野郎どもに花束を   作:小川 帆鳥

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Musik-1

 明るい道を進むというのはおそらくスタート地点からだろう。ならばまずはそこへ戻らねばならない。

 メニューウインドウを急ぎ操作する横で、それでもユナはちらちらと背後を振り返っている。

 

「ユウキ……本当に、大丈夫かな」

 

 取り出した転移結晶を片手に、ユウキはユナを振り向いた。

 

「ユナ」

「……うん」

「戻るなら、今のうちだよ」

「え……」

 

 ユウキの言葉に、ユナは言葉を詰まらせる。

 戻ってもいい──そんなことを言われるとは思ってもみなかった。

 進まなくてはいけないということはわかっている。進みたいという気持ちもある。けれどそれと同じくらい、あの場に残したひとたちを心配する気持ちがあった。

 初めて見たのだ。プレイヤーがプレイヤーの手で死ぬ場面──殺人を。

 そしてその殺人者があの場に残っていることが、この上なく不安でたまらない。

 

「ユナが選んだんだから、ボクはそこに何も言わない。でも、これだけはちゃんと言っておくよ」

 

 ユウキはそう言って、ユナの手を離して正面に向き直る。

 

「アスナもキバオウさんもわかってて行かせてくれたんだ。だからボクは行く。それにさ」

 

 ユウキもユナと同じように心配していた。あのギルドのリーダーは大丈夫と言っていたが、それでも不安は拭えない。キリトに関してはアスナに任せたから問題ないだろうが、戦えるのかと言われればわからない。かと言ってあの場から離脱させると言うのであればあのギルドを優先させるべきだし、そうなれば本当にキバオウひとりになりかねない。ならばキリトをあのギルドに任せてアスナとキバオウのふたりに頼るというのが妥当な線だ。だがザザというオレンジプレイヤーが新たに現れた今、その実力がわからない以上は自分たちだってあの場に残るべきなのではないかと思いもする。

 それでもユウキは行くことを選んだ。もちろんそれには、シュウが現れたということがひとつの要因ではあったけれど。

 

「依頼、受けるって決めたから」

 

 仕事という表現に冷たさを感じるなら、約束と言い換えてもいい。ユナと交わした約束なのだ。ノーチラスを止める。絶対に死なせない。

 ユウキの答えに、ユナははっと目を見開いた。

 

「どうする?」

 

 あらためて訊ねる。

 ユナは、今度は迷わなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 大猿率いる、猿の軍団。ジョニーたちと入れ替わるように現れたそれらを見たとき、キバオウは咄嗟にアスナを──彼女に庇われているキリトを振り向いた。

 

「黒いの!」

 

 いけるか、と聞こうとした。さすがにキバオウひとりであの量は無理だ。《ドラグドエイプ》は一体。その取り巻きである《ドランクエイプ》が六体。頭数で言えば同じであり、《閃光》はともかく、黒猫団の戦闘力が心許ない現状でさらに動けないプレイヤーがひとりでもいるというのはこの上なく難易度を跳ね上げる。

 だが、キバオウが言うよりも先にケイタが口を開いた。

 

「キリトさん」

 

 すでに他のメンバーは動いていた。三人が、それぞれで一体の相手をしている。その戦闘はとても危なっかしくて、今にも助けが必要に思えるほどで。けれど各々の表情に退く意思は全く表れていない。

 そしてそれは、キリトに歩み寄ったケイタの顔も一緒だった。

 

「僕らは、簡単にではありますがひとつ決めました。そしてすみません。僕たちはあなたとの約束を破ります」

 

 アスナの背中で、キリトが微かに身じろぎする。

 

「危ないと思ったら逃げろ──今、かなり危ないです。でも僕らは戦います。サチのおかげでというとなんだか情けなくも、お前が言うなとも思いますが。それでも、サチがあのとき何を思っていたかはきっと僕らがいちばんわかってる」

 

 キリトのせいなんかでは決してない。ケイタも──ケイタたちもまた、はやる気持ちを抑えきれずここへ来ることを選んだのだ。サチだけが首を横に振っていた。その少数意見を無碍にしたのはケイタたちだ。キリトはきちんと汲んでいた。彼が自責の念に囚われる必要などないのだ。

 それでも彼は、サチの死は自分のせいだと言ってくれた。

 だから、伝えるべき言葉はこれだ。

 正しく伝わるかはわからない。伝えるべきではないかもしれない。けれど、少なくともケイタたちには──長く友人をやってきたからこそ、あの瞬間だけはサチの想いがわかったのだ。

 今さらとも思う。少なくともこのゲーム中ではサチの気持ちを無視してきたのに、この期に及んでどの口が、と。

 それでも伝えなければならない。でなければ、誰よりもキリトが報われない。

 

