野郎どもに花束を   作:小川 帆鳥

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Nahat-2

《迷いの森》は白く照らされていた。

 夜の闇に雪が浮かび上がり、頭上が枝に覆われていない部分が道のように続いている。

 その白を、ノーチラスは辿っていた。

 

『明るいんだよ、ずっと。たぶん空が見えるところをずっと歩くんだ。そうすると広いエリアに出る。その奥に、一本のでっけえ木があるんだ。オレはそこが怪しいと睨んでる』

 

 雪を踏みしめる音だけがしていた。風も木も獣も息を潜めている。稀に遠いどこかで重みに耐えられなかった枝が雪を落とす音がするだけで、まるで生き物の気配がしない。圏内ではないはずだが、モンスターの一匹にすら鉢合わせることはなかった。

 当たり、ということなのだろうか。雪の道はずっと枝分かれも途切れもなく曲がりくねりながら続いている。

 ジョニーという男からの情報をまるきり信じたわけではない。だがイベントボスに繋がる情報はこれしか入手できなかった。狩場と拠点の往復をする合間を縫ってできる限り情報収集はしたが、開催と報酬に関するもの以外にめぼしい情報は手に入れることができなかったのだ。

 急に現れ早々に消えたあの男。その声に、ノーチラスは聞き覚えがあった。忘れもしないあの乱入。部屋にあったアイテム類の全てを奪われたが、結果として命は繋がれた。まるで馬鹿にしたようなあの口調、囮にされたのだと気づいたときにはひどく憤ったが、それ以上に自分の無力さを呪った。

 

 ──罠でもいい。

 

 囮にされるということは、この道で間違いないということ。そんなところにまで嘘を混ぜても意味がないだろうから。奴が、《奴ら》が欲しがるのはあくまでもレアアイテムのはず。ならそこまでの道のりは整えていてくれる。

 それに囮にされようが何をされようが、成し遂げてしまえばいいのだ。罠でもレベルでも通じない、動じない《強さ》を手に入れればいい。

 ひとりで挑むことがどれだけ無謀なことかなんて言われなくてもわかっている。たとえ十や十五の層ぶんレベルが下がろうと、ボスはボス。むしろマイナス十に対して四十八分の一で挑むのだ、とんとんどころじゃないはず。

 だが、だからこそ成し遂げなければならない。これは通過儀礼だ。

 到達点は《約束》。

 

 ──絶対に、生きて帰す。

 

 そのために手に入れる。

 絶対の強さを。

 さく、さく、とノーチラスは静かな森を進む。いくつのエリアを通っただろうか。やがてジョニーの言っていた広いエリアに出た。雪の道が広場になる。この奥に、いる。自分でも気付かないうちに肩に力が入っていく。

 そうして広場の中心まで歩いたとき、ふとその先に人影があることに気づいた。

 背が高く、袴のような和風の装いだった。何か足りないと思うのは被り笠がないからだろうか。隠そうともしないその顔には小さく火傷の痕があった。

 表情から何を思っているのかは読み取れなかった。けれど決して敵意はない──いいや、それで言えばジョニーもそうだった。《敵》という感覚はなく、どちらかと言えば隣人のような。穏やか、人好きのする。表情だけならそうだった。

 この場にいるという時点で、ジョニーの関係者だという可能性は高い。となると、──こいつが。

 ノーチラスの思考がそこまでたどり着いたとき、男は口を開く。

 

「メリークリスマス。いい夜だな」

 

 そう言って、腰に佩いた《カタナ》を揺らした。

 

 

 

 

 

 

 男は気怠げな様子で近くの木に寄りかかる。

 

「ノーチラスだな。待ってたぜ」

 

 初対面のはずだ。少なくともノーチラスは彼の顔を見たことはない。しかし男はノーチラスの名を知っている。

 そしてノーチラスも、彼の名を知っていた。

 

「……《梟》、か」

 

 火傷痕があるらしいということは聞いたことがあった。加えて武器が曲刀だったということも。

 曲刀スキルの熟練度を上げた先にエクストラスキルとして派生するスキルが《カタナ》だ。目の前の男が腰に下げている、特徴的な反りのある和風の拵えの武器は見紛うはずもない。ということは以前の武器は曲刀で間違いない。

 そしてなにより、ジョニーの言っていた道の先にこうしてひとりで、ノーチラスを待っていた。そのことが何よりも確信に至る要因だった。

 

