彩る世界に絵筆をのせて   作:保泉

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舞台の幕は上がる

 

 

 まだ色が黄色い朝の光の中、食材が入った紙袋を抱えて俺は道を進む。

 

 とあるアパートのドアの前で立ち止まってベルを押せば、しばらくした後にドアが開き、ひょっこりと家主が顔を出した。

 

 

「Buon giorno. ヘーマさん」

 

「やあ、トリッシュ」

 

 

 柔らかい笑みを浮かべる彼女に、俺の頬は緩まる。

 

 

 季節はもう冬の寒さも薄れてきた春となり、俺はドナテラさんが入院していた病院のあるカラブリアからイスキアへと場所を移っていた。

 

 

 ドナテラさんが亡くなってから、もう二ヶ月が経とうしている。その間、俺はシーザーに電話で相談しながら、トリッシュに関わる手続きを彼女に代わって行っていた。血の繋がりのない俺が代行できるのも、ドナテラさんが遺言でトリッシュの後見人に俺を指名していたためだ。

 

 SPW財団内部での混乱のため、多忙なレオーネの代わりにシーザーが嬉々として手を貸してくれている。主に書類関係については非常に助かっている……書き方とか。

 

 俺の傍には法律に詳しいディオもいるのだが、主にイギリス・エジプトの法律がメインのため、イタリアは其処まで勉強をしているわけではないそうだ。ただ興味はあるのか法律関連の本を読んでいるようだが、今回には間に合わないようだった。

 

 

 それ以外に俺が何をしていたかといえば、トリッシュに食事をさせることがメインだ。亡くなった直後はあまり食事を取ろうとしなかったため、見かねて食材を買ってきて彼女のアパートで料理を振舞えば、どうにか食べてくれるようになった。

 

 いまではトリッシュ自身で作ったものを食べているが、三日に一度の頻度で俺は料理を作りに彼女のアパートに通っている。

 

 通い妻みたいだね、とジョナサンに言われた。おま、何時の間にそういう言葉を学んできたんだ。

 

 

「朝食を作っておくから、早く準備を進めておいで」

 

「はぁい。でももう自分で作れるわよ」

 

「髪、後ろ寝癖がついているぞ」

 

 

 慌ててバスルームに駆け込むトリッシュの姿を笑いながら、俺はキッチンに食材を置きにいった。

 

 

 

 トリッシュは今年の六月から高校に進学する。彼女は金銭的な心配をして進学するつもりはなかったようだが、ドナテラさんが準備した教育資金用の口座が見つかり、俺の勧めもあわせて進学を決めたようだ。

 

 高校は寮生活になるため、その間のアパートの部屋の管理を大家に頼むことにした。トリッシュが赤ん坊のころから世話になっているという大家の女性は、快く引き受けてくれた。

 

 

 四月になったら俺はトリッシュの元を離れる。ハルノのこともあるうえに、滞在日数が四月半ばまでという制限もある。

 

 

 それ以上に、俺が辛いのだ。

 簡単に言えば……俺の理性がいつまで持つのかがわからない。

 

 トリッシュが俺に保護者として信頼を向けてくれるのはいいのだが、彼女は時に非常に無防備な姿を俺に見せる。元々、あまり服を着込むのが好きではないようで、薄着で――水着にしか見えない――平然と俺の前を通ったりする。風邪をひくと理由付けて服を着せるのだが、これから温かくなってくると理由としては不自然だ。

 

 ホテル暮らしだとお金がかかるからと、トリッシュのアパートに住むことを提案されたときは、そんなに俺は対象外かと落胆したものだが、これでいいんだと自身に言い聞かせている。

 

 最近、俺を見る目が温いものになってきたディオから、「そういう」店に行くことを勧められたが……余計タガが外れそうで行くに行けない。

 

 卵を片手で割ってフライパンに落としつつ、俺はため息をついた。

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

『頑張るなあ……』

 

「しみじみ言うな、泣きたくなるだろう」

 

 

 通話先のレオーネが哀憫を込めた声で労り、俺は目頭を押さえる。正直、よく理性がもっていると自分でも思う。前世の性別が抑止力に大いに貢献してくれている御蔭だろう。

 

 

「俺のことはおいといて。そっちはどういう状態だ?」

 

『とりあえず、財団内で煽っていた奴らの一部は拘束したよ。知らずに協力していた者たちは、テレンスに真偽を確かめてもらって、順次処罰を決めていく予定』

 

「テレンスは嘘発見器か」

 

『彼から協力を申し出てくれたからね。御蔭で物凄く助かっているよ』

 

 