「キリトさん!」

 

 ケイタは姿勢を正した。呼びかける声は、大きくはない、けれど強い声だった。

 彼からもらったのは、とても大きなもの。そして大切なものだ。

 勇気と無謀は別物だという。その意味を、身をもって知った。

 サチはあのとき、誰よりも勇者だった。

 

「ありがとうございました!」

 

 頭を下げる。キリトがどんな顔をしていたのかはわからない。

 だが小さく、うん、と頷く声が聞こえて。

 顔を上げたケイタは、短く息を吐いてすぐに一体のドランクエイプに向かって走り出した。

 

「……なんや、ずいぶんと変わったっちゅうか。見損なっとったな」

 

 キバオウが感心したように呟く。尾行していたときと今と、彼らは大きく違う。メンバーがひとり目の前で殺されて、もしかしたらひどく崩れると予想していただけにキバオウは戸惑ってもいた。

 そして少し、羨ましくも思えた。彼らは彼らできっと彼らなりの決着を見たのだ。仲間の死を、ちゃんと受け止めている。そのうえで、前を向けているのだ。

 

「……ワイにはそれができんかった」

 

 仲間の死を他人のせいにしていた。だから逆恨みのようなことを思ったのかもしれない。そしてたぶん、彼らにとってのキリトが、自分にとってのディアベルであり、《梟》だった。そのことに気づけなかった──あるいは今さらになって気づいたことが、すごく悔しい。彼らは自分がたどり着けなかった境地にいて、それが少しまぶしかった。

 だが止まってはいられない。それでも彼らの戦力が上がったわけではなく、今にも簡単に崩れてしまうだろう。援軍は呼んでいるが到着にはもう少しかかると報告があった。であるならば、ここは今のメンバーで切り抜けるしかない。

 そして間違いなく、現状の最高戦力はキリトのはずだった。

 

「ほんで、黒いの。行けるんか」

 

 剣を抜き、肩に担ぐ。

 

「ダメなら、帰れ。《閃光》がお前にかかりっきりっちゅうんは厳しいで。あのデカいのはともかく、ちっこいのがまだぎょうさん湧くんやとしたら数も力も足りん。ひとりで帰るか、戦うか。決めろ」

 

 言うだけ言って、キバオウは大猿──ドラグドエイプに斬りかかっていった。

 そして、それまでを黙って見ていたアスナがようやく口を開いた。

 

「キリトくん」

 

 静かな声。キリトのまだ少し震える手を、アスナの手が優しく包む。

 

「まだ、お礼言ってなかったね。偽ログアウトスポットで、助けてくれてありがとう。ジョニーの言葉でっていうのがなんか癪だけど、思い出したんだ。あのときシュウさんばっかり見てたけど、キリトくんが倒してくれたんだよね」

 

 焦っていた。なにも知らないまま、このゲームから出られないという絶望だけがわかっていて、だから目の前に吊るされた脱出という二文字に踊らされた。

 そこに助けに来てくれたのが、ユウキと、アルゴと、シュウと、そしてキリトだった。

 

「シュウさんやアルゴさんが行くって言ってくれて、キリトくんは呼ばれたからっていうのも知ってる。でも、助けてくれたのはキリトくんだから。だから、ありがとう。おかげで、わたしは生きてるよ」

「……っ」

 

 アスナの背中で、鼻を啜る音が聞こえた。だが聞こえていない振りをして、アスナは話し続ける。

 

「自分のせいでってキリトくんは言うけど。キリトくんのおかげで、生きてるひともいる。それを忘れないでね」

 

 言いながら、アスナはきゅっとキリトの手を握る力を強めた。

 

「それでも忘れちゃうなら、いつだって思い出させてあげる。あのとき守ってくれたお返しに、今度はわたしが、キリトくんを守るよ」

 

 そしてアスナはキリトの手を離して立ち上がり、

 

「行ってくる」

 

 それだけを告げて、閃光の如き速さで駆け出した。

 

 

 

 

 

 

「キバオウさん!」

 

 アスナは呼びかけながら、速度を緩めることなく細剣の切っ先を大猿に向ける。ソードスキル《リニアー》。直線的を意味するその技は、真っ直ぐに大猿の腹を刺し貫き吹き飛ばした。

 

「状況は」

「悪い。コイツの火力はそんな強くあらへんけど、耐久力が尋常じゃない。小さいほうは野良と同じようなもんやが数が多い。アイツらだけじゃしんどいな」

「じゃあどっちかが」

「選ぶならワイがあっちや。あんさん盾持っとらんぶん火力出るやろ。とっとと削らんともっとあかん。あのサル、泣き上戸でほかの子分呼ぶで。ほかの上戸はもっとわからん」

 