「正解。フラグモブならこの奥だ」

 

《梟》は親指で後ろを示す。道はなく、森の奥だからだろう、少し暗い。この先のエリアは接続が固定されているらしく、慌てる必要はないと《梟》は言う。

 

「ひとりでやりたいんだろう。行ってこい。俺は止めないよ」

 

 そうして本当に、木に寄りかかったまま《梟》は一歩も動く様子を見せない。

 なぜノーチラスの名を知っているのかとか、なぜソロ撃破を望んでいるのを知っているのかとか、そんなことはどうでもよかった。やはり罠──疑念は確信に変わったが、それもまたどうでもいい。

 理由がなんであれ、ここまでの道は正しく、この先には本当にボスがいるのだろう。彼らの思惑を思えばそれは信じるに値する。たとえ相手が大悪党であっても、だからこそ彼らの利益になるのであれば。

 止めていた足を再び動かす。ノーチラスの雪を踏む音だけが耳朶を打つ。

《梟》の横を過ぎようとして──ふとクラインの言葉が脳裏をよぎった。

 

『オレはあいつを信じる』

 

 ノーチラスは《梟》を信じてもいいと思った。それは損益を含めた打算的な考えでだ。ならばクラインはどうして、何をもって《梟》を信じるに至ったのか。

 画面端の時計に目を向ける。日付変更まではまだ少し時間の猶予があることを確認して、ノーチラスはまたも足を止めた。

 

「……あなたは」

「ん?」

「あなたは、ひとりなのか」

 

 ノーチラスにとって、やはりオレンジプレイヤーは悪だ。犯罪に手を染めた証であり、こちらに危害を加える可能性を高く秘めているものだからだ。自分にならともかく、それがユナに及ぶのであれば止めなければならない。守ると約束したから。

 そういう意味で《梟》は紛うことなく悪ということになる。すなわちノーチラスの敵だ。

 だがクラインが言うには。《攻略の鬼》も、目の前の《梟》も、そして自分も同じなのだという。

 死なせたくないから、こうして強さを求めている。

 死なせたくないから、鬼と呼ばれるほどに攻略を進めている。

 ならば《梟》は。

 彼もまた、死なせたくないからという理由で動いているというのだろうか。

 

「そりゃひとりだよ。安心しろ、どこにも誰も隠れてないよ。俺だけだ」

「違う。そうではなくて。あなたには、守りたいものはないのか」

「……ああ、そういう話」

 

《梟》は寄りかかっていた木から身体を起こす。そうしてざくざくと三歩ほど雪を踏みしめた。

 

「あるよ。お前がウタちゃんを守りたいのと同じように、俺にも守るべきものはある」

「人を、殺しておいてか」

 

 守るべきものがあるという。確かにそれだけならば、クラインの言うとおりだった。ユナのことも知っていて、ユナと同じようにとまで言った。それくらい大切なものが《梟》にもあるのだ。

 ならばなぜ。守ると決めたその手で、人を殺すに至ったのか。

 

「そうだな……例えばの話だ」

 

《梟》は降る雪を顔で浴びるように天を仰ぐ。

 

「俺はひとりも殺してないと言って、お前は信じるか?」

「……いいや」

「俺は誰も騙してないと言って、お前は信じるか」

「……信じられない」

「そうだな。それはなぜだ?」

「あなたが……《梟》だからだ」

「そうだな。俺は《梟》だ。だから殺しも騙しもする。していないはずがないんだ」

 

 そう言って、《梟》は両手で顔を覆う。

 

「……何が言いたい」

 

 顔の雪を払い、振り向いて、ノーチラスに正体する。

 

「俺のようになるなよってことだ……お前は大丈夫そうだがな」

 

 そうして《梟》は苦笑した。

 

「ところで、ノーチラス。俺はひとりなんだが……お前はひとりじゃねえな。尾けられてたぞ」

 

《梟》が言い終わった瞬間、ノーチラスが通ってきたエリア接続ポイントから人影が現れた。その数、十二。その先頭にいたのは和風の軽鎧に身を固めたバンダナの男だった。

 

「……クライン、さん」

「悪いな、尾けさせてもらったぜ。さすがにソロは止めねえとな。……まさかシュウがいるとは思ってなかったけどよ」

 

 言いながらクラインは苦笑する。《梟》は肩をすくめた。

 クラインに続く集団はギルド《風林火山》。クラインに倣うように全員が和風の拵えの装備を身につけている。だがその中にひとり、異彩を放つ巨漢がいた。

 

