黒猫燦なんかに絶対負けないつよつよ現役リア充JKのお話   作:津乃望

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遅くなりましたが続きです。


9話 低血圧系少女とJKの詩(下)

 駅前で偶然にも黒音さんを見かけ、さらによく分からないモヤモヤに襲われたあたしは、とにかく胸の内が気持ち悪くて、無心で自転車を漕ぎ、帰りを急いだ。もう一時間もないオフコラボの配信開始時間までに帰らなければという思いは当然あったけれど、そのときばかりは、その場から早く立ち去りたいという思いの方が勝っていた。

 自転車をかっ飛ばして帰ったおかげで、家に着いた頃には噴き出す汗でビッショリと濡れてしまっていた。さすがにそんな状態では視聴する気も起きず、一度シャワーを浴びることにした。

 

「はあぁ……」

 

 身体を動かして火照った身体にはシャワーの流水が心地いい。汗と一緒に心の内のモヤモヤも一緒に流れるようだった。

 手早くシャワーを済ませると、リビングには嬉しいことが待っていた。

 

「あ! サンドイッチ!」

 

 テーブルの上には、ちょうど摘みやすい大きさに切り分けられたサンドイッチがあった。正確にはクラブハウスサンドというやつで、ベーコンや薄焼きの卵焼き、レタスやキュウリ等といった具が挟まれている。

 どうやらあたしが先ほど買ってきた食パンを使って、母が作ってくれたらしい。何たってサンドイッチ全般はあたしの大好物だ。流石はあたしの母、あなたの言うことは全て正しいってあたしは信じていました。

 すぐに口に入れたいところだけど、ちょっとだけ我慢。最近ハマったコーヒーポーションに冷たい牛乳を混ぜてカフェオレにし、お皿とグラスの2つを持って自室へ上がる。さらに部屋のクーラーを点けてしまえば、完璧な休日の配信視聴スタイルの完成だ。そしてようやく作ってもらったサンドイッチをパクリ。うーん、最高の休日だ。

 配信が始まるまでの僅かな時間をサンドイッチとカフェオレでお腹を満たし、軽く今日の配信についておさらいをする。今回は黒猫燦と祭さんのオフコラボということだけど、具体的に何をするというのは決まっていない。というのも、配信の内容については、祭さんから黒猫燦の方へ丸投げされたらしい。

 祭さんのことだから相手を困らせる意図は無いだろうし、らしいといえばらしいんだけど、相手はあの黒猫燦だ。どんなトンデモ企画を提案してくるか分かったもんじゃない。いつもの通り、何が来てもいいように覚悟をしておこう……いっつもこんな風に構えているから、視聴後はあんなに疲れるんだろうなぁ。

 

 

『はじまりはじまり』

 

 

 と、茫然としていると、聴き慣れた祭さんの始まりの挨拶が聞こえた。いつの間にか配信開始の時間になっていたらしい。

 ……黒猫燦はいるよね? さすがに当日になって逃亡ということはないだろうが、本人の気質がアレなので不安になってきた。同じような不安を抱いた人もいたらしく、『黒猫さん生きてる?』というコメントがいくつか散見された。

 祭さんはいつものおっとりというかのんびりというか、少々抑揚を欠いた声で答えた。

 

 

『黒猫さんは、うん』

 

 

 いや、うん、って。黒猫燦は!? 生きてるっていうか、本当に来てるんですか!?

 

 

『黒猫さんはトイレ』

 

 

 椅子から滑り落ちるかと思った。あ、はい、トイレね。よかった、ちゃんと合流してて。というか、黒猫燦を待たなくてよかったんですかね……?

 

 

『ま、まつりせんぱい?』

『あ、帰ってきた』

 

 

 噂をすれば当の本人が遅れて登場してきたらしい。その声は多分に困惑を含んでいるように聞こえた。あ、この感じは配信が開始してるの知らなかったやつですね。あの黒猫燦ですら振り回すとは、流石は祭さんである。

 で、肝心のオフコラボの会場だが、どうやらカラオケに来たらしい。これはちょっと意外だった。確か、オフコラボの内容は全て黒猫燦が決めることになっていたと記憶しているけど、あの陰キャのコミュ障を自称する黒猫燦がカラオケを選ぶとは思ってもいなかった。

