顔を擦られる湿った感触に目を開ければ、くりくりとしたつぶらな目が視界に映る。俺が起きたことに気づいたのか、それは少し後ろに離れ、もふもふの薄茶の毛並みと三角の耳が確認できた……どうやら子猫に舐められていたらしい。
みぃ、と鳴く子猫達はサリサリと俺の頬や鼻を舐めたり、小さなあんよで俺の頬をつついたり、スリスリと首にすり寄ったり……なんだ、ここは楽園か?
顔の前で人差し指を円を描くように動かしてみれば、はっしと華奢な前足で掴まってくる。俺がにゃーと鳴き真似をすると、子猫達は返事をするかのようにみゃあと鳴いた。
ああ、可愛い。
しばらく子猫達と戯れていると、寝ぼけてぼんやりとした頭がようやく動きはじめる。……はて、なにやら眠る前になにか重要なことがあったような。
子猫を抱えたままゴロリと寝返りをうてば、こちらをじっと見つめる黒髪の青年と目が合った。
ビシリと固まる俺。
よく見れば青年の他に、知らない顔ぶれが四人、ハルノとトリッシュ、そして少年サイズのジョナサンとディオ。その場にいる全員が俺に視線を向けていた。
一気に、眠る前の記憶が戻る。そうだよ、俺撃たれて気絶したんだよ。痛みがないってことは治療してくれたのか、マジ有り難いけども、意識がなければ当然連れて行かれますよね、ヤバい此処どこだ。そしてこの子猫達はどこから……ああ、ピクテルが出したのか。
まて、それより、もしかしなくとも、今の一連の俺の様子を。
「…………、……、…………み、てた?」
「……猫好きなんだな」
言葉がなかなか出てこなかった俺を哀れんだのか、少し躊躇しつつ湾曲的に青年は返答した。
手のひらで顔を覆う。見られてた、子猫にメロっているところを初対面の人に見られてた。うう、あながあったらはいりたい。
「ピクテル俺を絵に戻して」
『させるか馬鹿者』
いたたまれなくて逃避を選択した俺の肩は、ディオの声が耳に届くと同時にガッシリと掴まれた。
無駄に行動が素早いな、と投げやりに感心していると、対面のソファーに腰掛ける彼等が、驚愕に彩られていることに気がついた。
何を驚いているのかと振り返れば、俺を見つめるディオと――その後ろに佇む黄金色。
その二つの目が、俺を捉えていた。
それは、久しく見なかった姿。数多のスタンドのなかで、おおよそ太刀打ちできないその反則的な能力。
『時を止める』スタンド、ザ・ワールドが其処にいた。
何故、と動いた口を読み取ったのか、ディオは口角を吊り上げた。
『お前が死にかけているからだ』
告げるディオの目が笑っておらず、怒りを湛えているのが見える。
『ヘーマの生命力が弱り、封印が外れかけているんだ。だからディオはスタンドを使えるようになったし、僕は世界に干渉出来なくなった』
声の方向に視線を寄越せば、ジョナサンの身体が透けて、背後の景色がうっすらと見えている。まるで、ディオの屋敷で再会したときの彼のように。
「どうして……俺は、怪我も治って」
『治ってなどいない。表面を塞いだたけだ。スタンドをいくら治療しても、ヘーマの本体には意味がない』
あくまでもお前の身体は、三発の銃弾に耐えられない――二歳児のものだ。
彼の声を耳で聞きながら、俺は胸に手を置いた。眠る前にあった傷はなく、痛みも残っていない。だが、キャンバスの中の身体は、傷ついたままだという。
以前、吉良に与えられた傷は今よりももっと重傷だった。いや、今回は心臓を撃ち抜かれているため、そう変わらないかもしれないが。
ただ、あの時は右手を奪われ能力が使えず、ピクテルも仮面の姿しか見せていなかった。怒りに支配されていた感情は、スタンドの身体の良いエネルギーになっていたのか……思えば俺は異様に元気であった。
仗助くんに治されると、パーツさえ揃っていれば完治する。その恩恵に頼りすぎた俺は、自身の限界も見誤っていたのか。
『仗助の能力は精神力や体力すらも元に戻す。あの優れた能力のお蔭で、ヘーマはあの時助かった』
道理で、倒れたのに省エネの本体の姿へと戻されていないはずだ。
今戻せば、助からないと二人は判断したのだろう。
「どれくらい保つ」
『せいぜい四日だろう』
「なんだ、わりと保つな」
もう少し短いかと思った、と俺が笑えば、額に衝撃を受けた。デコピンの犯人は、いつの間にか側へ寄ってきていたトリッシュだ。勿論……お怒りである。
ゴゴゴゴ……と、効果音がバックに見えるのは俺の目の錯覚だろうか。いや、パワーはすでにトリッシュの方が上だから、直接対峙すると俺の方が弱……いやいやいや、まだ諦めるな。経験の差はたぶん影響するはず、逃げに徹すればきっと……!