「エギルか」

「久しぶりだな、シュウ。元気そうで何よりだ」

「お前もな」

 

《梟》の声は軽く、エギルの返す声もまた軽かった。

 獣の毛皮を纏うような、狩人じみた装備。もともとの大きな体躯が野性味を帯びてより大きく見える。確か下層でなんでも屋というか武器道具の販売買取を行っているプレイヤーのはずだとノーチラスは記憶している。もちろんそれだけではないけれど。

 そしてその影に、小柄な人影があった。

 

「ヨォ、シュウ兄」

「アルゴまで……どうした現場に出張ってきて。珍しい」

「マァ、イロイロあるのサ。それより忘れてないだろうナ、オイラの名前に泥を塗ったこト! 熨斗つけて返してやっからナ!」

「……ああ、忘れてねえよ」

 

《鼠》はビッ、と《梟》を指差す。

 クラインはともかく、あのふたりまでもが《梟》と面識があることにノーチラスは驚いた。《鼠》は言わずもがな、エギルに関しては攻略組でも《聖騎士》に引けを取らない壁戦士として名高い。もちろん本人は商人ということもあって壁を感じさせない話し方をするが、それにしても《梟》の対応はさらに軽く感じる。《鼠》もまた、《梟》に隠れ蓑にされたという実績があり、おそらくさっきのやりとりのことなのだろうが、それにしては敵愾心が薄いとノーチラスには感じられる。

 間違いなくゲーム攻略の中枢とも言えるプレイヤーたちと《梟》との関係。それがノーチラスには不思議だった。

 

「それで、なんだよぞろぞろと」

「さっきも言ったろ、ノーチラスを止めに来たんだよ。ソロでボス討伐なんざできっこねえんだ。行かせるわけにはいかねえだろ。最悪、オレらが乱入してでもソロじゃなくする」

 

 クラインはそう言ってノーチラスに近づく。

 だがそれを遮るように《梟》が立ちはだかった。

 

「悪いが、それはさせらんねえな。ノーチラスにはひとりで行ってもらう」

 

 その言葉にクラインは眉を顰める。

 

「……お前ェ、何を言ってるのかわかってんのか?」

「ああ」

「ボスだぞ」

「ああ」

「そこらのモブとはわけが違え、火力も体力も段違いなんだぞ」

「知ってるさ」

「それを──それを、よりによってあいつひとりにやらせようって言うのか!」

「そうだ」

「お前ェわかってんのか、アイツは──」

 

 クラインが言葉を切る。迷うように泳ぐ視線が、事の成り行きを見ていたノーチラスとぶつかってハッとしたようにまた視線を泳がす。

 だからなんだ、と言いたくなってノーチラスは口をつぐむ。あの狩場でのことは繰り返したくなかった。言えば言うほど、それは自分に返ってきているような気がして。心の奥底に封じ込めたはずの、まだ冷静でいられる自分が無茶だと声を張り上げそうになる。

 だが──。

 

「FNCだろ。知ってるよ」

 

《梟》もまた、ノーチラスの身に起きている異変は知っている。それでいてなおソロでの挑戦を止めない。

 

「ならよぉ!」

「でも、やると決めた。そうだろ? ノーチラス」

「……ああ」

 

《梟》が肩越しに視線を寄越す。それにノーチラスは深く頷いた。

 そう、決めた。やると決めたのだ。それは曲げられない。誰になんと言われようと、これは自分で決めたこと。ユナを守るために。

 ひとりでボスを撃破する。それが強さの証明になるのだ。

 

「っ……んでだ、なんでだ! お前ェらふたりそろってひとりでひとりでってよ! わかってんのか、MMOだぞ! パーティプレイ前提のゲームなんだぞ!」

 

 クラインは激昂して《梟》の肩を掴む。

 

「お前ェならわかるだろ、パーティ組んでも死ぬときゃ死ぬんだ! それをひとりでやらせるなんて正気じゃねえ、アイツに死ねって言ってるようなもんだろうが! それで本当に死んでみろ、ウタちゃんはどうなる!」

 

 最後の言葉はノーチラスに向けたものだった。《梟》の肩を掴んだまま、クラインは肩を怒らせ息を荒げている。

 自分が死んだら──そんなこと、言われるまでもない。それを考えるだけで一晩はずっと眠れないのだ。

 きっと悲しませてしまうだろう。もしかしたら泣かせてしまうかもしれない。想像するだけで胸がきつく締め上げられる。あの笑顔を、自分が奪う。そんなことはしたくない。

 それでも──。

 

