野郎どもに花束を   作:小川 帆鳥

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Serenade

 クラインの袈裟斬りに《梟》が逆袈裟で合わせた。火花が散り、両者が共に二歩三歩と退く。

 

「……ずいぶん、強くなったんじゃねえの」

「今のお前ェに言われても嬉しくねぇ、よっ!」

 

 言いながら、クラインは斬撃の手を止めない。カタナとカタナがぶつかり合う。

 凄絶な斬り合いだった。息をつく間も無く、どちらからともなく斬撃が繰り出される。そしてその全てを、どちらともが完璧に受けきっている。真っ向からの斬り下ろし。左からの横一文字。懐から、突き。雪の降るなかで赤備の武士と流浪の剣士が争うそのさまは、やや歪な時代劇を思わせる。

 

「お前ェ、あのとき言ってたのはなんだったんだよ!」

「あ? なんか言ったっけ」

「『知り合いが近くにいたほうが安心』みたいなこと言ったろ!」

「あーあれ。ちゃんと言ったぜ、エギルに『後は任せた』って」

「人任せにすんな、てめえで責任持って近くにいろ!」

「そうは言うけど、俺じゃないと意味なかったんだあのときは」

「そばにいるのもお前ェじゃねぇと意味ねぇんだよ!」

 

 ひときわ大きい音がして、それぞれのカタナが弾かれる。互いに息を荒げながら、それでもすぐに次の構えを取った。

 

「確かにオレはギルドのために動いてる。悪いが、優先順位をつけるならアイツらが一番だ。けどな、そういうふうに優先順位をつけたとき、お前ェが一番にくる奴らがいるんだぞ!」

 

 クラインが叫び、踏み込む。大上段からの斬り下ろしはしかし、容易く《梟》に受け流される。

 

「ありがたい話だよ。けど、そういう優先順位で例えるなら悪いほうの一番になっちまう奴がいたんだ。そいつが原因だったなら俺は放っておいた。けどそうじゃないんだ。それはおかしいだろ!」

 

 受け流され、たたらを踏んだクラインの横腹に《梟》の前蹴りがめり込んだ。一瞬、体が宙に浮く。

 

「──っ! だからってじゃあなんでお前ェが悪者になんだよ! お前ェがやったんじゃねぇんだろ! やってもねえことやったって言い張って、それでなんになるん、だ!」

 

 だが吹き飛ばされながら、クラインはその足を掴んでいた。自らの体が雪に投げ出されたその勢いで《梟》をも投げ飛ばす。

 

「チッ……! そうじゃなきゃおさまんねえことはあるだろうが! 事が起きちまった以上、誰かが責任取んなきゃなんねえんだよ!」

 

 雪を乱暴に払って、《梟》は近くに落ちていた鞘を拾い上げた。そして言い切ると同時にクラインに向けて思いきり投げ、自身もやや遅れて走ろうと踏み出す。

 

「事を起こしたのはお前ェじゃねぇだろうが!」

 

 飛来する鞘をクラインはカタナで弾き飛ばした。宙を舞うそれは追撃の構えをとった《梟》の目の前に突き立つ。さらに踏み出そうとした勢いを遮られ、《梟》はその足を止めた。

 大きく息を吐いて、クラインはカタナを下ろす。

 

「ましてキリトでもアルゴでもねぇんだろ。じゃあ少なくとも、お前ェが取るべきだっていう責任なんかどこにもねぇじゃねえか。それはエギルだって言ってたろ」

 

 ベータテスターではなかった。事前知識などあるはずはなく、ゆえにボスの情報などひとつとして知るはずもなく。

《鼠》の片割れではあった。だが《鼠》としての活動は基本アルゴが行うものであったし、《鼠》としての名前もアルゴのものであった。

 あくまでも、彼らに最も近い場所にいたというだけなのだ。

 

「じゃあ……!」

 

《梟》は──シュウは、構えを解いたクラインを筋違いだとわかりながら、それでも強く睨みつけた。

 

「じゃあどうしたらよかったんだ!」

 

 右手でカタナを雪に強く突き刺す。その手はひどく震えていた。

 

「ボスの武器がベータテストと違ったことを《騙した》ことにされちまうんだぞ! 違うかもしれないって注意喚起を無視して突っ込んでおきながらそういうときだけ都合よく責任転嫁しやがって、なんで情報開示が当たり前だと思ってやがる! アルゴがどれだけの苦労と苦悩をもって攻略本書いてたか知ってんのか! しかもそもそもベータテスターが言わないから悪いだのだからベータテスターが悪いだのと眠てえこと言いやがって、てめえらがそういうこと言ってっからますますベータテスターがそうと言えなくなってんだろうがよ! キリトなんて多分まだ中坊とかそんなんだろ、そんな子供をいい歳こいた大人がビビらせてんじゃねえぞ! 挙句に犠牲があったから攻略本ができただ? だからこそだよ、そうじゃなきゃ書けるわけねえだろうが! みんなが試してくれたからこそいろんな情報があってそれを拡散したんだろうがよ、二の足を踏んでくれるなよってよ。それをよくもまああんな悪し様に言ってくれやがって、それで対立しないなんてどう考えたらそう思えるんだ、ああ!?」

