「じゃあ、確かめさせてもらうわね」
「え!?ちょっとまって!」
思考が停止していた俺にしびれを切らせたのか、美喜ちゃんが俺とドアの隙間を通って玄関に入ってきた。不法侵入だと告げて時間稼ぎをする暇もない。
素早く靴を脱ぎ、リビングの扉に向かって廊下を歩く彼女を止めようと手を伸ばすが、宙をかくだけになった。歩くの早い!
そして美喜ちゃんの手によって扉が開かれーー
「……誰もいないわね」
『五人がくつろいでいる』リビングを見て、そう言った。
「おかしいわね、確かに五つの気配を感じたのだけれど……」
当たってます。ちゃんと五人います。
それなのに何故だろう、美喜ちゃんには彼らが見えていないようだった。きょろきょろと周りを見回す彼女の後ろから、警戒をしている五人に向かって口元に指を一本立ててみせる。年長組みの三人がこくりと頷いた。
「あら、子猫がいたのね」
「え」
どうやって彼女を家から穏便に帰ってもらうか考えていると、美喜ちゃんがしゃがみこんだ。その手の中には白く小さな子猫の姿。
なぜここに猫が!?
視線をめぐらせると、俺に向かって親指を上に立てるピクテルの姿。もしかして能力で出したのかこの子猫!動物もOKだったのか。そしてナイス判断だ!
ご丁寧に五匹いる子猫は眠そうにカーペットに転がっている。美喜ちゃんは一匹を抱きあげ、俺に振り返った。大きな瞳でじっと俺を見つめているのは、観察しているのか。俺はなるべく平静でいることを努めて、彼女の目を見つめ返した。
美喜ちゃんはため息を一つつくと、今はこの子たちの気配だと誤魔化されてあげるわ、と笑って言った。ははは、ばれてーら。
「じゃあ次は説教ね。其処に正座なさい」
「は」
「聞こえなかったかしら?」
「イエスマム」
小さな指で示されているカーペットに、俺は素直に正座する。
「アンタねぇ、さっさと自分の顔が良いことを自覚しなさい」
「顔?」
「最近はあのビン底眼鏡をしなくなったから、多少は自覚しているでしょうけど……いい?アンタの顔は憎たらしいほど綺麗なのよ!嫉妬心すら浮かばないくらいに!」
「いひゃいいひゃい」
俺の頬を思いっきりつねる美喜ちゃん。なんで俺はつねられているのだろうか。
「それに、いい加減あの女が絵を買うために来ているわけじゃないことにも気づきなさいよ!あれアンタのストーカーなのよ!?」
「ストーカー!?」
「アイツはとっくに、平馬がお爺さんの絵を持っていないことは気づいているの。アンタに会うための口実よ……警察の調書によるとね」
「警察……」
「一度警告受けてるはずなのに、まったく諦めるそぶりもないなんて」
頭が痛そうに顳顬を揉む美喜ちゃんだが、俺も同じように頭が痛いんだけど。なにそれ、あの人俺のストーカー?爺さんの絵が目的じゃなくて単なる口実だって?
ふざけんなよ、爺さんの絵のファンだからって俺は警察沙汰にしなかったのに。本人はとっくに警察に警告うけてるだと?
