野郎どもに花束を   作:小川 帆鳥

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イルファング・ザ・コボルドロードー3

 俺たちとキリトたちとの中間に、堂と地響きが鳴る。

 宙に跳び上がったコボルド王が、部屋全体を揺らすほどの音を立てて着地した。

 

「グォォォォォォォ!」

 

 勝鬨を上げるかのように長く吠える。攻略部隊の頭が誰かなんて知る由もないはずだが、まるで勝利を確信しているように見えた。それはひょっとしたら俺たちがもう瓦解寸前にまで追いやられていたがゆえの絶望感からそう見えたのかもしれない。

 そこかしこから悲鳴が上がっていた。あるものは武器を握りしめたまま動けず、またあるものは武器を放り出して逃げようとしている。これまで統率を取っていたリーダーがなす術もなくやられたのだ。それも事前情報とは異なる技でだ。ましてキリトとアスナのふたりともなればその衝撃は段違いだろう。

 彼に対するリーダーという感覚はきっと薄かった。オミソだというのもあって、ディアベルが直接指揮をしてきたわけではなかった。軽く、それこそこの場所に向かう道中で言葉を交わしただけだ。もともと彼と接点のあったプレイヤーのそれに比べれば大したことはないのかもしれない。それでも。

 

「ディア、ベル……」

「あ、ああ……」

 

 目の前で人が弾けた。

 目の前で、人が死んだのだ。

 決して少なくない衝撃が、ふたりを苛んでいるはずだ。

 

「……っ、くそ」

 

 だというのに、俺の体は鉛になったように動かない。

 

「おお、上出来じゃん」

 

 そんな中。阿鼻叫喚の巷と化したボス部屋の中でひとりだけ、軽薄に笑みを浮かべる男がいた。キリトたちを見下ろすように立つそのプレイヤーはフードを目深に被っているせいで口元しか見えない。小柄で、ともすれば女とも見えるが、その声の低さは紛うことなく男だ。そして俺が倒れる直前に聞こえた声と同じだった。

 

「何が上出来なのさ」

「んあ?」

 

 ユウキの声に、男は気だるげに振り向いた。

 

「人が死んだんだよ。出来もなにもないよ」

 

 声が震えていた。俺を支える手が、ぎゅうと握り締められていくのが伝わってくる。

 だが対照的に、男は飄々としていた。ユウキの言葉を受けてもだらけたような態度を変えない。

 

「なに言ってんだ、上出来だろ。なんなら完璧と言ってもいいんだぜ?」

「どこがさ!」

 

 男は両の手を広げて笑みを深める。ユウキの反応を嬉しそうに受け止めているのはきっと見間違いじゃないはずだ。

 よく見ろよ、と男は言う。

 

「なかなか忠実に再現できているだろ?」

「再現……?」

 

 そして戸惑うユウキを無視し、男は俺に語りかけてきた。

 大袈裟な身振り手振りを交えて話すその姿にはどこか見覚えがあった。だがそれがどこだったのかを考える間もなく、初耳なはずなのにどこか聞き覚えのある言葉が耳を打つ。

 

「初めまして、《鼠》のシュウ。オレはジョニー。ジョニー・ブラックだ。ボスからの言葉をお伝えするぜ」

 

 なぜ俺を《鼠》と知っているのかとか、どこかでコイツを見たことがある気がするとか、そんなことはどうでもよかった。ただひとつ、奴のボスからの伝言だというその言葉が、ゆうべの嫌な夢を思い出させる。

 ただの夢だと思っていた。先行き不安な状態があの夢になって現れたものだと。ただの虫の知らせだとばかり思っていた。

 

「『さぁ魅せてくれ。──イッツ・ショウタイム』」

 

 夢は、夢では終わらない。

 ジョニーが言い終わるのと同時に、コボルド王に小さな影が飛びかかった。

 

「うぉぉああああ!」

「キリト!?」

 

 ギィンッ! と甲高く金属音が鳴る。ディアベルがいた空間を呆然と見つめて固まっていたキリトが、ボスのソードスキルをキャンセルした音だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「──!」

 

 声にならない叫びをあげて、キリトは荒々しく剣を振る。それに応じるようにコボルド王もカタナを振り回した。お互いに防御など気にしない、ノーガードでの削り合い。激しい剣戟の音がボス部屋に反響する。

