「足りないものがほしいんだ」
──彼はそういった。少年と、騎士と、商人に向かって。
「人生は長いけどさ、僕の欲しい物を手に入れるには短すぎるんだ」
長い髪を揺らして、彼は言う。にこやかな笑みはとても人好きするだろう。少年にだってわかる。表情のあまり揺らがない少年は、ここまで自然に笑みを浮かべられない。
自分にないものを見ると人はほしくなるのだという。隣の芝生は青い。そういうものなのだ。少年にだって理解はある。
まぁ、彼ほどにほしがりではないのだが。
奇妙な出で立ちだった。少年が知る限り、彼はいつもそうだった。たった十日でなにがわかるものかという意見もあるだろうが。それでも十日と言えば、少年にとって人となりを理解するには十分な時間だ。
長いローブは、体を隠している。帽子は民族的な装飾が施されており、おそらくは遠い場所から来た旅人なのだと伺える。ズボンは動きづらさのないように体にぴったり密着させている。関節部は柔らかく伸びるようで、どうやら隠している装備は狩装束として実用的なものなのだろう。
おそらく、相当に場馴れした相手である。当然だ。旅には危険がつきまとうのだから、それを続けている以上慎重にもなる。
自称騎士を眺めつつ、彼はにこやかな笑みを続けている。
「ユエルくん。僕はいつもほしいものをゲットできない。けど君は持っている。どうやったらそれを、僕は手にすることができるんだろうね?」
「ん──えーと、抽象的な話なので、なんとも。でも」
少年は言った。彼にもほしいものはある。そのすべてが彼に振り向くとは限らない。
そのとき、彼はどうするのだろうか?
「……がんばるしかないんじゃないですか?」
ひどいやつだ。彼が言った言葉に、少年も同意する。
ひどいやつ。その通りを極まっている。少年は、とっくの昔にひどいやつになってしまっているのだ。
「…………」
視界の中では、騎士の少女がアクロバティックな動きを見せている。大盾を持っているのにも関わらず、高く跳躍した。気焔とともに吐き出される突きは、生半可な鱗では容易に削り取られるだろう。
──騎士・フラン。
なんてやつだ。
何年前かのことでした。
終わりがないのが終わり──そうとすら思うほどの悪夢に、青年は苛まれていました。見事なまでの転落劇でした。優秀な青年は、華々しくも偉業を成し遂げたあと、急転直下と失落しました。ある意味で、青年にとっての失楽のようでもありました。有終の美を飾ることができたならばなんとよかったことでしょう。けれど、それは青年には重すぎました。
血を吐く思いと共に、青年は逃げ出しました。喪ったはずの場所が疼きます。彼の体は右腕の重みと均等が取れず、重心がわずかに右に傾いています。意識して体をかしげないと、それはふとしたときに転んでしまいそうになってしまうのです。
青年は、喪ったものを取り戻したい。そう思いました。それを取り戻すことができれば、きっと全てはもとに戻るだろう。そう思いました。そうして旅をはじめます。青年はその旅のはてに、喪ったものを取り戻しました。
失せ物はひとつではありませんでした。
旅の終わりは旅のはじまり。
彼の終わりは、彼が喪ったもののようにぱっくりと食べられてしまいました。
そして旅は続きます。喪ったものを取り戻す旅。そして、新しいものを手に入れるための旅が始まります。
終わりはありません。
あるならば、あると見切りをつけられるならば、青年はきっと旅にその身を飲み込まれていないのです。
彼は気づきません。旅の中でまた、なにかをなくしていることに。
きっと、彼は偉業を成したときに呪われてしまったのです。
誰に? そんなの、決まっています。
彼が命を奪ったものに、彼の左腕を奪ったものに。
それ以外にはありえません。
「なんてな。おもしろい話だろう?」
と。語り終えた流浪の赤衣の男が、そう言った。
何がおもしろいのか少年にはわからなかった。だが、なんとなくだれを指しているのかはわかったような気がする。
喪ったもの。喪うもの。
少年にも、いつかわかる日がくるのだろうか。未だ若きこの身には、知り得ないことが数多くある。それこそ数え切れないほど。それは、大人にだって、あるいは神様にだってわからないことなのかもしれない。
「あなたは、誰ですか?」
「語る名は持たん。俺を指す記号など、なんだっていい。つまり好きなように呼べばいい。すべての存在は『あれ』だの『それ』だので片がつくものだ」
「そうですか。では、流浪人さんと。ところで、ひとつ聞きたいんですけれど」
少年は問う。
「ここはどこでしょうか」
「さぁな。迷子にでもなったか?」
周囲を見渡せば、どこだと問われれば答えられない、なんとも平凡な洞窟だ。少年を誘い、閉じ込めたそれは、まるで食虫植物のようでもある。とすれば、少年は誘い出された虫か。あんまりに間の抜けたようなたとえに、わずかに笑ってしまいそうになる。
そのたとえとするならば、流浪人だって同じだ。あんまりいい喩えではないかもしれない。
「持っていけ」
手渡されたのは、異形の角だ。
「必要だと思う相手に渡せばいい。自分が必要だと思えば渡さなくてもいい。お前の好きにしろ。だが受け取るのであれば忘れるな。お前は誰だ? その問いの答えを、しかと保て。そうでないものがそれに触れると、恐ろしい
「はぁ」少年にはよくわからなかった。「では、いただきます」
少年はその角に触れた。力の脈動を感じる。少年が持つ宝玉に類似するものなのかもしれない。似た出典のものであることは確かだ。
幸いにして、
目覚めれば、少年は騎士を名乗る少女の膝の上に頭を乗せていた。
「あれ、僕、寝てたんですか?」
「寝てたよ」彼女は言った。「それはもう。ぐっすりと」
「そうですか。ありがとうございます」
少年は体を起こした。
そして、髪を風に揺蕩わせて、のんびりと空を見上げる青年に向けて、夢から持ってきたその角を手渡す。
「……これは……」
「僕には必要のないものなので、あげます」
「…………」
返答は無言だった。
青年は顔をちらりと見てきたかと思えば、すぐに角に目をやり、指を伸ばしてまた少年を見た。
「ああ」
口からこぼれたその言葉に、一体どれだけの気持ちがこめられていたのだろう? 少年にはわからない。
けれども、彼が涙を流してその角に触れたのは、そしてそこに複雑に絡み合った感情があることは、少年にだって理解できた。
「ありがとう、ユエルくん。おかげで大事なことを思い出したよ」
少年の手から完全に角が抜き取られる。
「僕の名前は、『 』なんだ。ずっと、ずっとなくしてたんだ」
いきなりにもまばらに雪が降る。青年は、眺めていた星空にむけて角を翳した。
「ありがとう。僕を見つけ出してくれてありがとう」
「めでたし、めでたし」
人形劇は終わる。
緞帳が降りる。
のこりは4つ。つかの間の休憩を挟んで再び物語は開幕される。
上手側の舞台袖から、次の舞台の主役がスタンバイをする。その裏で、慌ただしく動くのは舞台美術を担当するものと、その指示に従うものたちだ。
少女はちいさく笑った。
舞台監督は続きを待ちわびている。
「──次の公演は──」
主人公たる少年は、ふとそんな光景を幻視した。
白い少女はくすりと笑う。台本に描かれたつづく物語。
その名は『ヒメゴト少女と月の涙』。
旅は続く。終わりは近づく。
少年の決断はなされることはない()。
文脈の後ろに書かれた空白。そこには今はと注釈されている。