 まぁ、配信タイトルにもあるように揃って口下手な2人――それでよくコラボしようと思ったなとか言ってはいけない――なので、雑談するよりは歌っている方が安心して見られるだろう。まさかのお歌配信に視聴者のテンションも爆上がりだ。

 

 

『あ、あぅ、その、ま、まずマシュマロ、読みます』

 

 

 今さら視聴者の前で歌うという事実に思い至ったのか、まだ始まったばかりだというのに、既に噛み噛みである。とはいえ、歌う前にマロを読むというのはウォーミングアップみたいでいいと思う。ここらへんの入れ知恵は夏波結か我王くん辺りだろうか。

 で、一発目のマロの内容は今後してみたいゲーム、好きな女性のタイプ、今履いているパンツの色を教えろというものだった。初っ端からセクハラとか、ほんとロクでもない視聴者しかいないな!

 

 

『ま、祭先輩どうですか』

『私は皆と遊べるゲームなら何でも。ところで好きな女性のタイプ? タイプはわからないけど、黒猫さんは可愛い。ちっさくておっきい』

 

 

 そんなセクハラマロにでもちゃんと答える祭さんは天使かな? しかし、ちっさくておおきいというのはどういうことだろうか。意外と黒猫燦は高身長だとか?

 

 

『にゃぁあああ゛あ゛あ゛あ゛今日の下着は黒の際どいやつ!!!』

 

 

 なんて考えごとをしていると、黒猫燦が唐突にまた尻尾を踏まれた猫のような声で叫んだ。それも自分が履いている下着について。え、お馬鹿? お馬鹿なの? お馬鹿でしたね。

 しかし、黒の際どいやつって……あたしだってそんなの持ってないのに。しかも勝負下着を祭さんとのオフコラボに履いてくるとか。コメントにもあったけど、黒猫燦ってもしかしなくてもスケベなのかな?

 あたしが黒猫燦の下着カミングアウトで悶々としている間に、当の本人は自分への引退マロを読み上げて落ち着いていた。いや、何を一人で落ち着こうとしてるんだと怒鳴り散らしてやりたい気分だ。

 

 

『つぎ、選びたい』

『あっあ、はい、どうぞ』

 

 

 頭の中で個人的清楚代表のきりんさんと黒音さんの姿を思い浮かべることで、何とか精神の均衡を保つことができた。流石はあたしの推したちである。

 次は本人の希望で、祭さんがマロを読み上げる番となった。祭さんの配信では、本人の気質もあってか、セクハラマロを見ることはあまりない。けれど、この配信を観ている半分くらいは、黒猫燦のチャンネル視聴者だ。祭さんがセクハラマロを拾わないかドキドキする。

 そして、祭さんが拾ったのは見抜きさせてもらえないかというマロだった……見抜き?

 

 

『見抜きってなに?』

『ンンンン、お歌うたいましょうか!!』

 

 

 自分と同じ疑問を祭さんは抱いていたようだったけど、黒猫燦に流されてしまった。見抜きとはそんなに答えることが憚られるようなことなのだろうか。後でお兄ちゃんにでも聞いてみるとしよう。

 

 

『ま、祭先輩はカラオケ来たことありますか』

『この前きりんときた。ポテトがおいしい』

『へ、へ~』

 

 

 あたしが後に大変後悔する――そしてお兄ちゃんが悶絶する――羽目になる質問をする決心を固めた一方で、黒猫燦は祭さんに話し掛けていた。これにあたしは表面上は冷静に、内心では大変驚いていた。

 あの黒猫燦が、自分から話し掛けていくなんて! 前に気になると言っていた先輩相手というのもあるのだろうけど、それでも黒猫燦にとっては大きな進歩なのだ。微妙に話は膨らみ切れていない感じではあったけど、そんなことは我々くろね古参からすれば些事である。

 と、訓練されたくろね古参たちが赤飯の準備を進めているうちに、黒猫燦がタンバリン役を買って出ようとしていた。先輩を持ち上げようという心構えはいいけれど、それは祭さん相手にはちょっと悪手かもしれない。

 

 

『黒猫さん先に歌う?』

『え、あ、っと……』

 

 

 と思っていたら、祭さんがうまいこと気遣いをしてくれた。というのも、祭さんの歌はガチで上手いのだ。歌手が本業と言われても全く驚かないし、逆に何でVTuberやってるのとすら思ってしまう。初めて祭さんの歌を聴いた後のきりんさんとか声が引きつってたもんね。

