朝食を食べた後、承太郎くんたちに拝み倒してモデルとなって貰うことを了承してもらった。ふふふ、ぶっ倒れていた期間を含めて三週間、何も描けてないからな!俺の右手が唸るぜ。
「それで、じっとしていればいいのかな?」
「いや、好きなようにくつろいでいてくれ。普段の様子を描きたいからさ」
俺の言葉にほっとした様子の典明くん達。小さい子供のかしこまった様子よりも、遊んでいる姿のほうが描いてて楽しいし。声に出したら怒られることを考えながら、俺は鉛筆をスケッチブックに走らせる。
左横には、同じように手を動かすピクテルの姿。流石、俺のスタンド。
そして、右横にはノートに落書きをしているウンガロくんの姿がある。俺のまねをしているのだろうか。覗き込んでみると、どうやら三人を描いているらしいが……え、なにこれ一歳程度の絵じゃないんだけど。
上手い、年齢にしては相当に上手い。画材はクレヨンだが、色を塗るときに単色じゃなくて複数組み合わせているだと……幼児の描く絵じゃない。
「平馬さん、どうしました?」
ウンガロくんの思わぬ才能に唖然としていると、そんな俺の様子に気づいたのか典明くんがスケッチブックを覗き込んできた。そのときにウンガロくんの絵が目に入ったのか、俺と同じく絶句する。
「ウンガロ……すごいね、これ」
「すごいよな……」
「うごーちゃめ!」
「あ、うん、ごめんねウンガロ」
典明くんが座っていた場所からいなくなっていることに気づいたのか、ウンガロくんがぷりぷりと怒る。かわいい。その様子に笑みをこぼしながら、典明くんがソファーに戻っていった。
ふむ、大分馴染んでいるな。
もう一人のちびっこ、ハルノくんはというと。レオーネくんの膝に座って絵本を読んで貰っている。なんて微笑ましい光景……ピクテル、彼等の姿は任せたぞ。
ピクテルに後を託し、俺は寝転がって漫画を読んでいる承太郎くんを描く。漫画が楽しいのか、心なしか表情が柔らかい。
そういえば、承太郎くんって父親いなかったっけ?あれ、出張しているだけだったか?
それはさておいて、思春期に父親もしくは相談できる大人の男性がいなかったからかな、不良になったの。
ジョセフの時点ですでに片鱗がある、とか考えちゃあいけない。アイツあれでも、おばあちゃんにみっちり教育されての結果だから。余計悪いか。
「薄笑いを浮かべてんじゃあねえよ。不気味だろうが」
「おや失敬。ジョセフを思い出したらつい笑いが」
ギロリとした視線を寄越してくる承太郎くんに、軽く謝る。再び鉛筆を動かそうとしたとき、玄関のチャイムが鳴った。宅配だろうか。
立ち上がり玄関に向かう途中に、全員が俺を見ていることに気付く。
「ああ、たぶん宅配だと思う。ゆっくりしておいてくれ」
「ラジャー」
レオーネくんの返答を背に受け止めながら、俺は玄関へと歩いていく。なんか送られてくるものってあっただろうか、入院で使っていたものは昨日のうちに届いているから心当たりがない。
「はーい、どなた……」
「こんにちは」
玄関のドアを開けてそこに立つ人物を見た俺の言葉は途切れた。その人は女性で、スーツを着ていて、年は偲江さんよりも下だろうか。柔和な笑顔を浮かべて玄関のポーチに佇んでいた。
「なにしに来たんですか」
「貴方が退院したと耳にしたもので。お見舞いに行こうとしたのですが、妙な邪魔が入りましてね」
よければこれどうぞ、と菓子折りを差し出すその女性を、俺は無表情で見下ろしていた。
俺にとってこの人の評価は、人の話を聞かないはた迷惑な人というものだ。爺さんの絵のファンのようで、手元に残された絵はないと何度言っても、この家にあると信じきっている。
ディオがいたときに封筒を送ってきたのもこの人で、月に一度は絵を売れと手紙を送ってくる。
「いりません。見舞いなら用が済みましたね、お帰り下さい」
「いえいえ、お見舞いに行こうとしたのは貴方が入院していた時ですよ。今日は違います」
ドアを閉めようとしたが、素早くカバンを隙間に挟まれ防がれてしまった。くそ、さっさと閉めておけばよかった。
「絵はないと何度もお伝えしたはずですが」
「私も何度も申しましたよ、冗談でしょうと」
俺は頭が痛くなった。何回このやり取りを繰り返せば、この人は俺の言葉を受け止めてくれるというのか。俺だって絵があるならさっさと売ってしまいたいぐらいだ。まあ、この人以外の人に、だが。
