野郎どもに花束を   作:小川 帆鳥

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はじまりの日ー2

 いまだ混乱のおさまらない広場に戻ったときには、さっきの女性プレイヤーはいなくなっていた。どこかに立ち去ったのだとして、ならばどこに。

 こういうときクラインが一緒にいてくれれば心強いのだが、奴は奴で仲間と連絡がついたらしくさっさとそちらへ駆け出してしまっている。しばらくは彼らのケアでいっぱいいっぱいになるだろう。つまり人海戦術は使えないということだ。

 ならば考えるしかない。だが他人の考えなど読めるわけもなく、かといってがむしゃらに探したって見つかるはずもない。

 どうしたものかと考えて、ふと思い出したことがあった。

 ──外縁部。

 宙空に浮かぶ鋼鉄の城の外縁から太陽を見たらどうなるのか、という考えが頭をよぎったのを思い出す。どこまでも太陽が見えるのだとしたら、地平に沈んだ後の太陽を見れるかもしれない、と。

 さらに言うなら──これはこじつけだろうが──飛び降りの可能性、という言葉が頭に浮かぶ。絶望した人間が自殺に身投げという手段を選びがちというのは、手ごろだからなのか、あるいはそのときになってみないとわからないなにかがあるのか。

 地面に叩きつけられるのではなく空に落ち続ければひょっとしたら、なんてこともあるのかもしれないが、そんな簡単な抜け道を茅場が用意するとは思えない。むしろ空中でアバターが爆散する未来しか見えない。

 だがなんにしても、手がかりがないなら直感に縋るしかない。

 とにもかくにも、俺は駆け出した。

 ──のだが。

 

「いねぇな……」

 

 外縁をひととおり確認したが、探し人は見つからなかった。

 それを良しとするか否とするかでまたも考え込んでしまう。まだ事が起こる前なら良し。だが、もしも万が一のことになってしまったあとなのだとしたら。

 お節介だというのはわかっている。赤の他人の心配をしていられる状況じゃないのもわかっている。わかっているが、気になってしまっては放っておけない性分なのだ。

 だがどうしたらいいだろう。手がかりはあてにならない。というか、俺の直感がそもそもあてにならない。でも放っておくのはもやもやする。

 どうしたものか。そう悩んでウロウロしているうちに、人が近づいてきているのに気づかないでぶつかってしまった。

 

「おわ」

「わっとト」

 

 小柄な体躯の女性だった。フードを目深に被っているが、その奥から発せられるくぐもった声は女性特有の高さがある。

 それと、語尾に独特なイントネーションのクセ。

 

「すまん、考え事してて周りを見てなかった。大丈夫か?」

「いや気にするな、オイラも同じようなものダ」

 

 ひらひらと手を振って、少女はにゃハハ、とおどけるように笑う。演じているという感じはしない。これが素というわけはないだろうが、自然体だった。

 

「それで、おにーサン。こんなところに何の用ダ? この先は黒鉄宮しかないケド」

「ん?」

 

 言われて、あらためて周りを見渡した。外縁部をぐるっと回って、とりあえず街の中央近くまで歩いてみただけだったが……いつの間にか、また街の端っこまで来てしまっていたのか。俺の進んでいたであろう道の先には、黒いタマネギ型の建物が鎮座している。あれが黒鉄宮か。

 

「いや、人を探していてな。でも見つからなくて途方に暮れていたところなんだ」

「人探しカ。広場は──見たナ、その感じだト」

 

 フードの奥でキラリと目が覗く。

 ゲームならではの表現なのだろうか。完全に陰になっているのに、目の輝きははっきりと見えた。

 

「ああ。それでとりあえず外周から街中をひとまわり見てみて、見つからなかった」

「なぜ外周?」

「落ちてみたら出られる、みたいなことを思ったりしないかなって」

「そんな簡単な抜け道はないダロ」

「だよなぁ」

 