 ともかく人数が多くてさ、と疲れたような声を出すレオーネに思わず口元が引き攣る。そんなに協力者が多いのか。

 

 

『全員拘束できなかったのが痛いね。まーだ何か企んでいるってことだからさ……ヘーマさん十分に気を付けてよ?』

 

「了解。四月までは大人しくしているよ」

 

 

 公衆電話の受話器を置いて通話を切る。出していた余った小銭をポケットにしまっていると、パラパラと雨が降り始めた。

 

 そういえば、春先に康一くんがイタリアに旅行に来るのだったか。商店街のくじ引きでイタリア旅行が当たるとは、随分と店側も奮発したものだ。

 どこの町を巡る予定かくらい聞いておけばよかったかと考えながら、雨脚の強くなってきた道をホテルへと急いだ。

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 三日後、慣れた足取りでトリッシュのアパートに向かっていると、アパートの入り口から人影が出てくるのが見えた。体格の良いスーツの男が三人と、小柄で三人に守られるような位置にいる老人。

 

 

 そして、遠くからでも解る。あの鮮やかな赤い髪の持ち主は――。

 

 

「――トリッシュ?」

 

 

 まだ人もいない朝の町に、俺の声はよく響いた。

 

 呼ばれたことに気づいたトリッシュは俺の姿に気づくと一瞬安堵の表情を浮かべ、すぐに顔を強張らせた。その様子に只ならぬ事態を察した俺は、足早に彼らに近づこうとする。

 

 

「――ッ!」

 

 

 不意に響いた破裂音に、咄嗟に俺は右へと跳ぶ。左肩に熱さと痛みを感じ、避けきれなかったことと明らかに胸の真ん中を狙われていたことに眉を顰めた。

 

 

「行き成り心臓狙いの発砲――――ね。随分と失礼な奴だな」

 

「今の音は……君、大丈夫かね」

 

「やめてくれよ下手な芝居は…………後見人の俺に黙って、彼女を何処に連れて行くつもりだ」

 

 

 銃声は後ろから聞こえてきた。目の前の四人以外にも隠れて窺う者たちがいるのだろう。躊躇なく致命傷を与える部位を狙う辺り、どう考えても堅気ではない。

 

 小柄な老人はうろたえることもなく、小さく息を吐いた。

 

 

「……まさか避けられるとは思わんかったよ。素直に当たっていれば苦しむこともなかっただろうに」

 

「生憎だが素直になる相手は決めているんでね」

 

 

 予想通り元々俺を生かしておくつもりはなかったようだ。口封じにしては方法が荒く、恐らくトリッシュに対する脅しも兼ねているのだろう。白い顔色で不安を隠せない彼女を見る限り、間違ってはいない。

 

 

「で? 理由は教えてもらえないのかい。何が理由でもお引き取り願うつもりだが」

 

「一人で勝てると思っているのかね」

 

「どうして俺の味方がいないと思えるんだ?」

 

 

 俺は意識して余裕のある笑みを作る。護衛の男達がじり、と前に出るのを見つめながら。

 

 ふわり、とピクテルが俺の横に現れた。遠くからこちらを狙っていた者たちの排除が済んだようだ。ディオ達が気絶させたのか、え……違う?

 

 ……伏せた体勢で横になっていたから股間を蹴り上げた、だと。悶えている間にライフルなどの銃火器や通信機は回収してきたって……ピクテルや、その攻撃方法は味方には絶対にやらないようにな?

 

 動揺を押さえ込みながら男達の様子を観察する。突然現れたピクテルの姿に、何も反応していない。スタンド使いはいないようだと少し安堵したとき、トリッシュが目を丸くしていることに気がついた。

 

 

 ――まさか、見えているのか。

 

 

「キャアッ!? なにす……ッ!」

 

「先に連れて行け」

 

「おいおい、まだ話は終わってないぞ……行かせるかよ」

 

 

 スーツの男の一人がトリッシュを抱え上げ、口を塞いで後方へと移動を始めた。男の前に回りこんだピクテルが、ジョナサンのキャンバスを取り出す。

 

 

「なッ!?」

 

『……ふう、間に合ってよかった。怪我はないかい?』

 

「え、ええ……」

 

 

 キャンバスから出たジョナサンの手刀によって、トリッシュを抱えていた男の意識が沈む。体勢を崩した彼女をジョナサンが支え、微笑む彼にトリッシュは戸惑った目を向けた。

 

 まあ、今のジョナサンは成人姿。少年姿しか知らない彼女にとっては困惑するしかないだろうけれど。

 

 

「これは……まさかスタンド使いッ!」

 

