野郎どもに花束を   作:小川 帆鳥

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第一層攻略準備ー3

「助かった……」

「助かった、じゃないよ。まっすぐ俺のとこ来やがって」

 

 その後、会議はディアベルが仕切り直し、レイドの編成と報酬配分を決めてお開きとなった。明日の昼が本番である。

 パーティを組むときに、エギルはユウキを気にかけたのか一緒にいる俺にもまとめて声をかけてくれた。が、六人組をいざつくるとなればソロで活動するふたりがあぶれるのは必定。そのキリトとアスナとが真っ直ぐに俺のところへ来たのを見て、エギルは苦笑しつつ、俺たちの断りに頷いてくれた。

 

「でもシュウさんくらいしか組める人いない……」

「シュウはボクたちとじゃイヤ?」

「そうは言わんけど」

 

 もともと目を離さないために参加しているので、むしろ好都合ではあるんだが。パーティを組んでみろってディアベルの掛け声に対して、迷わず俺のところに来るってのはなんかこう、見てて切なくなってくる。あとアスナ、聞いてる側も悲しくなるから言わないでおこうな。

 

「それにほら、気心知れた人と組めればスイッチもpotローテも簡単だろ? うん、やっぱシュウと組むのは正解だ」

「それらしい理由つけよって」

 

 まあ、そうでなくても俺は『盾なし』だ。攻撃を受け止める壁役のエギル班に俺は向いてない。たとえキリトたちがこなくても、断らせてもらっていただろう。

 だがそれで言うと、この四人組は全員が『盾なし』なので、そもそも扱いづらいところはあったと思う。班ごとの役割分担のとき、人数不足も考慮して遊撃隊を割り振ったディアベルが苦笑いしたのは仕方ない。

 

「……スイッチ? ぽっと?」

「あ、あーそっか」

「なに」

「いやなんでもないです、ハイ」

 

 どうやらアスナには聞き覚えのない単語らしい。それに納得して肯いたキリトが、冷たい口調に首を竦めていた。

 

「……シュウさん」

「はいはい、教えるよ。でも明日な。クエストやりながらのほうが覚えやすいだろ?」

 

 会議がかなり長引いたのもあって、今日はもう何かやるには遅い時間だ。明日は午前中なら空くわけだし、忙しくはなるがそこでやればいい。

 

「あ、ならボクあれやりたい! 牛のやつ!」

「……牛?」

「あー、なんだっけ。キリトが言ってたやつだよな」

「《逆襲の雌牛》か? それならいっこ前の村で受けられるけど」

「それにしよ!」

「……クリーム?」

 

 アスナが呟いたのは、そのクエストの報酬だ。ちらっとキリトのほうを見たあたり、何かしらの会話がふたりの間であったのだろうと思う。うん、知ってるなら話は早い。それで決定でいいだろ。

 

「まあほら、なんにしても今日は帰ろう。解散解散」

 

 もう会議の広場に残っているのは俺たちしかいない。他のメンバーはみな酒場なりレストランなりに姿を消している。俺たちも今後に備えて体を休めておくべきだ。

 とはいえ、俺はこの後も少し仕事があったりする。何通かメッセージが届いているので、それを読み、内容によっては動いてから休むことになるだろう。もはや残業みたいなものである。接客業ってのはだいたいそんなもん、と誰か言ってたな。というわけで、

 

「ユウキ、俺ちょっと遅くなるから、今日はキリトのとこで休んどけ」

「っ……!?」

 

 俺の発言に、アスナがやはりぴくりと反応する。なんだろうな、キリトといいアスナといい、どうも俺の発言に気になるところがあるらしい。キリトの反応を思い出すに俺が歳の離れた女の子に手を出すとでも思われているんだろうか。効率を考えたときにたまたま相部屋になるだけなんだがな。

 だがそれよりもさらに大きな反応を、アスナはユウキの発言に見せる。

 

「りょーかい。あ、じゃあキリト、お風呂貸して!」

「おー、いいぞ」

「なっ……お風呂!? あるの、ここに?」

「あ、あります……けど」

「貸して」

「ハイ」

 

 顔が見えなくてもわかるほどの凄みをあらわにしたアスナに、キリトはあっさりと折れたのだった。

 

