仄暗い回廊に、ユウキの明るい掛け声が響き渡る。
「やっ! っとと、えりゃ!」
どこか鋭くなりきれない声とともに繰り出される剣は、しかし確実に相手のHPを削っていく。軽いステップで攻撃をかわし、生じた隙を逃さずに一撃を加え、また避け、そして斬る。
滑らかな動きだった。とてもこの世界に訪れて一ヶ月の素人が見せる剣戟とは思えないほどの、──それこそキリトやアルゴに匹敵するほどの。なんならもう超えているかもしれない。少なくとも戦闘が不得手だというアルゴは、自分より上だと評していた。
彼女が言うに、フルダイブの感覚にいまいち不慣れなプレイヤーが見せるひとつひとつの動作のぎこちなさや戦闘への怯えが全く見えないのだという。
この世界の戦闘は、現代日本においては非日常だ。最も近い感覚を得られるのが剣道だろうが、それだってスポーツの域からは出ない。一本を取ればそこで区切られる。だが戦闘となると、一本とは命を奪うことそのものであり、必然の区切りとなる。一歩間違えたとき、その終わりが自分に訪れるかもしれない。その恐怖が、えも言われぬ忌避感を与えるのだ。
だがユウキは、終わりまで続けることを怖がらない。これはゲームだという割り切りが強いからなのかとも思ったのだがどうもそうではなさそうで、だからって映画でよくあるようなスラム街出身だとか実は特殊部隊の出身であるとかそういった戦闘慣れの経歴もないらしい。それでもユウキは不思議なほど恐れる様子を見せず、それが強さの一因だとアルゴは言うのだ。
「わ、わっ!?」
それでもキリトに及ばないとするならば、ここぞの一撃、ソードスキルを発動させたその一歩め。そこでよく足を絡ませたりつまづいたりしてつんのめり、大きな隙を見せるところだろうか。
相手──亜人型のモンスター《ルインコボルド・トルーパー》は、その両の目を爛と光らせ、隙をつくべく斧を振りかざした。そこから繰り出される三連撃をまともに喰らえば、大きなダメージになることは間違いない。
「ユウキ、そのまま踏ん張れ」
そういうときだけ、俺の出番がある。肩に担いだ曲刀に光が集まるのを視界の隅に捉え、ひと息に踏み込んだ。
姿勢を崩したユウキの肩を狙って振り下ろされた斧に俺の剣をぶつけると、今度は敵が隙を晒す。そうして犬の服従姿勢のように丸出しになった腹を、転ばないよう踏ん張っていたユウキの剣が袈裟懸けに切り裂いた。
「やー、助かったぁ。ありがと、シュウ」
迷宮区に入って三時間、目的のドロップアイテムを手に入れたところで帰るにはいい頃合いだという話になり、俺たちは帰路につくことにした。わりと奥まで来ていたので、点在する安全地帯で休憩をとりつつのんびりと。
そんな折、武器強化の素材を確認していたユウキはぺこりと頭を下げた。
「パーティ組んでるんだからそりゃ助けるよ。ていうかあそこで出なかったら俺の出番いっさいないから」
基本的にユウキが突撃し、剣を交え、そのまま倒すのだ。勢いに乗って大技を出そうとしたときに限ってさっきのように失敗し、その場合のみ俺がパリィで割り込める。一度の戦闘で俺が剣を振るのは一回以下だった。……経験値泥棒をしてる気分だ。
「そんなことないと思うけどなぁ。いっぱい助けてもらってるよ?」
「さっきみたいなやつだけな。ほとんどユウキがやってるだろ、なんか居心地悪い」
「あんまりシュウに手伝ってもらうのも悪いかなって。あとほら、ボクの苦手なソードスキルの練習もしなきゃだし」
「あーまあ、それはな」
結局、今日のこの狩りでユウキがちゃんとソードスキルを打つことができたのは、戦闘をソードスキルで始めようとした場合だけだった。
なんの流れもなく、最初からきちんと構えることができればユウキの体はシステムアシストに乗って滑らかに動く。だがそうでない場合、戦闘中に決め手として構えた場合なんかだと、ことごとく体勢を崩すのだ。
「なーんかうまくいかないんだよね。なんでだろ?」
首を傾げつつ、確かめるようにユウキはぐっぱと手を開閉した。
「慌ててたり焦ってたり、っていうのは?」
後ろで見ていたから違うとわかってはいたが、それでも他の理由が思いつかなかったのでとりあえず聞いてみる。
