ピクテルがするりと俺の首に華奢な腕を回す。彼女に後ろから抱きつかれている状態だ。ぐりぐりと俺の頬にすり寄る姿は、まるで大型犬などのペットに懐かれたようだった。まあ、ピクテルだからな。
いやいや、それよりはまずホリィのスタンドの対応が先だ。意識も無いのだから早い方が良い。
しかし、茨のスタンドはがっちりとホリィを包み込んでおり、無理に外そうとすれば彼女の身体が保たないだろう。
俺はまず、ピクテルに絵の中から水差しを取り出してもらう。
「それは?」
「水だ。俺が作ったやつだが」
ピクテルの絵から生み出されたものは、俺の生命力から作られている。俺が食べても使った生命力が還元するだけだが、自分以外に与えれば生命力を譲渡できる……ハズだ、たぶん。
まー、試したことないからぶっつけ本番でやってみるしかないだろう。飲食に適しているかどうかは、承太郎達で大丈夫だったから……おそらく、いけるはずだ。
シーザーにホリィに水を飲ませてくれるように頼む。俺はいま吸血鬼だから、なるべく彼女に近づかないようにした。先ほどから、スージーQさんが少し不安そうにしているからなぁ。
意識がないので、少しずつ流し込んでいく。
半分以上飲ませた時、ピクリとホリィの瞼が動いた。
「ホリィ!」
「……あ……ママ……?」
ゆっくりと開いていく瞼に、スージーQさんが飛びつくようにホリィの顔を覗き込んだ。ホリィはぼんやりとした表情ではあるが、スージーQさんを認識し返答もできた。
涙目で抱き着こうとするスージーQさんを、俺は慌てて止める。ホリィの体調は完治したのではなく、一時的な回復に過ぎない。ゆえにまだ安静が必要なのだ。
俺はホリィの身体に巻きつく茨が、先ほどよりも緩くなっていることを確認する。
「もう少し待ってください。初めまして、俺は中野平馬といいます。ジョセフとシーザー、承太郎たちのまあ、知り合いです」
「平馬、さん。知ってるわ……パパが良く話してくれたもの」
ホリィは柔らかい笑みを俺に向ける。まだ熱が下がっていないから身体がきついだろうに、気丈な女性だ。
「ジョセフに何を吹き込まれたか気になるが……こっちにいる俺のスタンドは見えますか?」
「その、金髪の可愛い女の子のこと……?うん、見える」
可愛いと言われ頬に両手をあてて喜ぶピクテルは置いておいて、とりあえずピクテルから聞いた条件は満たせた。後はスタンドを取り込むだけなんだが……いつまで喜んでるんだピクテル。
俺がピクテルを半目で見つめると、ピクテルはしぶしぶといったように額縁を手元に取り寄せた。
彼女は右手でホリィの茨のスタンドの端を掴み、白いキャンパス部分に触れさせる。茨は一瞬ピクリと動いたが、するするとキャンパスに吸い込まれていく。
「あ……根っこ?」
茨のスタンドは暴れる様子もなくキャンパスに飲み込まれていき、それはホリィの背にあった根元まで全部入ってしまった。植物状のスタンドだから、根があるのだろうか……もう少しよく見たかった気もする。
全部入ったキャンパスは、淡い光を発している。それはもう白いだけのキャンパスではなく、ホリィのスタンドだろう植物状のものが描かれている。どうやら成功したようだ。
「体調はどう?」
「え? あッ! なんともないわッ!?」
まじまじと額縁を見ていたホリィだったが、俺の声に驚いたように布団から起き上がる。まだ安静にしたほうがいいんだけどなぁ。
「ちょっとホリィ、いきなり起き上がっちゃって平気?」
「ママ、身体が軽いくらいよ! スタンドも身体から離れてるし、平馬さんのおかげねッ」
元気にはしゃぐホリィを見てスージーQは目を丸くしている。いやあ、明るい人だ。多少はやせ我慢も含んでいると思うが、身体は楽になったようでよかった。
「ヘーマ……」
「どうしたシーザー、なんかすげぇ泣きそうな顔をしてるぞお前」
「お前は、吸血鬼に……人間を失ってまでホリィの命を……ッ!」
あとは俺の肩を掴むシーザーをどうにかしなくては。男泣きしているシーザーは俺の声が聞こえているのかいないのか……ないとは思うが、うっかり波紋を流さないでくれよ。
「そんなに気にすることないって。俺は必要だからやっただけなんだからさ」
「だがッ!」
「はい聞きません。スージーQさんもホリィもだからな」
耳を塞ぐ俺をシーザーはむっすりと、スージーQさんとホリィは笑顔で見ていた。……なぜ笑顔?
