彩る世界に絵筆をのせて   作:保泉

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覚悟のかたち

 

 

「ガッ……!」

 

 俺が視界の移り変わりに慣れる前に、床に身体を引き倒された。後ろ手に拘束され、目元を覆いながら頭を床に押し付けられる。

 

 

「エッ、誰!?」

 

「離れているんだスージーQ。DIOの刺客かもしれん」

 

「わ、わかったわ」

 

 

 身体に走る痛みによって、遠く感じる男女の声。

 なんだか懐かしい声と知っている名前が耳に届いたが、ギリギリと腕が極まっているため痛くて声が出ない。床をバシバシ叩いて降参の意思表示をすれば、力が少し緩められた。痛みが軽くなり、詰めていた息を吐く。

 

 

「えー……こちら、中野平馬です。間違っていたら悪いけど、そこにいるのはシーザー?」

 

 

 間違っていたらその時と、投げやり気味に問いかけてみれば、再び回る俺の視界。う、ちょっと気持ち悪い。

 

 顔をしかめている俺の目の前には、金髪の男――三十代程度のシーザーの顔があった。あれ、思った以上に若い。波紋か、波紋効果なのか……そういえば孫同然の年齢である、息子のレオーネがいるんだ。きっと奥さんもまだ若いから、若さを保っているのかもしれない。

 ガシリと顔を両手で掴まれて引っ張られ、微妙に顔と首が痛い。

 

 

「本当に、ヘーマだ……」

 

 

 シーザーは呆然とした表情で俺の顔を眺めていたと思えば、くしゃりと破顔した。

 

 

「ヘーマッ! 無事でよかったッ!」

 

「うわッ!」

 

 

 ぐいっと腕を引かれ、起き上がらされると感極まったように抱きつかれた。俺が慌てていると横でキョトンとしていた老女が思いついたようにぽんと手を叩く。

 

 

「あらまあ! 貴方がヘーマなのねッ! シーザーを助けてくれたってヒト!」

 

「いや、まあ……お守りは渡しましたけど」

 

「一度お礼を言いたかったの!」

 

 

 老女、おそらくスージーQさんは満面の笑みで俺に抱きついた。

 

 ……なんだこの状態は。シーザーとスージーQさんにサンドイッチにされている俺。何故抱きつくんだ二人とも、俺はどこでフラグを踏んだのだろうか。

 

 

 ぎゅうぎゅうと抱きつかれながらも、俺は辺りに視線を巡らせた。シーザーはいいとして、スージーQさんがいるとすれば、恐らく彼女もいるはずだった。

 

 

 俺から見て右後ろに、畳の上に敷かれた布団が見える。きっと其処に横たわっているのだろう、ホリィ・ジョースターが。

 

 

 シーザーの腕を軽く叩き、離してくれるように頼む。シーザーが腕を離すと、スージーQも俺から離れた。

 

 履いたままだった靴を脱ぎ、布団の傍にしゃがみ込む。力なく横たわるホリィは眠っているというよりも……人形のように生気を感じられない。もはや体力も尽きかけている様子の彼女を、棘のついた蔦が巻きつき、覆っていた。

 

 俺がDIOの屋敷にいた時期が、旅のどの位置かは分からない。ただ、俺は正気を保ったエンヤ婆に会ったということは、少なくとも前半だったと思う。

 

 なのに、今のホリィはどう見ても末期。意識すら保てない彼女にスタンドを制御しろといっても、到底出来るわけがない。

 

 

「そうか、ホリィのことも知っているんだなヘーマは」

 

「承太郎に聞いた。シーザー、ジョセフ達が旅立ってから今日は何日目だ」

 

「……もう48日になる」

 

 

 やはり、一ヶ月近く時間が飛んでいる。かなりの時間を失ってしまった、いや、まだ時間は残されている。まだタイムリミットは過ぎていない、諦めるには早い。

 

 

 ピクテルが俺の横に浮かぶ。

 

 

 今、俺が考えているのはピクテルのスケッチブックの中に、ホリィのスタンドを入れるという方法だ。俺が描いた絵とはいえ、現実の紙をピクテルはスケッチブックに仕舞いこんでいた。

 

 

 それなら、生物やスタンドも出来るのではないかと、俺は思いついたのだ。

 

 

 あのまま屋敷に俺がいたら、ディオにこれを相談しようと思っていた。ホリィを誘拐するのには時間が足らなかったため、一時的にディオにスケッチブックに入れるか試してもらうつもりだった。

 

 

 ジョセフ達から逃げるようで多分ディオは嫌がるだろうから、断られる可能性が高いとは予測していたけれど。いざとなれば不意討ちする予定だったが……どういう巡り合せなのか、いま俺はホリィの傍にいる。

 緊急性も高い今、試さないことはない。

 

 

 できるか、と俺はピクテルに問う。ピクテルはしばらく動かなかったが、そのうちスケッチブックに文字を書き込んだ。その内容は『今の貴方では無理』というもの。

 

