野郎どもに花束を   作:小川 帆鳥

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ゼラニウム

「あいつぜってえぶん殴る」

 

 春を迎え、もうすっかり雪が解けた四月の半ば。あれだけの騒動──《笑う棺桶》の主格四人が姿を現し、ふたりのプレイヤーがこの世を去り、あまつさえクリスマスイベントの限定報酬は《梟》の手に渡った──があった《迷いの森》は、すっかり深緑に覆われていた。

 出現するモンスターはもちろん変わらない。最奥、モミの木の聳えるエリアでは何かのイベントが起きる様子もない。場所によってところどころ照明のようにぼんやりと光る植物がより幻想的な雰囲気を醸し出す薄暗い森はどこまでも静かで、まるでここだけ時間が切り取られたかのような錯覚すらクラインは覚えていた。

 

「犯人は現場に戻るなんて言うけどほんとかよ、気配も痕跡もありゃしねえ」

 

 ぶつくさとぼやきながらクラインは茂みをかきわけて進む。踏み均された道を外れていくが、目当てのものが見つかる気は全くしなかった。むしろ森に潜んでいたモンスターのテリトリーに自ら突っ込む始末。三十五層の敵に今さら遅れをとるはずもなく、複数の敵をまとめて一刀で斬り伏せるその様子はさながら荒々しい道場破りの流浪人だった。

 ため息をひとつ、道に出ては反対側の茂みへ、そしてまたため息。そんなことをこの三日間ずっと続けている。だがめぼしい収穫はなにひとつとしてなかった。

 

「あるわけねえよなあ……もう三か月だぜ。それで見つからねえなら無いってことだよなぁ……やめやめ、次だ次」

 

 止まらないぼやきに自分で嫌気がさして、頬を両手ではたく。いくつかの目的があって、それが同時にこなせるからこの場にいるのだ。なにもひとつだけにとらわれる必要などない。

 

「とはいえ、そう簡単に──」

「いやああぁぁぁ!!」

「──いくのか!? どこだ!」

 

 悲鳴があがった。《迷いの森》は大小のエリアがランダムに接続するダンジョンだ。だがそれでも、大声に分類するアクションは近場のエリアには届くらしい。《雄叫び》、《歓声》、そして《悲鳴》。あくまで一例に過ぎないが、そうした声は木々の間を抜けて聞こえることがある。

 そして聞こえるということは、近いということだ。

 

「ああクソ、なんだよランダムってよ! 待ってろ、いま行くぞ!」

 

 クラインは駆けだす。ランダムとはいえ完全ではない。あくまでも時間制限を過ぎるとランダムになるだけで、全てのエリアに規則はある。そしてその規則はクリスマス以来《鼠》がほとんど丸裸にした。決してたどり着けないわけではないはずだ。要はランダマイズされる前に駆け抜ければいい。

 クラインは手早くマップを手元に起こして走り出す。

 そしていくつかのエリアを抜けた先で見たのは、四体のドランクエイプとそれらに囲まれへたり込むひとりの少女だった。

 

 

 

 

 

 

 いったいどれだけのエリアを回っただろう。

 進んでも進んでもいっこうに森がひらける気配はない。それどころか同じ景色を二度三度と見た覚えがある。三十を超えたあたりで少女は数えることをやめ、とにかく次のエリアで出口につながることだけを祈る。そうして進んだ次のエリアもまた鬱蒼と緑の茂る森で。やがて少女はへたりと森の中で座り込んだ。頭の横で結んだふたつのしっぽみたいな髪が勢いで跳ねる。

 

 ……失敗したなあ。

 

 少女──シリカは落ち込んだ表情のまま自らのアイテムストレージを探る。だがどれだけ目を凝らしたところで回復薬の残りは少ないし《鼠》の地図は持っていない。緊急用の腰のポーチはすでに空っぽだった。とにかく避けられるだけ戦闘は避けるけれど、地図がない以上どこまで保つかわからない。不安の影がじわじわと心を蝕んでいく。

 かろうじて薄暗い森の中に種類はわからないがぼんやりと光る植物があって、それがぽつぽつと足元を照らす。明かりがあることがこんなにも安心するのかとシリカは少し驚いていた。