 

 一息。息継ぎすら惜しむように、シュウはとにかく吐き出していく。言い争っていたクラインも、それを黙って見ていた周囲も全員が固唾を飲んでいた。

 

「あのときジョニーがいたことを知ってるのが何人いたよ。俺がジョニーの麻痺毒を食らったことを知ってるのは何人だ。ジョニー・ブラックってのを知ってる奴が何人いた! いねえよなぁ、だからキリトを責めるような口ぶりができるんだもんな。ユウキなんてさらに少し幼いだろうに、ましてもっと当事者からは遠いのにどこまでも裏を読んで。……だから俺が全部被ったんだ。ひととおり知っていて、辻褄の合うストーリーを作れるのは俺だけだったから。あのふたりにあれ以上を背負わせたくなかった。俺にできるのはそれが精一杯だったんだ!」

 

 吐き出して、吐き出して。そうして上げたシュウの顔は今にも泣き出しそうなほどくしゃくしゃに歪んでいるのに、それでも強がるような笑みを浮かべていて。

 

「なあ、教えてくれクライン。どうすればよかったんだ。いったい何が正解だった?」

「……っ!」

 

 シュウの問いかけに、クラインは答えることができなかった。その場にいなかった自分を恨んだことすらあるクラインが、その場にいたシュウに何かを言えるとは思っていなかった。大人を頼れ、オレを頼れという言葉が喉から出かかって、それを必死に押し殺す。

 きっと何を言っても今のシュウには通じない──響かない。まして当時不在のクラインから言えるものなどあるはずがなく。

 思わず目を逸らすと、エギルと目が合った。当時現場にいた大人としてはおそらく最も親身になっていたであろう人物だが、彼ですら首を横に振っていた。それはわからないという意思の表れか、あるいはどうにもならなかったという諦念か。隣のアルゴを見ても、肩をすくめるばかりで何かを言うつもりはないようだった。

 溜め込んでいた鬱憤の吐露は、悲痛な叫びでもあった。それに対する答えはなく、かける言葉は見つからず。沈黙が重くのしかかる。

 十秒か、十分か。あるいは十時間のようにも感じる静寂を打ち破ったのは、少女たちの合図の声だった。

 

「行くよ、ユナ!」

「うん!」

 

 未だ治らない部位欠損の回復を待つ聖竜連合のさらに後ろから、雪の上を駆ける音がふたつ。

 それらは迷わず、真っ直ぐ《梟》に向かってきていた。

 

「シュウ────ッ!!」

 

 聞き慣れた声。雪に刺していたカタナを抜くよりも早く、それを器用に避けて黒い髪を靡かせて少女がひとり、シュウの腹に飛び込んだ。

 

「どーん!」

「かっ……!」

 

 少女が頭を埋めたのは《梟》のみぞおち。肺の空気が全て抜けたかのように苦しげな《梟》を、その勢いのまま押し倒した。

 

「横、失礼します!」

 

 その脇を、もうひとりの少女が駆け抜けていく。止めようとする《梟》の腕はしかし届くことはなく。

 およそ二十人もの足止めを完璧に行なっていた《梟》は、二人の少女にあっさりと通行を許したのだった。

 

 

 

 

 

 

 誰もが突然のことに呆然とするなかで、《梟》に飛び込んだ少女はぐりぐりと額を鳩尾に押し付ける。

 

「久しぶり、シュウ! 元気だった?」

「ユウキ……」

「んー?」

 

 ぱたぱたと足を動かしながら、なおさらに鳩尾に顔を埋めたのはユウキだった。いつかのような不機嫌でなく、これ以上ないほどに上機嫌。話したいことはいっぱいあるんだ、どれから話そうかなと楽しそうに吟味するその様子に、《梟》は──シュウは、何かを言おうとしてはやめてを繰り返す。

 そうして絞り出したのは、たった一言だけだった。

 

「苦しい」

「あ、ごめん」

 

 ユウキの腕から力が抜ける。それでも離れる様子はなく、苦笑混じりにため息をついたシュウはそのまま雪を払いながら立ち上がった。突き立っていたカタナを引き抜き、そして同じく雪に突き立っていた鞘を抜くと、やや乱暴に収める。