 手すりに手をかけて、下を覗いてみる。足場がある、とかそんなことはなかった。つるりとした、こういうのを白磁というのかな、真っ白な壁が球体を描いてこの鋼鉄の城を支えている。本来なら地平線に消えるはずの太陽は沈む場所がなく戸惑っているのか、朱色とも金色ともつかない曖昧な色合いの光でこの城の外縁を照らしていた。

 その幻想的な風景に、思わず見惚れてため息が出る。

 

「……オニーサンの恋人か?」

「いや?」

「違うのカ。ため息までついて、深刻な顔してるケド」

「あー……知り合いのそっくりさんだからかな。ま、美人なのは間違いないけど」

「ふぅん……ん? てことハ、他人カ?」

「たぶん」

 

 少なくとも、俺の知るあの子はゲームなどしない。知識としては知っているだろうが、それが手近に置かれる環境ではなかったはずだ。

 

「他人のために、わざわざ?」

「もしかしたら知り合いかもしれないだろう?」

「もしかしたら知り合いじゃないかもしれないんダロ?」

「うん、そうね」

 

 なにも言い返せなかった。認めてしまっちゃおしまいだな。

 

「余計なお世話ダ、とか思わなかったカ?」

「それは思うけど」

「ケド?」

 

 フードの奥から、俺の目をじっと見つめる光があった。よくわからないものを観察する、というのか。まるで──そう、あれだ。値踏みするような、という表現が正しいか。

 自分のなかで相手をどう位置づけるか考えているときの視線だった。

 だから、端的に言いきった。

 

「まだ、諦めるのは早すぎる。そう思わないか?」

 

 まだ閉じ込めたと言われたって一日目だ。もしかしたら、それこそ俺が考えたようにどこかに抜け道があるかもしれないし、現実──外からの救援ができる場合があるかもしれない。ひょっとしたら、ベータ版よりも難易度が下がっていることだってないとは言い切れない。

 それら全てが楽観的な思いからきている淡い希望だってこともわかっているし、ここまで大掛かりな事件を起こした茅場がそんなあっさりとゲームを終わらせられるよう仕組むはずがないこともわかる。このゲーム、この世界に並々ならぬ思いを込めて作り上げたのだろうから、そう簡単には抜け出せないだろう。

 しかし、だ。

 それでも、諦めてしまうのはよろしくない。まだ想像でしかないし、見つからない以上はもしかしたら手遅れの可能性だってある。けど、止められるものなら止めたい。気づいてしまったからには、気づかなかったフリはできない。

 そんな考えをぶちまけてみると、フードの少女は陰になっていない口元を少し歪ませてみせた。

 

「……なるほド?」

「まあ、そういうわけだ。女性プレイヤーで、明るめの、あれは栗色って言うのかな? そんな色の髪を背中の中ごろあたりまで伸ばしてる子を見かけなかった? あと美人さん」

「ンー……いや、知らないナ。女が少ないぶん目立つとは思うが、オイラも全員を把握してるわけじゃナイ」

「だよなぁ」

 

 うーん、本当にどうしたものか。これはマジで行き詰まった。

 

「名前さえわかるなら、少なくとも生死の確認はできるけどナ。他人ってことは、プレイヤーネームも知らないんダロ?」

「うん、わからん」

「よくそれで人探しなんてやろうとしてたナ」

「……たしかに」

 

 よくよく考えれば、手がかりの少なさにあらためて驚かされる。名前は知らない、髪が長めで明るい色をしていたという以外に特徴を覚えているわけでもない。よくこんな状態で動いてたな、俺。さすがに無茶が過ぎるだろう。

 目の前の少女も呆れるように肩をすくめる。あ、いま鼻で笑われた気がするぞ。

 

「仕方ないだろ、気になっちまったんだから。やれることをやろうとした結果なんだよ」

「その結果がコレなんだロ?」

「うぐ」

 

 なにも言い返せない。明らかに俺にとって分の悪い状況が出来上がっている。いやでも、他人を助けようって心意気は立派だと思うんだよ、うん。こんな状況だからこそ、助け合いってのは大事だと思うんだ。さっきキリトたちと話してたけど、死に戻りができないって時点でひとりひとりが大切になってくるはずなんだ。そう、そういうことなんだよ。決して考えなしってわけじゃない、はずだ。

