うっすらと目を開ける。その少しの動きでも自分の思うようにならなかった。
「ヘーマさん」
声に反応して目を左に向ける。シーザーだ。少し眉をよせ、ほっとした表情を浮かべている。
俺は、どれくらい寝ていたのだろう。
「まずは水を。含むだけでもいい……一日以上眠ったままだったんだ」
シーザーの腕が俺の肩を抱え、コップの縁を唇にあてる。流し込まず、唇で舐めるように水分を得ていく。ゆっくりゆっくり繰り返し、どうにかコップ半分程度の水を飲み終えた。
「何か食べれそうか?果物をすりつぶしてくる」
俺をベッドに横たえなおしたシーザーは、コップを持って部屋を出ていく。
そうか、もう彼らが来て五日目になったのか。四日目は丸々眠ってしまったなぁ。
ふう、と吐く息が熱い。
ジョナサンとディオのとき、彼らは五日目の午後三時に帰った。もしかしたら、ジョセフとシーザーも同じように帰るかもしれない。
もうちょっと、話していたかったけれど。
ぼやけた頭のなかでそんなことを考えていると、ジョセフが部屋に飛び込んできた。
「ヘーマ」
俺の名前を呼び、そっと額に手を置かれる。よほど今の体温が高いのか、見た目体温高そうなジョセフの手が冷たくて心地よい。目を細めるとジョセフは途方に暮れたような顔をした。なに、泣きそうになってるんだ。
「ごめんな、俺が水ぶっかけちまったから……」
どうやら落ち込んでいるらしい。水は確かにジョセフの提案した実験で頭から被ったが、実行したのはスタンドな上に俺が倒れた原因は自業自得だ。ジョセフのせいではない。
首を横に振るが慰められていると感じたのか、彼はより顔をしかめる。
ああ、ジョセフがおとなしいとまるでジョナサンがそこにいるようだ。
思わず手を伸ばす。
「ばかやろう、ジョセフのせいじゃない」
よくはねた髪は癖があって少し硬い。頭を撫でようと思ったが、想像以上に体が動かなくてジョセフの髪をつかむだけになった。ついでにぐいと引っ張ると、素直に頭を引き寄せられてくる。
「おれがあのあとバカやったんだ。いいか、おれの、考えなしが原因なんだ」
真っ直ぐにジョセフの瞳を覗き込みながら言う。
「おまえのせいじゃない。だから、わらえバカ」
ジョセフの柔らかい頬を摘んで左右に引っ張る。無理やりに笑みの形にした顔は、ジョセフの顔が整っていることもあって酷く滑稽だった。
俺は笑う。
「わらってくれ」
彼は歪に、誰が見ても失敗したと思える顔で、笑った。
……ありがとな、ジョセフ。
*
戻ってきたシーザーの手から摩り下ろしたリンゴを食べた後、俺は二人が今日帰るかもしれないということを伝えた。
ジョナサンとディオのときもそうだったことも伝えると、二人は驚き、そしてじっと俺を見た。
「ふあんそうに、みるな。おまえらは帰るんだ」
俺の体調が悪化したのを心配しているのだろう、シーザーはしかめっつらだし、ジョセフは口を真横に引いて黙っている。
本当に、人がいい奴等だ。
「やること、あるんだろ」
二人は交互に俺の世話をしながら、いつもトレーニングを重ねていた。ろくに場所もなかっただろうに、制限された中でも手を抜くこともなく。
実際に見ていないから、スタンドの絵と想像するだけになるけれど。
彼らはやらなければならないことがある。
黙ったままの二人を見て、なにか渡せるものはないかと考える。
ジョナサンとディオにはいろいろ準備ができたけれど、今回俺は寝てばかりだったから何も用意できていない。
必勝祈願のお守りとか買ってきたかったなぁ。あと、健康長寿も。二人はいろいろ怪我をするから、交通安全でもよかったかもしれない。
――本当は、死ぬかもしれない彼らに、ゲームや漫画の復活アイテムでも渡したい。
だって、今は修行中なんだろう?
数日後……修行が終わった後、戦いに向かうんだろう?
生存競争に、種族的に不利な相手に、命を張って立ち向かうんだろう?
そしてその後。
漫画では。
そう、漫画では。
脳裏に浮かぶのは、血に塗れたシーザーの姿。瓦礫の下から流れ出てくる、赤い赤い液体。
いやだ。
スタンドでさえも口説く姿、ジョセフを叱る怒った顔、くだらない冗談に呆れた表情……俺を褒めたときの優しい笑顔。
――ジョセフのせいだ。しおらしい顔をしているから、あいつにジョナサンが重なってしまった。
俺は彼を見殺しにした。未来がわかってて、何もしなかった。何も出来なかったんじゃない、何もしなかったんだ。
いい人のふりをして、あたりさわりなく、何も知りませんと目を逸らして、見捨てたんだ。
きっと彼らは、それを知らない。
こんな臆病で、自己保身が強くて、わがままで、人と距離を置くくせに寂しいと嘆く俺を。
見せる前に、死んでしまった。俺と彼らの世界は離れてしまって、もう五十年も経っている。
あの頃の彼らにはもう、会えない。
また、繰り返すのか俺は。また後悔するつもりか。
嘆いたままか。目を逸らしたままなのか。
何時まで子供でいるつもりだ。もう、子供の振りはしなくてよくなったんだろう。
与えられるのを、伸ばされる手を待つのはもう、やめよう。
目を閉じていた俺は、あいかわらず宙に浮かんでいる彼女を見つめる。
なあ、俺のスタンド。
言いたいことは、わかるよな?