悩む素振りはあったが、やはり本人的にもそれは違っていたらしく首は横に振られた。
「そういうのじゃない、と思うんだけど……やっぱ慣れなのかな? キリトに聞いたときもそうやって言ってたし」
「あいつがそう言うならきっとそうなんだろうなぁ。もう少しやってくか?」
慣れればいけるというのであれば、まだ残って調整していってもいい。目的に届いたから帰るってだけで、時間としてはまだ余裕があるのだ。
だがその提案にも、ユウキは横に首を振った。
「ううん、いいよ。そのうち慣れると思う。それに今日はボクに付き合ってもらったわけだし、これ以上は悪いよ。来てくれただけでもじゅーぶんです」
「それはだって、そういう約束だったからな」
もう二週間も前になる。隠しログアウトスポットの件があったときに、素材集めを手伝うという話をしたのだ。だが噂の鎮静化にドタバタしていて、延びに延びた結果、今日になってしまった。なんならまだいろいろとやらなきゃならないことがあるのだが、そのあたりは諸々の事情とアルゴの私情とで俺の出番はナシとなり、やっとこうして約束の履行ができるようになったというわけだ。
「むしろ待たせてゴメンな」
「ううん、忙しいのは知ってたしだいじょーぶ。もうそっちはいいの?」
「大丈夫……ではないかもしれないけど、大丈夫」
あの騒動についてはひとまず落ち着いている。もともとは《鼠》発祥の噂とされていたが、噂そのものが疑わしいうえに発信源が《鼠》であることすら怪しまれていたそうだ。それでもと思ってくれたプレイヤーがいたことを嬉しく思うと同時に、それで何人もの命を落とさせたのかもしれないと思うと複雑だった。
それでも、《鼠》が自身で確認した噂は虚偽であるという事実は徐々に広まっていき、今はもうレベリングや力試しの目的でダンジョンに訪れるプレイヤーばかりとなったようだった。
「でも、アルゴはまだいろいろやってるんでしょ?」
「『オレっちの沽券に関わるかラ』って言ってな。デマの根っこを絶つんだと」
さっきまでの戦闘で得たドロップアイテムを整頓しつつ、アルゴの言葉を思い出す。
噂の騒動でユウキとキリトを駆り出したときも警戒していたが、もしも本当にMPKならばどこかに元凶がいるはずなのだ。いないことを確かなものにすることは悪魔の証明と等しく、杞憂であればよいという感覚ではある。それでも仮に、実在するのだとしたら、それがもしも《鼠》を騙っていたのだとしたら。
『《鼠》の名に傷をつけたことを後悔させてやるのサ』
いつもの悪戯を思いついたような笑みじゃなく、どこか陰のある笑みだったのを覚えている。あれはちょっと怖かった。
「でもじゃあ、シュウはこっちにいていいの?」
「それにはいろいろと事情があってだな」
アルゴの私情ってのがプライドをかけた戦いだとしたら、諸々の事情ってのは攻略をかけた戦いだ。
アルゴ曰く、戦闘面だけなら俺はアルゴにも並ぶらしい。といっても、立ち回り云々ではまだやや劣る。だが局所的な部分においてはずば抜けているのでとんとん、という評価だった。
十中八九パリィのことだろう。俺と対人戦をすると絶対イライラするからやらんとまで言ってたし、それに関してはキリトもクラインも同じようなこと言ってたし。
まあそういうわけで。俺は肉弾戦を、アルゴは頭脳戦をと分担することにしたのだ。そのほうが互いに集中できる。
「とりあえず、俺はこっちの担当になったんだよ。ほら、やっとボス部屋も見つけたことだし」
「あーそっか、今日だもんね。楽しみだなぁ」
第一層最終関門であるフロアボスの所在地が昨日、ひとつのパーティによって発見されたのだ。そこから急きょ前線にいるプレイヤーに招集をかけ、そして今日、攻略のための会議が行われる、のだが。
「……ひとりでも動いてみるかなぁ」
「ひとり?」
「そう、独立って言えば聞こえはいいかな」
せっかく分担したのに、ボス部屋発見の報告はアルゴに届いた。《鼠》としてはアルゴひとりが名乗っているので俺が一員だとは深い知り合い以外に知らず、ゆえに情報の流れは納得のいくカタチではある。けれども、そのタイムラグが無駄な気がしてならない。前線に留まっている俺に連絡をくれれば、多少は動きやすくなるんじゃないだろうかと思うのだ。