 言葉に詰まっていると、今度こそぷすーと鼻で笑われた。

 

「……なんだよ」

「ああいや、すまんナ。なかなかの阿呆っぷりがおかしくてナー。……ぷくく」

「悪かったな、阿呆で。そろそろ俺は行くぞ」

「待って待って、悪かったヨ」

 

 少し慌てるように、服の裾を掴んで引き止められる。く、と引かれた力は思ったよりも強かった。

 

「そんなオニーサンに提案があるんダ。悪い話じゃないヨ? それどころかとっても美味しい話ダ」

「……なんだよ」

 

 人探しが進まないなら全部マズい話だ、とまでは言わないけどさ。有用な話なんだろうな、それは。なんかうさんくさいんだけど。

 

「まぁもちろん、悪い話も混ざるんだけどサ。聞いてくれるカ?」

「聞くだけな」

 

 んん、と咳払いして、少女は告げる。

 

「オレっちと組まないカ?」

 

 そうして少女は、フードを取っ払って笑ったのだった。

 

 

 

 

 

 

「自己紹介がまだだったナ。オレっちはアルゴってんダ」

 

 場所は移り、外縁部のカフェテラス。とりあえず手頃な位置にあったそこで、俺たちは向かい合って座っていた。コーヒーを頼んでみたが、なんか違うな、これ。味がいまいち足りない。

 アルゴと名乗る少女は、フードを取ったら金髪の美少女だった。そして両頬に引かれた3本ずつの線が非常に気になる。なにそれ。ペイント? 

 

「あんまり大きい声じゃ言えないが、オレっちはベータテスターでナ。鼠、なんて呼ばれてたんダ。情報屋をやってタ」

「情報屋」

 

 そんなのあるんか。あーでも、ゲームなら攻略法とかそういう情報が出回ったりするもんな。その出どころというか、拡散の主体をやってたってことか。

 いや待て、ベータテスター? 

 

「ベータ……ってことは、キリトとも知り合いか?」

「キリト?」

 

 あれ、知らないか。あいつも確かベータテスターだって言ってたような。情報屋ってくらいだからてっきり知り合いかと。

 顎に手をやって考えているふうのアルゴ。ややあって、ぱちんと指を鳴らした。

 

「……ああ、名前なら聞き覚えがあル。凄腕だってんで有名だったやつカナ。でも直接の面識はないゾ。オニーサンこそ知り合いなのカ?」

「昼頃にな。初心者のやつとふたりで世話になった。なるほど、あいつやっぱ凄腕なんだな」

 

 ひとりで行かせて心配だったけど、このぶんなら少しは安心かな。できるなら誰かと組んでいてほしいところだけど、どうだろ。

 

「……ほほウ。ますますオニーサンと組みたくなってきたナ」

「え、なんで?」

「そのキリトってヤツ、もう先に進んでるんだロ? オレっちはそういうのをフロントランナーって呼ぶんだケド、そいつらとコネを持ってるってだけでも情報屋としては羨ましい話なんだゼ」

「ああ、そういう」

 

 情報屋としてはゲーム攻略の最前線情報がなにより有用だということだろう。

 だがそういうことなら、俺としても確かにありがたい話だ。人探しにおいて、情報を取り扱うというのはこれ以上ないアドバンテージになる。

 

「お、乗り気になったカ?」

 

 なぜバレてる。そんなに顔に出やすいタイプじゃなかったはずだ。火傷痕を隠すのにマスクしていたのもあって、むしろ顔はあまり見られることはなかったんだけど。……待てよ、それが原因か? 

 

「……オニーサン、アレだナ。情報屋は向いてないかもナ」

「なんで?」

「鏡を見てみナ。さっきから百面相してるゾ」

 

 呆れ笑いをしながら、手鏡を投げてよこしてくる。のぞいてみると、眉間に皺の寄った俺の顔が映っていた。

 

「……しかめっ面なだけだぞ」

 

 そう言って顔を上げると、両手で頬杖をついてニマニマと笑うアルゴと目が合った。

 

「ぷくく」

「話は終わりだな。ここは払っとく」

「待て待て、今のはオレっちのお茶目っぷりをだナ」

 

 立ち上がろうとする俺の手を掴んで、またも引き止められる。

 コイツ、俺をからかって楽しんでるだけなんじゃないのか? 

