彩る世界に絵筆をのせて   作:保泉

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運命の時間

 

 

『おはよう、ヘーマ……え?』

 

「……おー、おはよ……う?」

 

 目を覚ませば俺の寝るベッドの近くに立ち、にこやかに挨拶をしてきたジョナサンを、ピクテルが平手打ちで叩いた光景を目撃する。一気に寝ぼけた目が覚醒したが、何があった。

 

 見ればジョナサンも頬を押さえて唖然としている。

 

 

「ジョナサン、説明を頼む」

 

『僕も何がなんだか……その、僕は彼女になにか不快な思いでもさせてしまったのだろうか?』

 

 

 落ち込むジョナサンと怒っているように見えるピクテル。ジョナサンには心当たりがないようだから、次はピクテルに事情を聴かないとな。

 

 ピクテルの方に顔を向ければ、なにやらガリガリと勢いよくスケッチブックに書いている。顔の至近距離で見せられたスケッチブックには『ジョナサンがいなかったから幽霊が多くて怖かった、私もテレンス描きたかったのに!』となにやら憤慨しているようだ。

 

 

 ピクテルや、それはあんまりな八つ当たりだ。

 

 

 近くにピクテルを呼びよせ、仮面の額部分に力を込めたデコピンを実行する。額部分を押さえて蹲るピクテル。本体の俺も痛いが、監督不行届きとして受けるべきだしなぁ。

 

 

「本当にすまない、ウチのピクテルが」

 

『いや、かまわないよ。僕がいるならほかの幽霊は見えないのかい?』

 

 

 ジョナサンの問いにピクテルは頷いている。そのほかの幽霊が俺には見えないのだが、ただ単に見逃しているだけなのだろうか。ほら、隙間から覗いているとか……想像したら背筋が寒くなってきたな。ジャパニーズホラー的なのはお断りしたい。

 

 

「昨日姿が見えなかったけど、どうしてなんだ」

 

『僕はあまりディオの傍から離れられないみたいなんだ。正確には僕の身体からなんだろうけど、昨日はディオは出かけていただろう? 僕も一緒に屋敷の外にいたんだよ』

 

 

 そうか……今のジョナサンは身体に対しての地縛霊みたいなものなんだな。だからディオが動けばジョナサンも動かざるを得ないと。まあ、それはともかく。

 

 

「ディオがお前を認識していないみたいなんだけど、それは?」

 

『……えっと、そのだね』

 

 

 幽霊はスタンド使いには見えるとすれば、ディオに見えないということは変だった。もしかして、気まずいとかで会えないからとかなんだろうか。

 狼狽えているジョナサンを見つめていると、観念したように彼は口を開いた。

 

 

『ディオが起きているときは、大抵夜で女性と一緒なんだよ』

 

「聞いた俺が悪かった」

 

 

 それは姿を見せられない。むしろディオの姿を見ること自体が気まずい、あれはジョナサンの身体だから彼にとってとても複雑な心境だろう。そして覗き見するほどジョナサンの紳士度は低くない。

 

 むしろ、その現場に鉢合わせていない俺が珍しいのかもしれない。まあ、俺からディオの部屋に行くことはない上に、夜になればディオから訪ねてくるからなぁ。

 

 

 ……ん?もしかして俺って軟禁されてるのか?

 

 

 どっちみちこの屋敷から出られないなら同じことか。ジョナサン達の場合はこの屋敷より俺の家が狭いこともあって、窮屈な思いをさせただろう。それに比べればこの部屋は広いし、特に問題はない。

 

 

「まあいいや、とりあえずモデル頼むな」

 

『……本当にヘーマは絵のこと以外は気にしないよね』

 

 

 苦笑するジョナサンの反応を了承とみなして、俺は笑みを浮かべてスケッチブックを手に取った。

 

 

 ――そうでもないんだぞ、今は。

 

 

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 

 キャンパスに下絵を描き、下塗りを済ませて乾かすこともなく描きこんでいく。これほどまで急ぐのは久しぶりだ、前回のディオとジョナサンの時ももう少し時間を掛けていた。

 

 

 無心で筆を動かす。豪華な椅子、不敵に笑うディオ、その後ろにはジョナサンと『人間だったころのディオ』が佇んだ構図。昔と今の彼らの姿。

 

 

 仕上げの段階に入って休憩のために筆を置くと、俺はキャンパスの前の椅子から座る場所をベッドに変えられていた。

 見上げれば、呆れた顔で俺を見下ろすディオがいる。

 

 

「あまりにも昔だったので忘れていたな。ヘーマは無理やり休憩させなければいけなかった」

 

「ディオ」

 

「テレンスが嘆いていたぞ。起きてから水もとっていないらしいな」

 

「……いま、何時だ?」

 

「夜中の一時だ。ほら、水だ。まずは飲め」

 

 

 ディオが差し出すコップを受け取り、中身を飲み干す。自覚はなかったが、かなり喉が渇いていたようだ。息を吐く俺の隣にディオがどかりと腰を降ろした。

 

 

 彼は完成前の俺の絵を黙ったまま見つめている。

 

 俺もコップを手に持ったまま、声をかけることもなく同じようにキャンパスを見ていた。

 

 

「海の底で永い眠りについていたとき、私はお前を連れ帰れたらどうなっていたかと考えたことがある」

 

 

 口を閉ざしていたディオが、絵を見つめたまま言う。

 

 

