「あら、ヘーマさん起きたの」
目を覚ました俺の視界いっぱいに、微笑む美少女が映りこんでいる。
一体何事かと数秒思考が停止したが、よく見れば黒髪ロングのカツラを被ったトリッシュだった。そして何故か彼女に抱えられている俺……側頭部にあたる柔らかさから全力で意識を逸らしつつ、無言で自身の手を見れば無情にも見覚えのある小ささ……なして俺は元の大きさに戻っているのか。
トリッシュは俺を抱きかかえ、一人きりで歩いているみたいだ。ディオ達は、襲撃してきた彼等はいったいどうしたのだろう。
「目が覚めたならよ~、ちっと現状を伝えたいんだが、いいか?」
近くで聞こえた男の声に目線を動かすと、手乗りサイズの成人男性を見つけた。
目を凝らしたり擦ったりしても、その姿は消えることはない。なるほど、幻覚ではないようだ。
「妖精……いたんだなぁ」
「……。思ったよりファンタジーアな思考してんな、アンタ」
憐憫をたっぷり含んだ視線に、ほっとけと口を引き結ぶ。吸血鬼が存在するのだから妖精がいたって良いだろうに。むしろスタンド使いこそがファンタジーアだ。
むくれる俺に苦笑して、小さな男はホルマジオと名乗った。スタンド能力は見たとおり小さくする事らしい。相手を無力化するという点は、アレッシー同様の能力だ。
そんなホルマジオと俺とトリッシュの三人で行動している理由は、目立たないためとのこと。
「いやいや、待て。なんでホルマジオが一緒に行動しているんだよ、襲ってきた側だろ」
「あー、最優先事項の摺り合わせの結果だ。まずはボスを倒してからだな」
「ボスを倒したら何が起こるんだ……」
曖昧に笑う彼を見ていると、どうしてだろう……悪戯好きなウチの子達が浮かび上がるんだ。
俺の意識がない間に、何かしらの取引があったのだろう。今の所敵ではないのならば、とりあえず気にしないでおく。問題の先送りだが。
姿が見えない残りの三人は、彼等のリーダーと連絡をとり、合流場所の手配を行っているらしい。ゾロゾロと野郎がついている女は目立つだろ、と笑うホルマジオに俺は重々しく頷いた。好意的に見ても訳ありの集団です。
最後に俺が元の姿になっている理由だが――。
「どう考えても目立つだろ、アンタの容姿」
「否定したくてもできない……ッ!」
トラブルを呼びやすい、ディオに似た俺の容姿。実害は二回だが、潜在的なものは数知れず。パッショーネ側にも顔が割れているとなると、変装するしかない。
「その姿と女装の二択だったけどよー、余計な虫が寄ってくるだろうから、ガキの姿を推しといたぜ?」
「ほんっとーにありがとうッ!」
おそらく女装を推しただろう、家の子達には後でじっくり話を聞くとして、止めてくれたホルマジオに感謝の念を贈る。
まあ、本体の姿に戻ることは、俺にとって都合が良い。連日成人姿になっていた為、疲労が蓄積されている。ディオはともかく、ジョナサンの身体が負傷していることもあり、できるだけ体力は残しておきたい。
「トリッシュ、重くないか」
「二歳の子供の重さくらい平気よ」
「それでも結構な重さはあるだろう。自分で歩くから下ろしてくれ」
彼女はしぶしぶ俺を下ろす。地面に足を着けた俺は、一歩前に踏み出した。
ピコ、と音が耳に届く。
驚きのあまり、そのままの体勢で固まると、それ以上謎の音は聞こえてこない。俺はじっと自身の小さな足を見下ろす。
一歩、足を踏み出す。ぴこ、と音が鳴った。
しばらく足を動かさないでいると、音もまた聞こえてこなかった。
今度は三歩進んでみれば、ぴこぴこぴこと、連続される気が抜ける音。
最後に、走り出した俺の足音とユニゾンして鳴り響く涙を堪えられない事実に、俺は膝から崩れ落ちて両手を地面についた。
「……あのよ~、歩幅も小せぇし、やたら音も鳴るからよ――諦めたほうがいいんじゃあねーか」
俺の肩にしがみついていたホルマジオに、涙目で頷いた。
ピクテル、後で覚えておけ。
*
表通りから一本隣の道を、楽しそうなトリッシュと、落ち込む俺と呆れるホルマジオが進む。歩いているのトリッシュだけだがな!