 

「今は無理、か」

 

「ヘーマ?」

 

「ん、シーザーはスタンドが見えなかったな。幽霊の彼女と相談していたんだ」

 

「あのシニョリーナの? しまった、今日は指輪を持っていないぜ」

 

「……変わんないなぁ」

 

 

 そういや指輪を贈るとか言ってたな。また会えるかどうか分からないってのに、キチンと準備しているあたりはシーザーらしい。

 

 口元が緩み、張り詰めた気持ちが少し萎んでいく。

 

 

 ピクテルは今の俺では無理だといった。つまり、いずれは出来るようになるということだ。何が足りないのかは分からない。経験なのか、覚悟なのか、それとも単なる想像力なのか。

 

 

 わからないが、思いついたことはある。

 

 

 ピクテルに用意を頼み、俺は立ち上がって部屋の障子を閉めていく。夕方前の明るい部屋は、襖と障子に締め切られて薄暗い。そんな状態になってから、部屋の蛍光灯をつけた。

 

 

「ヘーマ、何をするつもりだ。それに、その袋は……まさか血液か?」

 

「そうだよ。ピクテルに用意してもらった」

 

 

 俺が手に持っているのは血液のパック。ピクテルにリアル重視で描いてもらったものだ。容量は大体四百ミリリットル、献血一回分だ。

 

 

「吸血鬼は人間よりも生命力が高い。血を飲めば、中途半端な俺の状態は吸血鬼に傾くはずだ」

 

 

 パックを触りながら、どこから飲めばいいのかと悩む俺の手を、シーザーが掴む。顔を上げると俺をにらむように見るシーザーの顔があった。

 やっぱり、止めるよなぁ。俺は困った表情を浮かべていることだろう。

 

 

「邪魔しないでくれよ、シーザー」

 

「何故吸血鬼になる必要があるんだッ!」

 

「別に、不老不死を望んでとかじゃない。必要なんだよ、今の俺には」

 

 

 ピクテルの能力を十全に行使するためには、今の俺じゃ足りない。足りないなら、補うしかない。例えそれで俺が、太陽の下を歩けなくなったとしても。

 

 

 やればよかったなんて、二度と思いたくはない。

 

 

 俺はシーザーの腕を振り払って突き飛ばした。非力な俺が、鍛えているシーザーを振り払えるなんてな。だが、今は好都合だ。

 

 

 血液パックの端を噛み切り、こぼれる血液を舐めてからパックに吸い付いた。

 

 

 一口ずつ飲み込むたびに、充足感が俺の身体を満たす。足りていなかった栄養を、全身が求めている。頭の中が鈍くなると同時に、非常に冴えわたっているようにも感じた。

 

 パックの中身を飲み干し、口の周りについた血液を舐めとる。

 

 頭の中は、妙にスッキリとしていた。空になったパックをピクテルに渡し、俺をずっと警戒し続けるシーザーに笑いかけた。

 

 

「なんか俺、変わったところある?」

 

 

 身体を点検してみるが、感覚が鋭くなっている以外はあまり変化がない。髪の毛を触っている俺を呆れと困惑が混じった複雑な表情で見ながら、シーザーは俺の目が赤くなっていると指摘した。

 

 

「よし、それだけだな。いまのところ問題ないか……理性飛んでたらシーザーに対処してもらおうと思ってたけど、杞憂でよかったよかった」

 

「……お前は酷いヤツだな」

 

「冗談ですごめんなさいふざける方向を間違えましたッ!」

 

 

 本気で悲しそうな表情をするシーザーに俺は慌てだす。やっば、ディオに比べてシーザーの方が繊細だったというか、誰にでも同じように冗談は言うべきではないね。本当にごめんなさい。

 

 

 気を取り直してホリィの横に再びしゃがみこむ。心配そうな表情のスージーQをシーザーが宥めてくれている。何も説明していないのに協力してくれるなんて、本当に世話焼きな人だ。

 

 

 ピクテルに目配せをする。彼女は先ほどとは違いこくりと頷くと、自身の仮面に手をかけた。

 

 

 仮面を外すと同時にピクテルの周囲が歪む。

 

 隠れていた容貌は露わになり、紺色のクラシックドレスに包まれた華奢な肢体が浮かび上がる。

 金色の長い髪が豊かに広がり、いたずらっぽい笑みを彩る目は深い緑で楽しげに細められている。

 

 

 俺に似た容姿の女性の後ろには、いくつもの真っ白なキャンパスがはめ込まれた、大小さまざまな額縁が浮かんでいた。

 

 

 ――というか、実体あったのかピクテル。確かに仮面を外してクッキーをつまみ食いしてたけどさ、お前セクハラって言ってただろうが。いいのか外して。

 

 

 楽しそうなピクテル(元仮面、現在美女)を見て、俺が最初に思ったことはそんなことだった。

 

 




警告タグ、残酷な描写追加しました。

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