ドクターズ・プロファイル   作:日名内 修

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フロストリーフが大人になろうとするお話。


フロストリーフ -ロドスの大人たち-

「完治おめでとう。これに懲りて、二度と無茶な真似はしないように」

 昼下がりの診療室。小指に巻かれていた最後の包帯を解きながら、サイレンスはいつも通り表情が乏しい患者にチクリと苦言を呈した。

「……世話になった」

「本当ね。かすり傷程度なら良いけど、もう集中治療室のお世話にはならないで」

 丸いイスに腰変えたフロストリーフは、拳を握って「あぁ」と低い声で返した。

 廃都市でレユニオンと激突した際、極限までアーツを使ってあの白い悪魔と対峙した。その影響でしばらく体が動かせなくなっていたのだ。

 それからロドスやレユニオンがどうなったのかは、まだよく分からない。それでも隔離された病室にも、龍門での死闘やロドスの首脳たちがエリートオペレーターたちを引き連れてチェルノボーグに乗り込んだ噂は届いていた。

 また、ドクターがあの白うさぎの遺体を抱えて一時帰還したことも。

「もっと強くならないと」

「……そういう意味で言ったんじゃないわ」

 思わずこぼれたフロストリーフの本音をサイレンスは静かな声で否定する。顔を上げ、フロストリーフは正面に座る彼女を見た。

 

――あぁ、またこの顔だ。

 

 眉を下げたほんの少し、悲しそうな表情。入院中に見舞いに来たオペレーターたちや上官、担当の医療オペレーターもみんなこの顔で見つめてくる。

 何か間違っているのなら言えばいい。そう問いただしても、明確な回答が返ってくることはなかった。

 ただ、サイレンスはこれまでの人たちとは少し違った。

 先ほどフロストリーフの小指から解いた真っ白な包帯をそっとフロストリーフにの片手に握らせる。そして両手でそれを包み、ゆっくりと口を開いた。

 

「貴女は十分強い。だから、もう少しだけ大人になって」

 

 面食らったフロストリーフの赤い瞳が大きく開く。

 開けっぱなしの診療室の窓から、柔らかい日差しと少しだけ冷えた晩秋の風が吹き込むある晴れた日のことだった。

 

Frost leaf(フロストリーフ)-ロドスの大人たち-

 

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

 

――蝶々結びくらい、簡単な答えなら良いのに。

 

 完治してから数日間、フロストリーフの脳内はサイレンスの一言が常に反芻していた。ポケットから丁寧に折られた包帯を取り出し、両手を斜め45度に突き出して結んでみる。ものの数秒で羽を広げた結び目の後ろには、透き通るような青空が広がっていた。

 誰も居ない、広々としたデッキの端。入り口から死角になったその場所が、フロストリーフのお気に入りだった。

 自分が大人なつもりはなかった。かといって、子どもでもないと思う。子どもに戻れないのであれば確かにサイレンスが言うとおり、早く大人にならないといけないのだろう。

 だが、何をやれば大人になるのか全くもって分からないのだ。

 

――分からないのであれば、聞けば良いだけか。

 

 フロストリーフはゆっくりと腰を上げる。行き先は決まっていた。いつだって答えを教えてくれる人が、ここにはいるのだから。

 

 ◆

 

「すまないが、その質問には答えられないな」

「……なぜ?」

 予想外の言葉にフロストリーフは首をかしげた。書類に目を通しながら、ドクターはフロストリーフの質問に対して、あっさりと回答を拒否した。

「私が教えられることではないんだよ。数字とか、知識とはちょっと質が違う」

「……自分で考えろということか」

「そういうこと」

 珍しくふて腐れたように言ったフロストリーフに、ドクターは少しだけ笑みを浮かべる。

「少しくらい、ヒントをくれてもいいじゃないか」

「そうだなぁ。じゃあ、先輩たちと比べてみると色々見えてくるかもしれないぞ。ほら、ヘラグ将軍とか」

 フロストリーフの白髪の紳士のすらっとした出で立ちがよぎる。

「確かに大人かもしれないが……。少し、成長しすぎじゃないか?」

「ははっ! 確かに。それじゃあレンジャーもダメだな」

「サリアやシルバーアッシュはどうだい? あとドーベルマンも。ミッドナイトだって立派な大人だ」

「……まるで統一感ないじゃないか」

 次々と年上たちのコードネームを挙げるドクターを、フロストリーフは恨めしそうに睨み付ける。

「そんなものってことじゃないか」

 どこか達観した口調のドクターが、今回ばかりは少々腹立たしい。そんなフロストリーフの心情に気付いたのだろう。ドクターは書類をめくる手をゆっくりと止めた。

「そんなに真剣なら、一度来てみるかい?」

「……どこに?」

「大人の集まりってやつにだよ」

 後々になって考えると、とんでもなく怪しい誘い文句だが、そのときのフロストリーフには断る理由は何一つなかった。

 

