「あいた、ちょ、それ痛いやめて痛い」
『砂が傷に入っているからそれくらい我慢しろ』
プッチとウェスの二人を残し、少し離れた場所で俺はディオに傷を洗われていた。腕や足なら自分で手当てが可能だが、流石に顔は無理だ。鼻折れて目の横切れて青あざ満載な俺の顔を見て、ディオの機嫌は明らかに悪くなった。聞けば自分の顔がやられたようでイラつくらしい。
「ディオが手当てがうまいのって意外だ」
『馬鹿者、俺とて元々人間だ。応急処置程度なら心得ている』
『僕たちはラグビーとボクシングもしていたからね、自分である程度対処できるよ』
「ほー」
ある程度消毒やガーゼで傷を覆う。鼻については病院に行って処置してもらわないといけないな。掛かる治療費を計算していると、ピクテルが指で丸を作って見せた。……今度は何があるんだ。
そして彼女が取り出すのはキャンバス、但し表を俺に見せようとしない。最近慣れてきた嫌な予感に顔を引き攣らせていると、ピクテルはキャンバスに右手を突っ込んだ。
「あ、ようやく外に出れた……ってヘーマパパの顔がーッ!?」
「どうしたリキエ……のわーッ!?」
ピクテルに襟首を掴まれて顔を出したリキエルが、俺の顔を見るなり叫ぶ。続いて出てきたウンガロも同じように叫んでいた。はは……なんでそこに入っているのかな君たち。
「ヘーマパパの男として自慢できる数少ない取り柄が! こんな無残な……ッ!」
「ああ、あとはほぼお母さん的な取り柄だしな」
「お前たち俺をそんな風に思っていたのか……」
「仕方ないよね、ヘーマさんだしさ」
「レオーネ、後で梅干しの刑な」
「なんで俺だけ!?」
息子同然の子供たちの痛烈な言葉に、俺は心で涙を流す。ドナテロと徐倫の後に姿を見せたレオーネが項垂れる俺を見て笑っていたので、後で八つ当たりをすることに決めた。
しかし、なぜ彼らはピクテルのキャンバスの中にいたのだろう。
「ヘーマパパがどこかに行くみたいだから、ピクテルに頼んで連れてきてもらった」
「報酬は絵のモデルだって言ったらすぐOKだった」
ピクテル、お前ってやつは。
『ほらみろ、本体がスタンドに影響を及ぼす分かりやすい例だろう。本体の心身が緩めばそれはスタンドにも影響を及ぼすのだ』
『ヘーマ。ここで一度、きちんと締めないと後々大変になると思うよ』
「う……ピクテル、お前一週間スケッチ禁止とおやつ抜き」
ピクテルが酷くショックを受けた様子で、それだけは止めてと首を横に振っているのか、仮面が左右に勢いよく動いている。
気持ちはわかるが、これ以上彼女にフリーダムになられると拙い。俺も一緒に禁止するから頑張って耐えような。俺が撤回するつもりがないことを悟ったのか、ピクテルはしょんぼりと仮面を俯かせた。
ああ……絵を描くことが一週間禁止か。何かすることを決めておかないと、ジョナサンたちに授業を入れられてしまう。折角だから元の身体のサイズで読書でもしておこうと決めた。
がくりと肩を落とす俺の側に、レオーネが笑いながら腰を下ろす。暫くゆっくりしておけばいいよと肩を叩く彼に、俺は深々と息を吐いた。
「それじゃあヘーマさん、鼻の処置をするからこのガーゼとるよ」
「そういえばレオーネって医者だったか。貼ったばかりなんだけど……まあ、真っ赤」
剥がしたガーゼは俺の血を吸ってすでに赤く染まっていた。まだ血が止まっていないらしい。患部の鼻を見て、結構ずれてるねぇとレオーネはそっと俺の鼻に触れる。
「ね、ここ痛い?」
「んん、少しだけ」
「なら奥の骨は大丈夫そうだね。麻酔してちゃっちゃと治しちゃおうなー」
ここでやるのか、と俺が戦慄と共に疑問を浮かべていると、レオーネの横にハチが一匹いることに気が付いた。ただし、ハチといえどもそれは妙にメカニックで、大きさも拳二個ほどもあるのだが。
もしかして、これはレオーネのスタンドなのか。
ちょっとチクッとするけど我慢してね、とレオーネが彼の鞄の中を探りながら言うと、物凄い勢いでハチが俺の顔面に向かって飛んできた。目を剥いた俺は咄嗟にハチを避け、ハチは俺の顔があったところを通り過ぎて行った。
「もー、ヘーマさん避けないでよ」
「まて。これどう見てもチクッじゃあないだろ、ブスッといくだろ」
「針は大きいけどそんな痛くないよ。すぐに麻酔が効くから」
それは最初は痛いってことではないのか。疑いの視線を笑うレオーネに向けていると、両腕にいきなり重みを感じた。
見れば、右腕に徐倫とリキエル。左腕にドナテロとウンガロ。それぞれががっしりと俺の腕を抱きかかえるようにつかまっていた。
「よーし、そのまま押さえておけよ」
「な」
「ヘーマパパ、ちゃんと治療しないとだめよ」