 とまぁ、歌の上手い人が先に歌ってしまうと、後の人が萎縮してしまうのはよくある話だ。それが黒猫燦なら、より顕著に出るだろう。最初から最後まで祭さんが歌いっ放しの話にでもなれば、何のためのコラボだとまた炎上しかねないしね。

 

 

『う、歌います。黒猫燦、一番槍貰います、にゃ!』

 

 

 そんな祭さんの気遣いをちゃんと汲み取ったのか、黒猫燦が一番槍宣言をした。どうしたことだろう、まるで別人のコミュ障を見ているような気分だ。

 

「何だ。黒猫燦、ちゃんと成長してるじゃん」

 

 黒猫燦の思わぬ成長に、まるで後方腕組み古参面みたいなことを呟いてしまう。いやまぁ、あたしは最初から理解(わか)ってましたけどね? 黒猫さんがこれくらい成長することくらいは。ただ、彼女の成長があたしが予想していたよりも早かったというだけ。それが視聴者としては、何だか置いていかれてしまったようで少し寂しくもある。

 

 

『あー、うー』

 

 

 と、あたしは感慨深く思っていたのだけど、当の黒猫燦はうんうんと唸ったまま次へと進もうとしない。曲を入れるだけなのだけど、肝心の歌いたい曲が決まらない様子。あー、最初に入れる曲で手が止まる人っているよね、あたしは無いけど。

 5分ほど経っても曲は決まらないようで、祭さんからも心配の声が掛かる。これは、色々な意味でまずいんじゃないだろうか。黒猫燦にとっては慣れないであろう場所と状況、そして中々決められない焦りとで間違いなく冷静さを欠いている。チャット欄も今は弄るようなコメントが多いが、これ以上長引けば催促するような言葉も見られるだろう。そうなると完全な悪循環、黒猫燦のせっかくのやる気も一曲目から失われかねない。

 何か、何か打開の一手はないかと歯ぎしりしていると、救いの手は唐突に差し伸べられた。『コネクト』と曲名をコメントしたのは――夏波結! やはり見ていた、というか放送開始のときからそういえばいたなぁ。

 

「でも、ナイス!」

 

 数少ない知り合いからのパス、これに黒猫燦が食い付かないはずがない。そして案の定、彼女は飛び付いた。

 イントロが流れると視聴者も『まどマギだ』とコメントで反応する。『コネクト』といえば、色々な意味で話題になった『魔法少女まどか☆マギカ』の代表曲だ。ライトなオタクでもアニメ版を履修している人は多いから、まず一曲目にこの曲を入れたのは正解だろう。

 

 

『ぁ、う……』

 

 

 問題はそれを入れた黒猫燦が歌えるかどうかという話だ。

 イントロ部分を歌えなかったのはまだ分かる。ただ、Aメロに入っても歌えないのはどうしたことか。もしかして、知らずに入れた? いや、それはない。前に配信で『スーパーセルって気象用語のことだったんだね。私ずっと音楽グループのことだと思ってた』とおバカ発言していたことから、11話あたりまでは観賞済みだろうし、少なくとも1番の歌詞は歌えるはず。それができないということは、単純に緊張で声が出ないのか。

 ここにきて黒猫燦のコミュ障が本領を発揮するなんて……! あぁ、配信越しに曲のメロディーだけが響いて聞こえてくるのが辛い。黒猫燦も歌おうとするのだけど、声に出せないでいるのが分かってしまって余計に辛い。

 できることなら自分が代わってやりたい。曲を入れるところまで頑張ったと褒めてやりたい。次は頑張れと声を掛けてやりたい。きっと、あたし以外の視聴者にも同じようなことを考えている人がいるはず。

 だけど、あたしたちはどうやっても視聴者で、黒猫燦のような配信者にはなり得ない。この状況を解決できるのは当事者のみ。つまり、今もマイクを握っては歌えずにいる黒猫さん本人か。

 

 

『変わらない 思いをのせ 閉ざされた 扉開けよう』

『え』

 

 

 もしくは、彼女とオフコラボを行なっている世良祭さんだけだ。

 黒猫燦の代わりに祭さんの声が響くと、途端に寒々としていた空気が振り払われた。パソコン越し、デジタルという見えない壁を挟んでなお、圧倒的な歌声が視聴者の耳朶を震わせる。