 

「キリトやめろ、止まれ!」

 

 だが俺の叫びはキリトに届かない。金属音のラッシュは止まらない。

 ボスといちプレイヤーとでは、HPの総量も一撃のダメージ量も違いすぎる。相手取るのにレイドを組んでとんとんだという相手に、一対一を挑むのは無茶を通り越して無謀だ。どうにか遠ざけなければならない。命の危険もあるが、今のキリトはそうでなくても危険だ。

 目の前で人の死を見たのだ。正気を保てるほうがおかしい。

 ──再現。

 ジョニーの言葉が唐突に脳裏をよぎる。思い出すのはすべてが始まったあの日の夜。ネペントの実を意図的に割り、キリトを殺そうとして、そして死んだプレイヤーがいたと聞かされている。あの件も、レアアイテムをめぐってのいざこざではなかったか。相手──コペルも、ベータテスターではなかったか──! 

 

「ユウキ!」

「ぅえ、な、なに?」

 

 思わず大きな声になってしまって、ユウキは驚いた顔をしていた。それにすまないとは思うが謝るのは後だ。それよりも優先することが今はある。

 

「俺はいい。キリトを止めてくれ」

 

 あのままじゃいずれ崩れる。キリトの命もそうだが、そうでなくても精神が危うい。

 だがユウキは、それに渋い顔を見せた。

 

「え、でも……」

 

 ちらりと視線をずらした先には、ボスとキリトとをへらへらと眺めているジョニー。たしかにあいつの手の内はわからない。だがなんとなく、ほんとうになんとなくだけれども、あいつはこれ以上に場を掻き乱しはしないんじゃないだろうかと思う。

 

「ん? ああ、そいつぁレア中のレアでな、麻痺毒ってんだ。自分に試す用のとあんた用のとで二本しかないもんで、オレはもうなんもできねぇよ。見てるだけだ」

「ほら」

 

 いや、ほらって言うのもおかしいが。俺に麻痺毒食らわした張本人なんだから疑うべきというか、素直に信じてはいけないものだとは思う。

 でも直感的なものでしかないが、信じられる気がするのだ。こういう奴は、変に素直だ。余計な嘘をつくようなタイプではない。

 

「ほらって」

「いやわかる、自分でもおかしいのはわかってる。でも今は、俺がどうこうなる確率よりキリトが崩れる確率のほうが高いだろ。止めないとマズい」

 

 こうして話している間にも、キリトのHPは削られている。いくら繰り出されるソードスキルを知っていてパリィがほぼ完璧に出来ていたって、このままじゃジリ貧だ。ボスは疲れを知らずとも、こっちは疲労が溜まっていく。そうなればいずれどこかで綻びが生まれるのだ。

 

「でもアスナは?」

「それは──」

 

 アスナもまだ動けないでいた。おそらく彼女にも再現の矛先が向けられている。ひょっとしたらアルゴの懸念は当たっていたのかもしれない。MPKの可能性は、ジョニーがいるというだけで格段に高まる。

 目の前に、圧倒的な力が立ち塞がる。

 たったそれだけだが、たったそれだけで心が折れるには充分だ。隠しログアウトスポットの件で騙されたのはまだ二週間前でしかない。中学生だか高校生だかがそんな短期間で乗り越えられるようなものではないはずだ。

 だがどうしたらいい。どうしても手が足りない。だからわかりやすく命の危険が迫るキリトを優先させたのだ。

 

「……くそ。もうひとり、いやふたり欲しい。誰かいないか」

 

 まだ俺は動けない。画面左上に稲妻のようなアイコンがはっきりと光っていて、腕を持ち上げようとしても鉛が入ったように重くて持ち上がらない。それは足も同じだった。

 ユウキにキリトを任せるとして、もうひとり。だが呼びかけても、俺の声が届いている様子のプレイヤーは見当たらない。ダメだ、どうすんだよ、逃げるしかないだろ──そんな声ばかりが聞こえてくる。

 さらに追い討ちをかけるように、もう湧かないとされていた取り巻きたちが新たに横穴から這い出てきて、逃げ惑うプレイヤーたちを追いかけ回す。

 まさに阿鼻叫喚の巷と化していた。

 