 

 

 

 

 

 残業とは言ったが、大した数はなかった。というか、今この街を離れるのは得策じゃないので、回せる仕事は全てアルゴに押し付けてやったのだ。結局、俺がこなす仕事はたったひとつだった。

 そのひとつが、かなり衝撃的ではあったけれども。

 

「サンキュッパだってよ」

「サン……!?」

 

 依頼を受けて、俺はキリトの部屋を訪れていた。俺が来たときにはもう女性陣ふたりは見えず、だからなのかキリトの挙動がおかしかった。が、俺の持ってきた交渉を聞くとすぐに表情が切り替わる。

 

「え、確か前がニーキュッパだったよな?」

「二万九千八百だな」

「で、今回が?」

「三万九千八百」

「今日の今日でそんなに上がるのか?」

「上がるんだってよ」

 

 ──キリトの剣が欲しい。

 そう言い続けて一週間、とうとうはっきりと赤字だろうという値段を、依頼人は提示した。これ以上は無駄だと言う隙を与えてはくれなかった。

 

「……シュウ、それ、なんかの詐欺とかじゃなくて?」

「向こうさんにどういう利益が出るのか俺にはさっぱりなんだけど」

「手間がかからない──けど、それでも赤字にはなるんだよな……。強化とかそういうのコミコミでもこれと同じやつ作れるぞ?」

「それも伝えたよ」

 

 なんならクエストを受けたぶんの経験値とかそういうのだって手に入るから買うよりよっぽど利益は出るんだぞとまで言ってやったのだ。それでも頑なに首を横に振られてしまった。

 どうしても、キリトのものでなければならないらしい。

 

「シュウ、千五百出す。……相手の名前が、聞きたい」

「ちょっと待ってな」

 

 口止め料の上乗せをするか否かのメッセージを送ると、そう待たないうちに返信があった。

 

「教えてもいいって」

「……誰なんだ?」

「ん」

 

 答えず、手を差し出す。キリトが投げて寄越した六枚の硬貨をきっちり数えてストレージに入れてから、キリトの思考を促すようなヒントを投げる。

 

「今日の台風」

「……キバオウか!」

「ご明察」

 

 あの印象的なトゲトゲ頭。彼が、この一週間ものあいだ同じ内容の交渉を持ちかけ、さらには金額を上げ続けた本人である。

 

「え、あの人が俺の剣を? なんで?」

「それは知らんよ」

 

 こればっかりはほんと、なんにもわからない。今日あらためて確認できたのは、キバオウが片手直剣を装備していたことだ。だがそれだって、アニールブレードにこだわる理由にはなってもキリトにこだわる理由にはならない。あくまでも要求は、《キリトの剣が欲しい》のだそうだから。

 もーわからん。キリトの頭上にも、おそらく疑問符ばかりが浮かんでいることだろう。右に左に、何かに思い当たっては首を傾げていた。

 

「もう考えても無駄じゃね。キリトにこだわる理由なんてわからんし、なんならここにきて名前を明かした理由もわかんないし。匿名にするなら最後まで貫き通したほうが有効なんじゃないの」

「……それもそうか」

 

 あれだけ反ベータテスターってスタンスをあからさまにしていたキバオウが、よりによってキリトに正体を明かしてしまったらもう希望なんてゼロに等しくならないか。

 それにさっき考えていたキリトにこだわる理由だが、キバオウも同じ立場──すなわちお互いにベータテスターだったからこそキリトを知っていて、それゆえにキリトを狙い撃ちしているのではというのも薄まってしまった。もしあの演説がフェイクであるとするなら相当な策士だが、少なくとも俺にはそんなふうに見えなかった。かなり直情的なタイプだと思っている。

 つまり彼はベータテスターではないはずなわけで、そうなるともう、わからん。

 

「なんにしても、金積まれたって売らないと言われたばかりだからな。今回もごめんなさいでいいんだろ?」

「うん、頼んだ」

 

 キリトの頷きをみて、席を立つ。

 

「そんじゃ、そういうことで」

「今から行くのか?」

「おう。さすがに装備の問題になるし、今日中じゃないとどっちも危ないだろ。明日はもう勝負なんだから」

 