 

「笑って悪かったヨ。でもオニーサンと組みたいのは本気ダ。コネがあるって魅力もだが、それ以上に個人的に気に入ったンダ」

 

 くいくいと手を引かれて座りなおした。金色の眼が、真っ直ぐに俺を捉えている。

 

「こんな現場でも他人のために動ける器量と、その動き出しの速さ、それから持っているコネ。ここまでピースが揃ってるんダ、オレっちはツバのひとつやふたつはつけておきたいのサ」

「コネに目が眩んでるようにしか聞こえてこないけど」

「気のせいダ」

 

 肩をすくめ、アルゴはにししと笑った。

 まあ、悪い話じゃないというのは間違いない。ひとりでの行動には限界があるだろうし、そこで組んでいるのがベータテスターってのは心強いだろう。基準をキリトとするなら、だけど。

 それに、今後の方針を考えていたわけではないのだ。ひとまず、この話に乗っかってみるのもありだろう。情報屋というくらいだ、あの子を探すのにも役に立つはずだし。

 

「わかった、組もう。よろしくな、アルゴ」

 

 頷き差し出した手を、小さな手が握り返した。

 

「よろしくナ、相棒」

 

 

 

 

 

「それで、組むのはいいんだけどさ。さっきの悪い話ってなんだ?」

 

 組むと決めたあとで今さら聞くのもどうなのかと思いつつ聞いてみる。まして悪い話なんて正直なところ聞きたくもないが、聞いておかねばなるまい。

 そんな葛藤を知ってか知らずか、アルゴはあっけらかんと言い放った。

 

「ああ、あれカ。簡単な話だヨ。人探しは諦めナ」

「……おい情報屋」

 

 実に簡単に言ってくれる。わかるんだけどさ、もうちょっとこう、言いにくそうにするとかさ、あるじゃん。言いかたがさ。

 

「見つかりっこないよ、見た目だけで探そうなんてサ。まして今日は初日だ、それも午後だけで1万人も把握できるわけないダロ。だから祈レ」

「……クソ。なんか納得いかん」

 

 言いたいことはわかるし、俺が無茶言ってるのもわかる。わかるんだけど、じゃあこのモヤモヤはどうしたらいい。

 

「ま、そのうち会えるヨ。きっとネ。オレっちの勘はよく当たるんダ。女の勘ってやつダナ」

 

 ……信じるからな、その言葉。

 

 

 

 

 

 

 

 

 コンビを組むことにしたその日のうちに、俺たちは《はじまりの街》を出ることにした。キリトを追いかけるのだ。おそらく誰よりもスタートの早かったあいつがゲーム攻略の先頭を走っているはずで、畢竟、あいつの持つ情報が最前線のものになるはずなのだ。

 すでに夜を迎えている。天を仰げば、うっすらと第2層が透けて星空が見えていた。日付が変わるまでには、次の目的地である《ホルンカ》にたどり着くはずだとアルゴは言う。

 もちろん、速さを求めたぶん安全からは遠ざかるようなルートでの話だケド、とも。

 

「シュウ兄、武器防具その他、不備はないナ?」

「おう」

 

 腰に下げたカトラスの柄に手を当てて頷く。

 俺はこの機に、アルゴに見繕ってもらって装備を一新した。キリトたちと動いていたときに溜まったアイテムをほぼ全て売却し、現状で入手でき得る最も優秀な装備で身を固めた。

 特に武器は、曲刀を使い続けるとカタナというスキルが発現するらしいとアルゴが言っていたことをきっかけに初期装備の片手直剣を売り払ってまで新調している。カタナって憧れるよね。

 

「確実な情報ってわけじゃないんだけどナー」

「可能性があるなら賭けるのが俺だよ」

「絶対ギャンブルには手を出すなよシュウ兄」

 