 

「……きゅる」

「ふふ。ありがと、ピナ」

 

 シリカの肩にとまり不安げに顔を覗き込む水色の小竜の頭を撫でる。いつもならそうしてやると満足げに二本ある長い尾羽を揺らすが、今このときばかりはシリカの不安が伝わったのか垂れたままだった。それでも気遣ってくれるその様子が嬉しくて、シリカは表情を綻ばせる。

 肩に乗る、小さな相棒。明かりへの安心感はあるけれど、それ以上にピナの存在がシリカの心の支えになっていた。

 

「そうだよね、ひとりじゃない。帰ろっか。さっきのひとたちにも謝らなくちゃ」

 

 ……あのひとだけはちょっと嫌だけど。

 

 最後の想いは言葉にしなかった。頭の中に、憎らしい笑みを浮かべた赤い髪の女の顔が思い浮かぶ。

 あのひとと口喧嘩をしたことで、シリカは冒険途中でありながらパーティを抜けてしまった。いっときの感情でやってしまったことに遅まきながら後悔の念が押し寄せる。だがそうして冷静になった今でも、やはりあの女性の槍使いを許す気はさらさらない。……思い返すと、ムカムカも蘇ってきた。

 

「ピナをトカゲだなんて、失礼だよね。立派なフェザーリドラだもんね」

「きゅ? ごろごろごろ」

 

 顎を撫でてやるとピナは心地良さそうに喉を鳴らした。

 確かに細かい分類をしていけばドラゴンだってトカゲかもしれない。それは理解できる。けれどなんとなく、あのトカゲ呼ばわりにはもっと侮蔑の意味があるように感じられたのだ。あくまでもシリカの主観でしかないし、それでいったらピナという名前は現実で飼っている猫の名前だ。ドラゴンですらない。

 だがそれでも、ピナはピナだ。一年来の友達なのだ。友達をバカにされたら気分はすこぶる悪くなる。

 基本ソロで活動するシリカをあのパーティのひとたちは誘ってくれた。ここ二週間ほどの仲だけど、気のいい人たちだ。だから同じように彼らが受け入れた槍使いとも仲良くしたかった、けど。

 

 ……やっちゃったなぁ。

 

 そんなムシャクシャも、再び歩き出すと途端に霧散して後悔ばかりが湧きあがる。天狗になっていた、と言われればそうかもしれないとシリカは頷いてしまう。舞い上がっていたから、シリカ以上に視線を集めるあの女槍使いに対して感情的になってしまったのかもしれない。

 ビーストテイマー。シリカのように、本来は討伐対象であるはずのモンスターと友好関係を結んだプレイヤーをそう呼ぶ。ごく稀にそういったイベント──攻撃のためでなく友好的姿勢で近づいてくる──があり、エサをやるなどで飼い慣らしに成功すれば晴れてビーストテイマーだ。

 ただし条件は不明。もしかしたらそうかもしれないという程度で、小型のモンスターであることとその同種のモンスターを多く狩っていないことが挙げられるけれど、確定的なところはなにひとつわかっていない。ビーストテイマーの数の少なさに対してモンスターの多様性が合わないのだ。

 そしてだからこそ、シリカは注目を浴びていた。ピナ──フェザーリドラがそもそもレアなモンスターであることもそうだが、シリカもまた絶対数の少ない女性プレイヤーということ、しかもゲーム内最年少であろう齢十三ということも相まって拍車がかかる。それこそ今日の彼らのように声をかけてくれるひとたちは数多くいて、まるで自分がアイドルかのように思えてしまったのだ。

 

「……あたしが特別なわけじゃないのにね」

「きゅる?」

「ふふ、なんでもないよ」

 

 変わらずシリカの肩にとまり時おり顔を覗き込んでくる相棒に、シリカは力なく笑いかける。

 そう、自分が特別なわけではない。一緒にいるピナが特別なのだ。もう二度と、そんなふうに思い上がったりしない。

 

 ──だから、どうか。

 

 祈りながら、目の前のワープゾーンに足を乗せる。一瞬、めまいのように視界が歪み、そして目の前に広がるのは──陰鬱な森、だった。さっきと変わらぬ視界。出口であれば森の向こうに明るい草原が見えるはずだが、明かりといえばやはり足元を照らす謎の発光植物だけ。