あとはまあ、ちょっとした考えもあって。
「じゃあじゃあ、名前考えよ!」
「まだ早くないか? 独立ったって確定じゃないし」
「えっとね、《渡り鳥》なんてどう? カッコよくない?」
「聞いてないな?」
そのあたりはアルゴと相談だな。基本《鼠》、時々《渡り鳥》(仮)くらいの感覚で動ければなにかしら得にはなるだろう。少なくとも、知識や情報があって損はしない。いざってときに知っていればなにかしらの対策ができるかもしれないし。うん、そんな感じでいこう。
とりあえずの方針を決めたところで、やがて迷宮区の入り口が見えてきた。
「ま、なんにしても今日は帰ろう。はやく武器強化もしたいだろ?」
迷宮の暗さに慣れた目が、外の眩しさに自然と細まる。楽しげにうんうんと悩むユウキに声をかけると、強化のワードに強く反応して顔を上げ、俺と同じように目を細めた。
「うん、やっぱボスに挑むんだからできることはやっとかないとね。頑張っちゃうよ!」
「運だろ、あれ」
「ちっちっち、運も実力の内って言うでしょ」
まあ、それは確かに。
なんて頷きつつそこから他愛のない話を広げつつ、迷宮区から出たのだった。
「なあ、強さってなんだと思う?」
「いきなりなんだキリト」
迷宮区の最寄り町、《トールバーナ》にて。
俺のかけた召集により迷宮区から戻ってきたらしいキリトは、俺の姿を認めて開口一番にそう言い放った。ある一方を向いたまま、難しい顔をして。
強さとは何か。哲学だ。
「いやな、この前のビギナーさんいただろ。シュウの知り合いだっていう」
「ああ、うん。……うん?」
アスナのこと……だよな。まだキリトたちには名前は伝えたことなかったからあやふやだけど、たぶん合ってるはずだ。だが、なぜ彼女のことがキリトの口から出てくるのか。気になったが、まだ続きがあるようだったので、とりあえず最後までそのまま黙って聞くことにした。
「あの人とさ、迷宮区で会ったんだよ」
「……は?」
「いつもだったら無視するとこだったんだけど、オーバーキルが過ぎるなーとか、シュウの知り合いっぽいよなーとか思ったらつい話しかけちゃって」
「……おう」
「けっこう無茶してた感じしたから、帰るのキツいだろみたいなこと言ったんだ。そしたら、帰らないから関係ないみたいなこと言われちゃって。三日四日は篭ってたらしい」
「いや……うん」
聞く限りヤバいことしかないんだけど。
いやしかし、最後まで聞くって決めたので突っ込まない。突っ込まないぞ。
「同じ剣五本とか、ダメージは受けなければいいとか、なんかすごいこと言ってたな。さすがに無理があったみたいで倒れちゃったからとりあえず外に運んだら、すぐに迷宮区に戻ろうとしてさ。さすがに見てられなかったから、攻略会議があること教えて引き留めたんだけど。なんか……鬼気迫るって感じだった」
キリトの言葉が途切れたところで終わりと判断する。そうして俺の口からこぼれたのは、疑いの言葉だった。
「……それ冗談じゃないよな?」
「もちろん」
苦笑いしつつ、キリトは即答した。
となると、もしかしたらこの後の攻略会議にも来るかもしれないってことだよな。二週間前までゲームすら初心者だったのに、それがもう迷宮区にひとりで潜っていて、ボス戦にまで挑もうとしている。ちょっと……いやかなり速い。速すぎる。
──死ぬ気でやります。
そんな言葉が、頭をよぎった。
「それで、そこまで駆り立てるのは何が原因なのかなっていうのがさっきの質問なんだ。生きるか死ぬかのギリギリを攻めてるようで、実際には死んでもいいみたいなことを考えてる気がして。でもちゃんと生きて帰ってこれている」
「なるほど、それで強さ」
「そう」
なんとなくキリトが言いたいことはわかった。
要するに、何が根っこにあるのかということだろう。あくまで生死を分ける要因のひとつだが、これと決めた自分の芯があるプレイヤーは比較的生き延びやすいような気がする。ヤバいこれ死ぬなってギリギリのとき、最後の最後にそれでも踏ん張れるようになる、自分の最大の武器。それはそのまま、その人の芯として太く根付く。
芯がある人間は、強い。
「いやでも、なんか……んー?」
