鏡の世界を作り出すスタンドの青年こと、イルーゾォに連れられて、俺達は小さめの民家の前にいた。彼の鏡の世界にいるため、後をつけられる可能性はとても低いだろう。
イルーゾォが玄関の前に立つと内側から扉が開いた。鏡の世界にいるため俺達には見えないが、家の中にいた者が開けたのだろう。扉をくぐり、玄関の壁に飾ってある姿見から、現実世界へと戻った。
玄関ホールを抜けてリビングへと進めば、其処には六人の男がソファーや机に腰掛けていた。知った顔はホルマジオだけだが、前回の襲撃した残りの二人もいるのだろう。軽く手を上げるホルマジオに、ひらひらと手を振って返した。
そんな俺達に舌打ちして、馴れ合ってんじゃあねえよと悪態をつくメガネをかけた青年。わぁ、見事なツンツンしている青年だ。まじまじと見つめていれば、ギロリとガンを飛ばされた。警戒心の強い猫みたいだな。
物騒な雰囲気の男達の中でも、ソファーに座っているフードを被った人物は、異様だった。
俺でも分かるくらい、存在感がない。警戒していなければ、隣に座られても気付かないかもしれない。
スタンドの能力だけに頼った暗殺者とは格が違う……男の正面にディオは腰を下ろすと俺をその隣に座らせた。足を組む彼は少年の姿だというのに、凄まじい威圧感を放っている。身構えた彼等を見てニヤリと笑ったあたり、この状況を楽しんでいるようだ。非常に頼もしい。
『自己紹介は必要か?』
「不要だ」
いやいや、俺はそっちの紹介は欲しいぞ。知っているのはイルーゾォとホルマジオだけだというのに。
「俺はし」
『後にしろ。さて、保留にしておいた返事を貰おうか』
そっけなくあっさりと却下された。ディオの横顔を睨みつけるが、こちらを見もしない。この野郎。
いったい何の返事なのか。いつの間にか彼らと取引をしていた様子のディオから、視線をホルマジオに移す。あの時含みをこめた言葉を告げていた彼は、苦笑いをしていた。……ディオは何を言ったのか。
「返答の前に聞きたい。お前たちは何故ボスの情報を利用する」
『生け捕るためだ』
「それはお前だけの目標だろうが」
もはやボスを生け捕ることを隠すこともディオは止めたらしい。そんなにスタンドの研究がしたいのか、真面目というのか執念深いというのか。ツッコミすら流され反応してもらえないと不貞腐れる俺の前に、スケッチブックが差し出された。犯人はもちろんピクテル――今は仮面の姿の彼女である。
これを見ろということか。コクコクと頷いている彼女の勧めに従い、俺は表紙を開き――――
「ブハッ」
ウエディングドレス姿のブチャラティが目に入り、堪らず噴出した。周囲から刺すような視線が向けられるが、口元を押さえて笑い声が出ないように耐えている俺には気にする余裕がない。
片手が塞がった俺の変わりに、ピクテルが親切にもページをめくっていく。長いフランスパン並みの銀髪のリーゼントで長ラン姿の青年や、ダボダボセーターに膝上プリーツスカートの黒髪の少年。ビニル製の安っぽいタイトなミニスカの警察っぽい――だめだ……顔が良い分、気味の悪さより滑稽さが際立つ。
いつのまにか覗き込んでいたのか、トリッシュが顔を伏せて肩を震わせている。
「――なんつーもんを描いてんだよ、オイ」
それはそれは低い声で、嫌そうな顔で覗き込んだスケッチブックを指差すホルマジオ。そこにはフリルとリボンを贅沢に使用された、ピンクが主体のひらひらとした服を着た彼がいた。タイトルをつけるのなら、魔法少女(笑)ホルマジオ……これはひどい。
他にはあるかとピクテルに尋ねれば、仮面を横に振る。どうやら描けているのはここまでらしい。リクエストを求められ、訝しげな顔をする面々を一通り見て……よしと頷いた。
「イルーゾォでバニーで」
「おー、いけいけ」
「一体何のことだ、まて、説明しろッ!」
巻き添えが増えることを喜ぶホルマジオと、自身の名前が出て不安を煽られたのか、近づいてくるイルーゾォ。けらけらと笑いながらまっさらなページを開こうと、スケッチブックをめくった先には、すでに絵が描いてあった。
それは、割烹着姿の――。
手元にあったスケッチブックが消え、視界が傾き壁と天井の境が良く見える。頭の左を通るしなやかな腕から伸びる白い手が、力強く俺の顎を掴んでいる。
『――私が、気を利かせて交渉している横で、随分と楽しそうでなによりだ』
「そ、そうかな」
耳元で、勤めて冷静に出された声に、俺はびくりと身体を震わせる。
『しかし、おかしいな。以前捨てろと言ったこの絵が、何故ここに存在するのか……勿論、この私に教えてくれるのだろう、ヘーマァ?』
ディオの手でめらめらと燃える紙に描かれているのは、以前ディオの館で俺がノリで描いた割烹着で掃除しているディオの絵。見つかったその日に処分されたはずのものだ。
そう、ピクテルのバックアップ以外は。
ピ、ピクテルさんや。このスケッチブック、もしかしてバックアップ用のあのときのもの、使っちゃったとかなのかい……?