 ◆

 

「ここは――」

 その日の夜。ドクターに連れてこられた建物の前に立ち、フロストリーフは瞳を二、三度瞬かせた。二人がいるのはロドスで最も大きな商業区画。そのなかの最奥にある通路は、いわゆるナイトスポットがひしめきあった歓楽街だ。

 タバコの煙が充満するパブ、夜が明けるまで人が絶えないスナックやクラブ、カウンターしかないこじんまりとしたバーなどが所狭しとひしめきあっている。製薬会社の本拠地なので危ないモノが提供される店舗はないものの、少々の無礼講は大目に見てもらえるこの一角は、ロドスの本艦のなかでも異彩を放っている。

 そんな歓楽街のなかでも特に奥まった場所にそのバーはあった。重厚な木製の扉のすぐ横にはステンドグラスがはめ込まれていて、その奥からは艶っぽいサックスの音が聞こえてくる。

「どうした。ちょっと怖くなかったかい?」

「――私を試しているのか」

「そういうわけじゃないさ。ほら、こういう場所は無理やりきても面白くないだろうから」

 フロストリーフはこれまで歓楽街を何度も訪れてはいる。バーカウンターでお酒を嗜んだことだって、一度や二度ではない。ただ、ここまで高級感がある店舗ではなかった。正直言って少し緊張はする。だが、ここで引き返すわけにはいかない。

「全然平気だ」

「さすがフロストリーフだな。じゃあ着いておいで」

 ドクターはゆっくりとドアを押す。カランと銅のドアベルが鳴り、フロストリーフはドアを開けたままのドクターに促されて薄闇の中にゆっくりと入っていった。

 

 店内は意外と広く、入ってすぐにテーブルが三つ設けてあり、その奥に一段上がってカウンター席が並んでいた。どうやらその先にもテーブル席があるようだ。微かだが人の話し声が聞こえてくる。

「いらっしゃい、ドクター」

「マスター、久しぶりだね。元気そうでなにより」

「それはこっちの台詞だよ。しばらく顔を見ないから、ついに過労で倒れたかと思った」

 勘弁してくれよ。と笑いながら、ドクターは木製の床の上を歩きカウンターに近づいていく。フロストリーフもその背中を無言で追いかけた。

「みんなは?」

「ついさっき来ましたよ」

 そこまで言って、初老のマスターはフロストリーフを見つけて「おや?」と声を上げた。

「今日はまた可愛いお嬢さんとご一緒で」

「ああ、期待の若手だ。名前を――」

 ドクターが振り向いたと同時に、静かな店内に場違いな素っ頓狂な声が響いた。

「フロストリーフ!? なんでこんなところに、ちょっとドクターどういつもりなの!?」

 いままで見たこともないような唖然とした表情のメテオリーテが、カウンターの奥からこちらを見つめていた。

 

 ◆

 

「ほんっとうに信じられない!」

「まぁまぁ、そんなに怒らないでくださいよ」

「そうそう。私は一緒に飲める人が増えるなら大歓迎よ」

 乾杯した直後に、ドンッとグラスをテーブルに勢いよく置いたメテオリーテの両脇に座るマッターホルンとブレイズがなだめる。ブレイズの左端に座っているシュバルツはただ黙ってグラスを傾けていた。

 シュバルツとドクターの間に座っているフロストリーフは、少しだけ気まずそうに頬を掻いた。メテオリーテはともかく、エリートオペレーターのブレイズと部外者のマッターホルン、さらにドクターを護衛している姿しか見たことがないシュバルツとはほぼ初対面だ。

 彼女たちの年齢は定かではないが、フロストリーフが接している人と比べるとずいぶんと“大人”だ。

 だからドクターがここに連れてきたことは理解したが、何を学べばいいのかはまだ分からなかった。

「みんなは何軒目なんだ?」

「私は三軒目ぇ~」

 あっという間にからになったジョッキを掲げ、ブレイズは「マスター、おかわりぃ」と言った。

「ヴァルポちゃん、前に会ったことあるわよね。ほら、あの白うさぎとやり合ったときの」

「フロストリーフ」

「ん~、良いコードネームね!」

 無愛想な返事をまるで気にしない様子で、ブレイズはフロストリーフに向かって親指を立てる。

「……ドクターはよくここで飲んでいるのか?」

「ん? あぁ、そうだね。店はその時々で違うけど」

「ドクターが来ると強制的に貸し切りになっちゃうから、店としてはいい迷惑かも」

「いえいえ、それは違いますよ。ドクターが連れてくる人はだいたいが大酒飲みなんで、逆に儲けがでますから」

 テーブルに肘をついてニヤニヤと笑うブレイズに、代わりの酒を持ってきたマスターがにっこりと笑って返す。周囲に穏やかな笑いの花が咲くが、メテオリーテが相変わらずしかめっ面なのがフロストリーフは気がかりだった。