「オレがいこう」

「え」

 

 そんなとき。後ろから、バリトンの声がした。

 

「あの嬢ちゃんを避難させればいいか?」

 

 ガシャ、と鎧の鳴る音がして、ぬうと黒のスキンヘッドが俺を上から覗き込んでくる。

 

「エギル」

「あのふたり、いやキバオウさんもだから三人か。彼らをこっちに寄越しつつボスを引きつけておく。そんな感じでどうだ」

「いや……それはありがたいけど」

「なら決まりだ」

 

 そう言って、エギルはここにたどり着いたときと同じく白い歯を見せて笑う。

 

「決まりって」

「すまん、聞こえていたんだ。あんた、《鼠》なんだってな。そんであの剣士はベータテスター。……退くにしろ進むにしろ、キーパーソンはあんたらだ。そうだろ?」

 

 俺はともかく、クリアするためにはキリトがいなければならないのは確かだ。現段階ですでに一歩も二歩も先を行くあの剣士は、間違いなく核になる。

 頷くと、それに、とエギルは続ける。

 

「盾もない奴にいつまでもタンクやらせるわけにはいかないんだよ」

 

 なあ、とエギルが背後に声をかけると、数人の声が聞こえた。

 いつの間にやら集まっていたらしいA、B隊のメンバーを引き連れて、エギルは止める間もなくボスのターゲットを奪いにいった。剣戟の嵐がいくつもの盾によって一際大きな音を立てて止まる。その隙に、半ば引きずられるようにしてキリトたちが避難させられた。

 

「……シュウ」

 

 散々暴れ回って息の荒いキリトは、俺の顔を見るなり顔を歪ませる。

 

「ダメ、だった……!」

 

 わかったんだ、と吐き捨てるように言って、左手で顔を覆う。歯を食いしばった口から漏れる声は震えていた。

 

「キリト」

「俺、わか、わかったんだ、ディアベル、もおな、同じだ」

「うん」

 

 同じというのはきっと、ジョニーの企てた再現のこと。それにきっと、キリトも気づいた──というより、思い出させられた。

 

「こん、今度は、目の前、だった。また、たす、助け、られなかった……!」

 

 鼻を啜る音がして、顔を覆った手の隙間から光るものが落ちる。けれどそれには見ないふりをした。

 

「でも、ディア、ディアベル、は、言った、んだ。『あと、頼む』って。だか、だから、俺」

「そう……か」

 

 ディアベルもやはり知っていたのだ。キリトがベータテスターであることを。

 そして生粋のゲーマーでもあった。だから自分の手でクリアするためになりふり構わなかったし、ゲームクリアのためならばやはりなりふり構わず後に託したのだ。

 

「キリト」

「……う、ん」

 

 キリトの呼吸が落ち着くのを待って、俺は問いを投げかける。

 今から聞くのは残酷な二択だ。大きな精神的ダメージを負った、おそらくは年下であろう少年に聞くことじゃない。けれども、後に託されたのはキリトなのだ。ならば俺たちの進むべき道を決めるのはキリトであるべきだ。

 だから、聞く。

 

「進むか、退くか?」

「進む」

 

 即答だった。

 袖で拭われたキリトの目の周りは赤くはなかった。ゲームだから跡が残らないのか、それとも既に切り替えることができたからなのか。

 大きく深呼吸して、キリトはぽつりと呟く。

 

「コペルのときを、思い出したよ。剣と一体になる、なんて理由じゃなかったんだ」

「《芯》のことか」

 

 うん、とキリトは頷いて。

 

「もちろん、剣を振るう理由はそれだ。でも、やっぱりさ」

 

 ──帰りたい。会いたいんだ。

 

 そう言ってキリトは立ち上がった。

 

「行くのか」

「うん。ディアベルに、後を頼まれたから。それに俺はボスのソードスキルを知っている。たぶん、全部。変なミスさえしなければ倒せる。あの人たちも手伝ってくれるだろうしさ」

 

 エギルたち壁役は、ギリギリのローテーションを回しながらボスの攻撃を受け止めていた。どうするのかと、エギルがチラリとこちらを見てきていた。

 それにキリトは頷いて見せて。

 