 そう言って、コンコンとこの部屋の出入り口ではない扉を叩く。《バスルーム》と表示されたプレートがあった。

 

「お、おいシュウ?」

「ユウキ、俺そろそろ戻るけど。ユウキはどうする?」

「ああ、なんだそういう……」

 

 戸惑うキリトをよそに、扉の向こうにいるであろうユウキに声をかけると、あからさまにほっとした声が聞こえた。さすがに開けられないよこの扉は。これが俺じゃなくてアルゴだったら迷わず開けるだろうけど。

 返事は、すぐにあった。

 

「あ、ボクも戻るー!」

「じゃあ着替え──てぇ!?」

 

 ──いちおう言っておく。これは俺のせいじゃない。

 バァン! と盛大な音がして、顔に衝撃が走った。顔を押さえてうずくまる俺に、わぁごめん、とユウキの焦った声がし、その向こうでふたりぶんの息をのむ音が聞こえる。

 そして悲鳴とともに、大きな大きな、なにかが落下したような重い音が、キリトがいたはずの場所で轟いた。

 

 

 

 

 

 

 

 ユウキと、同じく自分の部屋に戻るというアスナを連れ、夜の街を歩く。ちょっと寄り道をと言ってキバオウに伝えることを伝えて戻ってくると、ふたりはさっきの一件を話題にしていた。

 あの後、気絶したキリトを放っておくのもどうかと思ったのだが、アスナは不機嫌に出て行くしユウキはそれを追いかけるし、俺は仕事があったしで仕方なく、ほんとうに仕方なく部屋を出ることにしたのだ。まあ、部屋を開けられるのはパーティを組んだ俺たちだけだし大丈夫だろう。システムが守ってくれる。

 そしてキリトの部屋の風呂でどんな会話があったのかは知らないが、女の子同士だからなのだろうか、アスナとユウキはほんの短い間のうちに距離感を詰めていた。仲良くなるのってほんと速いよな、女の子。

 

「まったく……」

「ごめんって。てっきりもう着替えてると思って」

「だからって急に開けちゃダメでしょ」

「うん、次は気をつける。あ、シュウ」

 

 お叱りを受けていたユウキが俺に気づく。それに続いてアスナも俺のほうを向いた。人目の少ない夜だからか、フードは被っていない。

 

「ねー聞いてよ。アスナったら、四日も迷宮区に籠ってたんだって。危ないよね?」

「あ、ちょ、ちょっとユウキ」

「それキリトから聞いたな。帰る気ないとも言ってたらしいぞ」

「え、そうなの?」

「シュウさんまで」

 

 居た堪れなさそうにするアスナだが、あまり看過できることでもないので言わせてもらった。死ぬ気はないとは言うが、あまりにも綱渡りが過ぎる。緊張の糸を張り詰めたままでは消耗が激しいし、いざその糸が切れたときにもう諦める以外になくなってしまう。

 するとさっきまで叱られていた側のユウキが、今度は両腰に手を当てた。

 

「アスナ、ダメだよ。無理しすぎたら倒れちゃうんだから」

「今日倒れたらしいぞ」

「シュウさん!」

「ほらぁ言わんこっちゃない」

 

 俺の告げ口に、アスナが口を尖らせていく。

 

「……だって、仕方ないじゃない。どうせみんな死ぬのよ。だったらやれることをやって、満足したまま死んだほうが諦めがつくでしょう?」

「いや、うーん……?」

 

 それはどうなんだろう。死んだことないから知らんけど、少なくとも俺はそもそも死にたくないとは思うぞ。

 キリトと話していたときも感じたが、やはり何かが違うような気がする。《芯》だとか、そういうところではないなにか。だが、それがなんなのかが上手いこと言葉にできない。

 

「……アスナ」

「な、なに?」

 

 そうして口ごもった俺の代わりに、ユウキが口を開く。けれど、いつもの口調ではなかった。その急な変化に、俺もアスナも戸惑う。

 

「ダメだよ」

 

 短い言葉だった。けれどその端々に、どこか圧のようなものを感じさせる。真っ直ぐな視線に射抜かれて、アスナはじりと後退った。

 

