野郎どもに花束を   作:小川 帆鳥

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隠しログアウトスポットー2

 デスゲーム──キリトがいつだか言っていた──が始まって二週間。彼らとは初日からの付き合いになるが、やっぱり、なんというか……なんというか。語彙が死んだな。

 キリトとアルゴは言わずもがな、戦闘上手だ。咄嗟のときにソードスキルを発動できず剣を振るうだけになる俺と違い、ちゃんとソードスキルを発動させることができている。危なげないとでも言うのか。ベータテストでの経験が活きているのだろう。

 それに対してユウキは、センスがずば抜けていると言うのだろうか。初心者ならではの俺と似た危なっかしさはあるが、それでも経験者ふたりにしっかりとついていっている。キリトとふたりで競うように迷宮区へ潜ることでレベルとともにユウキ自身の戦闘センスが磨かれているのだろう。

 要するに、安定感がすごい。俺はとりあえず足が速くなるようステータスを振っているのだが、そのぶん非力さが目立って情けなささえ感じてしまう。いや待て、よく考えろ。むしろまわりの邪魔をしてないだけマシだな? よし、オーケー。

 いずれにせよ彼らのおかげで道中大きな問題もなく、今のところは目的地までの道のりに立ち塞がった敵モンスターに苦戦することはなかった。

 なかったのに、だ。

 

「……いないね」

 

 道端の茂みを覗き込みつつ、ユウキが呟く。

 先行しているはずのプレイヤーは見当たらなかった。おそらくは現在のこのゲームでも最高峰のレベルをもったパーティが動いているのに、たったひとりが見つからない。

 ときおりユウキのように茂みをかき分けて、道を逸れて隠れているプレイヤーがいないかと確認もしたが、今のところ成果はなかった。

 

「遠いのか、その洞窟は」

「いや、そんなに遠くなイ。アインクラッドの最下層という意味では広いが、それでも一時間あればオイラたちなら着ク。ひとりが向かったって話を聞いたのも一時間前だ、もう目的地も見えてくる頃合いだし追いついてもいいはずなんだがナ」

「方角は?」

「こっちのハズ……あ、おいキー坊?」

 

 短く質問したキリトは、アルゴの指差した方向へ足早に行ってしまった。急いでその後を追う。

 たぶんだけど……あの日のことを思い出すんだろう。キリトを陥れようとして自らの罠に陥ったプレイヤーのことを。結果的に未遂に終わったことが幸いと言っていいものかどうか迷うが、あれは間違いなく他人を狙ったMPKだ。

 そして今、あれと同じことが起こっているのかもしれない。そうなると、キリトが焦るのも無理はない。

 さらに森は深まる。だがモンスターは溢れるほどいても、プレイヤーはやはり影も形もない。やがて木々の間からごつごつとした岩肌が見え始めた。

 

「もうこのあたりがボスの縄張りダ。あの崖のどこかに亀裂があれば、そこが巣穴──」

 

 そう言いかけて、アルゴの言葉が止まった。

 そして、ドッ! と。木の揺れる音が、森の空気を揺らした。もちろんデータできたこの世界で空気が揺れるなんて比喩だ。けど、そのくらい重い音が聞こえてきたのだ。

 あたりを見回して、気付く。崖のすぐ近くの木が揺れの激しさからか、葉を落としている。

 その木の向こうに、ちらりと人の手が見えた。気がした。──誰かが倒れている。

 獣の咆哮が太く轟く。──ボスがいる。

 大きな人型のシルエットは腕を振り上げる。──武器が、振り下ろされようとしている。

 

「俺が行く!」

「あ、おいキリト!」

 

 止める間もなくキリトが駆け出した。それを遮るようにわらわらと茂みから狼型のモンスターが群れをなして現れるが、剣を光らせたキリトは構わず突き進んでいく。

 

「フォロー行ってくる。後ろ頼んだ!」

「アイヨ。ユーちゃん」

「ん!」

 

 ボスよりは比較的危険度の低いはずの群がる狼たちをアルゴとユウキに任せ、モンスターたちの間隙を縫うように駆け抜ける。速さだけならこの場の誰より自信がある俺だ。すぐにキリトに追いつき、そして追い越していく。

 

「俺が弾くから、あとよろしく」

 

 それだけ言って、武器を抜いた。たぶんここのレベルなら、キリトひとりでも攻略できるだろう。つまりボスもひとりで倒せるはず。だが迷い込んだプレイヤー、呼びかたとしてはビギナーか、その人にとっては高すぎるレベルだ。だから俺の仕事は、とりあえず近づいてパリィ、そのまま一瞬だけでも俺に気を向けさせることだ。

 踏み込み、剣に光。ソードスキルのアシストが俺の体を動かし、加速。今にも振り下ろさんとするボスモンスターの武器、その軌道、ここ! 