「……それでいい加減、教えてくれないかしら。なんでフロストリーフを今日、ここに連れてきたの?」

「ああ、それはフロストリーフが“大人”のみんなに聞きたいことがあるみたいでね」

「ええー! なにそれ、すっごく面白いじゃない! なになに、お姉さんがまるっと解決してあげる」

「俺も伊達にエン――じゃない。クリフハート様とプラマニクス様のお付きをやってないですから。力になりますよ」

 その場の視線がフロストリーフに集まる。これまでにないシチュエーションに、若干戸惑いながらもフロストリーフはゆっくりと口を開いた。

「お、大人ってどうやってなるものなんだろうか――?」

 居合わせた大人たちの表情が固まるのと、ほぼ同時に冷や汗が首筋に流れるのをフロストリーフは見逃さなかった。

 

 ◆

 

 その場に居合わせた人たちが凍り付くのを見て、フロストリーフはこの問いがかなりの難題だということに初めて気付いた。

 あんなに賑やかだったバーは静まりかえり、ジャズの音色だけが響いている。

「大人になる方法? それってあれかな。ちょっとエッチな感じの――」

「ちょっとブレイズ!」

「ウソウソ、冗談だってば」

 ドンッとテーブルを両手で叩くメテオリーテに、ブレイズはヘラヘラと笑って返す。ふぅっとため息を吐き、メテオリーテはフロストリーフをそのまま真っ直ぐ見つめた。

「前も言ったかもしれないけど、アーミヤも貴女もどうしてそんなに生き急ぐの」

「サイレンスに言われたんだってさ」

「あの人らしくない。無責任な発言だわ」

「メテオリーテ姉さんは過保護すぎ」

「いや、そんなものだろう。俺だってクリフハート様に相談されたら同じように返すかも」

 腕組みをしてマッターホルンは天井を見上げる。何を考えているのか分からないが、ほんの少し眉間にしわが寄ったのがフロストリーフは気になった。

「ほら、答えてあげなよ。一部のオペレーターからマッターホルンおじさんって呼ばれているんでしょ。立派な大人なんだから」

「何かひっかかる言い方だな……だが、考えたこともなかった」

 如何にも“大人”な雰囲気のバーで何杯も酒を囲みながら頭を悩ませている光景があまりにも意外で、フロストリーフの好奇心をくすぐった。しばらくの沈黙の後、口を開いたのはマッターホルンだった。

「真面目な話をすると、イェラグの戦士は年齢に関係なく出撃した時点で自分を死んだものとみなします。そういう意味では子どもも大人も変わらないんですよ」

「同感! 結局、ロドスでも大人も子どもそれぞれの役割があるわけでしょ。それをこなしてる時点で区別する必要ないでしょ」

 酔いが回ったのだろうか。ほんのりと頬を赤く染めたブレイズは、いつになく優しい視線をフロストリーフに向けた。

「なんか思い出すなぁ。まだロドスに入ったばかりで、先輩オペレーターに追いつけ追い越せで頑張ってた頃のこと」

「……結局、追い越せたのかい?」

「どうかなぁ。今になっては試しようもないけど。最初はでっかく見えたけど、もしかしたらそんなことなかったのかもね」

 ドクターの問いにブレイズは目を細めて返す。彼女が誰の背中を思い浮かべているのか、きっと全員気付いていたのだろうがその名を口にする者はいなかった。

 ブレイズに続いたのは、意外にもメテオリーテだった。少し照れているのだろうか。ぐっとグラスに残っている酒を飲み干すと彼女は再びフロストリーフを見つめた。

「せっかくドクターもいるから言わせてもらうけど、ロドスの若い子はみんな自分の身を軽く考えすぎなの。もっと自分を大切にしないとダメだわ」

「……なるほど」

「私だって感染者だから焦燥感は理解できる。でもね、だからといって簡単に命を掛けてはダメ。フロストリーフ、あなたがいなくなると悲しむ人はたくさんいるんだから」

 自身の経験と重ねていたのかもしれない。フロストリーフの瞳も言葉を紡いでいる途中のマッターホルンやブレイズと同じ色をしていた。

「守りたいモノがあるなら、それと同じくらい自分を大切にして。それがきっと大人になる最初の一歩だと思うの」

 そう言った彼女の顔は、サイレンスのあの日の表情とよく似ていた。

 