俺にとって、爺さんは絵の師匠だ。絵の画材はけして安くはない、でも爺さんは俺が小さい頃から存分にそれらを使わせてくれた。爺さんの絵に憧れ、俺も同じように絵が描けるようになりたいと思っていた。
大好きな爺さんの絵が、口実あつかいされているのは、俺にとって逆鱗に値した。
ぐらぐらと怒りが湧きあがる俺を見ていた美喜ちゃんは、ぎゅうと俺の鼻を指で摘んで引っ張った。
「なあに物騒な顔してんのよ。関わろうとするんじゃないわよ、余計喜ばせる気?」
「なにしょれこあい」
「アイツ時々あたしの言葉にも嬉しそうにするのよ?平馬がいないとき限定だけど」
予想以上にあの人がヤバいんですが。俺の怒りは悪寒とともに沈静化することになった。
腕をさすっている俺の前に、美喜ちゃんがしゃがみ顔を覗き込んでくる。
「ねえ、平馬。アンタは今までいろんなことを見ていなかった。人の欲望も、自分の容姿でさえもね。それがどんなに危ないことか、アンタはちゃんと分かってる?」
「美喜ちゃん」
「本当に綺麗なのよ、あたしも初めて会ったときは見惚れたくらい。それは平馬に有利なことも運んでくるし、逆に今回みたいに求めてもいない好意を寄せられることもあるわ。
その舵取りは、平馬自身でしかできない。アンタが流し方を学ばなきゃだめ」
美喜ちゃんはそう言うと、俺の頬を両手で包んだ。
「あたしが何時までも守れるわけじゃないの。いつも傍にいられるわけじゃない……だから、きちんと考えなさい。アンタがその容姿と付き合っていく方法を」
彼女の顔は見たことがないほど心配の色を浮かべていて。その真っ直ぐな視線に憧れと、自分自身への情けなさを感じ取っていた。
「かっこ悪いなぁ、俺。こんなに心配させるなんてさ」
「ふん、別にいいのよ。平馬は可愛い弟分だもの、お姉ちゃんがあれこれ世話をするのは当たり前よ」
「おとうと、ぶん」
珍しく、美喜ちゃんは微笑んでいた。いつもなら言っている途中で恥ずかしくなって、眉間にしわを寄せているのに。
つまり、今の言葉は心の其処からの彼女の本音で。
俺はそれを、なぜか少しも嬉しいと思えなかった。
美喜ちゃんは一通り子猫を愛でた後、来たときと同じく颯爽と帰っていった。疾風のような人である。
「今の女性は?」
「バイト先の娘さん。ご両親共々大変お世話になってる人かな」
リビングのドアを見つめた典明くんに美喜ちゃんについて説明する。
美喜ちゃんとの付き合いは俺がこの家に来てからだから随分と長い。幼馴染ともいえるかもしれないな、そういえば。
小柄なのに非常にパワフルで照れ屋で優しい、からかうと楽しい人だと俺が言うとなんだか生温い視線を貰うことになった。何故。
「俺達が見えてなかったみてーだな」
「DIOのときはどうだったの?」
「ちゃんと見えてたよ」
空き巣のおっちゃんは、ジョナサンとディオを認識していた。今回の美喜ちゃんは五人の姿が見えなかった。年齢や人数の違いはあるが、それがどういう意味を持つのかが分からない。
共通点がなさすぎて、情報が足りない。
考えるのが面倒になりソファーにだらしなく座った俺を、レオーネくんがニヤニヤと笑いながら見ている。なんか嫌な予感がする。
「それよりもさぁ……今の子とどこまでいったのー?」
「はあ?」
「まーたまた。隠すようなことでもないでしょ~?どう見たって平馬さんの好きな子だって分かるし」
頭を殴られたような衝撃だった。
俺が好き?俺が、美喜ちゃんを?
口元に手を当てる。
黙りこんだ俺を見て、レオーネくんが目を見開いた。
「まさかまだ無自覚だった?え、あんなに傍目でとろけた表情していたのにマジ?」
「レオーネ、君ちょっと黙ってくれ」
気まずそうな表情で慌てているレオーネ君を、典明くんが叩く。承太郎くんはこの会話に入るのが面倒なのか、帽子を顔に被せてソファーに寝転んでいる。
そのクールさを今とても分けてもらいたい。
「たしかに美喜ちゃんのこと好きだけどそれは人間的なっていうか、可愛いし優しいし尊敬できる女性ではあるしいつも世話になってるから好意は持って当然だろ。そう、当然だ。うん問題なし」
「すげぇ言い聞かせてる……じゃあさ、あの子に彼氏できたらどうする?」
「ボコる」
「即答!?」
バカヤロウ、美喜ちゃんに近づいてくる男なんか、十中八九特殊性癖の持ち主に決まってるだろうが。万が一、そう万が一彼女につり合う男であったとしても、そう簡単に認めるわけにはいかん!
昇一さんと結託して撲滅せねば。
決意に拳を握り締める俺を見ながら、典明くんたちはひそひそとなにやら話していた。
「……どう見ても好きな相手の彼氏に嫉妬する男だよな?」
「こういうのは本人が自覚しなきゃ無理だろう。周りがせっつくものではないよ」
「平馬さんの場合はせっつかないと失恋する可能性高いだろ。弟扱いしかされてねーぞ」
「まあ、確かに……承太郎、君はどう思う?」
「俺にふるンじゃねー」