 

「おっ……らぁ!」

 

 ボスの武器は棍棒だった。しかもトゲ付きのやつだ。重さとか硬さとか、現実的に考えたら間違いなく負ける。体格差だって勝てるわけない。けどそこはそれ、ここは現実じゃない。どれだけ見た目で負けようと、数値が高いほうが勝つ。

 へたり込んだビギナーに棍棒が当たるすれすれの瞬間、俺のカトラスが間に滑り込む。そのまま俺の体ごとぶつける勢いでカトラスを握る手に力を入れると甲高い音がして、棍棒と一緒にボスの腕も大きく弾き飛ばした。

 

「え……?」

 

 目深にかぶったフードの奥から戸惑いの声が漏れる。自らに振り下ろされるはずだった凶器が横合いから飛び出した何者かによって目の前から消されたのだ、不思議に思ったことだろう。

 ボス狼はそうして飛び出した俺を認知し敵とみたのか、不機嫌そうに唸り体勢を整えようとする。だがパリィされた後はわずかに硬直時間が発生する。つまり体を動かしたくても動かせない。

 そして、その隙を見逃すキリトではない。俺の意図は伝わっていたらしく、ボスを挟むように反対側、背中の方へと回り込んでいる。

 下段から振り上げるように一閃。青い煌めきが縦に走る。

 そのたった一撃で、ボス狼のHPバーは二本あった全てを削りきられた。

 

「間に合った……」

 

 ずっと吸った息を止めていたみたいに、キリトは長く息を吐いた。そして小さなガッツポーズ。

 一撃て。ひとりで倒せるとは思っていたけど、一撃はさすがに予想してなかったよ。

 まあでも、

 

「ナイス、キリト」

 

 ぽんと肩を叩くと、小さく頷くのがわかった。

 

「さて、ビギナーさん。大丈夫……じゃないな?」

 

 件のプレイヤーは、小さく体を震わせていた。ずっと震えていたのか、今さらになって怖くなったのか。とりあえず飲みなと渡したポーションの瓶を一度取り損ねるくらいには動揺しているのが見て取れた。

 それでもポーションを口につけることで少し落ち着いたのか、こくこくとゆっくり飲み干していく。

 そこで気付く。このプレイヤー、女性だ。フードの特性なのか影が晴れず顔は見えないが、フードから溢れる髪が長く、なんならスカートを履いてる。これは対応するのは俺たちじゃなくてアルゴやユウキに任せたほうがよさそうだ。

 そう考えたところで、タイミングのいいことに向こうの掃討も終わったようだった。

 

「間に合ったー?」

「みたいだナ。やったのはキー坊カ?」

「そうだけど、その前にシュウが動き止めてくれた」

「それにしたって一撃だぞ。アルゴ、ほんとにあれボスなんだろうな?」

「情報屋のオキテのひとつは嘘をつかないことだゼ」

「頼むぞ、ほんと」

 

 実際、獣型の狼たちが退散していったか討伐されたか、姿を見せないし、あの亀裂の奥で何かが蠢く様子もない。あれが本当にボスのようで、そうなると戦力過多だったということになる。

 

「……あの、あなたは」

 

 女性陣と合流して賑やかになったことで安心したのか、まだ少し震える声ではあったがビギナーが声を出した。質問するかたちだったがそれに俺は答えず、アルゴを見やる。ため息まじりに相棒が頷くのを見て、俺はキリトを連れて亀裂へと向かうことにした。あれがボスならお宝があったりするかも、なんて言い訳をつくって。

 だがその足はすぐに止められた。やれやれと首を振るアルゴでもお宝というワードに反応したユウキでもなく、まだへたり込んだままの女性プレイヤーに服の袖を掴まれて、だ。

 

