彩る世界に絵筆をのせて   作:保泉

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暗雲と打ち抜かれたターゲット

 

 

 アメリカからエジプトの家に帰宅した俺は、イタリアへ向かう準備を急いだ。2001年の春頃に個展を予定しているため、あらかじめ作品を準備する為にしばらくの間、描くことに没頭しなくてはいけなかった。

 

 ギャングのボスのスタンドを狙うディオも気にはなるが、イタリアへ着いた後の方が目を光らせる必要がある。今はジョナサンにさり気なくディオの側にいるように頼んでおき、なるべく気にしないことにした。

 

 イタリアの滞在日数を切り詰め、さっと行ってさっと帰ることが理想ではあるが……現地の事情が分からないが故にどう転ぶかが不明だった。

 

 

 そんなこんなで個展用の絵も準備が完了し、一月の半ばにイタリアに入国した俺達だったが、いきなり足止めを受けることになる。

 

 

「まさか、SPW財団から妨害されるとはなぁ……」

 

 

 目的ではないカラブリアの街のベンチで、俺は肩を落としていた。隣に座るのは苦笑いしている少年姿のジョナサン。ディオは彼と交互に外に出るように決めたようで、今日は絵の中に戻っている。

 

 自家用飛行機の行先からホテルの手配、ハルノを見守るギャングへの情報の漏洩などなど――一切隠すこともなく、堂々と彼らは今回の作戦を妨害してきた。そのお蔭で地元のギャングの警戒が厳しくなったハルノの住む町には近づけなくなり、入国初日から予定が頓挫するという事態に陥っている。

 

 

 イタリアに着いたらすぐに連絡をしろとシーザーから口酸っぱく言われていたため、違う街に辿りついて落ち込んだ気分のままツェペリ邸に電話をすれば、聞いた事がないほど感情の込められていない声でレオーネが現状を教えてくれた。どこの馬鹿だ、温厚なレオーネをあれほど怒らせたのは。

 

 

『今回はディオに対する反発――ではなくて、レオーネや承太郎に対する反応だろうね』

 

「そうか……? SPW財団にとってあの二人は非常に協力的なスタンド使いだろう。関係を崩すようなマネはしないと思うけれど」

 

 

 俺の否定する言葉に、ジョナサンは首を横に振る。

 

 

『確かに彼らは協力をしているよ。だけど同時に「僕達の存在」を肯定してもいる』

 

「そう、か……俺達が原因か」

 

 

 今回の件で、レオーネ達はSPW財団に不信感を持ってしまっただろうか。創設者の願いと反するだろう現在の状況は、一部の財団の者と俺達が作り出したものだ。

 

 俺はどこかで、ディオの影響力を軽視していたのかもしれない。たった三年で命すら捧げる程の忠誠を抱かせるそのカリスマ。俺たちの前では気を緩ませているディオのもう一つの顔……けして抑えこめることはできないその性。

 

 ともに在ると決意したあの時から、俺はちゃんとディオを見ることができているだろうか。

 

 

「なあ、ジョナサン。このまま安穏と暮らすことは、正解だと思うか」

 

『どうしたんだい、いきなり』

 

「棲み分けが必要なんじゃあないか。ジョセフ達が明るいところにいるのなら、光があたらないところで俺は――」

 

『ヘーマ、それは違う』

 

 

 次第に顔を俯かせた俺の肩を、ジョナサンが叩く。綺麗な緑の目と視線がぶつかった。

 

 

『君がいるべきところは、今のままで良いんだよ。光も、暗闇も――両方に手を伸ばせる、今のヘーマのままで良いんだ』

 

 

 ジョナサンは真剣な顔で俺を見つめていたが、それにね、と彼はにっこり笑った。

 

 

『両方を、どちらも選ぶのはヘーマの得意なことだろう? SPW財団もジョセフ達も、ディオも……良いところだけとって振り回して、いつものように笑ってしまえばいいさ』

 

 

 そのために頑張るほうが、ヘーマには似合っているよ。

 

 

「――両方か。確かに俺はそっちが好きだな」

 

 

 自分でも似合わない考えになっていたな、と笑えてくる。俺はベンチから立ち上がり、ひとつ伸びをした。どうせ予定が空いた身だ、ぐちぐちと考えるよりもこの素晴らしい景色をスケッチしたほうがずっと良い。

 

 鼻で歌いながら鞄からスケッチブックを取り出し、すらすらと絵を描き始めた俺を、ジョナサンが微笑んで見つめていた。

 

 

 

 

 

 転々と場所を変えながら、俺はスケッチブックを絵で埋めていく。時間がかかるからジョナサンに絵に戻っていたらどうかと提案してみたが、即却下された。一人でスケッチをしていて監禁されたことを出されては、反論もできない。しかもここは異国のイタリア、おとなしく忠告を受け入れた方が良い。

 

 

「いっそモデルになってくれ。ほら、そこの石積みの壁のところで」

 

『別に良いけれど……先に休憩しようね』

 

 

 ジョナサンは俺の手からスケッチブックとペンを奪い取ると、さっさと鞄の中にしまい込んでいた。俺は名残惜しげに鞄を見ていたが、しばらくたって彼が譲らないと理解するとようやくあきらめた。

 

 リュックから未開封のペットボトルの水を取り出し、キャップを開けて口をつけようとしたとき、後ろから勢いよく押された。思わずつんのめった俺だが、リュックを引く力に気づき右手で思いっきりそれを引っ張った。

 