――あぁ、そうか。だから、みんなあんな顔をしていたのか。

 

 フロストリーフはチラリとドクターを見上げる。フェイスガードを外したドクターの横顔は、薄暗い店内では良く見えない。それでもこちらを向いて「フロストリーフ?」と問いかける声は穏やかだった。

 

 ◆

 

 歓楽街を抜け、シャッターがほとんどの店舗にシャッターが降りている商業区画を二人で歩く。夜になって少々肌寒い空気が火照った体に心地良い。

「どうだった? ロドスの大人は頼りがいがあるだろう?」

「……あぁ、そうだな」

 ドクターと並んで歩きながら、フロストリーフは口元に薄らと笑みを浮かべて空を仰ぐ。空気が薄いせいだろうか。背の高い建物の間にある等級の明るい星々がやけに近く見えた。

 3人の大人に背中を押してもらったのだ。こんな日くらい、お酒の勢いに任せてわがまま言うのも許されるだろう。

「なんでドクターがご機嫌なんだ」

「うーん。そうだなぁ」

 ドクターは立ち止まり、さっきのフロストリーフと同じように空を見上げる。ドクターの少し先で立ち止まり、フロストリーフはじっとその姿を見つめてた。

「私はね、今日、君が悩んでいる姿を見て少し嬉しかったんだ」

「嬉しかった? なんで?」

「君が自分について真剣に考えていたからさ」

「……」

「メテオリーテが言っていただろう? アーツを使って身を削ることだけが人の役に立つわけではない。尤も、それも大切ではあるけれど」

 そう言ってドクターは少し身を屈め、フロストリーフの肩をポンと叩く。

「いつか、ロドスの子どもたち全員に言ってあげたいことがある。それを初めてフロストリーフに言おう」

 いつものドクターとは違う、ひどく柔らかい声だった。

「たくさん悩んで、色々試して、もがいて、失敗しても良い。幸いなことにロドスはそれがいくらでも許される場所だから」

「……ドクター」

「そのために私たちがいるんだ」

 肩に置かれた手のひらをフロストリーフは思わずぎゅっと握る。いつか、暗くて冷たい部屋でケルシーにかけられた言葉だった。言った人は違うけども、あのときとは違いひどく胸が締め付けられた。

 それでも、この言葉だけは告げないといけない。くるりと背を向け、フロストリーフは震える唇をゆっくりと動かした。

「……あ、ありがとう。ドクター」

「礼には及ばないさ」

 そう言ったドクターは、ゆっくりとフロストリーフを追い越して「泣いているのかい?」と声を掛ける。フロストリーフは少しムッとした表情を浮かべ、乱暴に服の裾で両目擦るとドクターの横に並んで歩き出す。

「別に泣いていない」

「なるほど、そういうことにしておこう」

 くつくつと笑うドクターを恨めしそうに見上げ、フロストリーフはポケットから蝶々結びしたままの包帯を取り出して強く握った。

 

 ◆

 

「ドクター、入っていいか」

「ああ、待っていたよ。どうぞ」

 ビデオに映し出されたのはドクターの執務室だ。自動ドアが開き、廊下からフロストリーフが入ってくる。その後ろには顔を真っ赤にして俯いているヴァーミルがいる。

「なぁ、なんでドクターに見せなきゃいけねぇんだよ」

「似合ってるから。ほら、手を広げて」

 促されるとヴァーミルは渋々といった様子でドクターに右手の甲を広げて見せる。その指先には青色のマニキュアが塗ってあった。

「ほら、せっかくだから撮ってあげて」

 フロストリーフの声に反応し、ビデオがズームになる。フロストリーフもそっとヴァーミルの手のひらの横に自分の赤く塗った指を見せた。

「撮る必要はないだろぉ! こんなの何になるんだよ」

「別に。でも、いつか思い出になるかもしれないだろ」

「んなモン、オレには必要ねー!」

「今の君にはな。けれど、この先は分からないだろう」

 羞恥心の境地を超えたのだろう。ヴァーミルは「そんなこと知るか!」と言い残すと、目にもとまらぬ早さで執務室から飛び出ていった。

 その姿を苦笑いで見送るドクターに、フロストリーフはイタズラっぽく笑いながら「余計なことだと思う?」と聞く。

 ドクターは「彼女にとってはそうだろうね」と笑って返す。フロストリーフも「そうだな」と言い、言葉を続けた。

 

「ヴァーミルには悪いけど、もう少し余計なお世話を焼かせてもらう。“ロドスの大人たち”にされたみたいにね」

 

 戦乱の合間のひととき。映像に映るフロストリーフの横顔は、どこか大人びて見えた。

 

 

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