 失礼だな。分の悪い賭けはしない主義だぞ。

 

「というか、なんだシュウ兄って」

「なんとなくだヨ。面倒見良さそうというカ、世話好きというカ。その感じ、オニーサンって感じするとおもっテ」

「よくわかったな、弟がいる。年はちょっと離れてるがな」

「今のは聞かなかったことにしといてやろウ。あんまりリアルの話はするもんじゃなイ」

「じゃあ本名で呼ばないでくれる?」

「そういうとこだゾ?」

 

 そんなことを話しながら、はじまりの街の大門にたどり着く。スキルの組み合わせも、アルゴに教わりつつ最短でキリトに追いつくよう設定し直した。といっても、レベルが低いので2つまでしか使えない。《隠蔽》でとにかく人目にもモンスターにも見つからずに駆け抜ける。どうしても避けられない戦闘もあるかもとのことで、そのときのために戦闘用スキルの《曲刀》も忘れない。

 

「さて、行こうか」

「ン」

 

 目指すはホルンカという町。村? どちらでもいい、とにかくそこが目指すべき場所のはずらしい。第1層では有用なアイテムが手に入るクエストがあるとかなんとか。

 

「──と、その前に」

「なんだヨ、忘れ物カ? それとも催したカ」

「おい女子」

 

 恥ずかしげもなくそんなことを言うんじゃありません。あと催してもないわ。そもそもこのゲームで催すことってあるのか? 

 

「キリトにメッセージ送っとこうと思って。夜ってことは宿だろ、会うの。場所知らないと合流できん」

「その抜け目なさは情報屋なんだけどナァ」

「なんだよ」

「いーや、なんでもないヨ。ほら、行くゾ!」

「おわ」

 

 ぐいと手を引いて、アルゴは満月が照らす草原に踏み出した。待て待て、まだメッセージ送れてないんだけど。俺そういう操作に慣れてないから歩きながらとかできないんだけど? 

 初心者ってことを知ってるはずの──いや、知ってるからなのか、アルゴはずんずんと進んでいってしまう。……俺の手も引きながら。

 あんまり急ぐと転ぶぞ。俺が。

 

 

 

 

 

 

《森の秘薬》というクエストがあるそうだ。

 片手用直剣を使用するプレイヤーで、なおかつベータテスターであるならば十中八九それを受注するはずだとアルゴは言う。クエストの報酬がなかなかのもので、ここで手に入れておけばしばらくは装備を変える必要がなくなるほどであるとも。それもっと早く言えよ。それなら曲刀にしなかったぞ俺。

 そう追求すると、

 

「でもカタナは取れないゾ」

 

 とのこと。うむ、やっぱ曲刀だな。言い募って悪かった。

 ホルンカまでの道のりは、そこそこ順調といえた。聞くところによると蜂だの捕食植物だのと見た目で危険だと判断できるモンスターが湧くらしく、さらには毒だなんだと状態異常を与える特殊性も備えだすとか。草原を抜けて森に入るころにそんなことを聞かされれば、慎重にならざるを得ない。等身大の毒蜂とか怖すぎる。「だから隠れるんだヨ」というアルゴの言葉と慎重さが、非常にありがたかった。

 ところが、やはり弊害もあるわけで。

 

「シュウ兄、そっちいっタ!」

「あいよ!」

 

 明かりの差さない森の闇から、キシキシと嫌な音がする。うっすらと判別できる影から、触手のようなものが伸びているのが見えた。

 

「正面ダ!」

 

 アルゴの声を頼りに、カトラスを肩に担ぐように構える。一瞬のタメののち、オレンジの光が微かに森を照らした。

 わずかに見えたのは、丸い頭部にパックリと割れて鋸のような歯の並んだ巨大な口。触手が波打つように蠢く。《リトルネペント》とアルゴは呼んでいた。森に入る前に説明のあった捕食植物型モンスターだろう。これはキモい。キモすぎる。

 

「──せい!」

 

