野郎どもに花束を   作:小川 帆鳥

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スターゲイザー

「わぁ……!」

「おお、こりゃすげえ。フラワーガーデンって名前はダテじゃねえな」

 

 シリカが感嘆の声をあげた。後に続くクラインも感心したように辺りを見回す。

 視界一面に海のように、花が咲き誇っていた。

 四十七層主街区フローリア。転移門を中心に広がる円形の広場には色とりどりの花々が乱れ咲く。

 クラインが呟いた《フラワーガーデン》という通称のとおり、さながら箱庭のように主街区は透明なドームに覆われていた。主街区内外を区切る位置にはドームを支える真っ白な石柱が立ち並ぶ。街というより庭園の様相を見せるこの場所には宿場町といったものはなく、点在する噴水と屋台以外は全て花壇。石畳の通路の両脇に細く水路が設けられ、蛙でもいるのか、ときおり足元でちゃぽんと音が聞こえた。

 

「すごい……!」

 

 シリカはレンガで区切られた花壇の前にしゃがみ込んだ。遠目で見るぶんには絨毯のようだったそれは、近くで焦点をあてると花弁や雄しべ雌しべといった細かなところまではっきりと浮かび上がる。紫色の小さな花がいくつも連なるように咲いていた。

 花の香りを楽しんでいると、花と花とを行き来するてんとう虫が飛び立つ。それを目で追った先でふと視線が止まった。

 男女のふたり連れ。仲良さげに手を繋いでいる。なんだかじっと見るのも悪くて視線を逸らすと、そこにもひと組。女性が男性の腕を抱くようにして腕を組み談笑している。

 

 ──もしかして、ここって。

 

 見渡してみると、似たようなふたり組があちらこちらを歩いていた。ときどき男性同士だったり女性同士だったりもいるけれど、纏う空気は似たようなもの。そして共通するのはやはり、ふたりでいるということ。特別な相手がいるということだ。

 デートスポット。そんな言葉が頭をよぎる。確かに一面の花畑といいそれに合わせた穏やかな気候といい、うってつけの場所だ。

 

 ──あたしたちもそんなふうに見られてるのかな。

 

 隣にずっと立ってくれていたクラインを見上げる。それに気づいたクラインもまたこっちを見てきて。

 視線が、ぶつかった。

 

「どした?」

「──っ、いえ、なんでもないです。行きましょう!」

 

 とっさに立ち上がって、はたはたと服をはたくようにしながら歩きだす。昨日も昨日で変だったが、今日も今日で変だ。なんだかクラインのことばかり意識してしまう。どうしても顔を直視できない。

 そうして思わず早足になっていたシリカの右手が、クラインの左手に掴まれた。

 

「おっと、そっちじゃねえぞ。こっちだ」

「……ぁう。はい」

「焦るのはわかるけど、あんまりひとりで先に行かないでくれな」

 

 クラインはシリカの手を引いて、シリカが行こうとしたのとは正反対の方向に歩き出す。まるで父の手のように感じていたその手が今だけは全くの別人のように感じて、けれど決して嫌な感じはしないその手をシリカはきゅっと握り返す。

 昨日はなんとも感じなかったのに、今日はどうしてかすごく気恥ずかしくて俯きがちだ。何かをしゃべろうとしても言葉が上手に出てこなくて、顔を上げては俯いてを繰り返した。

 石畳を叩くブーツの音が大きく響く。さっきまで見ていたカップルたちは楽しげに笑っていたのに、なんで自分は俯いているんだろう。あんなにも今日のことを楽しみにしていたのにこれはもったいなさ過ぎやしないか。

 というか、クラインさんもクラインさんだ。()()()()場所だってことは知らないにしたって、周りを見たらわかりそうなものだ。なのにこんな、平然と手を握って、引っ張って。もうちょっとくらい特別扱いというか、どぎまぎしてくれたって──。

 

「あら、こんにちはお兄さん。昨日ぶりね?」

「……っ!」

 

 女性の声。それが誰の声なのか俯いたままでもわかってしまって、思わず顔を上げる。

 

「あれ、ロザリアさんじゃないっすか」

「覚えていてくれたの? 嬉しいわ」

 