「それでも、やるんだよ。やると決めたんだ」

 

 俯いていたノーチラスは、《梟》の声にハッと顔を上げる。

 

「さっきも言ったが、ノーチラスのことは知ってる。FNCがあること、その症状、ウタちゃんの存在、そしてひとりでボスを倒すことのノーチラスにとっての意味。考えないわけがないだろう。考えて考えて、それでもやるんだ。だからアリ谷であれだけ無茶なレベリングをしたんだろうし、ジョニーの言葉どおりここに来た。俺と同じなんだよ」

 

 ──同じ。

 

「同じ、とは」

 

 思わずノーチラスは聞き返していた。クラインの言う「気持ちは同じ」とは違う気がして。それよりかは確かに、自分寄りな気がして。

《梟》はクラインに向き合ったまま振り返らずに答える。

 

「お前はウタちゃんを絶対に死なせなたくない。それは合ってるな?」

「ああ」

「俺にもそういうやつがいるってのはさっき言ったな。そしてそのために、お前はこうして強さを求めた。俺は俺で、そのためにこうして《敵》になった。手段は違えど目的は同じなんだよ。決めたんだ。──死なせない、絶対に生きて帰すと」

「それ、は」

 

 それは、ノーチラスの。ユナに向けた《約束》と同じだった。

《梟》のカーソルはオレンジ。それはこの世界のルールとも言うべきシステムが下した犯罪の証。アインクラッド初の殺人者として名を轟かせた者。

 だというのに。彼は確かにノーチラスと《同じ》だった。

 肩にかけられたクラインの手を《梟》は無造作に払う。

 

「だから止めない。後押しすらしてやる。……おら行け、そろそろ時間だ。ここは俺が止めておいてやる。もし俺を信じられないと言うなら、そうだな。蘇生アイテムを俺にくれ。それを契約としよう」

「シュウ……マジでやるのか。やらなきゃ、ダメか」

 

 クラインの言葉に《梟》は薄く笑い、腰に佩いていた刀を抜く。野太刀という部類の日本刀。通常のものよりやや長いそれは、抜くというより鞘を投げ捨てるような。

 雪が白いせいで、刀身の銀が黒く見えた。

 

「ダメだね。アイツを止めたいなら、まず俺を倒しな。封じるなり殺すなり任せるけど、そう簡単には行かせねえよ。俺たちの《芯》のためにな」

 

 狼狽えるクラインの喉元に《梟》は躊躇いなく切先を突きつける。後ずさるクラインは、それでもまだ躊躇うように手を彷徨わせた。エギルとアルゴはやれやれとため息をつく。

 ノーチラスは視界端の時計を見る。もう間もなく、日付が変わろうとしていた。

 

「……礼は言わない」

「おう、契約履行だけ頼むわ」

 

 ノーチラスは背を向けた。暗い森を進んでいく。後ろでクラインの声が聞こえたが、すぐにエリアの壁をくぐって聞こえなくなる。

 ──同じだった。確かに《梟》は、自分と同じだ。

 やがて再び視界が開ける。そこには一本の巨樹が聳え立っていた。それ以外には何もなく、一面の白が広がっている。降る雪の音もなく、風の音もない。静寂に支配されたそこは、まるで世界から切り取られたかのようだった。

 視界の端で時計のゼロが揃う。どこか遠くで鈴の音が聞こえた。それは段々と近づいてきて、モミの木の真上で止まる。

 どう、と重い音がして、赤い塊がノーチラスとモミの木との間に降り立った。

 サンタクロースだった。だがノーチラスがイメージできる好好爺然としたあのサンタクロースではない。右手に斧、左手に頭陀袋を持ち、ねじくれた白い髭は膝まで伸びる。窪んだ眼窩から覗く釣り上がった目尻は笑っているかのように細く、まるで格好の獲物を見つけたかのようにノーチラスを見下ろしている。

《背教者ニコラス》。

 おそらくはこのデザインで恐怖を煽ろうというのだろう。実際、デザインはかなり禍々しい。悪意というものを隠すつもりがないかのように口の端を釣り上げている。そうでなくとも彼我の体格差やニコラスの圧迫感で思わず足がすくむ。腕が長いからか、前のめりに見えるニコラスの姿はより大きく見える。