「舟さん、ですよね?」

 

 聞き覚えのあるその声──まさか。

 

「明日奈ちゃん……?」

 

 

 

 

 

 

 友人に、妹がいることは知っていた。

 

「僕、妹がいるんだけどさ」

「画面の向こうにか?」

「舟がもたれてる壁の向こうの部屋にだけど」

「マジかよ」

 

 会話をする機会も、少しはあった。

 

「僕は理系なら教えられるけど、文系なら舟の方が上だろ。教えてやってくれないか」

「まだ小学生だろ? 何にそんなに焦って勉強すんの」

「中学受験が控えてるんだよ」

「あーそういう」

 

 だから声なら覚えてる。というか、見た目だってじゅうぶんに覚えている。幼さのわりに可愛いというより美しいと言ったほうがいいような、整った顔立ちだったから。

 だがそんな彼女と、こんなデスゲームで関わることになるなんて思ってもみなかった。兄貴だってゲームにそこまで関心がある男ではないのに、そこで妹がでてくるなんて誰が思うだろう。

 だから初日だって、必死こいて探しておきながら心の中では別人だろうと思っていたのだ。他人の空似のはずだと。それにしてはそっくりだったから、それはもう焦ったけども。

 ところがどっこい、俺の見間違いではなかったようだし、なんなら俺が心配したとおりのことにもなっていたっぽいのが現実だった。

 

「やっぱり、舟さん、ですよね?」

 

 俺の袖を掴んだビギナーは、確認するようにもう一度俺の名を呼んだ。

 俺はどう答えるか迷ったが、……結局アルゴに視線を向けて、合図を出した。やはりそこはさすが相棒、俺の意を汲み取るのは素早い。俺との立ち位置を入れ替え、キリトとユウキを連れて亀裂へと向かっていった。ユウキがちらりとこちらを見たような気がするが、あれはなんだったのだろう。気のせいか。

 

「あー……えっと、だな。……とりあえず、フード取らないか。顔がわからんから知人かどうかの判別がつかない」

 

 なんて言っていいかわからず、そんなことを口走った。いやまあ、この期に及んで知り合いのあの子じゃありませんなんてことはないと思う。思うけど、一握りの可能性を俺は捨て切れてない。

 だが、迷わずフードを取っ払ったその顔を見て、全てが確信に変わってしまった。

 チュートリアルがあったあの日に見た顔と、記憶の中にある顔と、目の前の顔と。その全てが合致する。大きなハシバミ色の瞳、すっと通った鼻筋、桜色の唇。これがこんな世界の中じゃなければ、綺麗になったねとかそういう社交辞令が言えるのだろうが、今はただ残念の意を込めたため息しか出ない。アルゴの勘は幸か不幸か当たっていたのだ。

 

「明日奈ちゃん……なんでこんなとこに」

 

 なんでこのゲームに、とか、兄貴はどうした、とか。年齢的に高校受験が間近のはずだし、家が厳しいことも知ってるから、模試とか勉強とかあるだろうとか。もともとは君の兄貴とこのゲーム内で落ち合う約束だったんだが、とか。そんなことがぐるぐると頭の中をまわるが、結局のところ聞けたのはそれだけだった。

 

「隠しログアウトスポットがあるって聞いたんです」

 

 彼女がそう言って俯くと、栗色の髪が一束、さらりと垂れる。

 

「模試が近いから早く出なきゃって。でもログアウトのボタンは反応しないし、ほかに思いつくだけ呪文みたいなのを言ってみてもなにも変わんないしだからって宿で待っても待っても救出される雰囲気はないし。それで、部屋に篭って腐るくらいならって外に出たらそんな噂を聞いて、いてもたってもいられなくなってここに来たんです。そしたら──!」

 

 後半になるにつれ、早口にまくし立てていく。焦りと不安と、あとは不満か。だいぶ溜め込まれていたのだろう、そういう暗い感情が一気に吐き出されて、最後には言葉がふっつりと切れる。そうして、手近にあった雑草を強く握りしめた。

