彩る世界に絵筆をのせて   作:保泉

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第二章 得たもの失ったもの
不穏の影


 ジョナサンとディオが帰ってから一週間が過ぎた。

 

 

 当初は寂しさのあまり気落ちして相当暗い表情をしていたようで、バイト先の偲江さんに大層心配されてしまった。

 

 このところ毎晩夕飯をごちそうになっている。渡る世間に鬼は無しだよ。

 

 そして、家でご飯食べない=食材買わない=冷蔵庫空っぽという式が成り立つわけだ。俺が買い物サボっていただけだが。

 

 

 

 つまり今日の予定は買い出しである。

 

 

 

 いや訂正しよう。買い出しの予定だった。

 

 

 

「ありがとう美喜ちゃん」

 

「別に。あたし荷物運んだだけだし」

 

 

 偲江さんの娘さん、美喜ちゃんが食材を買いこんできてくれたのだ。

 

 美喜ちゃんは俺よりも年上だが、小柄で可愛らしい人だ。すぐに赤くなるし。大抵怒りでだが。

 

 

 買出しに出かけようとした直前に電話があり、代わりに行ってくるからあんたは外に出るなと厳命されたのだった。そして数時間後に玄関のチャイムが鳴ったのだが。

 

 

「美喜ちゃんが覇王の形相で玄関に仁王立ちしていたときは、命の危機を感じたけど」

 

「誰が世紀末覇者よ!あ、あれはちょっと荷物が重かっただけよ!」

 

 

 そのとき美喜ちゃん手ぶらだったよ?

 

 

 ツッコミをそっと胸にしまい込む。つつけば美喜ちゃんの跳び膝蹴りが襲ってくる。美喜ちゃんは背が小さいから、当たりどころが相当マズイ所になるからな。

 

 

 俺が実際に目撃した被害者は、偲江さんの旦那だ。

 

 切ない表情で崩れ落ちる姿は、思い出すたび何度となく背筋と急所を凍らせるトラウマとなった。

 

 

 

「あれ、この袋保存容器ばかり入っているけど」

 

「食材買うついでに商店街の皆が加工もしておいたわ」

 

「加工……うわあ、全部調理されてる」

 

 

 一番上の容器を手にとって蓋を開けると、ゴーヤーチャンプルが詰まっていた。その横のはキンピラらしい。

 

 

「美喜ちゃんはやってないの?」

 

「……あんた、あたしの料理食べたいの……?」

 

「いや、いらない」

 

「なら聞くんじゃないわよこの昼行灯!」

 

 

 小さい拳がボディに容赦なく突き刺さる。腹を押さえてうずくまる俺を、きっと美喜ちゃんは般若の顔で見下ろしているだろう。

 

 

「すいま……せん、した……」

 

「次はないわよ。まったく、顔色が悪いから心配してみれば……人を馬鹿にする元気があるなら大丈夫ね」

 

 

 見上げるとけして此方を見ようとしない美喜ちゃんの横顔。うっすら頬が赤いのは気のせいじゃないだろう。

 

 

「美喜ちゃん」

 

「なによ、とりあえずこっち見るな後ろを向けいいから早くさっさとしないとまた殴るわよ!」

 

「イエスマム」

 

 

 やべえ、美喜ちゃん恥ずかしさのあまり目に危ない光が灯っていたぞ。

 

 すぐに回れ右を実行し、彼女が落ち着くのを待っているとガチャリという音がした。

 

 

 んん?

 

 音に振り向くと其処には今にも玄関を出ようとする小さい姿。

 

 

「って、ちょっと美喜ちゃんなんで帰るの」

 

「うるさいわね……そう、用事があるのよ!」

 

 

 その言い方だと今理由を考えましたってバレバレですよ。

 

 

「差し入れでも食べてさっさと寝なさい。無理して動こうとしないこと。全快するまで店に来るんじゃないわよ」

 

「美喜ちゃん」

 

「み、店に迷惑がかかるからよっ!ぐ、具合が悪いときは家に電話しなさいよ……それじゃ!」

 

「あ」

 

 

 美喜ちゃんは言うだけ言って、勢い良く家の玄関を飛び出していった。相変わらず照れ屋だよなぁ。

 

 

 それじゃあまずは片付けしないとなぁ。玄関に大量に残された食材入りの袋と惣菜入りの紙袋。空っぽの冷蔵庫とはいえ、全部入るか少々心配ではあるが。

 

 

 

 

 

 

 なんとか冷蔵庫に詰め終わったあと、妙に疲労感を感じてソファーに腰を下ろした。そんなに体力使っていないはずなんだけど、やはり体調がよくないらしい。

 