おろおろと慌てている様子のピクテルは俺の呼びかけにビクリと仮面を揺らすと、握った右手を仮面の額部分にこつんと当てた。
やっちゃった、じゃあないから。それで済むような事態じゃあないから。
『そうか、そんなに私に血を捧げたいのならば遠まわしにせず早く言えばいいものを』
「まーったぁッ! そんなことはないからな! 今度こそ処分するから!」
『他のバックアップもだ』
「アイ・サー!」
ちょっとピクテルー、在庫一掃で出しちゃってくれ。全部? そう、全部!
落ち込んだ様子で、複数のスケッチブックからページを切り離すピクテル。そんなにあったのかと彼女の用意周到さに呆れるしかない。
灰になっていく紙を見つめて、しょんぼりとうな垂れるピクテルに、俺は後で絵を描いてあげようと決めた。ふむ、次は何にしようか、割烹着がだめならエプロンでも。
『次はない』
「よーし、ジョセフでいってみようかなッ!」
隣から流れてくる冷たい圧力に負けて、早々に白旗を振ることになった。
「リーダー、客だ」
ずっとノートパソコンに向かって何か作業をしていた男が、手を止めて口を開いた。
「ブチャラティ達だ。堂々と家に向かっているようだな」
眉をひそめるフードの男。俺達が出入りした姿を見られた可能性はほぼゼロだが、何かしらの能力で探索したのだろう。
どうする、とフードの男がこちらを向いて言った。俺はそれに違和感を覚えたが、何か特定する前にディオが中に入れてやれと告げた。
フードの男の視線を受けた、パソコンの前にいるマスクの男が、画面に向かって案内しろと言う。もしかしたら、彼が遠隔自動操縦型スタンドの本体なのかもしれない。
しばらくそのままで待てば、リビングのドアがきしむ音をたてて開いた。
入ってきたのは数名の男達、数時間前に別れたばかりの、ハルノ達だった。互いに警戒をしあう沈黙が、リビングの広い空間を満たす。誰も口を開こうとしないことに首を傾げ、俺はソファーの背もたれに腕と顎を乗せ、寄りかかった。ギシリと埋め込まれた骨組みが軋む音がする。
「どうして、俺達の場所が分かったんだ?」
疑問を素直に口にすれば、ハルノの腕の中からぴょんと小さいものが飛び降りた。それは黒い子猫で、俺に歩み寄るとすり、と頭をこすり付けてきた。猫、いやこれは……俺のスタンド?
「残っていた手鏡ですよ。あなたがスタンドで出したものです」
「ああ、そうか……なるほど、しまったな。これじゃあ俺の元に戻ってきてしまうか」
俺の生命力を使って生み出されたもの。もしそれに意思と動ける手足があれば、俺の場所は容易く分かってしまうだろう。現に俺のスケッチブックから生み出すゴーレムは、それを利用しているのだ。
子猫をあやしながら、ちらりとディオに視線を向ける。ディオは面倒だといわんばかりの顔をしたが、小さく息を吐いた。
次の瞬間には、ディオがいた場所にブチャラティが座らされていた。ディオは隣の独りがけのソファーに、腕を組みながら腰を下ろしている。驚愕と困惑と警戒が俺達に向けられるが、俺は気にせず目を見開いているブチャラティの手を取った。
「答えを、聞かせてもらえるか」
見上げた彼の目は、困惑から瞬時に真摯なものへと切り替わる。ボスを追う理由を聞きたいと、ブチャラティは言う。なんだ、みんな聞きたいことばかりだなと俺は苦笑いした。そういえばフードの男の質問に俺は答えていなかった。
「そうだな、とりあえず……保護しないとなぁ」
「は?」
「ああ、うちのディオから。珍しい能力だからって研究したがっていてな。俺が見ていないと何をするかわからないから、真っ先に捕獲しないと」
下手をするとプッチにDISCを抜き取られてバッドエンド一直線だ。それはあんまりにも可愛そうだ。
「保護……」
「ボスを……?」
『チッ、邪魔をするつもりかヘーマ』
「あのなぁ、人道的に不味いことしないって誓えるか?」
『……』
「黙るなよ……何するつもりなんだよ」
ぽっかりと口をあけたままのブチャラティチームの面々に、唖然とした表情の反逆者チームの面々。もしかして、俺がボスの命を狙っているとでも思っていたのだろうか。失礼な。
なんというか、考える方向がやっぱり物騒なんだな、と思う。ギャングという男達はみんなこんな思考なのだろうか。
考え込み始めたそのとき、窓ガラスを割って何かが部屋の中に侵入してきた。全員の警戒レベルが引きあがり、侵入してきたものを見れば、それはバサリと羽を広げてシャンデリアの上に止まった。
ホーホー、と鳴く、やけに見覚えのあるフクロウ。
足に持っていたと思われる薄い本が、テーブルの上に落下してパラリとページが開いた。
途端、全員の足元に広がる、図形の重なった魔方陣。
目を見開いたまま、俺達は全員それに飲み込まれることになった。
*
誰もいなくなったリビングで、フクロウがテーブルの上の本を掴む。羽を広げて割れた窓から外に出たフクロウは、その民家から離れた場所で佇んでいる少年の下へ本を落とした。
「お疲れ様」
少年の腕に止まったフクロウは、ねぎらいに撫でられると気持ちよさそうに目を閉じた。口元を緩めた少年は、本とフクロウを抱えて駐車場へと走った。
「レオーネ兄ちゃん、終わったよ」
「おー、お疲れさん。じゃあ、出発するからシートベルトをよろしく」
「りょうかーい」
後部座席にある大きめのケージにフクロウをいれ、助手席に座った少年――ウンガロは楽しげに抱えていた本のページを開いた。