 

「アルゴだな?」

「正解ダ。効果は抜群だロ?」

 

 いつの間にかクラインの横にいたアルゴが頷く。どこか安心したような、少し気の抜けた笑みにシュウは苦笑を返した。

 

「ああ、これ以上ないくらい効果的だよ。……約束、だったんだがな」

「約束?」

 

 顔を埋めたまま、ユウキが問う。

 

「そう、約束だ。誰も通さないっていう。まあいいっちゃいいんだけど……それよりユウキ、離れねえか?」

「やだ! ……むー!」

 

 シュウの手が額と鳩尾の間に滑り込んだ。だがユウキも負けじとシュウの背に回していた腕に力を込め、ぐりぐりぐりと力いっぱいに額を押し付け続ける。

 

「いちゃついてるとこ悪いケド。っていうかそもそも男と男の戦いに水を差して悪いんだけどサ、そろそろこっちとしてもヤバいんダ。先に進んだノーチラスが危なイ……ハズ」

 

 どこか呆れ混じりに言いながら、アルゴは隣に立つクラインを見上げる。それにクラインは、構わねえと頷きを返した。

 時刻は日付が変わって三十分が経とうとしている。つまりノーチラスがひとりでボスに挑んで三十分。通常、一度の戦闘でそれだけの長時間かかるというのは、極端に防御性能の高いフロアボスとの戦闘でもない限りはあり得ない。よほどの死闘か、あるいは。

 だがそうして想像した、最悪の事態に対しては。

 

「間に合ったってことでいいのかナ、ユーちゃン」

「たぶん!」

「たぶんカ」

 

 言いながら気づいたアルゴが尋ねると、ユウキは元気な声で曖昧に返事をした。

 道中に確認したユナのフレンドリストにあるノーチラスの名前はまだ薄くなっていなかった。もしも間に合っていなければ──命を落としていれば、当該の文字列ははっきりとした黒から灰色に薄まっている。そしてもしもそんな事態に陥っていたなら、彼女たちはこの場には現れないはずだ。

 ノーチラスを止めることは出来なかった。だが合流はできたはずだ。ならまだ可能性はある。ノーチラスが死なない可能性が。

 だから後は、ユナ次第。そしてノーチラス次第だ。

 

「なんにしてもよ」

 

 アルゴの後を引き継ぐようにして、クラインが言う。戦う意思などもう──いいや、最初からなかったのだと言わんばかりに、武器をしまいながら。

 

「ひとり抜けたならふたりも三人も変わんねえだろ。さっきの答えをオレは持ってない。けど、誰かを死なせてしまう可能性ってのは潰すべきだ。間違ってる。だから道、空けてくれ」

 

 何度言おうと首を縦に振ることはないはずだ。シュウはそういう男だ。先ごろの叫びも、その前のそういうものだという言葉からもクラインは悟っていた。だがそれでも言わざるを得ない。クラインもまた、そういう男だった。

 そしてクラインの想像したとおり、ユウキを引き剥がすことをひとまず諦めたシュウはそれでも道を譲るような仕草は見せなかった。

 

「……通ったの、ウタちゃんだろ」

「知ってたの? シュウ」

 

 満足げにひっついたままのユウキが顔を上げる。それにシュウは控えめに頷いた。

 

「知らないやつのほうが少ない。超希少な歌のバフとそれを守る騎士。ユナとノーチラス。通ったのがユナというプレイヤーなら、俺はもとから通すつもりでいた。だから計算には入れてくれるな」

「え、そうだったの? みんなを通せんぼしてるって聞いたけど」

「それは間違ってない。ノーチラスがその手でボスを倒さなきゃ意味がないからな」

「……んー?」

 

 よくわからない、とユウキは首を傾げる。

 

「ユナはじゃあ、行っても意味ないの?」

「いや? 最高の救援だろ」

「……んー!」

「苦しいって」

 

 ことさらにわからないというように唸り、ユウキはシュウの鳩尾を抉った。

 ノーチラスのソロにこそ意味がある、だが最高の援護能力を持ったユナならば通すつもりでいたという。その矛盾が、ユウキにはよくわからない。

 

「ひとりでやらなきゃなのに、ユナはいいんだ?」

「……ああ」

「? ──!」

 

 ユウキの問いにシュウが答えるのに、わずかな間があった。その間と、視線を上げて垣間見たシュウの顔がユウキの疑問を確信に変える。だがそれ以上ユウキが何かを言う前に、シュウは──《梟》は、クラインに向き直った。

 

「そういうわけでクライン、変わらずここは通行止めだ」

「強情っぱりめ」

「うるさいよ。……それで、ユウキ。本当にそろそろ離れてくれ。動きづらい」

 