「もう、ヘーマさん……落ち込んだ小さい子って目立つわよ」
「嬢ちゃんよ~、トドメ刺すのはそれくらいにしといてくれや。――来たようだぜ」
少し堅い声を出したホルマジオに、俺はさり気なく視線を周りに巡らす。しかし、誰かの姿は見えない。気づかれるからキョロキョロするなとたしなめられた。
まさか彼も気配を感じ取れるビックリ人間かと尋ねれば、見られてるってわかるだけだと返された。それでもすごいと思うけれど。
共に行動するにあたって、ホルマジオは組織が追っ手として選びそうな人物達を教えてくれた。スタンド使いを増やすことが可能な「矢」を所持しているパッショーネといえど、戦いに向いた能力ばかりではない。本人の素質によっては戦闘も可能となっている者もいるが、それでは本職には負けてしまう。
そんな数少ないスタンド使いを一手に率いているのが「ポルポ」という幹部であり、先日自殺した男だという。
自殺の理由こそ不明だが、幹部である彼の葬式に姿を現さないチームがひとつあった。それは「ブチャラティ」という青年が率いるチームだった。
ポルポの直属の部下である彼らが、葬式に出てこないということは本来ではありえない。構成メンバーは五人、そして全員がスタンド使いだろうとホルマジオは言っていた。
成人姿になろうか、と俺が呟けばホルマジオは首を横に振る。まだ確定されたというわけじゃあねーしな、と彼は笑う。
「ブチャラティは縄張り内の評判が滅茶苦茶良い。とくに女子供に対してはな。チームのメンバーもそれに影響されている奴らばかり。今の姿の方が油断も誘えるってもんだ」
それで様子をうかがっているのか、となかなか襲ってこないことに納得する。成人姿ならとっくに攻撃を受けているのだろう。流石イタリアーノ……俺が知っているイタリア人、シーザーとレオーネだけだから、印象が偏っている気もする。
「――走れッ!」
友人を思い浮かべていた緩んだ思考に、鋭い声が渇を入れる。そんな俺とは違い、弾かれるように駆け出したトリッシュ。彼女の肩越しに先ほどまでいた場所を見れば、地面にジッパーで囲まれるように穴が空き、そこから黒髪の男がこちらを見たまま這い出ていた。
男と目が合う。失敗による焦りや動揺が一切現れていないその目に、まだ彼らのターンが終了していないことを悟った。
「ピクテル、俺を戻せ!」
男の足に少女であるトリッシュが、まして俺を抱えたままの彼女が勝てるわけがない。ピクテルは頷き、俺の襟を掴んでキャンバスへと放り込んだ。即座に外に出され、トリッシュの横を走り出した俺は、自身の違和感に気づく。
――いつもより視線が低い。
トリッシュと変わらない身長に、デニムの七分丈のパンツにカーキ色のミリタリーシャツ……但し、デザインは細身のもの。最後にちらちらと視界に入る、明らかに元より長い黒髪。
……おい、なんで俺女装させられてんだ。
どういうつもりかと足を動かしたまま実行犯を睨むと、女子供には優しいみたいだから、と返答された。彼女なりに心配した結果らしい。
「似合っているわよ?」
「やめてくれ」
怒るに怒れず、深く息を吐く俺に、トリッシュが笑う。情けない顔で笑うしかない俺は、息が上がってきた彼女の手を引いて走る速度を上げた。
「おい、ヘーマ。後ろの奴をどうにかしねーと、いたちごっこだぞ」
後方を見上げると、ラジコンサイズの青いプロペラ機が一定速度でついてきている。遠隔操作型だろう、これは面倒なことになった。
撒き方を思案している俺の腕を、トリッシュが強く引いた。たたらを踏んだ俺の前を、三発の銃弾が通り過ぎ、建物の壁と地面に穴を穿った。うわ、あぶな。
足を止め、壁に埋まった弾痕の角度から発砲元を辿ると、どうやっても壁にあたる。