《怖い》と思った。あの斧や頭陀袋は容赦なく振るわれるのだろう。それらを喰らえばひとたまりもない。痛みはなくともその衝撃は計り知れないし、受けるダメージも相応に重いはずだ。回復アイテムは持てるだけ持ってきたが、それで足りるのか怪しく感じられる。

 それでも。

 ユナのために、自分のためにこいつを倒す。自分が死ぬのは《怖い》。けれどそれ以上に、ユナを傷つけてしまう、死なせてしまうのが《怖い》。

《怖い》と《怖い》を天秤にかけて、ノーチラスは顔を上げる。

 

「……やってやる」

 

 剣を抜く。思い切り雪を蹴った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「どういうつもりだ、シュウ!」

 

 クラインの声が森の静寂を割く。

 クラインに切先を突きつけていた《梟》──シュウはしばらく動かずにクラインを見ていたが、やがてため息とともに刀を下ろした。

 

「どうもこうも、さっき言ったろ。ここは通さない。クリスマスのボスを倒すのはノーチラスだ」

 

 刀は下ろしたが、シュウはそれ以上動こうとしない。クラインから視線を外すこともない。本気だということが、クラインにはひしひしと伝わってきていた。

 

「……正気か」

 

 とても正気の沙汰とは思えなかった。ここに立ちはだかること然り、シュウの頭上に浮かぶカーソルがオレンジになっていること然り。あの日のことは大まかに聞いてはいる。しかしだからといって信じたくなかった。現実での彼も知っているのだ、とてもそうは思えない。

 自ら他人に害をなすような人物とは、とても。

 だがシュウはそんなクラインの思考を読んだかのように、ため息混じりに苦笑した。

 

「正気だよ。いくらなんでもゲームのシステムまでは騙せない。カーソルカラーがこれってことはそういうことだ」

 

 言いながら、刀を持っていない左手で頭上を示す。そのとき、袖がずれて腕が肘のあたりまで露わになった。

 

「──っ、お前ェそれ……!」

「ん、ああこれ。そうか、自己紹介してなかったか」

 

 シュウは刀を地面に突き立て、袖が落ちないように左腕をまくる。その内側にはあるギルドのシンボルがあった。

 それは悪名轟く最悪の証だった。

 

「《笑う棺桶》所属、《梟》。プレイヤー名はシュウだ。久しぶり、あるいは初めまして。よろしくな」

 

 罪を犯すことに楽しみを見出したオレンジギルドはいくつかある。だがそれらのどこも、一線は超えない。

 人を殺す、という一線だけは。

 ゲームのアバターが消えるとはいえ、黒鉄宮の《生命の碑》に刻まれた名前に横線が引かれるとはいえ。実際に命を落としたかどうかなんてゲーム内にいるプレイヤーからはわからない。アルゴが挙げた推論のように実はセーフエリアのようなものがあり、このゲームに囚われてからHPを全損したプレイヤーの全員がそこでこのゲームの行く末を見守っているかもしれないし、あるいは本当にナーヴギアが脳への神経を焼き切り心臓が止まって命を落としているのかもしれない。けれどそれを確かめる術はない。

 肯定も否定もできないのであれば。

 あくまでもただの主張であって、それに根拠をつけることは誰にもできない。

 そして殺人ギルド──《笑う棺桶》は、それを逆手に取って《自由に》ゲームをプレイしているのだと看板を掲げていた。

 

「よろしくじゃねえ!」

 

 クラインは激昂する。

 

「なんでそんなモンつけてんだ! それがどういうモンかわかってんだろ!?」

「……ああ、わかってる。だが必要なんだよ」

 

 シュウの声音はどこまでも平坦だった。袖を戻し、突き立てていた刀に手をやる。表情だけが困ったように笑っていた。

 

「譲れないものってあるだろ。さっきも似たような話をしたけど。ノーチラスにウタちゃんがいるように、俺にもそういうやつがいる。クライン、お前で言うなら後ろのギルドメンバーだ。もちろんそれだけじゃないんだろうけど、大まかにはそうだろ。だから第一層で残ることを選んだ。守るための選択だ」

「っ、それは!」

「わかってるよ。わかってる。まだ閉じ込められてすぐだったからな。合流予定だったっていうのもあっただろうし、アイツは経験者だ。彼らに比べればそれだけでも死ぬ確率は低い」

 