 道を空けろとクラインは言う。ユナに関しては元から通すつもりであったが、それ以外は変わらず通行不可だ。そしてそれを実行するにあたって、ユウキがひっついたままでは動けない。

 だがユウキの返答は速かった。

 

「やだ」

 

 ぎゅう、と。シュウの腰に回した腕に力を込める。離すつもりなどないという意志がはっきりと表れている。

 そしてもちろんそれは、《梟》にとっては妨害以外のなにものでもなかった。

 

「……いや、やだじゃなくて。離れろって」

「やだもん!」

「離れろ!」

「や!」

 

 シュウが口調を厳しくして言っても、ユウキは頑なに拒む。

 

「離したらまたひとりで行っちゃうでしょ! ボク決めたんだから、絶対に離さないもん!」

 

 ユウキにもまた、忘れられない後悔があった。クラインがその場にいなかったことを悔いたように。キリトが知人を救えなかったことを悔いたように。

 ユウキは、あのときシュウに伸ばした手が届かなかったことを──それによって背中が遠ざかってしまったことを、ずっと悔やんでいた。

 だから、決めた。絶対に離さない。近くにいてもらう。それがどんな我が儘であろうと、やると決めたのだ。

 ──シュウは、《敵》なんかじゃない。

 それはもとからわかっていたことで。そしてついさっき得た確信が、より強固な想いとして固まった。

 

「……っ!」

 

 ユウキの叫びが、想いが。どれだけ伝わったのかはわからない。わからないが、《梟》はまるで電池が切れたロボットのようにぎしりと動きを止める。

 それを見逃すクラインではなかった。

 

「いいね、そのまま離すなよユウキちゃん。──おう野郎ども、そろそろ動けるだろ! 今のうちに行くぞ!」

「あ、おいクライン! 待て!」

 

 クラインの号令で、座り込んでいた《風林火山》の面々が立ち上がる。《梟》に斬られた足は全て治っていた。

 

「待てと言われて待つやつはいねえんだろ?」

 

 ここぞとばかりにクラインはにやりと笑い、ギルドの面々にゴーサインを出す。《梟》の強みは武器のリーチと速いフットワークだ。そのうちの片方をユウキによって制限されている今、脅威は半減している。そこへ改めて数の多さで挑めば、押し通ることは可能なはずだ。初めて聞くシュウの慌てるような声がその可能性を確信へと押し上げる。

 だが──もうひとり。そんな状況を逃すはずのない男がいた。彼もまた動き出していて、その部下たちによって風林火山の面々は動きを止められる。

 数の暴力というなら、この場にはもうひとつの集団がある。

 

「そうだ……そのまま離すなよ」

 

 両の手はまだない。鮮やかな水色の髪はひどく荒れている。波打つ水面に映った三日月のような笑みを浮かべ、ゆっくりと立ち上がったのはリンドだった。背後には《聖竜連合》の面々が雑然と立っている。《風林火山》と同じく、彼らもまた斬られた足が回復していた。

 

「ようやく動きを止めたな《梟》。女性の懸命な静止に素直に従うなんてらしくないじゃないか。まるで人間みたいだ」

 

 その声を合図に、聖竜連合の輪はじりじりと半円状に広がり、そして《梟》を囲んでいた。それはさながら壁だった。あるいは鳥を閉じ込めておくための籠。通さないという意思を逆に利用してやろうとするかのように、逃がさないと言わんばかりの包囲。

 

「そうじゃないやつなんかいるかよ」

「いるさ。お前らレッドがそうだろう。人を殺すことをなんとも思わない。だからできるんだろ? そういう人でなしを鬼と呼ぶんだ。殺人鬼が」

「……なるほど?」

「なるほどじゃないよ、シュウ!」

 

 ユウキが慌てて口を挟む。

 

「リンドさん、シュウはディアベルさんを殺してなんかないんだよ! 信じて、ほかに黒幕がいる!」

 

 だがユウキの言葉を、リンドは鼻で笑い捨てた。

 

「ふん。そんなことはどうだっていいんだよ。コイツが自分でやったと言うんだからそうなんだ。本当は誰がなんて関係ない。それならそれで、そいつを後で殺せばいい」

「リンド! テメェいい加減に──!」

「うるさい!」

 

 クラインの言葉を遮り、リンドは欠けた手で器用に剣を拾い上げて柄を口にあてがう。

 リンドの目配せで《梟》を包囲する聖竜連合からふたりが動いた。クラインの両脇を固め、ずりずりと引きずっていく。

 

「なっ、おい!」

「お前たちだって敵なんだよ。オレは絶対に何がなんでもあの人を生き返らせる。そのためにはどんな手を使ってでもアイテムを手に入れる。アイツの後はお前らだ。邪魔をするなら消す。順番に殺してやる」

