから、そいつはもう効かねぇよ!!」
ヒデオも、なけなしのMAGを消費してマハラギダインを発動。襲いくる泥を残さず焼き払う。
「ちぃ!!」
泥が焼滅していく炎の中から飢怨権現が飛び出し爪牙の連撃を見舞う。
戦局はヒデオたちに有利な方へと傾いていた。
飢怨権現の爪、ヒデオの刀を錫杖で受け止めながら涅槃台は不意に口の端を吊り上げた。
「あぁ……ようやく、
この状況での笑み、また発言の意図についてヒデオが考えるまもなく――
「母上ッ!!!!」
――オサキの悲鳴が上がった。
――仕方ないことだった。
私の妊娠を知った彼が、『子どもなんか産むな』と言ったから。
家に居場所のない私は彼に捨てられたくない一心でそれを承諾して……駅の、ロッカーに……
両親は私に関心がなかった。
昔は、それなりに幸せな家庭だったと思う。
でも、お父さんの浮気が発覚してからは……
――毎日繰り返される喧嘩、怒号と罵声、物が壊れる音が絶えず聞こえてきて。私は怖くて、悲しくて……夜の街に救いを求めた。
程なくして、母も浮気をするようになった。父も、家に帰ってくることが稀になった。
いつしか、母は私を鬱陶しがるようになった。
母の彼氏が家に来る時は決まって外出を強要された。お金だけ渡して、邪魔者のように蔑んだ目を向ける。
また少し経って。
母は妊娠した。
彼氏との子どもだそうだ。
そして、私は捨てられた。
厳密には捨てられ“そう”な訳だが、父も母も私を押し付けあっているので大差はない。
誰も彼もが私を邪魔者扱いする中で、彼だけが私を見てくれた。
だから、彼の言うことには逆らえない。
モウ、アイツ ハ イナイジャナイ
……そう、彼はさっきこの街で死んでしまった。死んだら“私を見てくれない”。だからもうどうでもいい。
それどころか、急に冷静になった気がする。冷静になって、ようやく自分が犯した罪の重さに気がついた。
『ネェ……ソレナラ、ソレナラ 誰ガ 僕ヲ 見テクレルノ?』
……あぁ、この子は
私が産まずに捨てた、あの子だ。
「ごめんね……ごめんね……」
涙が止まらない、涙だけじゃなく鼻水も涎もとめどなく溢れてくる。
ああ、なぜ私はあんなことをしたの?
なぜ、あんな男に縋ったの?
なにより、
『ソウ思ウナラ 責任ヲ 果タサナクチャ』
「そうだ……責任……私の、罪の」
『ソウダヨ 僕ノ 痛クテ苦シイ “死”ノ責任ヲ』
「責任……」
『チャント
「……?」
『ホラ 僕ノ言ウ通リニ “刃”ヲ突キ立テテ』
――そして私は、
「え……」
スルリと身体の中に入り込んだ冷たい感覚、遅れて“鋭い痛み”が走る。
背中から腹部にかけて。
ゆっくりと振り向けば、そこには
「あ、なた、は……」
――夕凪神である彼女は“外敵”に対して非常に強固な“守り”を発揮する。戦いの場が夕凪の地であれば、弾道ミサイルにも耐えうるほど堅固な概念防御だ。
しかし。
夕凪の地を、夕凪の民をなにより愛する夕凪神だからこそ持つ唯一とも言うべき弱点。
“夕凪に属する全てに無条件で守りを解く”という特性ゆえに、彼女はナイフの一撃をあっさりと通した。
たとえ“怨霊によって強化された一撃”であろうと、この女性はちだの一般人に過ぎない。本来なら大地母神に傷一つ付けられない。
だから、これは
「責任……責任……取らなくちゃ…………私の、私の可愛いあの子を、私自身が殺してしまった責任を……!!」
涙でぐしゃぐしゃに濡れた顔で“パン子”はブラックマリアを見上げる。
その目を見て、ブラックマリアも優しい笑みを返す。
「大丈夫……貴女の想いは――」
そう言ってパン子の頭を撫でようとした時。
『死ネ!!』
黒い霧のようなものに覆われ、輪郭すらあやふやながらたしかに“赤子”のシルエットをもったナニカがナイフ片手にブラックマリアに襲い掛かる。
「……」
その刃を彼女は無抵抗で受け入れた。
赤子を見てすぐに理解したのだ、“この子も夕凪の民である”と。
ならば受け入れるしか選択肢はない。
彼女はそういう女神なのだから。
ブラックマリアは胸にナイフを突き立てる赤子を優しく抱きしめ、その頭を撫でる。
「大丈夫、あなたの恨みも、あの子の罪も。全部、私が“連れて”いきますから」
『ア、ァ……?』
「だから、少しだけ
次の瞬間、赤子は眩い光に包まれブラックマリアの“中”へと吸い込まれる。パン子の“遺体”もまた光に包まれ、そこから抜け出た“霊魂”が吸い込まれていく。
そこまで終えてから、彼女は膝をついた。
「母上ッ!!」