 そのまま、どれくらい経っただろう。たぶん、そんなに長くは経っていないはずだ。なのに、握りしめられた手がふるふると震えているのをじっと見ていた俺にとってはどうにも長く感じられた。

 

「……夢じゃあ、ないんですよね」

 

 ぽつりと、俺に聞くというよりかは確認するかのように彼女は俯いたまま呟いた。

 頭の良い子だというのは知っている。思考の回転が速いことも。たぶんなんらかの過程を経て自分なりの答えを出し、自己採点の段階まできたのだろう。握っていた雑草からは手が離れていた。

 答え合わせをするように、俺は返す。

 

「現実だね」

「隠しログアウトスポットって、嘘なんですよね」

「残念ながら」

「ここを出るためにはやっぱり、ゲームクリアしかないんですか?」

「少なくとも現状は」

「そうですか」

 

 少しだけ考えるように間を置いて、さらに続ける。

 

「舟さんは、なぜここに?」

「情報屋をやっててな。たまたま、隠しログアウトスポットのガセネタと一緒にここへ向かったプレイヤーがいるって話を聞いたんだ」

「情報屋?」

「スクープを探し求める新聞記者ってとこだよ。ゲーム内の情報を商品に売り買いしてる。ほんとうなら、これだけの情報開示でも少しお金は取るんだけどな。今は大サービスだ」

 

 そこまで聞いて、目の前の少女はぱっと顔を上げた。

 

「なら、教えてください。さっきの人みたいに強くなるにはどうしたらいいですか?」

 

 さっきの人というのはキリトのことだろうか。たぶんそうだよな。目の前で自分がとうてい倒せないだろう敵を一刀両断したんだ、深く印象に残っているのだろう。

 俺を見上げる彼女の顔は、受験前のあのときと同じだった。切羽詰まっているくせに、妙に落ち着きのある。そういう顔のとき、だいたい彼女はそれをちゃんとこなす。そんなことを思い出してしまった。

 でも──だからこそ、ここで聞いておかなきゃならない。

 彼女の気持ちの強さを。彼女の、覚悟の程を。

「どうしたら」を聞くということは、おそらくそれを目標とするということだから。

 

「……その方法を聞いて、どうする?」

 

 手早くクリアして模試を受ける、とか。こんな世界からとっととおさらばしたい、とか。もしくは、さっきみたいな怖い思いを二度としないため、とか。もしもそういう理由であるならば、俺は今までどおりの引きこもり生活を勧めるつもりでいる。

 彼女が外に出たのは痺れを切らしてのことだ。それは言い方を変えるならヤケクソだ。理性的な判断じゃない。ましてその結果がさっきの死にかけだ、さらに思考がぶっ飛んでいてもおかしくない。

 ならばただ安全を。圏内にモンスターが侵入することはない。圏内から出さえしなければ、確実に安全は保証される。俺はそれを第一に勧める。

 だが、返ってきた答えは予想のどれもを上回っていた。

 

「後悔しないよう、自分が出来ることを全てやります」

 

 立ち上がり、睨みつけるような鋭い眼光をその瞳に宿らせて、強く吐き捨てるように言い切った。

 

「死ぬつもりはありません。でも、死ぬ気でやります。もしも死ぬことになっても、やれるだけやったっていう実感が欲しい。ただ誰かにクリアしてもらうのを待つのはもう嫌なんです」

「……おいおい」

 

 だから知らないことをとにかく聞こうってか。それはなんつうか、振り切り過ぎじゃないのか。

 燃えて燃えて燃え尽きて、それで死ぬなら満足ですと、そういうことだろう。そんなことを言われて、はいそうですか頑張って、なんて言えるわけがない。

 返答に詰まっていると、横からヒョイと見慣れた冊子が差し出された。

 

「なら、これを読むといいヨ。現状で集められたほぼ全てのデータが載ってる、最新版攻略本ダ。特別にタダにしといてあげル」

「ありがとうございます。……あの、あなたは?」

「オイラはアルゴってんダ。このデカいのの相棒だヨ」

 

 ぽんとアルゴが俺の肩に手を置く。

 ぴくりと、アスナの整った眉が動いた気がした。

 

「……そう、ですか」

 

 それだけ言って、すぐに明日奈ちゃんは攻略本を開いた。その集中力は凄まじく、一度始まってしまえば終わるまでか限界を迎えるまでは途切れない。

 