 赤い髪の槍使いが、街のはずれ──クラインが向かっていた主街区の終わりを示す門の柱にもたれていた。

 昨日と同じ胸元を大胆に開いた黒い鎧。クラインが名を呼ぶと、()()をつくりながらすり寄る。シリカと繋ぐ手が緩んだり強まったり、クラインの心の揺れを表しているかのようだった。

 

「ね、せっかくこんなところで会えたんだし、ご一緒してもいいかしら? テイミングしたモンスターを生き返らせるっていうのに興味あるの」

「ロザリアさん……なんでここに……」

「あらシリカ、話を聞いてなかったの? 《プネウマの花》だったかしら、それに興味があるのよ──ねぇ、いいでしょう?」

 

 後半の言葉はシリカに向けた言葉ではなかった。いままでもたれていた柱の代わりにクラインにもたれるようにして、甘い声で囁く。

 それだけでもだらしない顔で緩んでいたのに、さらには空いていたクラインの右腕を取り抱くようにして腕を組む。耳元で再びねだるように同行を求めて囁いて。

 

「ねぇ、お願い」

「もちろんいいっすよ、一緒に行きましょう!」

「あら嬉しい。お役に立てるように頑張るわ」

 

 二つ返事だった。

 

「え……」

「な、なんだどした?」

「あ……いえ、なんでも」

 

 思わず声を荒げたシリカだったが、続く言葉に詰まる。いったいなんと言えばいいのかわからなかった。

 ロザリアがニガテだ、なんて少なくとも本人の前じゃ言えない。言葉で勝てる相手じゃないし、むしろ変に突っかかられる隙を作ることになる。

 ふたりで行くんじゃなかったのか──もっと言えない。それこそロザリアに聞かせたくないし、クラインにだって恥ずかしくて言えない。期待していた、なんて。それじゃあまるで──。

 

「? どした、シリカちゃん」

「……なんでもないです」

 

 シリカはそう言って、繋いでいた手の力を弱める。

 拒む理由が言えなかった。少なくともクラインを納得させられるような理由がシリカには思いつかなかったし、言えない理由がはっきりしすぎた。

 クラインは変わらずシリカの手を握ってくれてはいたけれど、それはそれとでも言うように体ごと腕に絡むロザリアを振り払おうとはしない。それどころかほとんどシリカのほうには視線すら向けず、ロザリアとばかり話していて。

 

 ──ばかみたい。

 

 自分だけが舞い上がっていたみたいで、それがひどく悲しい。いっそつなぐ手も振り払えたらよかったのに、それはどうしてもできなくて。情けなさばかりが大きくなっていく。

 特別、という扱いに期待してしまっていた自分が恨めしい。クラインにとってシリカはたまたま出会ったただの女の子で、その子の友達のために手伝っているというだけなのだ。

 そう、それだけ。自分が特別なわけじゃないなんて昨日のうちに思い知ったではないか。ロザリアが興味を持っているのだって、ピナのことだ。ピナがいなければシリカのことなんて歯牙にもかけないはずだ。

 

 ──クラインさんだって、ピナのためなんだから。

 

 シリカはまるでその言葉を刻み込むように空いた左手を強く握る。

 門をくぐった先のフィールドも、主街区と同じようにそこかしこに花が咲いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 結局、シリカは繋いでいた右手を離すことになっていた。

 

「なんだっけ、ピナ? のためなんだからシリカ、あんたがまず頑張るべきなんじゃないの?」

 

 とロザリア。

 言われなくてもそうするつもりだったし、あくまでも彼らは手伝いだというのもわかっている。わかっているけれど、実際にそれを言われるのはひどく癪に触った。しかも本人はクラインの右腕を離さないし、クラインはクラインで無理にでも引き剥がそうという姿勢ではなかった。

 

「シリカちゃん、花の下の白いとこな。ちゃんと叩けばたぶん一撃だ。……それでロザリアさん、そろそろ離れません? ちょっと歩きづらいっす」

「あらいいじゃない。お嫌い?」

「いいいいえ別にそーんなことはありませんけど!」

「……っ!」

 

 後ろのふたりから目を逸らし、シリカは短剣を逆手に構える。道脇の草むらをかき分けて現れたそれは、《歩く花》だった。

 足代わりの機能を果たすのは無数に分かれた根。胴体部にあたる茎は人間の太腿ほどに太く、その中ごろからは人間の腕ほどの太さをしたツタが伸びる。そして頭の位置では巨大な花が中央からぱっくりと巨大な口を開けていた。