 

 そして──がり、と。

 リンドは剣を、口に咥えた。

 

 ──まずはお前だ。

 

 目をかっと見開く。獣のような前傾姿勢。地を蹴るためか、だらりと垂れた腕を前脚に見立て、咥えた剣はさながら牙のよう。

 そして──口を開けないからではあるだろうが──リンドの口から漏れたのは、まさに獣のような唸り声だった。

 

「……っ!」

 

 そんなリンドの様子に、ユウキが体をこわばらせる。

 シュウを人でなしと、鬼と呼んだ男が自身の振る舞いを獣のように変えた。その動作に怯えたのか、さらに強くユウキはシュウにしがみつく。

 リンドが姿勢を低くする。今にも飛びかからんとするその目には、ユウキのことはまるで見えていないようだった。

 

「……潮時、か」

「え、わ、シュウ?」

 

 シュウは誰にともなく呟き、ユウキの頭を抱きかかえた。そして今度はユウキにだけ聞こえるように小さくぽつりと呟く。

 

「ごめん」

「……え」

 

 聞き返そうとするユウキの口を塞ぐようにさらに強くかき抱き、次の瞬間──《梟》が、叫んだ。

 

「PoH!」

 

 その場の全員が、雷に打たれたかのように動きを止めた。

 それは名前だった。悪名高い殺人ギルド《笑う棺桶》において長とされる──リーダーと目されるプレイヤーの名前。ギルド内序列として最高位にいる男の名を《梟》は口にしたのだ。

 それは恐怖の、そして悪の象徴ともいえる代名詞。最初の殺人者こそ《梟》だが、最多の殺人数で言えば奴である。そんな男が近くにいるかもしれない──たったそれだけの可能性を示唆しただけで、この場にいた全員が警戒レベルを最大限に引き上げる。

 その隙に《梟》は素早く腰に回されていたユウキの腕をほどいた。いかなる状態であっても、ユウキは攻略組。筋力値でいえば高水準のはずだったが、彼は苦にする様子もなくするするとほどいていく。そして素早く、軽々とユウキの華奢な体を抱え上げた。

 

「エギル、受け取れ!」

 

 最後まで抵抗していたせいで足の回復が遅れ、そのせいで包囲網から最も離れた位置にいたエギルはようやく足が回復して立ち上がったところだった。その巨漢の胸の高さへ的確にユウキを投げ飛ばす。

 

「え、え!?」

「は? ──うおっ!」

 

 離さないと決めていたユウキはとっさに腕を伸ばそうとする。だが腕は上がりきらず空を切った。体全体が鉛のように重い。視界の隅に稲妻のアイコン。

 いつのまにか、シュウの足元に短剣が落ちていた。

 

「おい、シュウ!」

「悪いが、また言うぞ! 後を頼む!」

 

 無事にユウキを受け取ったエギルの抗議を無視して。

 そしてリンドに、わざとらしく()()を見せた。

 

「──時間切れだ」

「ヴォォォッ!」

 

《梟》に向かって、リンドが跳躍した。警戒を誘う叫びをリンドはその場しのぎの方便だと判断したのか、さらに険しく睨みつけ唸る。刃を突き刺すように頭の向きを変え、そして重力に任せて飛びかかった。

 ユウキがいて避けられない、だから引きはがした──というわけではなかった。《梟》の足なら避けられるはずのそれを、全く避けようとしていない。しかしだからといって武器を抜くでもなく、かといって鞘を武器や盾として扱おうというわけでもなく。そもそも対応しようとする素振りすら見せなかった。

 ちら、と《梟》はクラインを盗み見た。アルゴを下がらせながら自分は聖竜連合のプレイヤーによって築かれた壁を抜けようとしているクラインに、彼は仕方なさそうに()()を見せる。そしてどういうつもりか、空いた右手を掲げた。それはさながら挨拶のようで。

 まさか受ける気か。そんな不安がクラインの頭をよぎる。

 

「待て、シュウ──!」

 

 リンドの剣閃が《梟》を貫く。直前、飛来した何かを掲げた右手で掴み取った《梟》が横一文字に振り払う。

 両者がぶつかり、影が交わる。

 そして光がはじけた。

 

 

 

 

 

 

 首元、皮一枚だけを切り裂いて、持ち主を失った《フラガラッハ》が落ちた。《梟》の肩で跳ね、そして雪に突き立つ。遅れて鈍い音。強い恨みが焼きついたままの水色髪の男の首が転がり、そして爆ぜる。