「そんな簡単に、どうせとか死ぬとか言っちゃダメ。諦めたらそこでおしまいだよ。死んじゃったらもうなんにもできないんだよ」

 

 そして堰をきったように、ユウキの口から言葉が溢れだす。

 まるで願っているようだった。口早に言うせいで息継ぎが間に合わず、後半は苦しげに、けれどそうやって、声を震わせてでも届かせたいのだと、そんなことを思わせる。

 

「……諦めてなんか、ないわよ」

 

 ユウキの言葉に、アスナは首を横に振った。

 ユウキの、願っているようなのとはまた別の小さな声だった。絞りにしぼって、どうにか出てきたような微かな声。まるで何かに耐えているような苦しげな声。

 そうして、互いに言葉をぶつけ合い始めた。

 

「諦めてるよ。どうせって決めつけてる」

「決めつけてない。わたしは数字を見て判断してるだけ」

「決めつけてるよ。まだできるかどうか試してもないじゃん」

「試したわよ。試して試して、十分の一が減ったのよ。次でまた減る。その次も。そしたらみんないなくなるじゃない」

「それが決めつけだって言ってるの。やってみなくちゃわかんないよ」

「わかるわよ。一ヶ月で千人が死んだの。その千人はゲームに強い人たちだったのよ。強さの平均はもう下がってるの」

「だからって諦める理由にはならないよ。そのためにみんなで会議だってやったじゃん」

「諦めてないと言ってるでしょう。それに戦力が低くなったことに変わりはないわ。あんな会議で何かが変わるわけない。けっきょく有意義な話なんて何もしてないじゃない」

「じゃあなんで攻略に参加するのさ。勝てない可能性のほうが高いんでしょ?」

「わたしがわたしでいるためよ。勝てないなら勝てないなりに、わたしは最後まで戦って死ぬの」

「だからそれが諦めてるって言ってるの!」

「だから諦めてないと言ってるでしょう!」

「──っ、もういい!」

「こっちのセリフよ!」

 

 ふんと鼻を荒くしたふたりは、俺が口を挟む隙を見つけられないでいるうちにそっぽを向いて歩き出してしまった。

 ……どうしたものだろうか。

 正直、ふたりの言い分はわかる気がする。俺だって諦めたくなる気持ちはある。アスナが言うように、一ヶ月経っても進みやしないくせに千人も死んでるのだ。控えめに言っても絶望的だと思う。けれど反対に負けてやるものかとも思うのだ。ユウキが言うように、やってみなければわからない。ひょっとしたらを捨てきれない自分もいるのだ。

 

「……よし」

 

 少し考えて、アスナを追うことに決めた。どうせ──そう言うとユウキがまた怒るかもしれないが──ユウキと部屋は一緒なのだ。戻ってから話を聞いても間に合うはず。

 明日は本番。これまで以上に文字どおり命をかける場面が訪れる。そのときにパーティメンバーが割れていたら、勝てるものも勝てない。

 そう決めて、栗色の髪を乱すように振る少女を追いかけた。

 

「……アスナ」

「シュウさん……なんですか」

「なんですかって、大丈夫かなと」

 

 にべもない冷たい口調だった。いやまあ、さっきまで喧嘩してたのに急に切り替えられたらそれはそれで驚くけど。

 アスナは足を止め、半分だけ体をこちらに向けるようにして俺を見た。

 

「大丈夫です。わたしがやることは変わらないもの」

 

 やること……やること、ねえ。

 

「さっきのは、俺にも諦めてるように聞こえたぞ」

 

 ユウキとは違うところだったけれど。満足して死ねれば諦めがつくってのは、自分が死ぬことが前提のように感じる。それをそのまま明日に持っていくのは、命を預けるパーティメンバーとしては不安だった。

 

「シュウさんまで……もういいです。べつに、誰がどう思ってようと関係ありません」

「まあそう言うなって」

 

 ふいと再び歩き出そうとするアスナの行き先を遮るように先回りする。ここではいそうですかと見送るわけにはいかない。

 今のままでは、アスナはきっと無理を続けるだろう。そうして今日キリトが見たように、どこかで倒れてしまう。それはどうしても避けなければならない。

 知り合いがいなくなることが寂しかったり悲しかったりというのももちろんある。だがそれ以上に──情けない話だが──強い感情が、俺の中にはあるのだ。

 だがそれを言うのは少し躊躇う。悩んで、結局アルゴをダシにするような形になってしまった。

 