これも能力か、と苦い顔をする俺の後ろで、興味を引かれたのかトリッシュが地面に減り込んだ弾丸を見下ろしている。
あまり近づかないようにと彼女に告げて壁から離れたとき、かすかなひび割れる音を壁と地面から聴いた。
咄嗟に、右手を突き出す。
俺の手は、先にいたトリッシュを突き飛ばした後、地面から伸びた何本もの蔓に何重にも巻きつかれ、拘束された。腕だけではない、首も、胴体も足も、蔓を外そうとした左腕も、時間が経過するにつれ俺の身体は蔓に覆われていない場所の方が少なくなっていく。
「ヘーマさんッ!」
「くるんじゃあないッ!」
俺を助けようとしたトリッシュを制する。動きを止めた彼女に、安堵の息を吐く。この蔓が追っ手のスタンド能力であることは疑いようもないが、いまだ巻きついてくるところを考えれば、近づけばトリッシュも捕まるだろう。
「逃げろ、トリッシュ」
俺は何とかなるから大丈夫だと笑みを見せれば、トリッシュは信じられないことを聞いたとばかりに目を見張った。
「ホルマジオ、トリッシュを頼んだ」
「いいのかよ、俺らに預けてよ」
「すぐに迎えにいくからな。今は置いていけ」
俺の身体を拘束しているのは、硬いと云えどただの植物だ。力任せに引っ張れば、抜け出せないこともない。ただ、それによって建物の壁に致命的なダメージを与えることになれば、この場に俺以外の人間がいることは危険だ。
巻きついてくる蔦の動きがゆっくりしたものとなる。もう少し待てばいいかと、蔦の様子を窺っていれば、俺の前方に立ちすくんでいるトリッシュが、何か呟いたのを聞いた。
「――トリッシュ?」
「……置いてくなんて、出来るわけないでしょうこの馬鹿ッ!」
叫びながら、俺の身体に巻きついた蔦に掴みかかり、引きちぎろうとする彼女。その瞳は憤怒で爛々と輝いていて、俺は思わず息を飲んだ。
「お前の力じゃあ無理だ」
「うるさいッ! ヘーマさんはあたしと一緒に逃げるのよ、ただでさえうっかり者のオッチョコチョイなあなたが逃げ切れると思っているのッ!?」
「え……そんなに俺信用無いのッ!?」
蔦は生長は終了したのか、トリッシュに巻きつくことこそしないが、俺をがっちりと拘束して離さない。蔦を掴んでいるトリッシュの指から、血が流れていることに気づいて、俺はやめさせようと口を開いた。
だが。
「嫌なのよ、もう失うのは……家族が居なくなるのは嫌ッ! 絶対に、一緒に連れて行くわよッ!」
浮かんだ涙に、俺の喉は言葉を発することを忘れてしまった。
「この……ッ、少しは柔らかくなりなさいよ!」
「いや無茶な……あ?」
「え?」
植物独特の頑丈さに苛立ったトリッシュが悪態をついたあと、今までビクともしなかった蔦がぐんにゃりと呆気なく緩んだ。
いや、正確に言えば伸びた。引き伸ばされた蔦は、先ほどとは違いあっさりと俺の腕から外れた。
ふと、目を丸くしているトリッシュの背に、俺は人影が佇んでいることに気がついた。
背後に気づいたトリッシュと、なにやら言葉を交わしている人影を表すとすれば、女性だろう。人間とはいえない、だが四肢を持ち目と口が確認できる人影は、女性に近いシルエットをしていた。
まさか。いまここで、彼女がスタンドに目覚めるなんてことが。
「――そう、つまり……殴ればいいのねッ」
『ソウデスッ!』
スタンドは俺に――正確には巻きついた蔓に向かって拳をふるう。全体的に柔らかくなった蔓は、まるですり抜けるように俺の身体を地面に落とした。
目を丸くしてしゃがみこんだ俺の前に立ち、トリッシュは手を差し伸べる。
「次……置いていけなんて言ったら、ブッ飛ばすわよ」
「はは……了解」
逞しいことだ、と気の抜けた笑みを浮かべながら、俺はトリッシュの手をとった。