彩る世界に絵筆をのせて   作:保泉

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手札のなかより最善を

 

 

 ジョセフが来る日、俺はホテルにて留守番をしていた。

 

 音石のスタンドが一昨日の夜に仗助くんの家へと現れたようで、万が一にもジョセフについて知られるわけにはいかない。そのため承太郎が出かけるのを見送った後、俺はいつものようにホテルの部屋にて動く練習中だ。

 

 ハイハイの練習とも言う。

 

 

『進まんな』

 

『頑張ってヘーマ』

 

「うー……」

 

 

 何故俺は、二回も追加でハイハイの練習をしなくちゃあいけないのだろうな。なかなか思わしくない習得具合に、俺は焦りと苛立ちによる気苦労からへこたれそうになる。

 

 読書をしながら横目で俺の様子を確認しているディオと、俺の目標物として練習に付き合ってくれているジョナサン。二人の対応が段々優しくなってきたのも、俺の精神的ダメージを増加する理由のひとつなんだけれどな。

 

 ディオが物凄く優しく笑いながら焦るなとか言い出したんだぜ、昨日。しかも本人の悪気が全くなしで、だ。目を疑うよりも先に、手の平で目を覆ったよ……泣きそうで。

 

 

 ピクテルはふわふわと俺の周りを浮いていたが、ふと何か思いついたのか手の平をぽんと叩いた。俺に向かって指で丸を作り、いそいそとした雰囲気をかもし出している。

 

 いったい何をする気だお前、といぶかしんでいると、彼女は真っ白いキャンバスを取り出した。

 

 

『……パワーが足りないのではなかったのか?』

 

 

 驚いた表情のディオが読書の手を止めてピクテルに問いかける。この世界に来てから彼女に聞いた話によると、スケッチブックとキャンバスでは生命力を必要とする段階が違うとのことだった。

 

 スケッチブックはそれ自体を生み出すのに生命力はさほど必要ではないが、描いたものを実体化させることにはそれ相応の生命力がいるらしい。

 

 小さなもの、単純な能力のものであれば負担は少なく、大きなものや特殊な構造、能力をもったものであればあるほど負担は大きくなるそうだ。

 

 

 反対にキャンバスは対象を封印することがメインの能力のため、キャンバス自体を作るときが一番生命力を使うのだと。

 

 その反面、封印されたものの実体化はキャンパス自体に宿った生命力を使うため、本体に負担はないそうだ。

 

 キャンバスの作成に必要な生命力の量は、成人間際の俺でも準備なしに作れば、下手をすると息絶えることもありえると彼女は俺達に伝えていた。

 

 それなのに、なぜキャンバスを出せたのかと聞いてみると、以前に作ったものの残りだとのことだった。以前とはピクテルが最初に仮面を外したときのことらしい。そういえば、彼女の背にいくつかキャンバスが浮いていたなぁ……ジョナサンや爺さんのスタンドにもそれを使ったのだろう。

 

 

 

 納得し頷いていた俺だが、結局それをどうするつもりなんだと聞く前に、彼女は俺に向かってキャンバスを振り下ろしていた。

 

 

 目を見開いた俺は迫り来る白いキャンバスと、焦った表情のディオとジョナサンが俺に向かって駆け寄ろうとしているのを見た。

 

 ぬるりと身体が何かを通る感覚と、何故かとてもあたたかさを覚える暗闇に身を浮かべたと思うと、すぐにそれらから抜け出させるように後ろに引っ張られた。

 

 そして目に入るのはホテルの部屋の天井と、ひらひらと手を振るピクテルの姿。

 

 

「いきなり何を……ッ!?」

 

 

 母音にしか変換されなかった声が、思ったとおりに発声される。

 

 思わず口元を手で覆うと、小さい赤ん坊の手では唇しか隠すこともできなかったというのに、鼻も余裕で覆えてしまっている。

 