「死ぬつもりはないって言ったよな。死ぬ気でやりますとも言ってたけど」

「言いましたけど、それがなんですか。どいてください」

「アルゴは、アスナの──明日奈ちゃんの、その言葉を信じたから情報を渡したんだぞ。それを裏切るつもりはないよな?」

 

 ズルい言いかただと自分でも思う。けど、これがたぶん最も有効な足の止めかたなのだ。今ここにいない、多少は恩を感じているであろう第三者の名前を出せば、律儀なこの子のことだ、少なくとも足を止めてくれるだろうと踏んだ。

 その思惑はどうやら外れていなかったようで、俺を睨みつけながらも立ち止まってくれた。

 

「そんなつもりはありません。わたしはそもそも、諦めてもないです。死に際に未練を残さないようにしているだけですから」

 

 立ち止まってはくれたが、どうやら俺に出来るのはそれだけのようだった。アスナは折れそうにない。頑固なのは知っていたが、そこに怒りと意固地が重なるとこうなるんだな。これはダメかもしれん。

 

「ユウキにも、あの黒い人──キリトでしたっけ。あの人にも言いましたが、わたしがここにいるのはわたしであるためです。生き様で後悔したくない。こんなゲームなんかに負けたくないから、わたしは戦うって決めたんです」

 

 死ぬことを受け入れただけです──。

 そう言って、アスナはまた歩を進めようとする。どいてくださいと俺に投げた言葉は今日聞いたなかで最も静かだった。その威圧感に圧されて、俺は思わず道を開けてしまう。

 

「……死ぬつもりはないんだよな?」

「しつこいですよ」

 

 アスナの鮮やかな栗色の髪が闇に溶けようかというところで、俺は改めて問いかける。その言葉に、アスナは振り返ることもなく返して去っていった。

 これは……通じたのだろうか。いや、通じてないような気がするな。いちおうあのときの言葉を、死ぬつもりはないとかってのを言いはしたから、どこかで引っかかってくれているといいというくらいだろうか。

 ユウキが言いたかったのはきっと、自分が死ぬことを勘定に入れないでいてほしいということだったと思う。自分を命の勘定に入れていないから無茶ができるのだと。それは、俺も思う部分だ。

 せめて、その感覚だけでもなくしてくれたら。

 

「……言ったほうがよかったか」

 

 俺がアスナに抱えている強い感情。でもそれは、きっと今じゃない。今言ってしまったら、もっと酷いことにもなりそうな気がする。自己満足でしょうとバッサリ切り捨てられるか、あるいは。

 

「いや、言わないでおいて正解だろ」

 

 首を振って、自分に言い聞かせるようにあえて言葉にした。もしも切り捨てられなかったとして、そうなると明日奈ちゃんをよりねじ曲げてしまうことになりかねない。ならこれはずっと胸の内に秘めておくべきだ。そして代わりに、俺は行動で示していかなければならない。

 明日奈ちゃんにはああ言ったが。

 それでも俺は、死んでもあの子を現実に返す。

 それが、浩一郎をこのゲームに誘った俺の責務だと思うから。

 

 

 

 

 

 部屋に帰ると、ユウキはすでに眠っていた。月の明かりがカーテンの隙間から差し込んで、寝返りをうったユウキの顔が優しく照らし出される。

 今日は怒り疲れたのだろう。あれほどまでに怒るユウキってのは初めて見た。攻略会議のときから不機嫌ではあったし、今日はちょっと巡り合わせの悪い日だったのかもしれない。よりによって今日に重なったのは勘弁してくれよとは思うけど。

 

「んぅ……」

 

 寝苦しいのか、ユウキが顔をしかめる。寝てるときまで苦しいとは、今日はもうそういう日なんだろう。

 

「……ん?」

 