 知っている──それだけで強い。罠がどこにあるのか、敵がどう動くのか、それを知っていれば危険を避けることができる。あるいは宝がどこにあってどこにないのか、それを知っていれば無駄が省ける。敵の弱点を知っていれば倒すのにかかる時間を減らすことができて、それだけ安全を保つことができる。

 クラインは肩越しに、後ろでエギルに並ぶアルゴを見た。身近にそうして知識を武器とする者がいるからシュウの言うことは理解できる。それで今まで、何度助けられたことか。

 

「だがそうして、経験者であることが問題だった。……な、アルゴ」

 

 クラインからアルゴへ、シュウは視線を移す。

 アルゴは静かに頷いた。

 

「ベータテスター、ナ」

 

 それはかつて、アルゴが第一に隠した情報だった。自らのスリーサイズすら売れるならばとネタにしたアルゴが、それでも隠し続けた最優先秘匿情報。

 

「そう。ただの妬み嫉み、あと僻みだな。知ってるかクライン、前情報ったってたかだか十層ぶんしかなかったらしいぜ」

 

 シュウが呆れるように肩をすくめる。アルゴは苦しそうに笑って目を伏せた。

 ベータテスト。《SAO》の正式リリース直前に行われたベータ版は、現在の十分の一ほどの規模で行われた。参加人数は千人。期間は一ヶ月ほどであったが、一時期は世間の話題を席巻した。

 そしてその間に攻略できたのは十層まで。正式リリース版をクリアするための層数は百層である。

 

「一年かけて半分、五十だ。一層がとりわけ遅かったとはいえ、十までのクリアなんてあっという間だったろ。死に戻れないって制限はあっても三ヶ月だ。たかだか三ヶ月、そのためのアドバンテージにどうしてそこまで嫉妬できるんだか知らんが、プレイヤーの間に大きく軋轢を生みかねないことは明らかだった」

 

 今でこそ、ベータテスターという名は形骸化した。十層を越えればベータテスターでも知らないことは出てくる。多少のノウハウはあれど、死に戻りができない以上はテスターもそうでない者と同じように命の危険がある場所を避けるために探さなければならない。

 知っている、が通用しなくなるのだ。

 だがそれでも、アルゴをはじめとして自らがベータテスターであることを明かす者はいなかった。それはもちろん優位性を保ちたいという気持ちの表れでもあっただろう。しかしそれ以上に嫉妬の対象になりたくなかったのだ。

 

「妬まれる側にも問題はあったさ。けど、妬む側にも問題はある。ベータテスターばっかりが責められるなんてお門違いも甚だしいだろ。正規の手順で抽選に当たった運の持ち主ってだけなんだから。だからそれ以上の溝をつくった。結果としてベータだなんだって問題は薄まったはずだ。攻略も多少はスムーズになったろ」

「けどよぉ……!」

「なんだよ、そんな顔して」

 

 クラインが顔をくしゃりと歪める。そんなクラインに、シュウはやはり困ったような笑いを向けた。

 言葉に詰まったクラインは口を開いては閉じてを繰り返す。何かを言いたいのにうまく言葉にできない。それを見かねてか、エギルが挙手をして口を開いた。

 

「なぁ、シュウ。確かにそのおかげでベータ問題は大した騒ぎにはならなかった。たぶんあのままならキリトは孤立していただろう。だがお前がその役を被るっていうのは違うぞ。お前は殺してなんかいないんだから」

「そう、そうだぜ。いろんなとこから話を集めたけどよ、そのディアベルってのを殺したのはジョニーってやつなんだろ」

 

 エギルの言葉にクラインが続ける。確かにそれは事実である。要因という意味では間違っていない。

 しかしシュウは首を横に振った。

 

「さっきノーチラスにもふわっと言ったんだけどな」

 

 言いながら、シュウは先ほど投げ捨てた鞘を拾う。

 

「事実がどうあれ、世論の大多数は《梟》というレッドプレイヤーを許さない。なぜならその現場にいたプレイヤーが少ないからだ。さらに言えば、その現場ですら過半数が俺が殺したと思ってる。だから真実は違うんだ。あくまでも、『最初の殺人は《梟》の手による』んだよ。『実は《梟》でない誰かだった』なんてのは陰謀論みたいなもんだ。そういう説もあるという程度で済まされる」

 

 実際、ノーチラスがそうだった。《梟》が《梟》である以上、殺しも騙しもしていないなんてあり得ない。《梟》というプレイヤーがもう《そういうもの》だからと、そんなふうに語っていた。