 

「すっご……」

 

 自分もカラオケ好きだからこそよく分かる、その完成された声質と声量。そんじょそこらの歌い手なんて及びもしない、十把一絡げの歌手なんて鎧袖一触のその歌声。聴き慣れたはずなのに、毎度圧倒されてしまう。

 自分は歌うのは趣味程度でよかった。もしも歌で食べていこうと考えていたならば、この歌声を聴いた瞬間に膝を折っていたかもしれない。そう考えると彼女の声は、いっそ暴力的ですらある。

 常から圧倒的な声が、今日はいつもより力強い。……あぁ、今日は黒猫燦がいるからか。先輩として、自分の後輩をその歌声で助けようとしているのだろうか。だとすれば、彼女の振るう暴力の何と優しいことだろう。

 

 

『一緒に歌う?』

『……は、はい』

 

 

 1番が終わった後の短い間奏の間、祭さんから黒猫燦へデュエットの誘いがかかる。そう、『コネクト』は相方がいてこそ映える曲。黒猫燦はいつものように詰まりながら、けれどしっかりと肯定の返事を返す。

 

 

『振り返れば 仲間がいて 気が付けば 優しく包まれてた』

 

 

 2番の歌詞が聞こえてくる。さっきまで祭さんの声だけだった曲の中に、黒猫燦の声が交じっている。おっかなびっくりで、頼りなさげな歌声は、如何にも彼女らしいもので、祭さんが本気で歌えば、黒猫燦の歌声なんて文字通り吹き飛んでしまうだろう。

 けれど、祭さんは決してそんなことはせずに寄り添うように歌っている。さっきまでの聴く者を圧倒するような声ではない、歌詞通りの優しく包むような声が耳へと響いてくる。

 これは、すごい。2人の歌う力は天と地ほどに差があるというのに、一切の不快がない。むしろ、聴けば聴くほどに耳へと馴染んでいく。これも祭さんの歌唱力が為せる技なのか。それとも、意外と黒猫燦の力だったりするのかも――。

 

 

『もう何があっても挫けない ずっと明日待って――』

 

 

 そうやって2人が歌い終えてからようやく、コメントすることすら忘れるほどに自分が呆けていることに気付いた。それだけ彼女たちの歌声に意識を埋没させていたからだろう。

 

 

『はぁ~~……。はい! じゃあばいにゃー』

 

 

 うん、ばいにゃー……って、終わらせないよ!? この猫め、ごく自然な流れで配信を終わらせにかかるとは。チッ、じゃないんだよ、舌打ち聞こえてるぞ。

 

 

『ど、どうだったかな。私の歌声』

 

 

 それはそうと、歌を聴いての感想は欲しいらしい。あたしには言葉からその本心が透けて見える。つまり、『チヤホヤされたい! 褒めて』だ。

 まぁ本人が望むなら正直な感想を言ってやろうとキーボードに指を置こうとして、既にあたしと同じコメントをしている人を見つけた。『うーん微妙』とか『頑張りだけは認める』とか。

 

 

『んなぁ!? なんで、どうして!? めっちゃよかったじゃん!』

 

 

 自分でめっちゃよかったって言っちゃうのか……。いや、別に悪かった訳じゃないし、歌声も意外と可愛くて自分好みな感じではあったけど、すごい良かったかといえば、うーん……というか、祭さんのフォロー無かったら歌えてなかっただろう。分かってるんだからな。

 思ったような反応が得られず、黒猫燦はにゃーにゃーと不満を口にしていた。そんなことよりもだ。ねぇ、『鼻歌は可愛いのにね』ってコメントは何ですか? 私は普段から黒猫燦の可愛いところ聴いてるけどねアピールですかぁ、夏波さん? ちょくちょくマウント入れてくるのやめてくれませんかね?

 

 

『私は好き。黒猫さんの歌』

『あっ、あっ、ありがとうございます』

 

 

 チャット欄に潜んでいるであろう夏波結相手に威嚇をしていると、祭さんと黒猫燦が何かてぇてぇ感じのやり取りをしていた。軽くダメ出しは入るけど、どっちかと言えばアドバイスに近い。まるで近所の年下の女の子にお歌を見てほしいとせがまれたお姉さんが、優しく指導してあげてるみたいなシチュエーションだ。

 うーんこれは解釈一致です! はー、いいじゃないか。こういうのでいいんだよ、こういうので。姉妹感まつねこもっとてぇてぇしろ。

 

 

『またデュエット、する?』

『も、もう歌いたくない』

 

 

 そして、すかさず公式からのてぇてぇ供給ありがとうございます! そして黒猫ぉ! お前、先輩が誘ってくれてるんだから断ってんじゃないよ! こっちはもっとまつねこてぇてぇが見たいんですよお願いします何でもしますから……!