「中野正孝の絵は早々手放すには惜しいものだというのは重々承知です。おじい様であるのならなおさら。あの美人画だけでなく風景画さえ艶やかな作風は、万人には受けずとも私のような人間の心を捕えて離さない」
こうして語り始めるのもいつもの流れだ。毎回聞いていると内容が似通ってくるので、正直聞いていてつまらない。なんともまあ、己の都合しか見ようとしない姿勢は、俺に嫌悪感を持たせるのに十分だった。
爺さんの絵のファンでさえなければ、とっくに警察を呼んでいる。
うんざりしながら聞き流していると、高めの声が俺の意識を引き戻した。
「いい加減に人様の家の玄関で、自分の妄想を垂れ流すのをやめたらどうかしら。毎回懲りないわね、アンタも」
「……貴女も毎度毎度どこから聞きつけてくるのかわかりませんが、いつも私の邪魔をして」
小さい体躯に不遜な態度、溢れる覇気の持ち主こと美喜ちゃんだった。腕を組んで仁王立ちする姿は、微笑ましさよりも頼もしさを感じる。
この人が俺のもとを訪ねるたび、どこから聞きつけてくるのか美喜ちゃんが駆け付けてくれる。毎回大変助かるのだが、状況が悪化するのも常の事で、少々この後が恐ろしい。
美喜ちゃんは内心怯えている俺を一瞥すると、門を通ってこの人と俺の間に入り込んだ。
「美喜ちゃん」
「病院周辺をうろついてるって情報が入ったから、近いうちに来るとは思ったけれど。まあ、よくも恥も知らずに訪れることができたものね。前回あれだけ盛大に叩き出してやったことを忘れたのかしら?」
「姑息な嫌がらせ程度、寛容な私には通りませんよ。貴女も子供じみた行為は見た目だけにしてほしいものですね」
「見た目がおばさんよりはマシでしょ。ますますしわが増えてるんじゃない?もっと肌のケアしたらどうかしら、手遅れだろうけど」
「貴女も会うたびに口が悪くなっていますね。ゆとり教育とは女性の質さえも低下させたというのでしょうか」
「女の質が下がっているのはアンタでしょう」
……怖い。俺、まったく口を挟めません。
にらみ合う二人はまさに龍虎。火花じゃないんだよ、散ってるのは。おかしいなあ、今は初夏のはずなのに鳥肌が止まらない。
女の口喧嘩とはここまで戦慄するものだっただろうか。最近……俺が昔女だったことを疑うのが多いなぁ。性格の問題だろうか……そうであっても怖いのは変わらないが。
「……いけませんね、貴女が姿を現した時点でこれ以上の交渉は無理だというのに、長引いてしまいました」
「交渉?ただの嫁き遅れの欲望の押しつけでしょ。残念な年齢の人はさっさと帰りなさいよ」
「どこもかしこも乏しいお嬢さんに言われたくはありませんね。少しは一般男性に需要のある容姿になってみたらどうです。では、平馬さん。またお会いしましょう」
「来なくていいです」
ようやく二人の罵り合いは終わり、帰ろうとする人に俺はローテンションで返事をする。もう来ないでください、毎回貴女と美喜ちゃんのやり取りがトラウマになるんです。
その人は俺の言葉に一瞬固まったように見えたが、スタスタと門から出て行った。
嵐が過ぎ去ったことに胸をなでおろす俺の前に、またも仁王立ちの美喜ちゃんが一人。
次は何ですか……!?
「平馬、アンタの危機管理がなっていないのは後で説教するけど」
「説教は確定なんですね」
「家に誰がいるのかしら?」
びしりと固まる俺。それを冷静な目で射抜く美喜ちゃん。
「今までのアンタならすぐにドアを開けるようなことはないのよね。一人暮らしだし、インターフォンもないから来訪者には気を付けているもの。――誰か知り合いがいない限りはね」
心の汗を流し続ける俺をしり目に、美喜ちゃんは推論を続けていく。
「そして知り合いがいるなら、さっきの女がぐだぐだ言っているときに出てこないのも不思議。気になるのが人間の性というものよ。アンタがうっかりドアを開ける程度に、気を許しているならなおさら。
考えられるのは助けを求めるのは憚るか弱い女子供か、第三者に姿を見られたくない人物」
美喜ちゃんって本当何者なんだろう。ばっちり当たっているんですけど。イエスともノーとも言えない俺を笑ってくれ、こういう時に女に嘘をついてはいけないのは体験済みだ。
「平馬。あたしの推論が間違っているならいいんだけど、まさか犯罪に手を染めてはいないわよね?」
美喜ちゃんの言葉に、リビングにいるであろう人物たちを思い浮かべる。
一歳から八歳までの幼児が五人、親元から離されてかつ俺の家から出られない状態。
……否定ができない!