なんとなく、引っかかるような。危うさのほうが目立つからだろうか、強さといわれるとイマイチしっくりこない。
だがキリトも深く考えていたわけじゃないらしく、肩を竦めていた。
「ま、ぼんやりと考えてただけだから。あそこまで自分を追い込んで、それでも踏み外さないの凄いよなってさ。それより、何か用だったか?」
「あ、そうそう」
キリトを呼んだのは他でもない。指名が入ったからだ。
「仕事でな──こら顔をしかめるな」
「え、だって……アレだろ?」
「アレだよ」
俺の仕事といえば情報屋だ。アルゴと分担作業をすることにしてから、普段は任せっきりだったものも最前線に限り俺がこなすことになっている。そしてそうなってから、キリトによく指名が入るのだ。
情報屋は、その名のとおり情報を売買する。それはもちろん、ボス部屋が見つかったということもそうだし、どこどこの誰それがあんな装備を持ってるとか、麗しのあの人の興味は誰に向いてるとか、このオレに喧嘩を売ってんのはどこのどいつだとか。今のところはまだないが、恋文から果し状といったものまで取り扱う。要するにメッセンジャーだ。
そしてその取引は、ときに代理交渉人のようなことにまで至ることがある。
──アイツの持っている装備が欲しい。だが自分が誰なのかを相手に知らせたくはない。だから代わりに、アイツのところへ行って交渉してきてくれないか──そういった具合に。
今回は、キリトの剣を買い取りたいと、とある人物から依頼があった。
「二万九千八百だと」
「ニーキュッパなー」
悩む素振りを見せるキリトだが、その実あまり悩んでいないように思えた。
実際、肩を竦めて苦笑しながらもあまり間を置かずに返答がある。
「まあ、今回も縁がなかったということで。というか、どれだけ積まれてもこの剣は手放せないぞ」
──なんたって、これが俺の《芯》だから。
そう言われてしまうと、俺としても了承を示すほかない。いや、言われずとも売る気がないことはなんとなくわかっていた。金で動く人間じゃないというのは、この一ヶ月の付き合いでなんとなくわかる。倹約家ではあるけれど、意外に冒険心があるのだ。かつて、不味いぞっていうのにあのコーヒーを飲もうとしたことがあった。
「まあ、そうだよな。俺もそう言ったんだけど」
キリトの剣が欲しいなら同じレベルの武器とかレアアイテムじゃないと、といったことを伝えたことがあるのだが、向こうも向こうで首を振るのだ。よくわからん。
「まあ、じゃあ今回も残念だったと伝えとく」
「うん、そうしてくれ」
あとついでに、もう無理だろうことも伝えておこう。金額的にはもう、確率による当たり外れを抜きにして同じ強化値の剣を用意できるところまできたのだ。これ以上の上乗せは赤字になることを示せばこの無駄足もなくなるか。
「そうだ、シュウも会議には行くのか?」
手早くメッセージを送ったところで、キリトが聞いてくる。
「ああ、行くよ。ちょっと時間あるし、さっきの交渉結果を直接伝えてこようかなとは思ってるけど。あと部屋で昼寝してるっていうユウキを起こさないとな」
武器強化は無事に成功したそうで、休憩がてら寝るという旨のメッセージが届いていた。うむ、手伝ったかいがあったな。
なんてちょっと満足感に浸っていると、キリトが変な顔をしていた。
「……シュウ」
「え、なに?」
「お前、ユウキが寝てる部屋にどうやって入ろうとしてんの?」
「どうって、普通に? なんだよ急に」
「お前知ってるか? 普通は他人の部屋にはシステム的に入れないんだぞ?」
「知ってるよ」
パーティメンバーならばともかく、フレンド登録程度じゃあ扉は開けられない。たとえパーティを組んでいたって、鍵を閉められていれば開けてもらう以外に中へ入る方法はないのだ。
「いちおうパーティ組んでるし。ていうか同じ部屋借りてるんだから俺が入れない道理はないぞ」
「はあ!?」
「もーなに、今度は」
どっちかっていうとユウキが俺の部屋に居候している形だ。アルゴとの分担を決めてここを拠点としたのが昨日で、そのタイミングでユウキと翌日の待ち合わせを決めてたらめんどくさくなって同じ部屋取ろうってなって。もともと複数人が使う前提の部屋があったから、じゃあそこでいいかと聞くと賛成票が入った。待ち合わせも楽だし、別にいいよと。