「……アルゴ?」

「なんだネ、相棒」

 

 だから目の前で話していようと、たぶん耳には入っていない。さっきの眉ピクがどうも恐ろしいので、邪魔しないよう小声ではあるが。

 

「なにしてんの?」

「お宝がなかったから戻ってきタ」

「じゃなくて。なんで渡した?」

「欲しがっていたから、だナ」

「……聞いていたのか」

「後悔しないようにってところからナ」

 

 そこまで聞いて、思わずため息が漏れた。

 コイツ、ちゃんと聞いてやがる。それでなんだって渡しちゃうんだろうなあ。死ぬ気でやりますなんて危ない言葉が出てるんだぞ。

 

「大丈夫だっテ。シュウ兄の知り合いなら、きっと目は離せなくなル。しかも新人がこれから冒険に出ようとしてるんだゾ。止める理由がないだロ」

 

 それに、とアルゴは続ける。

 

「死ぬ気でやるけど、死ぬつもりはないとも言ってたロ。オイラはその覚悟を信じるサ」

 

 そう言って、ニシシと笑うのだった。

 

「ところで、お嬢サン。名前はなんていうんダ?」

「名前ですか? 結城明日奈です」

「すまん待ってくレ。プレイヤーネームで頼ム」

「プレイヤーネーム?」

「ゲーム内でのお嬢サンの名前! いちばん最初に設定したヤツ!」

「ああ、アスナです」

 

 大丈夫か、本当に。

 

 

 

 

 

 やはりというかなんというか。

 明日奈ちゃん──アスナは、このゲームのシステムどころかオンラインゲームそのものの仕組みすらよく分かっていないようだった。まずはそのあたりをこんこんとアルゴが教え込んだところで、キリトとユウキが戻ってくる。

 

「たっだいまー!」

「おかえり。なにしてたんだ?」

「周囲の警戒。もし本当にMPKが狙いなのだとしたら、犯人は案外近くにいるかもナってさ」

「なるほど」

 

 狙いを定めた獲物の死際を見ようとする輩がいるかもしれないってことか。だがこの感じ、いなかったと見える。それか、俺たちの乱入で姿を消したか、だな。

 

「あっちの人はもう大丈夫っぽい?」

 

 ユウキがちらりと見やる。そこには、いつのまにかフードをかぶり直し再び攻略本に目を落としたアスナと、その初心者っぷりに苦笑いのアルゴがいた。

 

「まあ、たぶん」

 

 彼女の集中力と吸収力を、俺は信じることにする。希望的観点ももちろん多分に含まれているが、こうなった以上は信じるしかない。

 それに、まあ。最悪、俺がフォローに回ればいいだろう。できる範囲での話だけど。

 助けた相手の様子をキリトも確認したのか、改めてほっとしたように頷く。そして踵を返した。

 

「じゃあ、俺はここで。後は任せるよ」

「うん、ありがとな。こんどコーヒーでも奢ってやる」

「それマズいやつじゃん。いいよ、今日のドロップ品が報酬ってことで」

 

 またな、とひらひら手を振る。そうか、ボスのラストアタックはキリトだったな。レベル的にあんまり美味しいものじゃないはずだけど、お言葉に甘えよう。

 心なしか足取りの軽い様子のキリトを見送り、さて、と動きを止めた。

 ユウキへのお礼はどうしよう。けっきょく今日は取り巻きの足止めと殲滅をお願いしたわけなんだが、あんまりドロップ品とか経験値とか、おいしくはなかったはずだ。今日はクラインのとこからずっとついてきてくれたし、できるだけ平等にしたいんだが、俺の手持ちでなにかいいものがあったりしないか。

 そう思って自分のアイテム欄をカラカラと眺めていたところで、その半透明なウィンドウに透けるユウキの表情が気になった。

 

「……」

「どした?」

「え? ううん、なんにも!」

 

 聞いてみても顔の前で両手をぱたぱたと振ってユウキは否定する。だが、その割にはさっきの顔はやけに、なんというか……懐かしむというのか、寂しがるというのか。哀愁漂うって言葉が合いそうな表情だった。