「ボスのLA、取ってくる」

 

 そして、笑ったのだった。

 

 

 

 

 

 

 

「アスナ」

 

 ユウキの声に、アスナはやはり反応を示さなかった。

 だからなのかそれでもなのか。ユウキは言葉を続けていく。

 

「ダメだよ。立って。死ぬ気でやるんでしょ?」

 

 ユウキだってディアベルの死に動揺していないわけではないはずだ。それでも、ユウキだからこそ、それを言葉の棘として投げかけることができる。

 

「戦って死ぬって言ってたじゃない。そんなの、誰だってできる覚悟じゃないんだよ。ほら、見てよ。半分は戦ってるけど、半分は逃げてる」

 

 キリトは壁部隊を率いて、僅かばかりのダメージではあるけれども着実に攻撃を重ねていた。だがその向こうには大門に向かって足を動かしているプレイヤーたちもいる。戦況の変化に気づいた彼らは少しばかり足を止めるが、後ろ髪を引かれるようにしながらもやはり変わらず離脱を試みていた。

 

「アスナがどっちを選んでもいい。でも、やるなら諦めるのだけはやめようよ。負けるつもりでなんてつまんないじゃない」

 

 ボスのHPはほんの僅かずつだが着実に削れている。コボルド王が苛立たしげに雄叫びをあげた。

 

「戦うって決めたなら、勝つつもりでやろう?」

 

 ユウキの、問いかけとも誘いともとれるその言葉に、アスナはぴくりと小さく反応を示す。何かしら届く言葉があったらしい。

 だがアスナが何かを答えようとしたそのとき、ふたりに割り込む声があった。

 

「なんや、まだやる気なんか」

 

 キリトたちと同じくキバオウもまたこちらに避難させられていた。ディアベルを失ったことで呆然としていたが、我に返ったらしい。

 

「ディアベルはんがやられたんやぞ。もう無理やろ。なんちゃら逃げるにしかずや」

 

 そう言って立ち上がったキバオウは、取り巻きに追われるプレイヤーたちのところへと駆けていく。

 

「数人がやる気になったってどうせ勝てんのや」

 

 そんな捨て台詞を残して。

 それに返事をするように──キバオウが去ったことが見えているのかわからないが──ぽつりぽつりとアスナは言葉をこぼしていく。ひょっとすればそれはユウキへの返事だったのかもしれない。

 

「……諦めてなんて、やらないわよ」

 

 俯いたままだった。だからか、声は少しくぐもっている。

 

「でも、目の前で人が死んだのよ。あんな、あんな大きな刀で斬られて、あんなふうに弾けるなんて人の死に方じゃないわ」

 

 ゲームであってゲームではない。茅場の言葉を思い出す。

 俺だって人が死ぬのを見たのは初めてだ。アスナが言っているのとは違うだろうが、俺にしたって思うことは同じだ。プレイヤーが退場するときも、モンスターを撃破したときも、演出は同じ。ポリゴン片となって散る。これはあくまでゲームの体をとっているだけの現実なのだと、まざまざと見せつけられた。

 

「死ぬの、怖い?」

「当たり前じゃない。怖くないわけないわよ」

 

 煽るようなユウキの物言いに、アスナは簡単に顔をあげる。

 そこで初めて気がついたように俺に顔が向く。一瞬だけ体がこわばって、そして少しだけ気が抜けたように肩が少し下がった。

 

「でも、……そうね。どうせっていうのはダメね。それは撤回するわ」

 

 呆れるように小さく笑って、ボスの重い一撃を受け止めて踏ん張る壁役のAB隊とそれを指揮するキリトのほうに、あるいはその向こうにいるキバオウに視線を向ける。

 

「確かに、諦めてるように聞こえるのかも。投げやりね」

「でしょー?」

 

 アスナの言葉に、ユウキが我が意を得たりと頷く。さっきのキバオウの発言に思うところがあったのだろうか。アスナはいやに冷静だった。だがそれは吹っ切れた静けさでは決してない。目に光が宿るというのはきっと今のアスナのことだ。どこか、今までと違う雰囲気が感じられた。

 

「でも確かに、数人のやる気でどうにかなる相手でもないわよ。それはユウキもわかってるんでしょ?」

「うん、もちろん」

 