そう言うと、キリトはなぜか一歩引いて距離を取った。
「お前……アルゴだけじゃなくユウキまで? そういうシュミだったのか……?」
「おい待てコラ。なに言い出すんだ」
アルゴもユウキもそういうんじゃないから。アルゴは単に仕事仲間ってかそういう方面での相棒だし、ユウキはなんというか、本人には絶対に言えないけど弟みたいな感覚で接している。もちろんふたりとも女の子だって理解はしているし、そういうふうに見るなら魅力的であることは間違いないけれども。
「それ言ったら、キリトは初日ユウキと同じ部屋だったんだろ? それに今日だって、倒れたから運んだって言ってたけどどうやってだよ」
「初日は仕方ないだろ、部屋がなかったんだから。あと運びかたは、あの人の名誉とかもあるから言えない」
「……ふうん?」
「な、なんだよ」
「いや別に」
ちょっと疑うような視線を向けると、キリトはわかりやすくたじろいだ。うーん、なんだろな。アルゴがちょこちょこキリトをおちょくっては楽しんでいるが、その気持ちがわからんでもない。やはり中学生か高校生かなんだろうな、いい反応をする。
自分の口角が上がりそうなのをぐっと堪えて、わざわざ小声にして聞いてみた。
「……柔らかかったか?」
「うん──あ、いや、そのな? くそ、おちょくりかたがアルゴに似てきたなシュウ」
「にゃははは」
たっぷりと間を空けてにやりと笑みを浮かべ、おまけにアルゴの笑いかたを真似てやった。情報屋が板についてきたって意味の褒め言葉だと受け取っておく。
「じゃあそろそろ行くな。依頼人に会う時間がなくなる」
「ん、頼んだ。もう持ってこなくていいからな?」
「それは向こう次第だな」
再三再四、無理筋だと伝えたのに今日もこれだからな。あんまり期待はできないだろう。
互いに踵を返して歩き出したところで、ふと考える。
あくまでも、依頼主がキリトにこだわる理由はなんなのだろう。
武器種でいえばユウキも同じものを使用しているし、そもそもあの剣は俺たち《鼠》が、知る人ぞ知る状態を公にしたクエストの報酬だ。片手直剣を装備するプレイヤーのほとんどがこれを使っている。キリトに絞る必要はないだろう。
ならば強化値が狙いなのか。いいやそれだって、その人好みの強化をしていくのだから入手した剣が自分に合わない可能性は大いにある。まっさらな未強化の剣を用意してイチからカスタムしていったほうが堅実だ。五種類もある強化可能部分の合計強化値も内訳もわからない状態なら、提示されたあの大金を使って強化していけばいい。
「……ふむ」
それをしない理由としてはなんだ?
キリトの剣の強化値とその内訳が漏れているか、もしくはキリトにこだわる理由が明確に存在するのか。
仮に前者だとするなら、どこから漏れたかだ。もちろん《鼠》以外にも情報屋やそれに似たことをしているプレイヤーはいる。その中の誰かが入手したとして、どうやって? キリトは自分のステータスに関わる内容を他人にやすやすと漏らす人間じゃないことは今までの付き合いでなんとなく察せられる。ならばこの線は薄いだろう。
とすれば、後者。
「キリトにこだわる理由がある、か……?」
思い当たる要因はある。が、それこそキリトが漏らすはずのないものだ。デスゲームとなって、それがなによりも危ない情報だと認識しているのは他ならぬキリトだからだ。ということは漏れようもないわけで、この線も薄まる。
ならばあとはなんだろう。漏れようがないなら、もとから知っていたとか?
「それなら、まあ……アリか?」
アリかナシかでいえば断然アリだ。少なくとも今まで挙げたどれよりもあり得る話だろう。だが、それこそ向こうだっていちばん警戒する内容のはずだ。ならば確かめようがない。聞いたところで答えるわけがないもんな。
「……ま、なるようになるだろ」
結局、思考を放り投げることに決めた。どれだけ考えたってわからんものはわからん。それが問題になるのだとしたら今日の会議だろうが、その結果次第で動いても遅くはないはずだ。
「今はできることを、ってね」
半ば自分に言い聞かせながら、いつのまにか止まっていた足を動かした。