 クラインが言う白い部分──そこは人間で例えるなら首にあたる部分だ。じっと見据える。腕の代わりに伸びる二本のツタが、鞭のようにしなり空を切り裂いて地を叩く。

 正直、苦手なビジュアルの敵だった。チュートリアルにちょうどいいからと、以前《アニールブレード》獲得のクエストをやったときと同じだ。あのときはリトルネペントという類似した小型のモンスターが湧きに湧いた。今回は数こそ一体なれど、でかい。そして大小に関わらず、思わず一歩引いてしまいたくなるようなデザインだった。

 だがここで退くわけにはいかない。退けば退くぶんだけピナに背を向けることになるし、なにより後ろのふたりに近づくことになる。それはどちらも嫌だ。その思いが一歩を踏みとどまらせた。

 

「やぁっ!」

 

 振るわれるツタを避け肉薄する。刀身が光を帯び、一瞬の残光。断末魔の叫びとともに花が落ち、そしてポリゴン片が砕け散った。

 

「……やった」

 

 動ける。クラインから受け取った装備はやはり今までのものより数段上なだけあって、防御力もさることながら敏捷値が桁違いだ。攻撃を受けても大丈夫、じゃなくて攻撃を受けなくても済む。ダメージを受けずにダメージを与えられるのだ。これならいける──倒せる。少なくとも同じ奴なら問題ない。

 あっけないとまでは言わないけれど、こんな装備を使わずにいるなんて。やはり攻略組というのはレベルが違うのだと実感できた。

 

「やっぱすごいのねお兄さん、さすが攻略組ね。左手だけで倒しちゃうんだもの」

「任してくださいよこの程度!」

 

 もう一匹、シリカの背後に迫っていたようだった。それは空いていた左手で抜いたクラインの刀が一撃で葬る。散るポリゴン片をバックに、寄り添うふたりが顔を近づけて話している。

 

「……ふんだ」

 

 学習した。ロザリアのやり方はわかったし、クラインさんの弱みもなんとなくわかった。この程度で癇癪を起こすシリカではない。

 そしてやっぱりシリカのためではないのだ。少なくとも、シリカを気にした様子は一切ない。

 

「ね、攻略組ってみんなこんなに強いのかしら? それともお兄さんが特別なの?」

「そりゃみんな同じようなモンすよ。なんなら弱いほうで」

「嘘よぉ、ゼッタイ嘘。お兄さんが一番に決まってるわ」

「いやそんな、お、おおおだてたってなんも出ませんよ!?」

「おだててなんてないわよ。本心だもの」

「そ、そうっすか?」

「そうよぉ。世界で一番カッコイイわ」

 

 振り向きたくなかった。ロザリアの甘ったるい声につられるように、クラインの声音もだんだんと溶けていっているように感じる。

 聞きたくない。聞いていたくなかった。一刻も早くこの場から離れたいその一心で、シリカは足を早める。道中に現れる敵モンスターどもに八つ当たりするように斬りつけて、とにかくシリカは進んでいく。

 やがて草原から森に切り替わる場所にたどり着いた。緩やかな傾斜の丘陵を森が覆っている。誰かが、あるいは何かが踏み均した道は曲がりくねりながら森の奥に続く。

 一歩踏み込むと、眼前にウインドウが表示された。

《思い出の丘》──このてっぺんが、目的地。

 振り向くと、クラインとロザリアは顔がギリギリ見えるか見えないかの位置にいた。こっちを見ているような見ていないような、ゲームシステム的にも曖昧になる距離。動きを見ていると、少なくともロザリアはくっついて離れようとせず、かといってクラインも嫌がる素振りはないように見える。

 その様子が、フラワーガーデンにいたプレイヤーたちの姿に重なった。

 

「……っ!」

 

 たまらずシリカは駆け出した。森の中は薄暗い。昨日のことを思い出す。

 ひとりで怒って、勝手な行動をして、ピナを失って。手伝うよと言ってくれた、父の面影を重ねたクラインのことすらも、昨日声をかけてくれたパーティの彼らと同じように勝手に置いていって。