《梟》がため息とともに右手を下ろした。だらんと脱力したように垂れるその手に、小さいながら重量感のある、中華包丁を想起させる短剣が握られている。

 武器の名は《メイトチョッパー》──《友切包丁》。その名に友と冠するように、モンスターでなくプレイヤーを手にかけることで武器そのものの能力値を上昇させることのできる武器。死んだら終わりのこの世界で、その性能はまさに魔剣として恐れられていた。

 そしてその所持者こそ──。

 

「それが正解だ」

 

 闇の中から声が聞こえる。《梟》の背後、森の中から闇よりも黒い影が現れた。

 

「死人に口なし、殺せばいい。ここは殺しが許される世界だ。何を言われる筋合いもない」

 

 全身を覆う黒いポンチョ。頭上にはオレンジカラーのカーソルが浮かび、そのフードの下に覗く口元は酷薄に歪んでいる。その笑みはどこか見慣れた──あのシンボルと同じ粘つくような笑みだった。

 

「ナイスタイミング、PoH。それともボスって呼んだほうがいい?」

「好きにしろ」

 

《梟》が振り返り《友切包丁》を投げて返す。それを右手でつかみ取った男は器用にくるくると片手で短剣を弄ぶ。その右手の甲で棺桶が笑っていた。

 

「あーあ、やっちった。足止めのつもりだったんだけどな」

「まだそんなこと言ってんのか。殺すのも俺らの権利だ、胸張ってろ」

「お前はやり過ぎなの。どんだけ殺すんだよ」

「潰した虫なんざ数えないだろう」

「ごもっとも」

 

 降り積もる雪の音だけがする静かなこの場所で、ふたりの会話がやけにうるさかった。

 

「そん、な……」

 

 聖竜連合のひとりが崩れ落ちるように膝をつく。ガシャ、という鎧の音を皮切りに、ひとり、またひとりと膝を折っていく。

 PoH──殺人ギルド《笑う棺桶》のリーダーと目されるレッドプレイヤー。《梟》がボスと呼んだことで、それはほぼ確定的なものとなった。

 PoHは、殺した数で言えば優に百を超えるという噂がある。あるいは二百とも三百とも。そして一度として《躊躇わない》男であるという。外見は黒いポンチョに隠れながらも長身痩躯、肉厚な包丁のような短剣を持ち右手にシンボルを掲げるという。伝え聞く情報とその男は完全に一致していた。

 ただでさえ足止めに徹する《梟》ひとりにこれだけ手こずっていた。そこへ敵方に増援。たった一人とはいえ、圧倒的な増強だった。そのうえリーダーまで失ったのだ。彼らの心は完全に折れていた。

 

「シュウ……」

 

 小さく呟いたクラインもまた、聖竜連合のように膝はつかないまでも動けないでいた。それは風林火山もアルゴもエギルも、ユウキも同様だった。

 殺した。シュウが、リンドを。殺してしまった──殺させてしまった。

 その事実だけが頭の中で渦のようにぐるぐると反芻される。大きすぎる衝撃が思考する力を奪っていた。

 

「ジョニーは?」

 

 落胆、あるいは懊悩する彼らを尻目に《梟》は何もなかったかのようにPoHとの会話を続けた。

 

「ザザが回収した。お前ら遊びすぎだ」

「俺は遊んでないだろ。真面目にアイテム回収に励んでるのに」

「足止めはお前の甘さだ。殺したほうが速い」

「だからいつも言ってんじゃん、殺すより生かしたほうが後で使えるんだって」

 

 まったくこれだから、とため息をつきながら《梟》は雪に突き立った《フラガラッハ》を拾い上げ、放る。

 

「ほれ、戦利品」

「……チッ。本命は」

「そろそろじゃねえの。ほら、噂をすれば」

 

 PoHの背後。ボスエリアへと繋がる小道から、ふたりのプレイヤーが姿を現した。

 ノーチラスとユナ。たったふたりでボスに対峙し、無事に帰ってきた──その事実にユウキとクラインはほっと胸を撫で下ろす。

 ノーチラスは場の静かすぎる雰囲気と、行くときにはいなかったプレイヤーたちに戸惑い足を止めた。

 なにがあったのかはわからない。けれどなにかがあったことだけはわかる。だがそれを訊ねようとして口を開くより早く、《梟》がノーチラスに声をかけた。

 

「よう、無事だったみたいだな?」

「あ、はい。……これ、約束のものです」

 

 ノーチラスは右手に持っていた虹色の結晶を差し出す。受け取ると、ポップアップウインドウには《還魂の聖晶石》の文字が浮かび上がった。その名称と効果を読み上げると聖竜連合からどよめきがあがる。

 

「ふうん……一度きり、全損から十秒の間に使えば蘇生、ね。手動とはまた勝手の悪い。ま、死んだら終わりを覆すんだから破格か。これが?」

「クリスマスボスのドロップです」

 