 頭を狙う、鞭のように横薙ぎに振るわれる触手に向けて肩に担ぐように構えたカトラスを振るう。バチンと鈍い音がして、奴と俺と、お互いの体が離れるように弾ける。

 

「スイッチ!」

 

 俺の声とほぼ同時にアルゴが後ろから飛び出す。短剣に淡い光を纏わせて、駆け抜けざまに一閃。敵の頭が重い音をたてて落ちた。

 残光が視界を焼き、そしてガラスが砕けるような音とともにさらに大きな光がはじける。耳障りな断末魔を最後に、森はまた静寂を取り戻した。

 

「ヨシ、進もうカ」

「……アルゴ?」

「ン?」

 

 何事もなかったように進もうとするアルゴを呼び止める。足を止めた彼女は、振り向きつつ首を小さく傾げた。

 

「どしタ、シュウ兄」

「どした、じゃないよ。なんだ今の」

 

 さっきまで奴がいた空間を指さす。もう影も形もないが、そこはそれ、雰囲気だ。それよりも重要なことが今はある。

 

「隠蔽が全く効果なかったみたいだけど?」

 

 隠蔽というスキルは、読んで字の如し、隠れるスキルだ。それを使用するということは、俺はモンスターの感知の外側にいることになるはずなのだ。だというのに、あの《リトルネペント》はスキル発動中の俺を認識していた。あまつさえ攻撃まで仕掛けてきた。

 見つかったナ、と呟いて先制攻撃を加えようと構えたアルゴではなく、《隠蔽》でその横に身を潜めていた俺を狙って。その後も、狙われていたのは俺だった。

 これはどういうことか。

 

「ああ、そのことカ。奴の頭、見たカ?」

「デカい口しかなかったが?」

「てことは目もないだロ。そういうこっタ」

「そんなんアリかよ……!」

 

《ネペント》は視覚以外で敵を捉えることができるモンスターだということ、そして《隠蔽》は視覚にしか作用しないこと。つまりそういうことだと言う。特殊が過ぎないか。まだ第1層だぞ。

 

「だからほら、オレっちは《隠蔽》じゃなくて《索敵》を取ったんダ。見つかるより先に見つけようと思っテ」

「なら俺も《索敵》にしたほうがよくないか?」

「ふたりで同じモノ持ってても意味ないダロ。基本オイラが先導するんだし、対応が早いに越したことはなイ」

 

《鼠》の逃げ足を舐めるなヨ、と強気なのか弱気なのかわからない言葉を放ちながら、アルゴはさらに獣道を森の奥へと進んでいく。……《隠蔽》に頼りすぎてもいけないという教えなのだろうか。意外とスパルタだな。

 

 

 

 

 その後も何度か戦闘を行い、そのたびにノウハウを叩き込まれながらようやっとホルンカへと辿り着いた。

 どうやら村の中は圏内の設定らしい。建物の数や質──と言うとなんだが、ボロさはどうやってもはじまりの街のそれとは比べるまでもない。向こうが石やレンガでずらりと建てられていたのに対し、こちらは木造が多く見られ、建物の配置もまばらだった。だが、きちんと拠点としての機能は持っているゾ、とアルゴは明らかに気の抜けた声でそう言う。じっさい、村の中にモンスターが入ってくる様子はなかった。

 

『赤い屋根の二階だ』

 

 キリトから、その数棟しかない家屋の一室をしばらく借りているのだと連絡があった。宿屋として売りに出していなくとも部屋を借りることができるらしく、訪れた家は商いとは無縁の民家だった。

 アルゴによれば《森の秘薬》も同様で、あからさまなクエスト表示や宿屋表示がないものでもシステムとしては存在するそうだ。ゆえに知る人ぞ知る隠れたポイントであり、それをこの段階で既に気づくというのは相当な幸運か事前知識の賜物であるに他ならないという。

 部屋を訪ねてドアをノックする。あらかじめ伝えていた独自のリズムで扉を叩くと、鍵の動く音がした。

 

「はいはーい!」

 

 快活な声とともに扉が勢いよく開かれる。そうして俺を迎えてくれたのはしかし、キリトではなく見知らぬ少女だった。


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