やっちゃってくれ。
彼女は、こっくりと頷いた。
唐突にジョセフとシーザーの前に現れた二つのお守り袋。それぞれ手に持ったことを確認して、俺は満足げに目を細める。
「これは」
「日本の、おまもりだ。おれ特製……肌身離さずもっとけ」
「特製って、いま行き成り目の前に」
困惑するシーザーが手元のお守りと俺を交互にみやったとき、俺は血を吐いた。
「ヘーマ!?」
ジョセフは声を荒げ、シーザーは俺の身体を横向きにする。血が喉に詰まるのを防ぐためだろう。
「無理に呼吸をしようとするな、ああ、吐いてもかまわない。ただ、飲み込もうとするな。口の外に全部出してしまえ……JOJO」
「おうよ」
ゴホゴホ咳と口から吐く血が止まらない俺の背中をさすりながら、シーザーはジョセフを呼ぶ。
「血を吐ききったら波紋で治療をする。JOJOは水を持ってきてくれ、口を漱がせるんだ」
「わかったぜ……ヘーマ、ちょーっとまってろよ?」
素早く部屋を出て行ったジョセフの姿を、俺は呼吸の苦しさで涙の浮かんだ状態で見送った。
「しー、ざー」
「話すんじゃない」
「おまもり、なくすな、よ」
「言葉を出すな!血が止まらなくなる!」
「どこにでも、もっていけよ。おとしたり、わすれたり、するんじゃないぞ」
「ヘーマッ!」
「やっと、さんづけがなくなった」
目を見張るシーザーに、俺は口の端を吊り上げる。
「おれな、きっと波紋がきかない」
「……」
「シーザーは、わかってただろう?」
波紋は、吸血鬼には毒だって。
俺の言葉に、シーザーはきつく目をつぶる。
「ジョセフには、治療するっていってたけど。ほんとう、は、おれに波紋をつかう、つもりはなかっただろ」
使うことになっても、自分の責任にするつもりだったのだろう。これ以上ジョセフの負担が増えないように。
本当に、彼らしい。
「……ヘーマは、気づいていないだろうが。昨日、意識がない間に少しだけ波紋を流してみた」
シーザーは俺の左手をとり、袖をめくる。そこには赤い線が何本も肌の上をはしっていた。
「ほんの少しで、ヘーマの手はこうなった……治療に使えるわけがない」
熱のせいかな、こんなにしっかり入った傷に気づかなかったのは。
浅いとはいえ、裂けたような傷跡はけっこうエグイかった。うわぁ……。
「ほんとうに吸血鬼なんだなぁ、おれ。たいよう、ゴホッ、大丈夫なのに」
「だから話すなと……そうだな、こんなに太陽の光浴びているのにな」
昼間の光は、日当たりの良い俺の部屋に存分に差し込んでいる。直射日光ならアウトなんだろうか、なんか大丈夫な気がするけれど。
波紋は別なんだろうか?波紋使いのシーザーやジョセフに触れても大丈夫だったから、皮膚よりも内側が太陽に弱いのかもしれない。
「水持ってきたぜぇ~」
「コフッ、待機ごくろうさま」
「……気づいても言うなっての。ほら、早く口ン中洗っちまえよ」
扉の前でタイミングを見計らってたジョセフが入ってくる。さっさと戻ればよかったのに、なんで待ってたんだろうか。
口に水を含み、ジョセフが水と一緒に持ってきたボールに吐き出す。血が混じって実にグロテスクです。でも口の中がすっきりした。
「ジョセフもおまもりなくすなよ」
「なくさねぇって。なあ、おめえが今こんなんなってンのはコレのせいだろ?」
そうまでして作ってくれたンならなくさねぇよ。そう言ってジョセフは俺の頭を撫でる。こいつら最後まで子ども扱いするなぁ……段々あきらめてきたけれど。
「ジョセフは、心配。うっかり落としそう」
「たしかにな」
「シーザーちゃんまで!?ひっどぉ~、俺大事なもんはキッチリ管理するっての!」
憤慨するジョセフを見て、俺とシーザーは笑った。俺達が笑っているの見て、ジョセフも顔を緩める。
ああ、もったいない。こんなに楽しい時間を寝込んでしまうなんて。時計の砂は今回も、容赦なく底へ降り注いでいく。
「もうすぐ三時だな~」
「俺達が帰ったら、絶対医者に行けよ?」
「行くって言ってるだろ。何度言い聞かせるつもりだ」
「その妙に元気に見えるところが心配なんだ」
リミットも迫り次第に口数が少なくなるにつれ、シーザーの小言が多くなる……ニッコリ笑って流したが。
「ジョナサンの孫のジョセフが来たから、今度はジョセフの孫辺りが又来るかも」
「よぉーし、なら孫にヘーマへの伝言頼ンどくから、しっかり聞けよ?」
「それ以前にJOJO、お前結婚できるのか?」
「スケコマシのおめえだけには言われたくねぇな!」
「なんだと!?」
最後まで仲がいい二人に、笑みを浮かべたところで二人の姿が消えた。えぇー……
時計を見ると丁度午後三時。今回もきっかり時間通りに帰ったらしい。挨拶する暇もなかったのは、賑やかな彼ららしいといえばいいのか、呆れればいいのか。
二人がいなくなって静まり返った部屋を、スタンドがふわふわと浮いて移動する。そういや、コイツの名前も決めなくちゃなぁ。
とりあえず少し休ませて。目をつむって内心呟くと、スタンドがそっと俺の頭を撫でる感触がした。