 即答かよ。そこは気持ちの問題だよでいいだろ。とは思ったが、見届けると決めたので口は挟まない。ユウキには何かしら考えがあるのだろう、自身たっぷりに頷く。

 

「だからそのへんは、シュウに任せた。なにか思いつかない?」

「俺かよ」

 

 なんでだよ。なんもないよ。

 

「うん、シュウならいい作戦思いつかないかなって」

「えー……」

 

 どうしろというのか。作戦ったって、俺はボスのことなんて何も知らないんだぞ。対策なんて思いつくわけもないし、たとえ何か思いついても俺の指示に従ってくれるやつなんて──そうか。

 

「お、なにか思いついた?」

「指示をください、シュウさん」

 

 作戦と言えるようなものじゃない。なんならそれで上手くいく保証だってない。けれどひょっとしたら。上手くいけば、あるいは勝つことだって不可能じゃない。

 

「……じゃあ、今から言うことを頼む」

「うん!」

「はい」

 

 それぞれに確認をとる。これほどに信頼されているとどこかむず痒い。特別なにかをしたわけじゃないと思うんだけどな。

 そうして作戦を伝えると、ふたりはすぐに実行に移した。

 

 

 

 

 

 

「傾聴──!」

 

 アスナの声が、ボス部屋に凛と響く。

 一瞬、静寂。その隙を突くように、さらにアスナは畳み掛ける。

 

「レイドリーダーであるディアベルの、最後の言葉を伝えます!」

 

 フードを取っ払ったアスナが、ボスの正面、取り巻きたちを相手取るプレイヤーたちに背を向けるように立っていた。

 ツヤのある長い栗色の髪が背中にまっすぐ流れている。その美しい立ち振る舞いに見惚れて足を止めるプレイヤーが何人もいた。

 

「『後を頼む、ボスを倒せ』──このゲームをクリアしろと。彼は死の間際にも、逃げることは選ばなかった。あくまでもボスを倒せと、そう言っていました」

 

 半分は捏造だ。だがディアベルの指揮能力は確かなものだったし、その彼が中途撤退だって可能なこのボス戦で押し切れると判断したのだ。イレギュラーがあったとはいえ、そこまでは怖いくらいに順調に進んでいた。事前会議は決して無駄ではなかったのだ。

 つまり知ってさえいれば、怖いボスではない。

 そして今、前線で押さえ込んでいるキリトはボスのソードスキルを知っている。

 ならばキリトが指示を出せばいいのだ。

 だからさらに、捏造を重ねる。振り向いたアスナは、レイピアの剣先をキリトに向けた。

 

「そしてこうも言っていました。『次のリーダーは彼だ』と──今、ひとりでボスにダメージを与えているあの人だと」

 

 ざわ、と。撤退しようとして取り巻きたちに阻まれていたプレイヤーたちに波紋が生じる。それは当たり前だろう。ぽっと出てきた、しかも明らかに若い少年に急に従えと言われてハイそうですかと従えるプレイヤーなんてそうはいないはずだ。まして今まで見たことのない壮麗な少女がそう言うのだ、これは誰なのかと、そんな疑問だって浮かぶだろう。

 だがそれでいい。彼らの足が止まれば及第だ。注目の的になることに嫌な顔をされたが、ボスを倒すためだとアスナは自らこの役を買って出てくれた。

 そしてユウキによる伝令。キリトがエギルらに指示を出す。

 

「……了解。次、左から水平に薙ぎ!」

「おう!」

 

 わざわざ声を大きくする。全員に聞こえるように。もともとがそこそこ通る声をしているから、おそらくは部屋の隅から隅まで聞こえたことだろう。

 そしてその指示のとおり、ボスはカタナを右腰から水平に斬り払った。あらかじめ腰を落として構えられていたいくつもの盾に阻まれる。ダメージはゼロにならないとはいえ、防ぐことができたという事実が壁役プレイヤーたちのテンションを上げていく。

 それに比例するように、戸惑いが広がっていく。逃げる足を止め、とりあえず取り巻きに攻撃をしておこうというプレイヤーが増えてきていた。

 

「次、左から袈裟!」

「おう!」

 