 どたっという倒れる音と呻く声に振り返れば、一人の男が俺の側で転がっていた。状況から考えると、どうやらひったくりらしい。

 

 呻いていた男は起き上がると、俺と目が合うなり顔を引き攣らせて逃げ出していく。……目が合っただけで逃げられたのは初めてだ。

 

 

「……ジョナサン、俺の顔って怖いかな」

 

『それよりも彼女に謝罪する方が先だ』

 

「え?」

 

 

 ひったくり未遂犯の男が逃げていく姿をショックを受けつつ見送っていると、ジョナサンの低い声に怒りを感じとって俺は慌てて振り返る。

 

 

 まず目に入ったのは鮮やかな赤い髪。青色の大きな瞳。きょとんとした表情は幼く、だが女性らしい丸みをおびた身体つき。

 

 そして全体的に水に濡れた彼女と、その足元に転がる空のペットボトル。

 

 最後に――ペットボトルを持っていたはずの、俺の自由な右手。

 

 

「――――すいませんでしたッ!」

 

 

 俺は勢いよく頭を下げた。

 

 鞄から大きめのタオルを取り出し、被害を受けた彼女に差し出す。俺の頭を下げる勢いに驚いていた彼女だったが、タオルを受け取り髪や服に着いた水分をぬぐい始めた。

 

 こんな冬の時期に女性に水をひっかけるとは。いや、夏だから良いということはないが、風邪をひく可能性は低くなるだろう。

 

 項垂れて沙汰を待つ俺を、彼女は身体をタオルで拭きながら見ていたが、やがて口を開いた。

 

 

「別に、わざとじゃないってわかっているし……怒っていないわよ」

 

 

 彼女の声に、俺は顔を上げた。

 

 

「あたしも、丁度頭を冷やしたいって思ってて……まさか水が降ってくるとは思わなかったけど」

 

 

 思わず笑ってしまったのだろう、口元を緩めた彼女を、俺はただただ凝視していた。

 

 声が聞こえる。ひどく懐かしくて、大切な人の声が。

 

 見た目は全く似ていない、赤い髪の彼女から――美喜ちゃんの声が聞こえる。

 

 

「だからそんなに謝らなくても…………な、なに泣いてるのよ!?」

 

「――え?」

 

 

 驚く彼女の様子で、俺は自分が涙を流していることを知った。

 

 この涙は、俺の後悔なのか。大切な人を手放した、手放したくなかった俺の恋心なのか。なんとも女々しく、未練がましいなと自分に呆れる。

 

 心を鎮めようと息を吸ったとき、俺の目元に柔らかい布があてられた。

 

 

「いきなり泣くなんて、見た目は彫像みたいなのに随分子供っぽいのね」

 

 

 赤い髪の彼女は、俺の目元をハンカチで拭っていく。息をつめた俺を気にも留めず、少し微笑みながら。

 

 

「あなた、旅行者? 仕事は休み? それともまだ学生なのかしら」

 

「い、や……仕事は画家だから、その休みというかこれも仕事というか……」

 

「ふうん、画家なの。モデルの方が納得するのに」

 

 

 しどろもどろに答える俺を、彼女は小さな子供を見ているような、とても優しい顔で笑っている。俺より年下であろう彼女に、そんな目で見られていることがとても恥ずかしい。

 それでも奥からあふれる、この喜びは――――。

 

 

「お、お詫びになるかわからないけれど……君の、絵を描いて贈らせてもらえないだろうか」

 

「あたしを、モデルに?」

 

 

 離れていく彼女の手を掴んで、俺は引き止めるために言い募る。行き成り手を掴まれて警戒した表情で俺を見る彼女に、再び涙が出そうになるが耐える。

 

 

「……とりあえず、手を放してくれないかしら」

 

「あ、はい」

 

 

 あっさりと解放された手に目を丸くする彼女だが、驚いているのは俺も同じである。声が似ているとはいえ命令形の口調に反応するなんて、俺はどれだけ美喜ちゃんに躾けられているのだろうか……

 

 

「今日は予定があるから無理よ」

 

「明日以降でもいいから! 俺、丁度友人からの連絡待ちで、数日……いや下手すれば数週間ヒマだから」

 

「だからあたしをナンパしているの?」

 

「なっ…………そっ…………ッ!」

 

「――――あなた、よく今まで無事だったわね」

 

『彼の幼馴染が鉄壁で守っていたみたいだよ』

 

 

 顔に熱が集まり、言葉が紡げない俺を、彼女とジョナサンが温かい目で見ている。いっそ顔を覆ってしゃがみ込んでしまいたい。

 

 羞恥に震える俺を横目に、彼女は腕時計を見て時間を確認している。

 

 

「今は午後の二時……明日この時間でいいかしら」

 

「あ、ああ! もちろん」

 

「じゃあまた明日ね」

 

「ま、まって! ……俺はヘーマ、君のことはなんて呼べばいいッ!」

 

 

 去っていく彼女の後姿に向かって声を張る。振り返った彼女は、小さく笑った。

 

 

「トリッシュよ。またね、泣き虫でシャイなお兄さん」

 

 

 

 

 

 

 

『――お前は、本当にわかりやすい男だな』

 

『今回はヘーマも頑張ったね。ちゃんと約束を取り付けられたじゃあないか』

 

 

 彼女――トリッシュの笑顔に見惚れていた俺は、ディオが絵から出てきていたことも、ニヤニヤ笑いながらジョナサンと話していたことも気が付いていなかった。

 

 

 

 


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