「OK、言わないわ。そのかわり~」
「感謝を全身で表現すればいいもの、ねッ」
二人は笑顔で俺に抱き着く。その様子を見てシーザーまで抱き着いてきた……俺が吸血鬼寄りになってなかったら力不足で倒れていたぞ。あれ、シーザーとスージーQさんって兄妹だったか? 行動がとても似ている。
こうなると俺は苦笑するしかない。そしてピクテル、今の状態を描かないでいいから止めてくれ。
「このままのんびりしたいけど、まだやることがあるんだ」
「……JOJO達のところに行くんだな?」
シーザーの問いに俺は頷く。ホリィのリミットが無くなった今、ジョセフ達は早急にディオを倒す必要がなくなった。停戦交渉をするなら今しかない。
ピクテルが差し出す服や靴を着込んでいく。黒地で分厚いUVカット仕様の布らしい。帽子や手袋まできっちりつけてから、最後にフード付きのマントを羽織る。
……いまの俺、全身黒ずくめで吸血鬼感が物凄い気がする。黒髪赤眼と相まって、実にファンタジーだ。
襖を少し開いて光を部屋に少量差し込ませる。そおっと左手を光に翳してみる……よし、灰にならない。とりあえずフードが外れなければ、即座にどうこうなるということはなさそうだ。
そのまま、手を窓の外まで進める。今回は、ディオの屋敷のように俺の手が阻まれることはなかった。
理由は俺が『赤ん坊の時から』受けているスタンド攻撃の弱体化だろう。
思えば不思議だった。
俺には両親がいない。前世の記憶を思い出したときには、俺はすでに施設で生活していた。
小学校に入学する前、公園で絵を描いていたときに爺さんが声をかけてきた。そしてその数日後、俺は施設を出ることが決まったのだった。
公園で絵を誉められたため、それがきっかけで引き取られたと俺は思っていた。
だが、子どもを引き取るにしては爺さんの生活能力はあまりに低いのだ。引き取られてからの数年間、俺を育てたのは爺さんではなく偲江さんだと断言できる。
偲江さんは爺さんの姪で、昔から母親……爺さんの姉と共に爺さんの面倒をみてきたらしい。本当に家事能力は壊滅的な才能の持ち主だった。
独り身で生活能力も低く、画家という不安定な仕事をしている爺さんが、姪の偲江さんの養子にしてまで、なぜ俺を手元に置こうとしたのか。
あの家に突然現れた俺を、知っていたからじゃあないだろうか。
今まで俺の周りに起きた不可思議な出来事。この原因は、爺さんだ。きっと爺さんはスタンド使いなのだろう。能力を考えるなら、異なる時代の物体を呼び寄せるとかそのあたりだろう。
スタンドは本体が死亡した後も存在し続けることがたしかあったはず、爺さんが亡くなってから三年……スタンドはその力を失い始めているのだろう。
ほら、今もふとした瞬間に見慣れたリビングの景色がちらつく。
「ジョセフは、俺の渡したお守りは持っているか?」
「五十年前の戦いのときは忘れていたようだが……しっかり叱っておいたから持ち歩いているはずだ」
「前のとき忘れてたんかい。まあ……今持っているならいいか」
ジョセフに渡したお守りは、今の俺にとっての道しるべだ。俺の家のリビングを経由して、お守りがある位置に移動する。言葉にすれば簡単だが、できる可能性は不明。なにせやったことはない。
でもなぜだろうな。爺さんのスタンドだと仮定してから、なぜかできるような気がする。
偏屈な人だった。俺以上に絵にしか興味がなくて、いつもどこかに出かけていて家にいない人だった。でも絵に関することなら、いろんなことを話してくれて、いろんな場所に連れて行ってくれた。
誕生日プレゼントでさえ画材を選択する人だったが、毎年授業参観には来るような肝心なところは押さえる人でもあった。
今度もまた、ニヤリと笑いながら爺さんは手を貸してくれるんじゃないか。そんな風に俺は思うのだ。
「じゃあ、ちょっと頑張ろうかね」
肩を回す俺にピクテルが寄り添う。微笑む彼女に笑い返して、俺は準備する姿を黙って見守っていた三人に振り返る。
「また、会えた時にはお茶でもしようか」
「じゃあ、私はケーキを焼くわね!」
「あら、ホリィがケーキなら私はクッキーでも作ろうかしら」
「俺は紅茶かコーヒーか……JOJOには何をさせるか悩むな」
軽い口調でかわす言葉。どの時代の住人かわからない俺は、彼らに二度と会えないかもしれない。
だがどういう形であれ、ジョナサンとディオにはまた会えた。
シーザー達にもきっと会える。再会を信じて今は先に進もう。
俺の視界が歪む。
『やれるだけやってみな。しかたねぇから尻拭いしてやるよ』
耳に届く懐かしい声。低く笑うその声に押されるように、俺は畳の和室から夜の異国の路地裏へと移動していた。
……あれ、ジョセフ見当たらないんだけど。
辺りを見回してみるが、どう見ても路地裏で人の影さえない。あるのは木箱とか段ボール箱ばかりだった。
おかしいな、お守りのところに行くつもりだったのだが、ずれてしまったのだろうか。
とりあえずここから移動しようと路地の先に見える大きい通りを眺めていると、ピクテルが俺の肩を叩いて地面を指差した。
促されるままに下に視線を移動させると、妙に見覚えのあるお守り袋。
次の更新は日曜日です。
後はいつも通りにする予定です。
ピクテル・ピナコテカのスペックそのうち公開予定。