己に駆け寄る“愛する娘”が見える。今すぐにでも抱きしめたい衝動を抑えて声を上げる。
「今は戦闘に集中してください! 私なら大丈夫です!!」
「で、ですが……!」
狼狽える愛娘に背後から襲い掛かる“白いフクロウ”を、火炎魔法にて退ける。
『チッ……しぶといよね、お姉さん』
「ふふ、それが長所ですから」
あくまでにこやかに語りかけてくるブラックマリアに、たたりもっけも調子が狂う。
『ああ、ほんとやりにくい。ぼくたち殺し合いしてるんだよ? 何、笑ってるのさ!!』
翼を大きく広げて、怨霊爆弾を放つ。
怨霊群体が使った時の比ではない数が、翼面から溢れ出す。
ブラックマリアとて、触れればタダでは済まない強力な呪詛の塊、撃ち落とそうとしてもこの数が誘爆すれば余波だけでもダメージは確実。
「ハァッ!!」
――それを、呪いから解放された牛若丸が斬り伏せた。
無数の爆弾を、無数の斬撃にて誘爆させることなく消滅させる。
「護衛はお任せください!」
「感謝します! 私はこの子たちの呪詛を全力で鎮めます、その隙に!」
『……クソッ!!』
焦るたたりもっけに仲魔たちが攻撃を仕掛けていく。
呪いのデバフは全て解かれ、それどころかバフまで盛られている。
圧倒的優勢。
誰もが勝利を確信し、そして――
――誰もが油断していた。
遠方より高速で飛来する“長物”。
音すら置き去りにする飛来物はビルの隙間を縫って確実に“目標”へと着弾する。
「ッ!!!!」
――呪いの浄化、敵へのデバフ、味方への治療とバフ。戦況の俯瞰に、先ほどの奇襲によるダメージ。
あらゆる“不幸”が重なり、
「ぐっ……ゴボッ!?」
ブラックマリアの胸部に突き刺さり、背中まで貫通したのは大きな槍。名のある槍ではない、仮に名槍だろうとこうも簡単に夕凪神を貫くことはできない。
ゆえに、この槍もまた
それは喰らった本人がよく分かっていた。刺し貫くとほぼ同時に身体を蝕んできた“呪い”。
とても、とても覚えのある呪い。ともすれば、“つい最近見たばかりの権能”だ。
「瀆聖、の……呪い……!!」
「ええ、これは貴女のためだけに“我々”が用意した魔槍。名を……」
――ヒデオたちが戦う街中を見渡せる位置にあるビルの屋上。そこに一人の“女”が立っていた。
涅槃台たちが合流し、指示を仰いだ協力者。
涅槃台が屈するほどの霊力を持った
女を視認したブラックマリアは悔しげに顔を歪めてその真名を告げる。
「
「おや、先に言われてしまいましたが。ええ、魔槍タローマティです」
女は眼鏡をくいっと上げながら続ける。
「そして……私が魔王タローマティです」
「タローマティだと……?」
なんだそいつは、協会のデータにも無い名前だ。
いや、無論のこと名前は知っているが悪魔として顕現した記録は――
「おや? ご存じないですか?」
世間話をするような気軽さで放たれた返事と共に、錫杖が俺を刀ごと弾き飛ばす。
なんだ……
「ッ、小僧、我らに手加減していたか!」
飢怨権現が、“手加減された怒り”から爪牙を振るう。
「そりゃそうでしょう」
それを“軽く”いなして、お返しに目にも止まらぬ速さで突きの連打を放つ。
「グッ!?」
止めに破魔属性の光を込めた穂先で突き上げた。
飢怨権現はなす術もなく宙を舞い、ビルの壁面へと激突した。
それを見届けてから、涅槃台はクルクルと錫杖を回しながらこちらに近寄る。
どこからどう見ても“ピンピン”している。
「……まさか、あれだけやってノーダメとはな。恐れ入る」
「いえいえ、結構、痛かったですよ? まあでも、致命的ではなかったので」
癪に触る喋り方と嘲笑。ムカつくが、こうも手加減されていたとなればもはや俺に打つ手はない。
「……おっと、“彼”の方にも救援が来たみたいです」
そう言って空を見上げる涅槃台。その視線の先には、無数の“怨霊”が群れとなってこちらに高速で飛んできているのが見える。
それらは、苦戦するたたりもっけの身体へと吸い込まれ。直後には、たたりもっけの霊力が大幅に上昇、その力で仲魔たちを一蹴してみせた。
『これで形成逆転、君たちもよく頑張った方じゃないかな?』
たたりもっけは余裕綽々といった様子で翼を広げている。その周囲には倒れ伏した仲魔たち。
「余興としては十分でしょう、褒めてあげますよ、奧山秀雄」
ぐりぐりと錫杖で腹を突きながら涅槃台がほざく。
「相変わらず……趣味の悪いヤローだ……」
一瞬で壊滅状態にまで追い込まれた俺たちを一瞥した女……タローマティは再び眼鏡を押し上げて端的に指示を出す。
「私の目的は果たしました。
あとは全て殺しなさい」