 もう単独行動が二時間は経とうとしている。体力的な疲れこそないものの、精神的には相当に疲弊してきている。思わず再び座り込もうと膝に両手をついたところで──。

 

「きゅるるる!」

 

 ピナが、鳴いた。

 さっきまでの声とは違う、どこか張り詰めた声。それは警戒を促す鳴き声だった。ピナの声にシリカは考えるより速く腰に差した短剣を抜き逆手に構える。現れたのは、三体のドランクエイプだった。それぞれが左手に瓢箪、右手に棍棒を握っている。

 迷いの森にて最も厄介とされる猿人。奴らの特徴は群れで動くことと、拙いながら連携を取ることだ。しかし数では負けているものの、シリカだって伊達に長くソロで活動していない。迷いの森、すなわち三十五層ならマージンはじゅうぶんに取れている。決して遅れは取らないはずだ。

 

「ピナ、お願い!」

「きゅる!」

 

 短剣の素早さを活かすためにシリカは盾を持たない。ゆえにがら空きになりがちな左手側を、ピナが飛び回ることでカバーするのがいつものスタイルだ。

 ピナのシャボンのようなブレスで足を止めた一匹に、駆け抜けるようにしてソードスキルを放った。敵のHPを大きく削る。確かな手応え。ヒットアンドアウェイに徹して素早く離れる。

 大丈夫、いける──そんな確信は、背中に受けた衝撃に簡単に砕かれてしまった。

 

「──え」

「きゅるっ!」

 

 つんのめって転んだシリカの頭上を、ピナのブレスが吹き抜ける。苦しげなドランクエイプの悲鳴。シリカの目の前には三体分の足が見えている。だが悲鳴が聞こえるのは後ろからだ。

 

 ──四体目!? 

 

 見えていなかった、それとも隠れていたのか。なんにせよ数を見誤った。それでもまだ余裕はある、一体くらいなら大丈夫だ。そう思って素早く立ち上がって──シリカは目を見開いた。

 先ほどダメージを与えた猿人が腰に下げた瓢箪を呷っていた。遅々とした速度ではあるが、HPが回復している。ここのボス、《ドラグドエイプ》にそういったギミックがあることは知っている。だがまさかその下位モンスターにも同じような行動が設定されているとは。

 あるいは誰もが手早く討伐してしまっていたから、誰も気づかなかったのかもしれない──そんなポジティブな思考が浮かぶも、あっという間に打ち消される。

 

「キリがない……っ! ピナ──!」

 

 回復薬は少ない。前のエリアこそ戦闘は避けられたが、それでもここにくるまでに随分と使ってしまった。先ほどの一撃でHPは二割ほど減っている。三体を相手に一体ずつなら同じような攻撃で相手にすることもできるだろうが、もう一体に後ろを取られた。とにかく今は逃げるしか──! 

 

「ぎゅぐ!?」

「え……」

 

 突然、横合いから棍棒が振り下ろされて。

 ピナが勢いよく地面に叩きつけられた。

 

「ピナ……ピナ!」

「きゅる、るぅ……」

 

 弱々しくも再び飛び上がるピナを見て、シリカはほっとする。だが、今の一撃は。

 ピナの向こうに三体がいる。鳴き声で、シリカの背後に一体いることがわかる。全部で四体だ。これで全部のはずだ。なのにピナはそのどれもを見ていない。真横だ。

 おそるおそる、シリカは視界を横に向ける。

 ひとりと一匹を、猿人が見下ろしていた。

 

 ──五体目。

 

 目が合った気がした。うすぼんやりと明るい森の中では暗い色の体毛に覆われた顔ははっきりと見えない。その中で赤く光る目だけは煌々と光っていて。まるで睨まれた蛙のように、シリカはすくみ上がって動けない。

 はっきりと、《死》というものを感じた。

 それまで戦闘というものはあくまでもスリルを感じるための、日常に飽きをもたらさないためのスパイスでしかなかった。ピナとふたり、ときどき冒険に出て、その日を食べていくぶんを稼いで帰ってくる。安全な場所だけを選んでいた。危険なんて犯すつもりも犯しているつもりもなかった。

 こんなにも現実的に《死》が迫るなんて、考えてもいなかった──! 