 全員が全員そうとは限らない。しかし《梟》と初対面のノーチラスが言ったということは世論のひとつとして浸透しているということでもある。

 

「そして真実がどうあれ、プレイヤーがひとり死んだことは揺るぎない事実だ。実際に手を下したのはフロアボスで、流れとしてはボス戦でボスにやられるっていうなんでもないものなんだけどな。どっかのバカが変に騒いだせいで、《ボスにやられた》ではなく《誰かに騙された》になった。その誰かが──」

「オイラだったってカ」

「そういうこった」

 

《鼠》に矛先が向く。それもまた防がなければならなかったものだ。

 ベータテスターの権威が落ちたとき、重宝されるのはさらにその先の情報である。死ぬリスクがある以上、よほどの冒険心があるか追い詰められていたかしない限りはその先へ進むのに躊躇する。そんな彼らが頼るのは、いつだって情報。そしてその第一人者であったのが、《鼠》だった。

 全員の手に渡っていたのだ。エギルが手にした。キバオウも持っていた。そして何より──彼が掲げていた。

 

「なぁ、エギル」

「なんだ」

「ディアベルは、英雄だったよな?」

 

 エギルに向けられたシュウの視線。それはどこか、さっきまでの無感情な表情とはどこか違っていた。

 

「そう……だな」

 

 そのどこか違う視線を受け、エギルは戸惑いながらも頷く。

 

「怪しさがあったってのも聞いたがな」

「まあ、な。清廉潔白とはいかなかった。だが彼のカリスマは確かだった。そしてその彼はさ、エギル。お前は覚えているかな。言ってたんだよ」

 

 ──ゲームクリアは、自分の手で。

 

 そう言って、彼は先陣を切った。その後ろ姿はエギルの脳裏にも焼き付いている。

 

「ああ……覚えている。その後でオレの死ねない理由も言ったな」

「驚いたぜ。詳しく聞きたいが、それはまた別の機会にしておくとして。だからさ、クライン。最初の質問に答えるよ。どうしちまったのか、って」

 

《祢々切丸》を鞘にしまって、シュウは改めてクラインに正体する。

 簡単な話だ、と。自らとクラインを交互に指差し、これまでの困ったような笑いではない、どこか湿った──強い笑みを見せた。

 

「《俺ら》と《お前ら》。《敵》と《味方》だ。お前らの手でゲームクリアを目指せ。俺らはその邪魔をする。味方で足の引っ張り合いなんてごめんだろ。そのためには敵が必要だ。対立構造はシンプルじゃなきゃな」

 

 シュウはそうして、改めて腰に佩いた刀に手をかける。

 

「だから俺は、ここにいる。かかってこいよクライン。俺を倒せるもんなら倒してみろ」

「シュウ……」

 

 クラインがまたも泣きそうな顔をする。

 まだ迷うような素振りを見せていた。エギルもアルゴも、クラインの出方を伺っているように見える。だが《風林火山》のメンバーからいくつかの諭すような言葉が投げられ、クラインはやっと意を決したように腰のカタナの柄に手をやった。それを見て、シュウもいつでも抜けるように構える。

 だが返事は、その後ろの茂みから聞こえてきた。

 

「見つけたぞ《梟》! 望みどおり殺してやるッ!」

 

 甲高く裂帛の気合とともに放たれた片手剣突撃系ソードスキルが青く光芒を描いて真っ直ぐにシュウに襲いかかる。対するシュウも抜刀とともに橙色のソードスキルを放った。

 青と橙がぶつかる。

 そして互いに弾き飛ばされた。

 

「よぉ、久しぶり。リンドっつったか。なんだその髪」

「うるさい黙れ! 口を開くんじゃない!」

 

 リンドーー《聖竜連合》のトップだ。髪を青く染め、騎士のような白い鎧を身につけた片手剣士は敢然と刃を突きつける。

 

「ディアベルさんの仇! 絶対に晴らしてみせるッ!」

「まーだ根に持ってんのか。……いいぜ、来いよ。出来るもんならやってみな」

 

 クライン、アルゴ、エギル、そしてリンド。さらに《風林火山》とリンドについてきた《聖竜連合》。およそ二十人を前に、シュウは──《梟》は、口角を釣り上げる。

 

「──イッツ・ショウタイム」

 

 そして再び、鞘を捨てた。

 

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