 

 倒れた男とジョナサンを見た小柄な老人が、信じられないという表情で俺を見ている。

 

 

『スタンドについて知っている、か』

 

 

 ジョナサンの横にピクテルがディオを出し、出てきた彼は楽しそうに老人を見た後、俺を流し見た。

 

 

『ヘーマ、どうやら当たりを引いたようではないか』

 

「そーですねー。……まさか本当に引き当てるたぁ、思わなかったよ」

 

 

 俺の周りにはスタンド使いの知り合いが多いためつい忘れがちではあるが――本来、スタンド能力を持つ人間は非常に少ない。

 現在は『弓と矢』という人為的にスタンド使いを生み出す方法こそあるが、十数年前まではその能力を持つのは生来の人間のみだった。

 

 マイノリティ(社会的少数者)であるスタンド使い。その常人には認識できない力故に、迫害される可能性を持つ者達。自分の命を守るため、彼らはけして自らの能力を他人に教えることはしない。

 

 だからこそ、スタンド使いは非スタンド使いが多数を占める集団に属することはない。

 

 もし、非スタンド使いの集団の一員が、スタンド使いの存在を知っているとすれば、それはその集団に多数のスタンド使いがいるということだ。

 

 だがスタンド使いがお互いに引き合いやすいとはいえ、人数を集めることは難しいというレベルではない。

 

 ただし。

 

 

「弓と矢を使って――人為的にスタンド使いを生み出したのならば話は別だ。おい爺さん……アンタの所属しているのはパッショーネっていうギャングだな?」

 

 

 小柄な老人はただ俺を見返すだけだった。だが、護衛の二人までは動揺を隠せなかったらしい。分かりやすく息を飲む二人をちらりと見て、老人は鼻を鳴らした。

 

 

「それで、私達がそのギャングであればどうするというのかね」

 

「どうもしないさ、俺はな」

 

 

 怪訝な顔を老人が浮かべるよりも前に、ディオが三人の意識を刈り取った。どさりと倒れこむ様子に、一抹の不安が俺の頭を過ぎる。……生きているよな?

 

 

『案ずるな、手加減くらいは俺もできる』

 

「いやまあ……それはそうだけどさ」

 

 

 意識のない四人をアパートの敷地内に移動させる。それぞれ手足を縛った後に、立ちすくんでいたトリッシュを呼んだ。

 

 

「トリッシュ。まずは荷造りをしておいで」

 

「ヘーマさん、あたし……これからどうなるの」

 

 

 気丈な彼女が不安そうな表情を隠しもしない。日常が突然崩れて非日常が顔を出したのだ、トリッシュが弱気になるのも当然だ。

 彼女を慰めたい――だが、今は時間がない。

 

 

「トリッシュ、今は俺の言うことを聞いてくれ。恐らくこの家には君を探しに誰かがやってくる。だから今は移動しなくてはいけない……わかるね?」

 

 

 彼女は無言で頷く。

 

 

「探しにきた誰かは部屋の物を荒らすだろう。だから、持っていく衣服と大切なもの――写真でもいい、選んでピクテルに渡してくれ」

 

「ピクテル?」

 

「この子のことだ」

 

 

 現れたピクテルがトリッシュの肩を抱く。驚いた彼女に向かって、ピクテルはくすくすと笑っている。あまり、からかうんじゃないぞ。

 

 

 ピクテルに促されてアパートに戻ったトリッシュの姿が見えなくなったことを確認して、俺は深々とため息をついた。

 

 

『あの娘は、パッショーネの重要人物に縁があるようだな』

 

「わかってるよ。多分ボスだろ……爺さんも殺されてもかまわないっていう感じだったし」

 

 

 スタンド使いに驚いた以外、終始落ち着いていた小柄な老人。彼がギャングの幹部クラスとすれば、その度胸にも納得ができる。

 

 その彼が自ら動いたトリッシュの拉致という行動。

 

 幹部を動かせるのは、その上の人物だけだろう。

 

 

『結局、ディオの望むような方向になってしまったね』

 

『ふふん、実に楽しいではないか』

 

「俺はどうしてこう、厄介そうなスタンド使いに関わるんだろうか」

 

『何を言っている。厄介じゃあないスタンド使いなどいるものか』

 

 

 ディオの言葉にうなだれた俺の肩を、ジョナサンが慰めるように手を置く。いやまあ、ちょっとした愚痴だから本気ではないのだが。

 

 厄介ごとに関わったからこそ、トリッシュを守ることができる。そう考えて俺は気合を入れるために自分の頬を叩いた。

 

 

 


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