 一度自覚してしまうと、どんどん身体がキツくなるのが人間というもので。

 

 一時間もすると身体を起こしていることだけでも、相当辛く感じるようになった。

 

 

 うわ、まずいかもこれ。とりあえず洗面器に水ためてタオルと一緒に部屋に持っていっとこう。

 

 

 ふらつく身体でどうにか進みながら、洗面所へとたどり着く。風呂場から洗面器を持ち、水を溜めようと洗面台の前に立ったとき。

 

 

 

 鏡に映る宙に浮いた仮面を見た。

 

 

 

「ぎゃああああああああああッ!」

 

 

 

 そして一目散に逃げる俺。

 

 

 

 ゆうれ、幽霊じゃないの今の。なに俺初めて見たんだけど、どうしよう何すればいいの。払う、払うにはお清めの塩、台所だなよっしゃすぐに行くぜ。

 

 

 慌てながらも目的地を定め台所へと向かう俺だったが、如何せん今の体調は最悪で。進む速さはとても遅い。

 

 やべえ、これ追いつかれるんじゃない?生きてる人間でも余裕で追いつく遅さだろ、幽霊だったら壁通り抜けられるし、やだ怖いわー。

 

 

 追いかけてきているか、どうか確認したほうがいいだろうか。いや、こういうのは振り向いたら終わりというパターンが多い。ここはいっそたとえ進む速度が遅くても、一心不乱に前進したほうが吉とみた。

 

 

 しかし、とても気になる。

 

 

 幾ばくかの思案のあと、そっと後ろを振り向いてみた俺。

 

 

 そして見える、至近距離の仮面。

 

 

「めっちゃ近くにいる……」

 

 

 なにこれ近い。ちょうちかい。なんでこれこんな近くにいるの、俺もしかして憑かれたの?

 

 宙に浮く仮面を凝視していると、浮いているのは仮面だけじゃないことに気づいた。

 

 

 確実に中身があるだろう、しっかり手の形に膨らんだ手袋が浮いている。

 

 

 もうやだ、俺ホラー嫌いなのに。なんで自宅でこんな体験しなきゃいけないんだ、しかもこんな体調悪いときに!

 

 

 物凄く投げやりな気分になり、いっそ気絶してしまおうかと悩み始めると、手袋に頭を撫でられた。……うん、普通に感触があるね。

 

 

 え、これ幽霊じゃないの?

 

 

 俺の近くで浮かんだままの仮面を観察する。洋風なデザインの仮面だ。どちらかというと女性的なデザインだろう。浮かんでいる手袋も、どちらかというと細身の白い手袋だ。運転手とかの。

 

 

 はっきり言って生物には見えない。だって身体ないし。でも、幽霊というには俺に触れたし……幽霊が触れないってのは俺の推測でしかないんだけど。

 

 

 幽霊じゃない、生物じゃない。

 じゃあこいつは何なんだ。

 

 

「……あ」

 

 

 なんか似たような感覚が前にもあったような。というか、先日。

 

 

 俺は、あの少年達を見て、何を考えた?

 

 

 

「……つまり、またあれか」

 

 

 あの漫画は途中から超能力を絵で表現したものが登場していた。

 

 名前の由来は忘れたが、スタンドと呼ばれていた。

 

 

「お前は、俺のスタンド?」

 

 

 だめもとで聞いてみると、手で――親指と人差し指で丸を作っている。合ってるらしい、てか自我あるんだなコイツ。

 

 

 息さえも熱くなってきた身体は、安心したせいか力が抜けて俺は廊下に座り込んだ。良かったー、幽霊じゃなくて。

 

 

 まさか俺にスタンドが発現するなんて、思いもよらなかった。俺護身術は出来るけど攻撃苦手だし。あの漫画みたいにスタンドで殴り合いなんか絶対無理だろ。

 

 ああ、でも特殊能力特化なら近接戦闘はしないか。俺は何故戦う前提で考えているのか。やだよ戦うの。

 

 

 そういや、スタンドって闘争心ないと身体壊すんだっけ。主人公の母親が倒れていたよなぁ、高熱出して。

 

 

 

 ――あれ、それって今の俺と似てない?

 

 

 ぐらりと世界が回り、視界が傾いていく。体温より冷たい床の温度が心地よい。

 

 

 メガネが外れ、ぼやける世界に黒と金の色が見えた気がする。

 

 

「ジョナサン、ディオ……」

 

 

 俺、死ぬのかな。

 

 

 呟いたつもりの言葉は音にならず、空気に溶けるだけだった。

 

 

 そして俺の意識は暗転した。

 

 

 


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