 キバオウの言葉に、アスナはさっと大猿のほうを見た。立ち上がろうともせず、木に背中を預けながらぐびぐびと瓢箪を傾けている。

 

「今でこそ落ち着いとるし、こういう休憩みたいなときに一回周りの掃除したんやがやっぱ手が回らん。しんどいかもしれんが、鈍いから避けれるはずや。削るなら《閃光》やと思う」

「わかりました。ひとまずそれで」

 

 言ってから、二人ともがちらとキリトを見る。変わらず沈黙しているキリトにキバオウが何かを言う前に、アスナは口を開いた。

 

「行きます」

 

 言って、立ち上がった大猿に切っ先を向ける。そしてやはり何かを言われる前にアスナは剣に光を纏わせた。

 ドラグドエイプ。ドランクエイプの特徴がそのまま大きくなっただけのはずであり、ならばあの振り回される瓢箪はメイスに類する打撃武器。攻撃パターンもおそらく基本は同じ。ただ、泣き上戸になると援軍を呼ぶ。ということはもしかしたらほかのパターンもあるということだろう。

 だが関係ない。血盟騎士団に援軍は要請した。団長は来ないだろうが、ほかのメンバーでも十分だ。おそらく軍のほうでも増援は呼んだはず。相手は仮にもボスだ、こんな少人数で倒せるとは思っていない。援護が来るまで耐えることができればじゅうぶんで、それはおそらくキバオウと自分だけでも可能である。

 ──だけど、もし。

 視線こそ大猿に向けたままだったが、アスナは記憶を掘り起こして期待する。

 ──もしキリトくんが復活すれば。

 あのときの背中はとても大きかった。一刀両断された巨狼のポリゴン片が舞う光景はきれいだとさえ感じた。彼の背中を見て、アスナは進むことを迷わなかったのだ。

 キリトは、指針であり。

 そしてアスナにとっての象徴だった。

 その彼が復活さえしてくれれば、この少人数による討伐だって不可能ではないとアスナは信じている。

 そして大猿が立ち上がった。巨躯というにはやや小さい。ドランクエイプと比べて頭ふたつ違うくらいだ。だがボス。キバオウの話では泣き上戸があるという。そういうギミックはドランクエイプにはなく、ゆえにひと癖あることが特徴といったところだろう。

 一対一。あのときと同じだ。それでもアスナはひるまなかった。

 大猿が泣く──泣き上戸。取り巻きのドランクエイプが増える。だがそれらは全てキバオウと、彼の指揮に従うあのギルドに任せる。

 大猿が笑う──笑い上戸。瓢箪を振る頻度が増える。間隔がまばらになるが、速さは変わらない。避ければいい。

 大猿が飲む──飲み上戸。瓢箪の酒を呷ることでHPが回復する。そのぶん攻撃に手は回らない。こちらから攻撃する好機ではあるが、どうか。

 アスナは刺突を繰り返す。避け、突き、避け、突く。持ち前の軽いフットワークと高い攻撃力でじわじわと大猿の体力を削っていく。

 

「……っ!」

 

 だが、どれだけ削っても回復パートーー飲み上戸になるとほぼ全快してしまう。キバオウが言ったように耐久力が高すぎるのだ。高HPというのもそうだが、防御力──ダメージの通らなさが尋常ではない。鎧などなく、腰巻ひとつの肉体がまるで鋼のように硬い。それでいて仲間は呼び、自分は回復する。まるでフロアボスと思い紛うほどに戦闘が長引いていた。

 レベルだけで言えば絶対と言い切れるほどマージンの取れた層ではあるけれど、長期戦になれば絶対に不利だ。それがわかっているから、アスナのほうが圧倒的に攻勢であるのにじりじりと焦りを露わにしていく。

 ──回復が足りない。

 自分はいい。キバオウも。だがそれ以外、彼らの回復が間に合わなくなる。増援の連絡もなく、それがさらにアスナを焦らせていく。

 そこへ大猿は新たな上戸を見せた。

 

「ゥグルルルル……」

 

 鋭利な歯を見せ、低く唸る。それは憤怒の表情──怒り上戸。

 瓢箪を振る間隔はやや開いた。だが代わりに振る速度が、一撃の威力が上がる。焦りに身を焦がすアスナはその速度を見誤った。

 ドッッ! と。

 横から襲いくる瓢箪がアスナの細い体を軽々と吹き飛ばした。受け身こそ取ったが、体が動かない。打撃武器に多い行動不能付与。視界端、HPバーのところに星の回るアイコンが点灯する。

 

「閃光!」

「アスナさん!」

 

 キバオウたちはそう呼びはするものの、ドランクエイプの数の多さとそれを相手取る黒猫団のフォローとで離れることはできない。

 ゆっくりと、大猿はアスナに向けて踏み出す。さらに激しく憤怒に満ちた顔で空になった瓢箪を投げ捨て、新たに腰に下げていたひとつを手に取った。唸り声をあげ、酒が入ったままの瓢箪をぶんぶんと振り回して、大きく振りかぶって。

 その光景にどこか見覚えがあって、圧倒的窮地のはずなのにアスナはなぜかひどく安堵した。

 

 ──間に合った……! 