「ヘーマさん」
「はいッ!」
寝ていたソファーの上で正座し、背筋を伸ばした俺を、青年達がギョッとした目で見ている。流してくれるとありがたい。
しかし、トリッシュは怒ると益々声が美喜ちゃんにそっくりだ。思わず反射的に正座するくらい。
「簡単に現状を伝えるわ」
「は」
口から漏れた音に彼女がじろりと睨む。はい、黙ってます。
「襲撃してきた犯人には逃げられたの。……ヘーマさん達とそこのジョルノの関係は聞いたわ。驚いたけれど、今は重要じゃあないから横におくわよ」
「うん」
「ブチャラティ達が私達を追うのは、彼等のボスである私の父親の指示だそうよ。彼等としては、ボスに私を受け渡したいようなのだけれど」
「却下。ギャングに娘を利用されないために、ドナテラさんから後見人を頼まれたんだぞ」
「……ママったら。私も生まれる前から音信不通の父親の元なんか御免よ」
不機嫌そうに鼻を鳴らすトリッシュに、仗助くんが重なった。うわ、ジョセフは本当によく和解してもらえたな。同性が異性かの違いはあるだろうが、仗助くんの優しさにもっと感謝してもいいと思う。
ふと、音信不通の父親は俺達にも当てはまるのではないか、と思考が行きつく。
「……ハルノも、音信不通の父親の元は嫌か」
「なに泣きそうになっているんですか。嫌ではありませんよ……ただ、僕には夢があるので」
貴方と共には行けません。
真っ直ぐに躊躇いなく言ったハルノは、ディオにもジョナサンにも似ていて、俺は十三歳の彼等を思い出した。
目の前で、少年から男に変わったあの時を。
「もう、大人になっちゃったんだなぁ」
ハルノはもう子供ではない。ウンガロ達とは違い、既に自分の意思で道を選べるようになった。
十二年も離れていればそういうことも有り得ると、俺は心のどこかで気づいていた。なりふり構わずハルノを迎えに来ていても、彼は俺の申し出を断っただろう。
自らの道を違えない、二人の父親を見ているようだった。
「なら、ここからはお前を一人の大人として扱おう」
ハルノに向けていた微笑みを消し、ブチャラティと呼ばれた青年に向き直る。
ホルマジオの情報ではブチャラティのチームは彼を入れて五人だが、この場には六人もいる。明らかに新しい追加メンバーはハルノ、ならば新米の彼に交渉権はほぼない。つまり、相手にする必要がない。
「こちらが出す選択肢は二つ。このまま俺達を見逃すか、ボスを裏切るかだ」
「おい、テメェ自分の立場わかってんのか? 選択肢を出すのはこっち――」
「わざわざ俺を治療してまで生かしたんだ、多少は頭をよぎっただろう? ……俺が、何を知っているか」
口を挟んだ長髪の青年に反応を返さず、ただブチャラティを観察する。動揺は見えない。無表情で、俺を見返すのみだった。
「知ろうとすれば殺されるらしいな。興味はないか? まあ、選べる時間はあまりない事だけ伝えておく」
俺の肩をつつくピクテルが差し出すものを受け取る。なんだこれ、櫛と鏡とヘアゴム? 何するつもり……俺の髪を結いたいってか。いいけども。
手鏡の持ち手を掴んで支えていると、ジョナサンをしまったピクテルは、嬉々として俺の髪をいじり始めた。……あの、あまり髪飾りを出すと俺が生命力不足で本当に死ぬからね? 自重してくれよ?
青年達の反応は様々だ。俺を睨みつける者、ちらちらとブチャラティの反応を伺う者、さり気なく銃を手に取った者、周囲を警戒する者……随分とリーダーを信頼しているようだ。
俺の髪型が高めのポニーテールとなったとき、時間だ、と口にした。
「よく話し合って選ぶといい。ボスの名前、ボスの能力……知りたかったら聞きにこい」
意地悪げに笑い、バチンとウインクする。腰を上げる青年達を尻目に、俺とディオにトリッシュは鏡に飲み込まれた。
反転した室内に俺達以外の人影がある。左右に髪を分けて結んだ、先日会ったばかりのスタンド使い。
ピクテルが差し出した鏡は、用途は元々脱出の為のものだ。鏡だけだせば警戒されるが、複数まとめて出してしまえば使用方法を誤解させられる。
……いつもこれだけ真面目に動いてくれればいいのに。
「青年がお迎えか」
「ああ、リーダーの元へ案内する」
部屋の一角がキューブ状に崩壊していく。どうやら最初の実体化しているスタンドが、ブチャラティチームを襲っているようだ。
穴から外に脱出した俺達は、町の外にむかって走り出す。ディオに担がれている俺は、騒音が絶えない民家を距離が遠くなるまで見つめ続けた。