徐倫の上目遣いに萌えたとき、俺の顔面に鋭いものが突き刺さった。
*
「……大丈夫かい、酷くぐったりしているけれど」
「ちょっと視覚的なショックが……」
青ざめた顔で岩に座る俺に、プッチが声をかけてきた。大丈夫……ちょっと鼻の骨折の治療方法が、目を閉じておけばよかったと後悔しただけで。
固定された鼻にそっと触れる。……もしまた鼻を骨折するようなことがあれば、仗助くんに治してもらおう。
空を見上げると、日はすでにかなり高くなっている。もう正午になるかならないかの時間だろう。そろそろ空腹も感じてきた腹部に手を当てて、俺はピクテルに荷物を出してくれるように頼んだ。
「それは?」
「昼飯の材料。折角川の側にいるんだ、アウトドアでも楽しもうと思って」
ピクテルがスケッチブックから次々と食材と調理道具を出していくのを見て、プッチは目を丸くし、こちらの様子に気づいたウンガロが近づいてきた。
「お、バーベキューでもするの?」
「残念、今回はカレーです。ウンガロ、カレー鍋用のかまどとライス炊く用のかまどを石で作っといてくれないか」
「OK、ちょっと鍋借りてくよ。リック兄ちゃんも手伝ってよ」
「……私のことかい?」
ウンガロは鍋を片手に抱えると、プッチの腕を掴んで歩いていった。……なるほど、エンリコの愛称でリックか。戸惑った様子のプッチの向こうでは、同じようにレオーネとリキエルに捕まったウェスの姿が見える。いい感じに思考が止められてる二人の様子に俺は口元を緩ませた。
『これを狙っていたのか?』
「ジョセフの家でだけどな。少しでも兄弟の見本になればと思ってさ」
俺の横に立ったディオに、準備を手伝えと包丁とジャガイモの入った袋を渡す。ディオは黙ったままそれらを受け取り、器用にジャガイモの皮を剥いていった。上手いな、おい。
『僕は何か手伝えることはあるかい?』
「ない」
『……』
わくわくした表情で尋ねてきたジョナサンだが、家事能力がそこまで高くない彼に手伝えることはない。落ち込んだジョナサンに、ディオが水を汲んで来いとポリタンクを指して言った。
暗くなった表情を明るくしたジョナサンは、ポリタンクを抱えて川へ向かっていく。
『ジョジョにも最低限の調理道具を使えるようにした方がいいな』
「まあ、そっちの方が助かるなぁ。流石に育ちざかりも含めた十人分の食事の準備はな……カレーにしておいてよかった」
皮を剥いた玉ねぎをきざみながら、妙に騒がしくなったかまど班に視線を向ける。……一部の作業員が水鉄砲持っているように見えるのは、気のせいだろうか。
かまどができないといつまで経っても食えないぞーと、きざみ終った玉ねぎをボールに移してニンジンを手に取った。
「俺は姉はいても兄弟はいないからさ、どういう風に付き合えばいいなんて全く分からない。でもウンガロ達なら、十年以上兄弟をしているから……いい手本になる上に、あいつら人見知りしないからな」
小さい時からジョセフとスージーに育てられた彼らは、二人の天真爛漫さを見事に受け継いでいる。いたずら好きなのが少々困った点だが、誰でもすぐに仲良くできるという人懐っこさがある。
プッチもウェスも、穏やかな性質で周りに人が集まりやすい。だが、誰しも惹きつけるほどの明るさは持っていない。
「巻き込まれて、一緒に何かやるだけで……救われることもあるからな」
『……ヘーマ、避けたほうがいいぞ』
「え?」
作業をする手元に目線を移した俺に、上を向いていたディオが声をかける。俺が顔を上げたとき、何か柔らかいものが頭上にぶつかり……あふれ出た水がバシャリと俺を盛大に濡らした。
……一体、何が。
頭に引っかかっているペラペラした物を掴むと、それは破れてはいるが袋状のゴム袋で口元が結ばれているもの。これは、風船だろうか。水が入っていたのなら水風船か。
「ヘーマパパーッ、こっちに……げッ」
水鉄砲を片手に持ったまま、駆け寄ってきたドナテロがびしょ濡れの俺を見て顔を引き攣らせる。ほうほう、やはりお前たちが犯人だな?
俺はピクテルに視線を送る。仮面を外して鼻から口元にかけてマスクをつけている彼女は、目を細めてスケッチブックに手を差し込んだ。そして引き出されるのは、バズーカと見間違いそうなほど大きく貯水量の多そうな……水鉄砲。
「ピクテル、水鉄砲だ」
「それちが……うぶッ!」
「なにそのゴツイ水鉄砲!?」
ピクテルの抱える水鉄砲を見て逃げ出すドナテロを、嬉々として追いかけるピクテル。逃げる先にいるリキエル達も気づいたのか、大慌てで蜘蛛の子を散らすように逃げていった。
頑張って全員仕留めてくれ、と大変楽しそうなピクテルにエールを送りつつ、笑いを耐えているディオの横で俺はニンジンの皮を剥き始めた。