 そうやって黒猫燦はデュエットを渋る訳だけど、そこは流石の祭さん。黒猫燦の意見とはお構いなしに、視聴者からのリクエストに応えて『ライオン』を入れた様子。お仕事の配信だからね、視聴者の意見もしっかりと取り入れないといけない。黒猫燦は先輩からこういうところを見習ってほしいね。

 

 

『カラオケは好きに歌えばいい。気持ちよく歌えればそれでいいと思う。上手い下手は、別』

『好きに、歌う……』

 

 

 曲が流れ始めても何かにゃむにゃむ言っている黒猫燦に、祭さんはある意味でカラオケの極意とも言える助言を授けていた。そう、今では点数だのランキングだのと便利な機能がついているけど、本来カラオケとは、歌とは、自分が楽しむためのもの。

 悲しい曲、泣きたい曲があったりと、歌は必ずしも前向きなものばかりではないけれど、その根底には歌うことを楽しいと思う気持ちがあるはずだ。

 祭さんのアドバイスのおかげか、黒猫燦もさっきのような緊張を見せることはなく、歌い出しもスムーズに歌っていく。所々怪しいところも、祭さんが難なくカバーしてくれる。本当にこの人の歌唱力は異常だ。

 終盤、黒猫燦の声がかすれたりはしたものの、祭さんのフォローもあったおかげで、『ライオン』という歌ってみると結構難度の高い曲も無事に歌い切れたのだった。

 

 

『あぁぁあああ゛つかれた!!!』

 

 

 が、これはいけない。黒猫燦はどうにも感情が昂ると叫びたがる。黒猫燦が歌い切ったことに胸を熱くしていたあたしは、そのことをすっかり忘れてしまっていた。こ、鼓膜が……。

 

 

『たのしい、もっと歌おう』

『あ、あの、少し休憩を』

『むぅ、はじめてじゃ仕方ない』

 

 

 そんな鼓膜へのダメージが残る自分を含めた視聴者を他所に、祭さんはぐいぐいと黒猫燦へのデュエットを迫っていた。相変わらずのマイペースさんだ。

 いえ、いいんですけどね。あたしの鼓膜が傷つくことでまつねこがてぇてぇしてくれるなら安いもんです。視聴者の鼓膜も、てぇてぇが摂取できればきっと治る。古事記にもそう書かれてある。

 とはいえ、どうも歌い慣れていない様子の黒猫燦が休憩を申し出たことで祭さんが渋々引き、休憩ついでにマシュマロを消化することになった。相変わらずのセクハラ系や日常的な雑談系のマロを2人が消化していく中で、今回のオフコラボについての感想を尋ねるマロが選ばれた。

 感想を言うにはちょっと早い気がするけれど、今のところは2人とも悪くない感触のようで安心した。

 

 

『あの、ところでどうして、私とオフコラボを……?』

 

 

 そして、ついでのように黒猫燦が祭さんへ尋ねた。それはあたしを含めた視聴者の多くが抱いていて、当事者である黒猫燦ですら分からないでいる疑問だった。

 祭さんはその質問にほぼ間を置かずに答える。

 

 

『黒猫さんは面白い。それに友達が欲しいって言ってた。だから遊んだら楽しいと思った』

『そ、それでオフを?』

『私もあまり喋るのも人付き合いも得意じゃない。あるてまできりんが引っ張ってくれなかったらきっと今も孤立してた』

 

 

 それは数か月前のことだけど、もう遠い昔のようなこと。今ではバーチャルチューバーといえば世良祭の名前がまず挙がるけれど、その数ヶ月前の彼女の知名度はかなり低かった。

 祭さんもまた人付き合いが苦手な面があるけど、黒猫燦と違うのはそれを表に出さなかったことだ。良い素材を持ちながら活かし方を知らず、また誰にも相談できずにいたのが、おそらく彼女が伸び悩んでいた原因。だから、コラボが実現するまでに一番時間がかかったし、チャンネル登録者数も下から数えた方が早い日が続いていた。