 

 そんな声が、聞こえた気がした。

 

 

 

 

 ──サチの顔が、まぶたの裏に焼き付いて消えない。

 絶対に守ると誓った。その約束を、あっけなく破ってしまった。それどころか守られた。その情けなさと、目の前でアバターが消えたあの喪失感で体が押しつぶされそうだ。

 ディアベルのときもそうだ。守ると誓ったわけではないけれど、ひとが死ぬという感覚をやはり腕の中で味わった。

 ──後を頼む、と言われた。

 だからというわけではないけれど、《守る》という行為が自分のなかで大きなウエイトを占め始めていた。もっと早く気づけていれば。もっと早く伝えられていれば、もしかしたらディアベルは、サチは死ぬことがなかったかもしれない。そしてそれを言うならば、コペルのときだって同じなのだ。いつも同じ後悔をしている。

 ──ありがとうございました! 

 礼を言われるようなことはしていない。罵倒すらされたっていいのだ。そのくらいの大口は叩いたし、それでいて結果は残せていないのだから。

 だから、だろうか。キバオウの物言いになぜか安心した。

 ──ひとりで帰るか、戦うか。決めろ。

 まるでシュウのようなことを言う。たしかあのときも、シュウに選ばされた──というか、確かめられたような気がする。選ぶ権利どころか、考える余地すらない。戦うべきなのだ。

 だというのに。そこまで頭ではわかっているのに、からだが動かない。動こうとしない。まるで本能が動くことを拒んでいるような。

《怖い》、と思った。これ以上失うことが怖い。これ以上、自分のせいで何かが起こることが怖い。……立ち向かうことが、怖い。

 そんなとき、ふと自分の手にぬくもりがかぶさった。

 ──ありがとう。おかげで、生きてるよ。

 アスナの声。たったひとり、キリトがちゃんと救えたと思えるひと。だがそのぬくもりは一瞬で消える。それがひどく不安に思えて、キリトはまるで迷ってしまった子供のように視線をさまよわせる。

 そうしてやっと顔を上げたキリトの視界に飛び込んできた光景は、かつてと同じだった。

 ボスが、武器を振り上げて。

 アスナの背中が、見えていて。

 ──勇気を、ちょうだい。

 サチの声。怖がりな少女の一言が頭の中に響く。一瞬、手にぬくもりが戻る。

 キリトは、土を蹴っていた。

 

 

 

 

 

「──何度も何度も、目の前で死なせてたまるかよ……!」

 

 振りかぶられた瓢箪に、青い光の尾を残して黒い塊が衝突した。

 大猿が再び尻餅をつく。黒は宙で一回転してアスナの前に着地し、ゆっくりと立ち上がる。

 翻るコートがゆっくりと降りてきて。

 あのときと同じ背中が、アスナの前にあった。

 

「キリトさん!」

 

 ケイタが名を呼ぶ。それに頷きを返して、キリトは少し躊躇いを見せた後に口を開く。

 

「ごめん、待たせた」

 

 肩口から覗き込むその顔は、どこかバツの悪そうな、それでいて少し恥ずかしそうにはにかんでいた。

 

「寝坊やぞ。寝過ぎや」

 

 キバオウが憎まれ口を叩いた。だがその口元は笑みをたたえている。それにもやはりキリトは気まずげに笑って頷いて。

 そして、アスナに手を伸ばした。

 

「アスナ」

 

 手を取って、立つ。少しの間、キリトはその繋いだ手をじっと見てから離した。そして小さく、

 

「ありがとう」

 

 と呟いた。

 

「……? どうしたの?」

「いや、なんでもない。キバオウの言うとおり、寝坊したぶん働くよ。指示頼む、参謀殿」

 

 攻略組の指揮編成はアスナの仕事だ。それを揶揄する参謀殿というのは、キリトがよくユウキと一緒になって茶化すときの呼び名。

 ──いつものキリトくんだ。

 それが嬉しくて、アスナは思わず顔を綻ばせる。

 

「任せて!」

 

 大猿が再び立ち上がる。

 二条の残光が、白い雪のキャンバスを彩った。

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