 口から手を離してみると、それは最近見慣れてきた小さなもみじの手ではなく、硬く筋張った大人の男の手。

 

 これはつまり、キャンバスに本体を封印して、外に出る姿を実体化させたのだろうか。

 

 

『……とりあえず、服を着てから考えたらどうだ』

 

 

 驚き固まっている俺を見かねたのか、ディオが俺にタオルケットを掛けてきた。そして俺は視線を下に向ける……なんで何も身に着けてないんだピクテルやい。首だけだったディオは服を着ていただろうが。

 

 両手を仮面の前で合わせているピクテルによると、封印してすぐに出したので衣装を設定する暇がなかった、とのこと。

 

 

「つまり、その気になればディオたちを真っ裸で放り出せると」

 

『止めろッ!?』

 

『間違ってもやらないでよッ!?』

 

 

 これは良いことを聞いたと笑みを浮かべる俺を見て、二人は顔を引きつらせる。

 

 

「もちろん冗談だって。そんな酷いことは流石に出来ないって俺も」

 

『お前はやらなくてもピクテルがやるだろうがッ!』

 

『ヘーマは止めてね、やろうとした素振りがあったら止めてねッ!』

 

 

 なんて信用がないんだピクテル。

 

 必死に言う二人の向こうで、己の行動を省みているのかピクテルが落ち込んでいる。仮面姿のためそのように見えるというだけだが、間違ってはいないだろう。

 

 

 少々興奮状態に陥った二人がなんとか沈静化したあと、ピクテルによる俺の現状の補足が入った。

 

 今の俺の身体はピクテルが実体化したものだが、元が赤ん坊の体のため生命力は低く、スケッチブックの能力も省エネモードでしか使用が出来ないようだ。

 

 本来、封印されたものたちはキャンバスからの補正を受けられるそうだが、本体である俺は例外らしい。補正のおかげで幽霊のジョナサンや首だけだったディオにも身体があるのだろう。

 

 生命維持については実体化した身体で飲食をすることで本体にも栄養がいくが、封印されている状態だと成長ができないらしく、赤ん坊並みの生命力が低い状態が続くことになるそうだ。

 

 

 よって封印による実体化は一時的なものとして行い、普段は赤ん坊の姿でゆっくり成長をしたほうが良い――とのことだった。

 

 

「それでも、意思疎通が楽になるのはよかった……うぅッ」

 

『こいつ本気で泣いているな……」

 

『仕方がないさ、僕も泣くよ……ヘーマの立場になったら』

 

 

 承太郎の服を着込みながらぐずる俺を、ピクテルがやさしく頭を撫でる。ありがとう、ピクテル……マジでありがとう、こんな方法思いついてくれて。

 

 俺の言葉に照れている様子のピクテルは、かぽっと仮面を外して微笑むと俺に抱きつき擦り寄ってきた。……ああ、その姿も負担としては問題ないのか。

 久方ぶりに擦り寄る彼女の頭を撫でていると、どこかつまらなさそうなディオの姿に気づく。

 

 

「なんだ、ディオもかまってほしいのか」

 

『惚れた女には手を出せないへたれが、自身のスタンドで擬似恋愛、か……虚しいことだな』

 

「久しぶりの真っ向な毒舌ッ! そしてそんなことしてないから俺ッ!」

 

 

 可哀想なものを見る視線が、意地悪だが柔らかい対応のディオに慣れ始めていた俺の心をえぐる。わかってる、俺が余計なちゃちゃを入れるから、何倍にもなって返ってくることは分かっている。

 

 まあ、反応が面白くてやっちゃう部分もあるからな、止められない。

 

 

「よーし、これでジョセフの説教が俺にも出来るな」

 

『でも、赤ん坊の生命力のままなのだから、無理はだめだよ。大丈夫僕に任せてくれ』

 

 

 任せた方がジョセフの生命が脅かされる気がするのはきっと気のせいではない。やる気満々のジョナサンを頬を引きつらせて見ているしかない俺に、ディオがそっと耳元で話す。

 