 当時の祭さんを登録していたのは、絶対にこの子は出てくると信じていた少数派と、この子は売れると思っていたと後に当たったときに古参ぶりたい輩の二択だったと言っていい。そこからきりんさんとオフコラボを行ってからのスターダムを駆け上がっていく様は、誰もが知っている通りだ。

 

 

『私ももっと友達が欲しい。そして黒猫さんも友達が欲しいと思ってる。きりんさんがそうしてくれたように、私も黒猫さんの手助けをしてあげたかった』

『祭先輩……』

 

 

 そんな彼女だからこそ、自分ひとりでできることの限界や、支えてくれる仲間がいることに気付く重要性を知っているのかもしれない。そして友だちが欲しいと言う後輩ができた今、同じ想いを抱いている自分が先輩として動かなくてはとも思ったんだろう。

 この人だからこそ言葉に重みがあるし、黒猫燦の心にもきっと響くに違いない。あたしが言うのもおこがましいけど、祭さんは本当に変わったんだなと、この瞬間に改めて実感した。チャット欄もそんな彼女の成長を喜ぶ声で溢れている。

 まるで大団円を迎えたような雰囲気の中、あたしの中に1人の女の子が思い浮かんだ。黒音今宵さん、あたしのクラスメイト。いつもクラスでは1人で、でも今日になって休日に一緒に遊びへ出るような友人がいることが分かった。

 そんな彼女は、今の状態で満足しているんだろうか。黒猫燦のように、もっと友だちが欲しいと思っていたりするんだろうか。もしそうなら、あたしはクラスメイトとしてできる限りのことをしてあげたい。でも、それが黒音さんにとってはただのお節介で、それが原因で彼女に今より苦手意識を持たれてしまうのではと考えると、あたしはどうしても二の足を踏んでしまう。

 

 

『そろそろ歌う?』

『あ、はい』

 

 

 祭さんがそう言うと、今度は黒猫燦も拒まなかった。言葉こそまだ固いけれど、そこには既に友だちのような気安さが産まれているように感じた。

 今回のオフコラボの結果次第では、黒猫燦は祭さんに対して苦手意識を持つ可能性だって少なからずあったはず。祭さんはそれが怖くはなかったんだろうか。嫌われない自信があったから、強引とも言える行動を取ることもできたのか。

 理由が何にせよ、祭さんはこうして黒猫燦との距離を縮めることに成功している。その行動力が、あたしにはとても羨ましく思えるのだった。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 その後も黒猫燦と祭さんがそれぞれソロで歌ったり、また黒猫燦が休憩する間にマロを読んだりしながら、約3時間ほどのオフコラボ配信は終了した。相変わらず祭さんの透き通った美声による歌は素晴らしく、文句のつけようがない歌いっぷりだった。

 黒猫燦も頑張ってはいたけど、やはり可もなく不可もなくといったところだった。ただ、あんまりにも一生懸命に歌う姿は、視聴者の心に響いたらしい。最後は声もスカスカで、涙まで流しながら歌うものだから、いつもはからかい半分――比喩でなく黒猫燦へのコメントの半分はからかいの言葉だったりする――のチャット欄には「頑張って」「がんばれ!」「もう少し!」とった応援コメントが大量に流れていた。

 かく言うあたしも、黒猫燦が最後の曲を歌っている間はずっと「頑張れ……!」と口にしていたし、歌い切った瞬間にボロ泣きしてしまった。……いや、本当にあたしって人が頑張っている姿とかに弱いの。特に小さい子どもとかが泣きながら頑張ってたりすると涙腺が簡単に馬鹿になるんです。

 

「ふぅーっ……」

 

 満足感たっぷりの配信を観た後は、晩ご飯もいつもより美味しく感じるし、お風呂上りの満足感も違う。毎日欠かさず飲んでいる牛乳で喉を潤し、濡れた髪をタオルで拭きながら自室へと戻った。

 定位置の椅子に腰掛け、パソコンを再起動させる。実は今日のお楽しみは黒猫燦と祭さんのオフコラボだけではなかったりする。まつねこオフコラボが主食だとすれば、これからの配信はデザートだ。