 五体目の猿人が棍棒を振り上げる。最初の三体のうちの一匹、シリカがダメージを与えたやつはすでにHPが全快してにじり寄ってきている。他の三体も、がさがさと茂みを掻き分けながら近づいてくるのが音でわかる。

 

「ぎゅ……!」

 

 それでもなお、ピナは飛び上がった。動けないシリカをまるで庇うかのように、目の前、五体目の猿人との間に割って入る。

 

「ピナ!? ダメだよ、逃げて! ピナ!」

 

 走って逃げようにも足がすくむ。結晶アイテムなんて持っていない。けれどせめて、ピナだけは。自分なんてどうでもいい。けれどピナは。少なくともピナだけは、シリカにとっての特別だ。どうか無事に逃げてほしい。

 

「ピナ──!」

 

 切実な祈りはしかし、届くことはなく。

 棍棒は無慈悲に振り下ろされる。

 叩きつけられ、地面にぐったりと四肢を投げ出して。

 ピナは静かに、きらきらとポリゴンの欠片を振り撒きながら。長い一枚の尾羽に姿を変えた。

 ──その瞬間、糸が切れた気がした。

 

「いやああぁぁぁ!!」

 

 目の前の一体に向けて、とにかく短剣を振る。ソードスキルも、そうでないがむしゃらな斬撃も。すくんでいた体が軽い。今ならなんだってできる気がする。──だから、倒す。ピナの仇。

 小柄な体格を活かして懐に潜り込み、斬撃。身をくねらせて敵の攻撃を避け、また斬撃。繰り返す。繰り返す。時間の感覚なんてない。ときどき横合いから衝撃がくるが構わない。コイツは。コイツだけは、あたしが倒すんだ。

 やがて目の前が光に包まれる。振り抜いた右腕から力が抜けて、それと一緒に足から崩れ落ちた。

 四方に一体ずつ。あと四体が残っているけれど、もう逃げ切れるとは思えない。回復薬はなくなっていた。いつの間に飲んだのか自分でも覚えていない。けれどそれでも自分のHP残量は少なくて、バーの色は赤く染まっている。

 たぶん、もう助からない。けどそれでいい。

 左手に握っていたピナの尾羽を胸に抱きしめる。四体がそれぞれ棍棒を振り上げるのを呆然と見上げる。

 そして──。

 

「おらぁっ!」

 

 一閃。

 ひとすじ、橙色の光が四体の体をまとめて切り裂いた。振り上げられた棍棒たちが行き場を失って地面に落ちる。激しい光が目を焼いて、シリカは思わず顔を隠して目を瞑る。

 

「悪い、遅くなった! お嬢ちゃん無事か!?」

 

 目を開けると、目の前に手が差し出されていた。ごつごつとした分厚い手。それはなんとなく父親の手を思い出させる。フリールポライターの、キーボードを叩くあの手。

 見上げると、赤かった。赤い鎧、赤いバンダナ、赤い髪。赤ばっかりのなかで無精髭だけが黒い。お兄さんというよりおじさんだ。だからなのか、どこか父親が重なって見える。

 

「う……うわぁぁぁぁぁ……!」

 

 抑えられない。そう思ったときには、シリカは大声をあげて泣き出していて。

 

「え、ちょ、え!? 無事なのか無事じゃないのかわかんねえ! こういうときどうすりゃいいんだ!? こうか!?」

 

 目の前で狼狽える男性プレイヤーがなんだかすごく難しい顔をして、いろいろと迷ったあげくその手でシリカの頭をぐしゃぐしゃに撫でた。

 乱雑で、力強い。勢いで首が動く。けどその雑さ加減もまた、父親を思わせる懐かしさがあって。

 シリカはひとまず、泣き疲れるまで泣き倒した。

 

 

 

 

 

 

「そうか……友達が」

 

 けっきょく十五分ほど泣き続けたシリカを、男性プレイヤー──クラインと名乗った──はじっと待ち続けてくれた。泣き止むまで何度も何度も頭を撫でてくれて、そのおかげで少しだけ心が軽かった。