 再び、盾がカタナを阻む。

 四体の取り巻きのうち二体が撃破された。一体に八人くらい、剣、斧の近距離と槍、ポールアームの中距離とで間断なくタコ殴りにするのだ、倒すのに全く苦労はない。

 

「なぁ……おい」

「ああ……」

 

 取り巻きを倒したプレイヤーたちは、言葉少なにボスとキリトらを見比べていた。

 

「グルァァッ!」

 

 苛立ったようにコボルド王が振りかぶる。頭上まで振り上げたカタナは、力任せに振り下ろされた。

 

「唐竹──真っ直ぐだ、弾けるぞ!」

「おおっしゃ!」

 

 キリトの声に、エギルたちが一層大きく吠えた。四人がかりで振り上げるように発動したソードスキルが振り下ろされたカタナにぶつかる。

 

「……おい、マジか」

 

 さらに二体の取り巻きが簡単に撃破され、また別の取り巻き側にいたプレイヤーが呟く。その視線の先で。

 ふわっとコボルド王の体が浮き──背中から床に叩きつけられた。じたばたと手足をばたつかせる王だったが、なかなか起き上がれない。あれは聞いたことがある。人型特有の異常状態、転倒。

 

「全員、来い! 畳みかけるぞ!」

 

 キリトが叫ぶ。

 それに真っ先に反応したのがユウキだった。

 

「アスナ、いこう!」

「ええ!」

 

 そしてアスナもそれについていく。ふたり同時に剣に光を纏わせて疾駆するさまは、さながら流星の如く。栗色と漆黒の長い髪が、彼女らの速さについていけず旗のようにたなびいていた。

 それに釣られるようにして何人かが駆け出した。だがまだ足りない。

 だから、さて。俺の出番だ。

 

「LAは俺が貰った!」

 

 動けるようになるのを待って、俺はずっと取り巻き側に待機していた。そしてあえて、キバオウの近くで煽るように言葉を選んで走る。

 すると釣れるんだこれが。案の定だ。

 

「なっ、待てや! それは渡さんぞ! おい、ぼーっとしてんなや!」

 

 こういうとき、キバオウの持っている勢いってのはかなり大事だ。彼が巻き込むようにE隊が動き、そうしてひとりが釣れると、またひとり、またひとりとそれに続く。

 取り巻きは全て倒している。全員が、ボスに向かって走っていた。

 

「そろそろ立ち上がる、囲むなよ!」

「おお!」

 

 もはやキリトの指示に従わない者などいなかった。

 ボスの残りHPはバーの半分ほどになっていた。先程の攻撃でかなりの量が削れたことになる。

 

「D、E、F、G隊、取り巻き! シュウアスナユウキ、それぞれ援護!」

「あいよ」

「はい!」

「りょーかい!」

 

 新たに取り巻きが出現した。その数、四体。従来の湧出より一体多かったが、慌てる者はいなかった。いけるかも知れないという希望が、そして前半戦に似たスムーズさが全員に僅かな余裕を生ませていたのだろう。危なげなく撃破し、またも全員がボスに向き直る。

 

「次、右の逆袈裟! 下からだ、振り下ろして弾け!」

「おおっ!」

 

 キリトの声、エギルたちの声。王が吠え、光と光がぶつかる。

 そして金属音がして──ボスのカタナが、床に叩きつけられて跳ねた。

 

「今だ!」

 

 合図とともに、まるで爆竹のように。待ってましたとばかりに、ボスの体にとりどりの光がぶつけられる。ゴリゴリゴリとHPバーが削れていって──残り、数ドット。

 あと一撃というところで減少が止まる。全員のソードスキルを受けきって、コボルドの王が獰猛に笑った気がした。

 

「──終わりだ」

「ボクたちの勝ち!」

 

 その笑みが、一瞬で歪む。黒と黒。青白い光芒とともに振り上げられた二本の剣が深く王の体に沈み込み、身体中に亀裂が走る。

 不意にボスの体から力が抜け、膝から崩折れた。遠吠えをするように上に向けて吠え、直後、その巨大な体が光に包まれる。

 鋼鉄浮遊城アインクラッド、その第一層フロアボス《イルファング・ザ・コボルドロード》。

 その巨躯は無数のポリゴン片に姿を変え、雨のように降り注いだ。

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