 時刻は夜の9時ぴったり。いつもの配信開始時間に、いつもの元気な声が聞こえてきた。

 

 

『こんきりーん! きりフレのみんな、日曜日の夜も元気にしてるかなー? 日曜日のこの時間は、きりんさんの時間だよー! 全員集合ー!』

 

 

 そう、日曜日の夜9時からは来宮きりんさんの配信が毎週行われるのだ。『明日から学校だ、お仕事だって人も、これを聴いて頑張るエネルギーにしてね!』という、きりんさんの素晴らし過ぎるご意向によるものだったりするこの配信は、最近のあたしの生き甲斐と言っても過言じゃない。

 これを聴いた夜は脳がキマってしまうので翌日は大抵寝不足なんだけど、睡眠時間ときりんさんとを選ぶなら、あたしは一寸の迷いもなく後者を選ぶね。訓練されたきりフレなら当たり前だよねぇ?

 

 

『さーて、今日も皆がどんな休日を過ごしたのか教えてもらおうかな。いつも通りマシュマロから皆の休日の出来事を読み上げさせてもらうから、こんなことがあったよー、って人は私のマシュマロに投げてねー』

 

 

 きりんさんはこの日曜日の配信は必ず雑談をすることに決めている。何でも視聴者がどんな休日を過ごしたのかを聞くのが好きなんだとか。だから、あたしを含めたきりフレは、きりんさんに読み上げてもらうために必死でマロを送るのだ。

 中には明らかに創作だろうってマロもあったりするんだけど、そういうのをからかいつつ楽しむのがこの配信のマナーでもある。

 

 

『じゃあ、さっそく一つ目いってみよー!』

 

 

 その言葉はきりフレにとって号令に等しい。ある者は瞑想する仏僧のように自分のマロが読み上げられるのを待ち、ある者は昨日今日あった出来事を面白おかしく書き綴ってマロへと投げつけていく。……あたし? あたしはもちろん配信前に送ってますよ。今から送る奴はきりフレ新兵くらいですから。まぁ、どれだけ早く送ろうが、読み上げられるかは運なんですけどねー。

 そうしてしばらくはマロを読まれた者が歓声を上げ、それに嫉妬した者たちがこんなの創作だ、嘘をつくなとお決まりの言葉を投げつけながら配信を盛り上げていく流れが続いていた。

 そんな中、そのマロはちょうど配信が始まって1時間くらいの頃に読み上げられた。

 

 

『あはは。はい、じゃあ次ね。『こんきりーん! 今日は祭さんと黒猫さんのオフコラボがありましたね。きりんさんも観てましたか? 自分はドキドキしながら観てましたけど、祭さんがきりんさん以外の人とあんなに打ち解けるとは思ってなかったのでビックリしました。祭さんと仲の良いきりんさん的にはやっぱり複雑だったりしますか? もし観てたら教えてほしいです!』かぁ』

 

 

 それは今日のまつねこオフコラボ配信の視聴者からのマロだった。祭さんときりんさんの仲を知る者からすると、やはり気になるところではある。マロを送った本人もきっと、気になったことを投げただけに違いない。けれどその瞬間、きりんさんの声が少しだけ固くなったように感じた。

 

 

『祭ちゃんと黒猫さんのオフコラボ、ね。うん、もちろん私も観てたよ。あの祭ちゃんが自分から後輩の子に絡みに行ったことにビックリしたし、一緒に頑張ってる姿が観れて正直感動しちゃったね』

 

 

 きりんさんの言葉は、祭さんファンの総意でもあった。きっと誰もが祭さんの行動に驚いたし、その頑張り様に心を打たれたはず。お互いに親友と公言しているきりんさんであれば、その感動も一入(ひとしお)だろう。

 でも、その言葉とは裏腹に、彼女の声は沈み調子となっていく。

 

 

『でも、同時に祭ちゃんが遠くに感じもしたかな。私ってほら、1期生のまとめ役みたいなポジションになっちゃってたから、祭ちゃんのときは私が何とかしなきゃ、って思ってコラボしたんだよね。新しく2期生の子たちも入ってきたから、次も自分が先頭に立って頑張らなきゃ、って勝手に思ってた。

 でも、皆も知っての通り、真っ先に行動したのは祭ちゃんなんだよね。私ね、祭ちゃんが黒猫さんにオフコラボを持ちかけたって知ったとき、自分が恥ずかしくなったの。皆のまとめ役だって持ち上げられて調子に乗って、実際には何の行動にも移せてなかった。それが悔しかったし、恥ずかしかった。