「その時はバカな考えだと一笑したが、最近は連れ帰れないことこそが『運命』に定められていたのだと……そう理解するようになった」

 

「『運命』ねぇ」

 

「歴史は繰り返す――この言葉は正しい。正しく『世界の歴史』は繰り返している。未来がいずれ過去となり変えられないように、過去も再び未来となるんだ」

 

 

 誰も『運命』を変えられない。俺はそう言ったディオの顔を見た。その表情はどこか憔悴しているように思えた。

 

 

「私とジョジョの因縁も『運命』という『神』によって決められている……私は、運命すら支配する力を手に入れたい」

 

 

 ろうそくの火が揺らぐ部屋は、天を仰いだディオの顔を俺に見せてはくれなかった。ただ、彼が強く拳を握り締める音だけが、俺の耳に届いていた。

 

 

「ディオは、自由になりたいのか」

 

「自由、か。そうだな、何かを強制されるのは嫌いだな」

 

 

 ふ、と笑いをこぼすディオ。彼が辿ると思われる道を、俺は知っている。原作という『運命』を知ることによって。

 少しだけ、変えることが出来たと思っていた。シーザーは生き延びたし、レオーネという息子も生まれた。だがそれは、世界という単位では何も変えられていないのか。

 

 

 ディオは語る。自分のスタンドは『天国』へ行くための鍵だと。

 

 

「このスタンドには先がある……私が全てを支配した先に、お前がいるんだ、ヘーマ」

 

「俺、が?」

 

「最初は、ただ未来にお前がいると考えていた。ヘーマの家から見た景色から、文明が進んでいるのは確かだった。だが、私がこのまま二十年程待っても、お前にはたどり着かないだろう」

 

 

 文字通り世界が違うのだからな、とディオは嗤った。ひどく滑稽なものを見たような、いびつな笑み。

 

 

「世界は円環で閉じられている。地球という星が滅び、また生まれるまで何十億年という途方もない歳月がかかる。ヘーマがいる世界が過去なのか未来なのか……いまだ特定は出来てはいない。

 だが、私は必ず全てを支配し――お前にも会いに行く」

 

 

 真っ直ぐに俺を見るディオの目は、偽りを感じられなかった。どうして、彼は俺にそうしてまで会おうとするのだろう。たった五日間だけ、一緒にいただけの俺に。

 

 

「どうして、お前は俺に会いたいんだ」

 

「なんだ、お前は私に会いたくないのか?」

 

「そういう意味じゃない。俺が、お前に何をしてやれたっていうんだ」

 

「ヘーマが変な奴だからかな」

 

「なにそれ。回答でもないし理由でもないぞソレ」

 

「――十分な理由さ」

 

 

 怪訝な顔をしている俺に対してディオは楽しそうに笑うだけで、それ以上何も言わなかった。

 

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 

 絵が完成したのは、明け方近くになってだった。ディオは絵を描く俺の姿をずっと見ていたようで、出来上がった絵を俺の隣で眺めていた。

 

 少し残念だ、とディオは呟く。

 

 

「私が目的を達したら、ヘーマに会いに行くときにこの絵を持っていけない。流石にキャンパスが風化してしまうだろうからな」

 

「おい、出来上がったばかりなのに、もう壊れることを考えるのか。頭の中に保存しとけ」

 

「わかったよ」

 

「まったくおま……え……?」

 

 

 完成した開放感に水を差され、ディオを睨みつけようと振り返った俺の視界に、見慣れたリビングが映った。

 

 慌てて周囲を見回すが、何処にも先ほどまでいた景色はない。俺の描いた絵も、画材道具も、見慣れた豪華な部屋もディオの姿も。俺の家のリビングにある家具が、見えるだけ。

 

 

 膝の力が抜けた。倒れこむ身体をソファーの背に縋って支え、どうにか床に座り込む。

 

 

 そんな――まだ、まだ時間はあったはずだ。今日は五日目の朝で、これからディオに考えを提案をするつもりだったというのに。俺は、選択肢を間違えたのか?どこだ、どこを間違えた!?

 

 

 また俺は、後悔しなければいけないのか――?

 

 

 ぎり、と拳を握る。その動きで、俺は右手に筆を持ったままだということに気づいた。ディオに用意してもらった、あの世界の絵筆。

 

 

 ――まだだ、まだ終わってない。

 

 

 俺は立ち上がり、自分の部屋に向かって駆け出す。引き出しを開け、しまってあった折りたたんだ布を取り出した。

 

 

 以前に、別れ際にディオから貰ったハンカチだった。筆と同じ、あの世界に依存する物品。

 

 

 あの世界から来たものは、例外なく帰っていった。

 

 

 でも、この二つの物はまだ帰っていない。帰れていない。つまり、あの世界と繋がったままということ。

 

 

 同じ時間に行けるとは思っていない。もしかしたら、全てが終わった時代に行ってしまうかもしれない。

 

 

 だが、だからといってやらない理由などはない。

 

 

 ハンカチと筆を握り締める。俺はリビングに戻ってただただ祈った。あの世界に再び渡れるように、俺の理想を手に入れることが出来るように。

 

 

 いつも運命の時間、午後三時を示していた時計の前で。

 

 

 

 

 

 かちり、と針が動く音がする。見上げた時計の長針と短針は、十二と三に切っ先を向けていた。

 

 

 そして――俺の視界は切り替わる。

 

 

 見慣れたリビングから、見覚えのない部屋へと。

 

 

 


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