 同じことをしてしまっている──そんな自虐的な感情も芽生えるが、それを打ち消すようにひたすらピナのことだけを思い浮かべる。

 ピナさえいてくれればいい。ピナがいてくれさえすれば、あたしはだいじょうぶ。ひとりになんてならない。ずっと一緒にいてくれるんだ。

 がむしゃらに走る。道中、おびただしい数のモンスターに出くわした。幸いクラインから貰った装備とこれまでで上がったレベルのおかげでどうにか事なきを得るが、さすがダンジョンというべきか、モンスターのレベルはともかく出現数が段違いだった。

 だがそれらに驚き慄くよりも、孤独のほうがシリカには強く感じられた。

 

「……ピナ……会いたいよ」

 

 いつもピナが隣にいた。たった一日だ。たった一日いないだけなのに、今はすごく心細い。

 

「寂しいよぉ……ピナぁ……!」

 

 半ば泣きじゃくるようにしながらしゃにむに道を辿る。時にモンスターを倒し、時に無視して、シリカはとにかく頂上を目指す。

 やがて森が急に開けて、まぶしさに目を細めた。それでも進むと足の裏に感じていた傾斜がだんだんと緩やかになり、やがてなくなっていく。光に目が慣れてくると、目の前にぽつんと岩がひとつあるのが見えた。

 

「着いた……?」

 

 すんすんと鼻をすすりながらシリカはゆっくりと進む。

そこは広場だった。中央に岩がひとつあるだけの簡素な場所。ただ、これまでのどんなところよりも絢爛に花々が咲き乱れている。

 そして真っ直ぐに、岩に向けて一本の道が伸びていた。

 一歩、進む。岩全体が光ったような気がした。

 二歩、進む。岩に切れ目があるのが見える。

 三歩。切れ目から、ひょこんと何かの芽が顔をのぞかせた。

 歩を進めるたびに、岩に根付いた植物が伸びていく。すくすくと生長するそれは、やがてあっという間に蕾になる。

 そしてシリカが手を伸ばせば届くところまで近づくと、蕾はゆっくりと笑みの眉を開いた。

 

「きれい……」

 

 桃色の花弁が六枚、互い違いになるようにしながら空を仰いでいる。近づいて見てみると、花の中に液体が見えた。花びらが器の役割を果たしているのだ。

 

「これが……?」

 

 手を伸ばす。茎にちょんと指先が触れると、まるでそれを待っていたかのように折れた。慌てて両手ですくうように持ち上げると、目の前に《プネウマの花》の文字が浮かび上がる。

 ついに手に入れた。これでピナが──。

 

「おめでとう、おチビちゃん」

「……え」

 

 背後から声がした。同時に足音が近づいてくる。振り向くと、見知らぬ男たちが森の中から次々に姿を現しては無遠慮に花々を踏み荒らしていた。

 

「その花がプネウマの花だな?」

「オレたち、それが必要なのよ。ちょーだい?」

「なんならお嬢ちゃんごともらってもいいんだけどよ」

「お前そんな趣味あったんか」

 

 ゲラゲラと下卑た笑い声をあげて、男たちはシリカを取り囲む。十人はいる。全員がシリカを見下ろしている。全員が武器を手に持っている。

 そして全員が、頭上にオレンジを浮かべていた。

 

「な、なんですか……?」

「あーいや、そんな怖がらんでもいいのよ。別に何かしようってんじゃなくてさ」

 

 にやにやと笑みを浮かべながら、シリカの正面にいたひとりが歩み出る。それにつられるように、シリカも一歩下がった。

 

「怖がられてやんの」

「そりゃあんなブサイクが近づいてきたらこえーだろ」

「代わるかー?」

「お前はもっとブサイクだろ」

「んだとコラ!」

 

 ぎゃいぎゃいとどこか楽しげに、周囲の男たちがヤジを飛ばす。それに正面の男は一喝した。

 

「うっせーぞお前ら! ……すまんな、後でキツく言っとく」

「あ、いえ……その」

「それでもう一度言うけど。その花、オレにくれねーか」

「ひ……!」

 

 直前の声とは打って変わって優しい声音。だが、だからだろうか。それで迫られている今のほうが、よほど怖い。

 

「これはお願いだからあんまり強くは言えねーし、別に無理にとも言わねーけどよ。もう一度言うぞ? その花、くれないか」

「だ……だめ、です」

「話聞いてたか? その花、くれよ」

「だめ、なんです……!」

「よこせ」

「いや……!」

 

 大きく目を開いた顔が近い。だんだん声が低くなる。男が迫るのに合わせてじりじりと下がると、やがて背中が岩にぶつかった。

 