 その視線の先は、アスナやアルゴのほうを向いていた。と、思う。ほんとうに一瞬のことだったから自信はないけれど、少なくともユウキのそんな顔を見るのは初めてだから印象に残っている。わりと頻繁にアルゴとの接点はあるようだから、アスナを見てそうなったのか。もしくはアスナと接するアルゴの珍しい狼狽ぶりを見ていてそうなったのか。

 なんにせよ、あんまり詮索していいものじゃなさそうなのは確かだ。

 

「そっか。それでさ、今日こうして付き合ってくれたぶんの報酬というかお礼の話なんだけど」

 

 だから話題をかっきり変えたつもり、だったのだが。

 

「あの人……シュウの知り合い、なんだよね」

 

 ぽつりと、聞こえるか聞こえないかの声量でユウキは呟いた。それは誰に聞かせるでもないものだったのだろう。このゲームでは狙いを定めたというとなんだが、聞かせたい相手に向けて発言するとシステムのほうから少しだけアシストが入り、当人に聞こえやすくなるような設定がある。だが今のは、俺の目の前で、俺の名前が出ていて、それでも聞き取りにくかった。

 返事をしたものかどうか迷っているうちに、ユウキはなにかしらの結論を出したのか誰にともなく頷いて、報酬の話だよね、と話を切り替えてしまった。

 なんだったのだろう、いったい。

 

「なにかもらえるってことだよね?」

「俺があげられるものなら、だけどな」

「それなら、そうだなぁ。なにがいいかな」

 

 さすがに俺が持ってないアイテムの名前とか言われたりすると困るので、予防線は張らせてもらう。ユウキのことだし、あんまり無茶は言わないだろうけど、いちおうな。

 どうやら欲しいものはすぐにみつかったようで、少し悩む素振りは見せながらも期待のこもった目で俺を見る。どちらかというと、どれがいいか悩むというよりも言うかどうか悩んでいる様子だった。言ってみろ言ってみろ。こういうときは言うだけタダだぞ。

 まかせろ、と頷いてみせると、ユウキはじゃあ、と意を決したように口を開く。

 

「手伝って欲しいことがあるんだけどさ」

「おう」

「コレの強化素材集め、手伝ってほしいな」

 

 そう言って、ユウキはアニールブレードを掲げた。

 武器強化って確か、ユウキのやつはプラス四までは上がったのだったか。鋭さと速さの強化を二回ずつ。確かキリトのやつだと鋭さと丈夫さとかに強化値を振っていたような。

 だが確か、強化素材は専用のものを求められるうえに確率で失敗もあり得るのではなかったか。そして失敗するたびに素材も新たに求められる。かなりの根気と幸運が必要なんだと、キリトは苦笑混じりに言っていたはずだ。

 

「もうちょっと上げておきたいんだけど、なかなか欲しいのが手に入んなくてさー。とりあえずボクが欲しいの以外はシュウにあげちゃうから、手伝ってもらえると助かります!」

 

 まあ素材集めに付き合うのはやぶさかではない。レベリングの足しにもなるだろうし、俺の武器強化も少し捗るかもしれないし。でも素材の分配には物申すぞ。

 

「いや俺が渡す報酬なんだから、俺が貰っちゃいかんだろ。ドロップ品は拾ったもん勝ちでいこう」

 

 お互いの欲しいものは、そのときに相談で。

 そうして待ち合わせの場所と時間を決めたところで、そろそろ戻ろウ、と声がかかった。

 

「もういいのか?」

 

 最低限はナ、と自ら筆を執った攻略本をヒラヒラさせながらアルゴは頷く。

 

「飲み込みの速さ、理解への素直さ、意志の強さ、どれをとっても優秀ダ。どれだけの伸び代があるのか、オレっちには見えないゼ」

 

 ベータテスターにそう言わしめる当の彼女は、その参考書を片手に、もう一方に細剣を構えて、そこらで湧いたイノシシに次々と突撃していた。せっかくかぶり直したフードが動く勢いで取れていることを無視しているのか気付いていないのか、長い髪が風に煽られるまま流れている。

 

「……なんだ」

 

 目の前でポリゴンが爆散するのを見届けて、彼女はぽつりと呟く。

 

「やればできるじゃない」

 

 そうして微かに笑うのだった。


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