 そしてノーチラスの声にさらにどよめきが広がった。

 倒した──ノーチラスが。FNCの事実を知っている者がこの場にどれだけいるかはわからない。だがたとえ知らぬとしても、たったふたりで撃破したというのは事実だ。いずれの立場にせよ、驚嘆と、そしてアイテムへの羨望の声を各々があげていた。

 それらをもやはり気にする様子もなく《梟》はノーチラスに問いかける。

 

「確かに受け取った。けど、いいのか? 少なくともひとりでっていう契約は俺、破ったんだけど」

「はい。構いません」

 

《梟》の言葉に、ノーチラスは迷いなく頷く。その顔つきはボスに挑む前と今とで明らかに違っていた。ふと視線を下ろせば、彼の左手とユナの右手はしっかりとつながれている。何かしらの心情の変化──というよりは進展が認められた。

 

「ボスを倒せたのは……というか、僕がここまでやってこれた理由を思い出しました。それから、僕がこれからも戦っていくために必要なものも。ユナがいることがどうやら僕の《芯》らしいです。死を考えることが許されない。だから、それは僕には必要ないんです」

「……わかった。じゃあ遠慮なく」

 

《梟》がアイテムをストレージに格納する。アイテムが光に包まれて消えた瞬間、聖竜連合のメンバー数人の口から「あ……」とため息が漏れた。

 沈痛な彼らの雰囲気にノーチラスが眉を顰める。

 

「……なにがあったんですか」

 

 もうひとりのオレンジプレイヤー。風林火山だけでなく、おそらくはもうひとつのギルド。だがそのどこかわからないギルドの面々は著しく沈み込んでいる。

《梟》は一瞬だけ面倒くさげに顔をしかめて、短く答えた。

 

「俺がひとり殺したら静かになった」

 

 ノーチラスと同時にユナも息をのんだ気配があった。つなぐ手に少しだけ力を込める。

 

「……殺したんですか」

 

 ノーチラスはそう言ってから、どこか驚いたような自分の口調に驚いた。ついさっき彼と自分が同じだと感じてしまっただけに親近感のようなものがあったのかもしれない。心のどこかで少しだけ頼りにしていたところがあった。だがその行動だけは決定的に一線を画していて、それがにわかには信じられなかった。

 だが彼はなにを当たり前のことをと言いたげな表情で肩をすくめた。

 

「言ったろ、俺は《梟》だ。そりゃ殺すより生かしてはおきたいけど、必要なら殺すほうを選ぶよ。いや不要になれば殺すのほうが正しいのか」

 

 ──そういう意味じゃ、ここの聖竜連合は不要なんだけど。

 続く言葉に鎧のこすれる音が響く。身構えたくても脱力していて上手く体が動かない。俎板の鯉のような彼らに、《梟》は「冗談、今はやらないよ」と笑った。

 

「ま、なんにせよ目的は達成したから消えるさ。じゃあなお前ら、次までにちゃんとレベル上げしとけ。俺ひとりに勝てないとかヤバいぞ。……待たせた、PoH」

「遅い」

「悪かったって──お?」

 

 PoHに並び、《梟》はゆっくりと歩きだす。そうしてへたりこんだ聖竜連合の間を抜けようとして、その足を聖竜連合のひとりが掴んだ。

 

「……待てよ」

 

 ひとりが呟く。するとまるで数珠をつなぐかのように、次々に口々に。

 何のために──誰のためにここまで来たのか。ともすれば《梟》が嘘を言っているのかもしれない、十秒なんて短すぎる、生き返らないわけがない、そもそも死んだなんてあり得ない。

 リーダーが。リンドが死んだなんて。そんなことは。あり得ない。

 

「置いていけ」

「生き返るんだろ」

「さっきの石だ」

「寄越せ」

「出せよ」

「よくも殺したな」

「よくものうのうと」

「よくも、よくも──」

 

 ゆらり、と全員が立ち上がった。

 

『──殺してやるッッッ!!!』

 

 そして全員が剣を抜く。誰からともなく、全員が《梟》目掛けて襲いかかった。

 

「げ」

「そらみろ。俺はノータッチだぞ」

「げげ」

 

《梟》の足を掴んでいた手を蹴り払う。そしてやや早足になりながら、刀の柄に手をかける──。

 

「お前ェら、待て!」

 

 だが鯉口を切る寸前で、聖竜連合の前に立ちはだかる影があった。

 クラインが、そして風林火山が。暴れ出したプレイヤーたちを止めにかかる。

 

「落ち着け、無理だ! わかんだろ、今のお前ェらじゃ……今のオレらじゃ勝てねえ! 死にに行くようなモンだぞ!」

 