 

「すまん。無事じゃなかったな」

「いえ、そんな。助けてくれてありがとうございます。もうダメかと思いました……」

 

 だから頭を下げられると居心地が悪くなる。悪いのは自分なのだ。軽率な行動をとって、結果ピナを失った。自分がバカだっただけだ。

 

「ピナ……」

 

 思い出すと辛くなる。握りしめた尾羽はアイテムになっていた。《ピナの心》──そんな名前がついていて、いっそう心がきゅうと締まる。

 テイミングされたモンスターには、それほど高度なAIは搭載されていないはずだった。少なくとも危険を察知して主人に報せる以外に自発的な行動はできないとされている。だがあのとき、確かにピナはシリカを庇うように動いていた。心──AIではあるけれど、少なくともこの一年を共に過ごしたことでそれに似た何かはちゃんとあったのだ。それが嬉しくもあり、だからこそやっぱり寂しくて、シリカの視界が再び滲む。

 そんなシリカに、クラインはまだぎこちないまでも優しい声音で問いかける。

 

「それ、《心》ってアイテムで合ってるか?」

「え……はい、そうです、けど」

「《心》、ココロか……ちょっと待ってな」

 

 首を傾げるシリカを横目に、クラインは手元に呼び出したキーボードを叩く。誰かにメッセージを送ったのか、手元が止まってしばらくするとクラインは顔を上げてシリカを見た。

 

「お嬢ちゃん。その《心》、大事に持ってな。もしかすると蘇生できるかもしれねえ」

「え……!?」

「今アルゴに聞いたらよ、プネウマの花っつー特殊なアイテムがあるらしいんだ。四十七層の《思い出の丘》ってとこのてっぺん。そこで咲いた花を使えばもしかしたら──」

「ほ、ほんとですか!?」

 

 クラインの言葉が終わらないうちに、シリカは声を荒げて立ち上がる。プネウマの花なんて聞いたこともない。けれどもしかしたら。思わず握りしめた尾羽に、シリカは視線を落とす。

 ピナが、帰ってくるかもしれない──? 

 希望の光が差し込んだ。だがそれも束の間、クラインの言葉を思い出す。

 

「……四十七……」

 

 遠い。先日、攻略は五十七層に達したばかりだ。解放はされている。決して行けない場所ではないが、今のこの場所で三十五層だ。プラス十二と考えると、とてもじゃないが今は無茶でしかない。

 肩を落としたシリカの様子を察したのか、クラインがどこか困ったように後頭部をかきながら言う。

 

「いちおう行くだけならオレがひとっ走り行ってもいいんだがな? どうも使い魔の主人本人が行かないとダメらしいんだ。だからお嬢ちゃんに頑張ってもらわにゃならんのだけどよ」

「いえ……情報だけでも、ありがたいです。こつこつレベルを上げていけば、行けない場所じゃないですから」

 

 これまでもけっこう勤勉にレベルは上げてきた。それを少しだけペースアップすればいいだけだ。ピナが帰ってくると思うなら、多少の無茶だって頑張れる。

 だが続くクラインの言葉に、シリカは唖然とする。

 

「三日で、か?」

「……え?」

「三日間のうちにプネウマの花を手に入れて使わないと、《心》は《形見》になるんだと。そしたらもう、何やったって戻ってこない」

「……三日……!」

 

 無理だ。時間制限がないのならちょっとした無茶で済む。だが三日。現在のレベルが四十四で、目標層は四十七。安全マージンと呼ばれるのがその層の数字プラス十とされているから、五十七まで上げなければならない。当日はそのダンジョン攻略にあてるとすれば残り二日。たった二日で、プラス十三レベル。それはちょっと……というか、絶対に無理だ。

 シリカはうなだれ、《ピナの心》を胸に抱く。自分の愚かさが憎い。自分の弱さが憎い。ごめんね、ピナ。どれだけ謝っても、いつもの鳴き声は聞こえてこない。

 代わりに立ち上がる音がした。たぶんシリカの様子から無理だということを悟ったのだろう、ため息混じりだったことが少しだけ怖かった。それでもせめて、助けてもらったお礼はしたい。言葉はたくさん伝えたけれど、何かきちんと形として──。