 祭ちゃんが頑張ってるのに感動したっていうのは本当。でも、それ以上に……寂しかったかな。自分が祭ちゃんに置いて行かれたみたいな気分になって。祭ちゃんはすごいから、私がちょっと気を抜いたらどんどん先に行っちゃうんだもんね』

 

 

 それはきっときりんさんの本心からの告白だった。きりんさんは大人だから、そんなことを思っているとは露とも思っていなかった。案の定、視聴者は大慌てで、『きりんさん泣かないで;;』『きりんさんが悲しいとワイも悲しい』なんてコメントでチャット欄は溢れていく。

 さすがにこの空気はマズいと思ったのだろう、きりんさんが滅多に聞かないような慌てた声で謝罪する。

 

 

『あ、あはは! 勝手に沈んじゃってごめんね! 本当はこんなに喋べるつもりはなかったんだけど、止まらなくなっちゃって……あ、でも、みんなが心配してくれるからもう大丈夫だよ! それに、置いて行かれたんなら追い付けばいいだけだしね。私、走るのは得意だから。祭ちゃんにもすぐ追い付くよ!』

 

 

 謝罪には、きりんさんらしい前向きな言葉も添えられていた。彼女が言うと、この人なら大丈夫だろう、と思えるから不思議だ。

 その言葉に安心したのか、チャット欄も少し落ち着きを取り戻した。おそらくマロを送ったであろう人が『きりんさんを悲しませたので切腹します……』とコメントし、すぐさま『良い覚悟だ、介錯してやろう』といったような悪ノリコメントで溢れ返った。そんな中で『待ってる』と見慣れた名前の人が短くコメントしているのも見えた気がしたけど、すぐにコメントの波に攫われていった。

 

 

『わー! あたしの配信の中では切腹も介錯もNGだよ! はい、暗い空気はここまで! 次に行くよー!』

 

 

 きりんさんの言葉はまだ空元気な感じは否めなかったけれど、視聴者も空気を読んで軌道を修正することができた。配信の雰囲気はもう元通りだ。これもきりんさんの人徳の為せる業だろう。きりんさんは本当に凄い人だと思う。

 

「きりんさん……」

 

 だけど、そんなきりんさんでもさっきのような弱さを見せるんだなと、あたしは驚きを隠せないでいた。

 あたしにとってきりんさんは、自分よりもずっと大人で、完璧な人だった。でも思い返せば、初期のきりんさんはよく失敗をしていたし、今さっきだって自分の失敗を認めていた。

 きりんさんは完璧じゃない、あたしとはちょっと違う立ち位置にいるだけで、あたしと同じ人なんだ。

 それが分かった瞬間、あたしの中で不安が首をもたげた。きりんさんの絶対性が消えた今、それまであたしの中で燻っていた疑問がハッキリと姿を現した。

 

「あたしは、待っているだけでいいのかな」

 

 それは黒音さんと仲良くなるために、きりんさんから頂いたアドバイスを実践し続けて、最近は段々と強くなってきた思いだった。

 話す機会を待っても待っても黒音さんと仲良くなる切っ掛けはできないし、そもそもあたしはまだ彼女に謝れてすらいないのだ。そう思ったのなら、あたしは行動すればよかった。そうすれば、黒音さんと友だちにはなれなくとも、謝ることくらいはできていたかもしれない。

 それでも何もできなかったのは、きっとあたしが、きりんさんのアドバイスを言い訳に、嫌われるのを恐れて逃げてきたからだ。あたしは祭さんのように勇気が持てないし、きりんさんのように前向きにはなれないから。

 

「どうすればいいんだろう……」

 

 苦悩するあたしの中で、また、黒音さんの姿が浮かんだ。今日のお昼に、美人の女の人と並んで人波に消えていった黒音さん。彼女もまた、他人が知らないところで成長していたんだ。ただ立ち止まって、見ていることしかできない自分とは違って。

 

「――あぁ、そっか」

 

 遅まきながら気付いた。あたしがあのときに抱いた気持ちの正体。それは奇しくもきりんさんと同じ思いだった。

 

「あたしは、寂しかったんだ」




きりん先輩すこだ……。

あ、次で(一応)最終話です。

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