 乱れたシーツくらい直してやろうと整えていたら、俺の左手の動きに制限がかかった。具体的に言うと薬指と小指。見れば、ユウキが俺の指を掴んでいた。

 起きているわけではなさそうだった。なにか夢でも見ているんだろうか、もごもごと口を動かしては表情が変わる。

 そうして漏れた言葉は、懐かしむような、驚くような、それでいて泣きそうな。いろんな感情がない混ぜになったような声音だった。

 

「姉ちゃん……」

 

 聞いてはいけないものを聞いてしまった気がした。ユウキがどんな夢を見ているのかなんてわからないし、ましてや現実に関わることなんて知る由もない。それをこんな不意打ちで聞いてしまうのは仕方がなかったとはいえども非常によろしくない。

 だがその場を離れようと思っても、俺の指を握る力は存外に強くて離せそうになかった。筋力値はこういうところでも影響するらしく、俺の指を掴む華奢で小さな手を離すことができない。

 

「いかないで……姉ちゃん」

 

 ユウキの手にさらにきゅうと力がこもる。月明かりに照らされたユウキの目元に、きらめく粒が浮かんでいた。

 

「……仕方ない」

 

 俺やアスナがいろいろ抱えているように、ユウキもまた抱えているものがあったのだ。アスナに突っかかったところといい、この寝言といい、あんまり軽々しく聞いていい内容じゃないような重い想像が頭に浮かぶ。

 手を離すことを諦めて、ユウキが寝ているベッドの脇に腰を下ろした。頭上から月光が静かに降り注ぐ。

 明日は大丈夫だろうか。キリトはキリトでキバオウと一悶着ありそうだし、こっちはこっちで亀裂入ったし。なんか嫌な予感しかしないよなぁ。だからって急に参加しませんなんてできないし、そうは言ってもアスナはひとりでも行きそうだし。

 

「……あぁもう」

 

 なるようになる。うん、そういうことにしよう。これで俺まで寝不足ですなんてやったらそれこそ話にならん。寝よ寝よ。

 座ったまま、月光に照らされて。

 そして俺は、夢を見た。

 

 

 

 

 

 

 

 

「デスゲームなら、殺して当然だ」

 

 黒いポンチョを目深に被り、中華包丁の峰を肩に乗せて、男は言った。

 奥まった森の中に埋もれるように建つ古ぼけた教会。中では十字架と磔刑に処せられた男をかたどった像が祀られていた。

 すでに外は夜の帳に包まれて、割れたステンドグラスから差し込む月光だけが明るい。フードを目深にかぶった男が握る厚刃包丁が、鈍くきらめく。

 

「ここはゲームの世界だ。ソードのアート、つまり剣の芸術を魅せ合う世界。剣と剣が織りなす世界だ」

 

 コツ、コツ、と。月光のスポットライトが照らす祭壇に向けて男は歩く。

 

「剣を持っているのは誰だ? 俺たちプレイヤーだ。人対人。それこそがこの世界のあるべき姿だ」

 

 トントンと、包丁で肩をたたく。視線は真っ直ぐ、磔にされた男の像に向いている。

 

「邪魔な法などない。茅場晶彦が創り出したシステム上のルールだけが全てだ。武器の所有、使用は認められている。武器は傷つけるためにある」

 

 足音が、像の前で止まる。男は真上から月に照らされていた。

 

「命のやりとりをしよう」

 

 男は両手を広げ、

 

「ここは殺し合える理想の世界」

 

 ゆっくりと天を仰ぐ。

 

「俺たちは裁かれず、何者にも縛られない!」

 

 高らかに宣言し、男はくるりと半転する。

 神に背を向ける、その背徳に心を震わせて、両の拳をきつく握りしめた。

 

「ゲームを愉しめ」

 

 男の立つ祭壇に向かって並ぶ長椅子が、蠢く闇に覆われていた。

 否、それは闇ではなく。

 

「人を殺せ」

 

 およそ三十人のプレイヤー。頭上のカーソルは全てオレンジ。

 男は再び天を仰いだ。月に照らされた口元が、妖艶に歪んでいく。

 

「俺たちには、殺す権利がある‼︎」

 

 闇の中、手にした刃が月に煌めく。

 静かに、獰猛に、笑みが広がっていく。

 

「イッツ・ショウ・タイム」

 

 そして、棺桶が笑い始める。

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