 

『馬鹿者、思い出させてどうするんだ。せっかく落ち着いたというのに』

 

「開放感からつい……どうしよう、俺にはジョナサンを止められないし」

 

 

 波紋を使っているところに触れたら、流石に今の生命力では死ぬかもしれない。ディオも俺の擬似スタンド化で太陽の下を歩けるとはいえ、波紋を流されたら封印されている本体にも影響があるだろう。

 

 

『ひとつ俺に案がある』

 

「乗った」

 

 

 自信有り気なディオの表情に、俺は迷わず頷いた。

 

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 

「……何があった」

 

 

 ホテルの部屋に帰ってきた承太郎は、成人姿の俺を見て胡乱な目を向けた。

 

 

「意思疎通の方法を見つけただけだ。完全に成人になったわけじゃあないさ……ジョセフはさっさと入って来い」

 

「う、うむ……久しぶりじゃの、ヘーマよ」

 

 

 少しビクついた様子でジョセフは承太郎の後ろから姿を現した。

 

 それは前回会ったときとは違う老人然とした姿…………ではなく、多少老け込んではいるが、未だその体躯は筋骨隆々としたものだった。

 

 ……あれ、俺の薄っすらとした記憶だと、四部ではすっかり爺さんになっていなかったか?

 

 

「驚くのも無理はねえぜ。到底七十九の身体じゃあねえからな」

 

「何を言うんじゃ。わしの母親やシーザーを見てみんか、あれらに比べたら常識的じゃろ、わしも」

 

「波紋っていうのを使わねえのに、その姿を維持しているじじいが変だと本人達は言っていたが」

 

 

 憤慨しているジョセフを見ていると、どうやら足は義足のようで杖をついているが、それ以外は健康体のようらしい。いったい何が違うのだろうと考えるが、今はそれは問題ではないと思考を後回しにする。

 

 

「ピクテル」

 

「ノォォォォッ!?」

 

「じじいッ! おい、ヘーマッ!?」

 

 

 俺の呼びかけに、ピクテルは再び被っていた仮面を外し、にっこりとジョセフに向かって微笑んだ。ピクテルの姿にジョセフが気をとられているうちにと、こっそり足元に出したキャンバスへジョセフは飲み込まる。

 

 突然消えたジョセフに驚いた承太郎が俺を睨むが、続いてピクテルによってキャンバスから放り出されたジョセフを見て固まった。

 

 

「い、いきなり何するんじゃあッ! わしの心臓を止める気かッ!」

 

「その姿に、じいさん言葉は合わないなぁ」

 

「む?」

 

 

 胸の辺りの服を掴みながら憤慨するジョセフに、鏡を見せる。其処に映るのは老人ではない。ジョナサンに、承太郎によく似た……若き頃のジョセフの姿。

 

 

『これで、心置きなく教育ができるね。ありがとうヘーマ、ディオ』

 

 

 そして、ピクテルによって姿を少年から青年へ変えたジョナサンは、にっこりと笑みを浮かべて拳を鳴らしている。

 

 冷や汗を流しながらジョナサンを見たジョセフが、ギリギリと音が出そうな鈍い動きで俺の方を向き、縋るように見た。俺はそれから目を逸らすしかない。

 

 

『さ、外に行くよジョセフ』

 

「ヘ、ヘルプだヘーマァッ! エリナおばあちゃんが怒っている時と同じヤバさを感じるッ!」

 

「頑張って絞られてこい」

 

 

 襟首を掴まれて部屋から引きづり出されるジョセフを見ていると、頭のなかでドナドナの曲が流れ出した。強く生きろよ、ジョセフ。

 

 そして部屋には、腹を抱えて蹲っているディオと、疲れた表情の承太郎、唖然とした表情で部屋から出て行ったジョナサンとジョセフを見つめる少年達の姿があった。

 

 

 


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