「もう下がれないな。まあ下がったところで逃しゃしねえけども」

「あ、う……」

「最後だ。その花、よこしな」

 

 言って、男は右手を伸ばしてくる。シリカが胸に抱く《プネウマの花》に向かって。

 だがこれだけはダメだ。渡せない。誰よりも、何よりもシリカの特別なのだ。もしこれでプネウマの花まで失ってしまったら、今度こそシリカは立ち上がれない。

 ピナに二度と会えない、なんて。そんなこと想像もしたくない。

 

「……っ!」

「あ。おいおい」

 

 男と自分の間に岩がくるように回り込む。だがそれも大した抵抗にはならず、いつの間にか真後ろに近づいていた別の男に肩を掴まれた。

 

「ひゃ……!」

「可愛い声してんねえ、お嬢ちゃん。おじさんと一緒に遊ぼうよ」

「〜〜っ!」

 

 ぞわわわわ、と鳥肌が立った。男の声が耳元で聞こえる。その感覚がこれ以上なく気持ち悪い。

 

「あーあー。ほどほどにしとけよ」

「大丈夫だって。少なくともあの攻略組の兄ちゃんは来ねえだろ」

「まぁそりゃあな。ちょろすぎんだろあいつ。童貞だな」

「違いない」

 

 ──攻略組。

 その言葉に思わず顔を上げる。それに気づいた、肩を掴む男が上から覗き込むようにして笑いかけてきた。

 

「助けは来ないよ。どうやらお嬢ちゃんよりあの姉さんの方が好みだったみたいだねえ?」

「そ……んな」

「まあほら、代わりにオレがお兄ちゃんになってあげるから。ほら呼んでみ? おにいちゃんって」

「──!」

 

 ふるふると首を横に振る。

 ──嫌だ。

 さっきとは別の意味で、この場から離れたいと強く思った。怖い。ただでさえ男の人が怖いのに、こんなにも大勢でこられたらもっと怖い。

 なのに逃げられなかった。肩を掴む力が強くて、振り払うことができない。どんなに暴れてもびくともしないのはきっとレベルのせいだ。

 レベルが高い。そのぶん、筋力値やら敏捷値やらも高い。そうなればこの世界はゲームなのだ、弱い者が勝てる道理なんてない。

 

「……けて……」

 

 今さらと思うかもしれない。こんな時だけ都合よく、と思われるかもしれない。自分から逃げ出しておいてこんなの虫が良すぎることはわかっている。

 でも──でも。

 あのひとの手だったら、こんなに気持ち悪いなんて思わない──! 

 

「助けて、クラインさん!」

 

 力の限り、叫んだ。聞こえるわけないと自分でもわかっていた。シリカを囲む男たち以外にひとの影など見当たらない。何より、彼らの言葉が本当ならばそもそも彼はシリカには興味も持っていないことになる。それはもう他人だ。

 この場にいない他人に助けを求めたって、それが叶うわけがないのだ。

 それでも。思いつく中で最もレベルの高い、それでいて助けを求められるプレイヤーは、シリカの中では彼しかいなかった。

 

「だから話聞いてたか? 来ねえっつったろーが」

 

 岩を乗り越えた男が、シリカが胸元に抱く花に手を伸ばす。せめてもと、花だけでも奪われまいと両手でぎゅうと胸に抱く。シリカの腕を解かせようと、男の右手がシリカの腕を掴もうとして──。

 その手を、横合いから伸びた手が掴み捻りあげた。

 

「な、あだだだだ!?」

「ぶが!?」

 

 男の悲鳴を上げながら後ずさる。続いてもうひとり。それらと同時に肩を掴まれていた感覚が消える。

 ふっと体が軽くなる。思わずへたり込みそうになった体を、がっしりとした何かが受け止めた。

 そしてぽすぽすと、これまでになく柔らかな感触がシリカの頭にあった。

 

「悪い、遅くなった。無事か?」

 

 確かめるまでもなかった。目を開けると、彼の顔が太陽に重なって影しか見えない。だがそれだけでじゅうぶんだった。

 もう、父親と間違うこともない。

 

「──っ!」

 

 思いきり飛びつく。力いっぱい、ぎゅうと抱きしめる。

 彼がシリカをどう思っていたっていい。

 少なくともシリカにとって、彼はもう特別な存在になっていた。

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