 

「……え?」

 

 シリカが顔を上げたところで、不意に目の前にウインドウが開かれた。《トレードウインドウ》とあるその画面には、見たこともない装備が全身一式、さらに短剣までもが並んでいる。しかもトレードと言いながら、こちらが出すものは入力できない。受け取るか否か、どちらかしか選べないようになっていた。

 

「そんだけありゃ少しは足しになるはずだぜ。あとはオレもついてくから、多分なんとかなるだろ。本当だったらギルドの奴らにも声をかけたいとこなんだけど、アイツらはアイツらで用事あるからなぁ……」

 

 指折り、アイツはダメ、コイツもダメと数えていくクライン。だが聞き捨てならない言葉が聞こえていて、シリカは思わずクラインの思考を遮る。

 

「ちょ、ちょっと待ってください。この装備はなんですか?」

「ん? 言葉のとおりだ。その装備はお嬢ちゃんに譲る。どうせオリャあ使わねえし、持ってたって腐らせるか売っ払うだけだ。だったら使えるひとに使ってもらったほうが道具も喜ぶってモンだろ」

 

 当たり前のように首を傾げる。自分がおかしいのかとシリカは内心で首を傾げ返す。

 

「それに、ついてくって」

「そりゃそうだ。さっきの装備があったって完璧に安全とは言えねえし、女の子ひとりで行かせるなんてもっと言えねえ」

 

 当たり前だろ、とクラインは笑いかける。その様子は混じり気もなく本心のようで。

 

「どうして、そこまでしてくれるんですか……?」

 

 信じられなかった。なんなら警戒までしていた。

 クラインの行動は完全に無償の提供だ。それはかつてシリカが経験したことのある、男性に言い寄られたときのパターンと同じだった。一度だけではあるが、それがエスカレートして求婚までされたことだってある。それは十三歳のシリカにとって恐怖でしかなかった。

 その結果、少なくとも男性との一対一は避けるようになった。今回もまたそのパターンなら断らねばならない。そもそも甘い話には裏があるのだ。そしてそういうことを持ってくるひとは、いかに自分が信じられるかを長く話し続けるものだ。

 だがクラインは迷う様子もなく、簡潔に答える。ぽすぽすとシリカの頭を撫でながら。

 

友達(ダチ)のためだろ? 手伝うさ」

 

 そのあっさりとした返答は、不思議なほどストンと受け入れられた。

 友達の──ピナのため。そうだ、そのためなら頑張れる。一度は落としたかもしれない命だ、惜しむほどのことなんてない。

 それに、この手。父親を思わせる手を持つこのひとが悪いひとだとは思えなかった。ならば信じてみてもいいかもしれない。

 

「……よろしくお願いします」

 

 シリカはぺこりと頭を下げる。

 せめてもと、トレードとして所持金の全額を支払うなんてことも申し出てみたが、クラインはそんなの貰えねえし貰うつもりもねえよと突っぱねた。

 それでも何か、助けてもらったうえにこれから助けてもらうのだからと食い下がってみると、クラインは最初こそ首を横に振っていたけれどやがて根負けしたようにため息をついた。

 

「……じゃあ、お嬢ちゃんの名前、教えてくれ。これから手伝うのに不便だろ」

「あ、そうでした! あたし、シリカって言います」

 

 正直、ちょっとだけ。『君があの?』なんて反応を期待した。だがもちろんクラインはそんな反応を示さなかったし、そもそも自分のそういうところが今回の騒動につながったのだとシリカは反省する。

 

「いちおうさっき言ったけど、改めて。クラインだ、よろしくな」

 

 差し出された右手を、握手で返した。大きな手だった。頼っていいんだと心から思える。

 クラインはシリカがアイテムを受け取ったことを確認すると、手元にマップを取り出し歩き出した。その背中をシリカは小走りで追いかける。

 

 ──待ってて、ピナ。すぐ迎えに行くよ。

 

 決意新たに歩くシリカの耳に、クラインの呟きは聞こえない。

 

「……生き返るなら、そのほうがいいもんな」

 

 その小さな声は、茂みを進む音でかき消えた。

 

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