 張り上げた声もむなしく、我を忘れたようにいくつもの腕が《梟》に向けて伸びる。それらを懸命に止めるクラインは、どこか迷うようなそぶりを見せながらも《梟》に──シュウに向けても叫んだ。

 

「てめえ、シュウ! 今回だけだぞ! とっとと行っちまえ! だが忘れんな、絶対に追いついてやる。追いついて、ふん縛ってでもてめえを止めてやる! 首洗って待ってやがれ!」

「……おう。楽しみにしてる」

 

 振り返ることなく、足を止めることなく。構えを解いた《梟》はひらひらと肩越しに手を振って、エリアの出口に向けて踵を返した。

 途中、エギルやアルゴともすれ違ったが──何を言うでもなく、目を合わせただけで彼らは風林火山に混じり暴動を止めにかかる。

 そして──少女がひとり、道をふさぐように立っていた。

 

「……シュウ」

 

 ユウキは怒っているような悩んでいるような泣いているような、複雑な感情をその顔にたたえている。だが声はそんな表情とは裏腹にひどく優しい。

《梟》は歩みを止めなかった。PoHに並び横を抜けるそのとき、ユウキは再び口を開く。

 

「ボクはいつだって、シュウの味方だからね」

 

 ユウキもまた、振り返ることはなかった。《笑う棺桶》が姿を消すその瞬間まで、真っ直ぐに前を見ていた。駆け寄ったユナが抱きしめても、ユウキはやはり動く様子を見せなくて。

 声もなく、頬をひとすじ涙が伝う。

 いつの間にか、雪が止んでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 大猿がまるで眠るように地に臥した。

 弱々しい鳴き声をあげ、大きな音を立てて膝から崩れ落ちる。

 

「すげえ……」

 

 黒猫団の誰かが呟く。

 立っていたのは──勝ったのは、《黒の剣士》だった。

 ひとり。始めこそ一緒に戦っていたアスナは取り巻きの駆除に回した。攻略組、しかも《血盟騎士団》の副団長ですら状況によっては攻撃に手間取る相手に対して、キリトのHPバーは一度たりとも減ることはなく。アスナ、キバオウ、そして月夜の黒猫団。彼らを背に、まさに圧倒的ともいえる実力を見せてキリトは勝利した。

 

「アスナ……無事か」

 

 剣を納め、振り返る。その顔は疲れ切っていた。マージンがあるとはいえ、それでも一撃すら受けずに勝つというのは精神をすり減らす。一度のミスも許されない状況で、それでもキリトは集中力を切らすことなくやってのけた。

 

「うん。ありがとう、キリトくん──わ」

 

 答えるアスナの肩にもたれかかる形で、やっとキリトは体から力を抜く。お疲れさまの意を込めて背中をさすると、彼は長く息を吐いた。

 

「……フン。行くで黒猫団」

 

 キバオウがケイタたちに声をかける。

 

「アンタら弱すぎや。軍に入れとは言わん。けどもうちっと鍛えた方がええで。上に行きたいんやろ」

 

 キバオウが返事も待たず踵を返すと、黒猫団は顔を見合わせる。だがすぐに頷き合い、全員で追いかけた。

 残されたふたりはしばらく抱き合うように身を寄せていたが、ややあってアスナのもとに一通のメッセージが届く。

 ユウキからだった。

 

『言えた! けど、ちょっといろいろあった。エギルのとこに集まるから、そこで報告会しよ!』

 

 こちらですらいろいろあったのだ、向こうでだって何もないわけがない。ましてユウキは両方に顔を出している。ただ、だからこそ大小は問わず進展があったはずだ。

《言えた》ということは、《梟》には会えたということ。それは、それだけでも良かったことに含んでいいはずだ。少なくともこれだけは、と一年もの間ずっと頑張ってきたのだから。

 ──よかったね、ユウキ。

 口を動かすだけで音は乗せずにアスナはぽつりとつぶやいた。そしてそれならば、早く合流して話を聞いてあげたい。

 

「キリトくん、いったんエギルさんちに集合だって。一緒に行こ」

 

 ぽんぽんとあやすように背中を叩く。自分の気持ちが少し前のめりになっているとはいえ、それでキリトを急かすつもりはない。疲れているのはわかっている。返事があるまでいくらでも待つつもりだった。

 だがキリトの返事は、それにしたってどこかゆっくりとした口調で。

 

「一緒……ああ。ずっと、一緒だ──」

「……キリトくん?」

 

 聞き返すが、返事はなく。代わりに規則的な呼吸がアスナの肩に吹きかかる。

 

 ──もう、離れない。

 

 その言葉が、アスナに耳に残っていた。

 

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