実力は認めているけれど、信頼はしていない。
悪縁という名がピッタリのケルシー先生とドクターの関係性が大好きです。
薄らと残る茜色が、どことなくもの悲しさを感じさせる。
床に仰向けに倒れたケルシーは、自分に覆い被さっているドクターの微かな温もりを感じつつ、無表情で暮れゆく空を見つめていた。
視線を下に向け、自分の胸元に頭を突っ込んだままブルブルと震えているドクターを一瞥する。
多分、時間にしては数秒程度。けれど、その瞬間はやけに長く感じた。
「ケルシー先生?」
「……なんだ」
「今から私は立ち上がる。その時の君の行動を教えてくれないだろうか。どうにも予想できなくてね」
沈黙の後、ケルシーは口を開いた。
「取りあえず、君の背中を蹴り飛ばそうかと思う。思い切りな」
Kal'tsit(ケルシー)―その日がくるまで―
※※※※※※※※※※※※※※※
――ああ、なんて心地良い響きなのだろう。
怨嗟など生ぬるい、もっと苛烈で毒々しい断末魔が何度も耳の奥でこだまする。周囲は真っ暗で何も見えないが、腕や足に“彼ら”の爪が食い込む生々しい感触が、まるで優しく撫でられるように温かかった。
目を閉じれば広がる暗闇と、四方八方で反響する絶叫に最初は驚きはしたものの、慣れてしまえば子守歌となんら変わりはない。
夢の中でゆっくりとフードとバイザーを脱ぎ捨て、その場に腰を落とす。
うずくまって意識を手放すその瞬間、懐かしい声に呼ばれた気がした。
「……ドクター?」
ゆっくりと顔上げる。遙か前方には、針の先ほどしかない弱々しいけれど確かな明かりが灯っていた。
◆
「……クター、ドクター」
優しく肩を叩かれながら耳元で囁かれ、男はゆっくりと顔を上げた。
どうやらデスクに座ったまま居眠りしていたらしい。秘書のロサがこちらを覗き込んで、真っ白な肌の浮かぶ薄紅の口元に笑みを作っている。
「ドクター。ベッドで寝たらどうかしら。きっとそっちの方が疲れも取れるわ」
促すロサの背後では、イフリータがなぜか爆笑している。どうやら、かなり激しく船を漕いでしまっていたらしい。ドクターは苦笑して、ぐるりと執務室を見回す。
そろそろ夕刻を迎える頃合いだが、視界に捉えられるだけで5人以上のオペレーターたちがたむろしている。イフリータ以外、騒いでいるわけではないが、我ながらよくこの環境で作業と居眠りができたものである。
「いや、今日中に片付けないといけない書類があるんだ。雑務だけど期限が間近でね」
「あら、それならもう終わっているわ」
さらりと言うロサの視線の先には、綺麗にファイリングされた書類がある。ドクターは無言でそれに手を伸ばし、パラパラとめくる。一瞬の沈黙、そして「完璧だ」と呟いた。
「ありがとう、ロサ。支援部が手放したがらないはずだよ」
「ふふっ、どういたしまして。ドクターの力になれて嬉しいわ。でも、私だけじゃなくてここにいる皆が手伝ってくれたのよ」
ドクターが振り返ると、全員がわざとらしく咳をした。イフリータは自信満々で胸を張っている。
「みんなありがとう。助かったよ、これで次の仕事に取りかかれ――」
言いかけて、ドクターは口を閉じる。和やかな空気が一変し、殺気にも近い気配が部屋に充満したのに気付いたのだ。
「……ドクター、仕事しちゃダメよ? 何のために私たちが手伝ったか、分かるでしょう?」
いつもの丁寧な口調は変わらず、それでも有無を言わせない雰囲気でロサはずいっと顔を寄せてくる。
「あ、あぁ、そうだな。もちろんだ」
170㎝を超える恵まれた体格のロサは、柔和な笑みを浮かべているが威圧感がハンパではない。たじろぎながら、ドクターは相づちを打つ。
そしてパソコンの電源を落として立ち上がる。まだ懐疑的な全員分の視線を交わすように、わざとらしく伸びをしてロサに言った。
「眠る前に、少し散歩してくるよ」
行ってらっしゃい。という声に見送られ、ドクターは廊下へ出て行った。
◆
――光の中にいる。
前を歩くのはもちろんあの人で、すぐ横にはいつもの黒づくめの男が控えている。3人だけではない。周りには各々の得物を掲げ、勇ましく歩き続けるかつての仲間たちがいた。
だが、歩く度に周囲の人影は消滅し、差す光は弱くなり、歩幅は小さくなる。
いつもの夢だ。目を覚まそうと気を張るが、それが何の意味を持たないこともとっくに理解している。誰もかもが消え去り、闇に呑まれ、あの人が鮮血をまき散らしながら倒れる。そのシーンまで、この舞台に終幕は訪れない。
何百回、何千回と繰り返されるただの答え合わせ。
――ああ、それでもどうして期待してしまうのだろう。
倒れ伏しても、前へ進もうともがく主を見下ろして唇を噛む。
「……テレジア」
思わず呟いたケルシーの声は、暗闇のなかで霧散して消えていった。
◆
「……ケルシー先生。大丈夫ですか?」
「あぁ、問題ない」
「問題ないわけないですよ。何時間ぶっ続けてオペしているんですか! いい加減休んでください!」
手術着のまま、次の患者のカルテを眺めるケルシーに弟子のフォリニックが噛みつく。その横では執刀医もこなすサイレンスが心配そうに見つめている。普段、彼女らに隠れて行っている手術に比べると緩いスケジュールではあるものの、疲労感があるのは確かだった。
先ほどの手術に携わった看護師や医療オペレーターたちも、口々に心配の声を上げた。
「顔色も悪いですし、一度、私に診断させてください。健康管理は私の役割ですから」
「私の健康は私が一番分かっている」
「ダメですよ、ケルシー先生、ドクターみたいなことを言っちゃ」
鼻息荒くフォリニックが師匠に返す。空気が一瞬、凍り付いた。ケルシーとドクターの折り合いが悪いのは、ある程度ロドスにいるオペレーターであれば誰でも知っている基礎知識だ。
だが、幸か不幸か感情が高ぶっているフォリニックは気付かない。それに追い打ちをかける声も重なった。
「その通り! 医者の不養生など古くさい言葉を体現するなど、らしくないな、ケルシー!」
ケルシーが口を開きかけたその時、勢いよく開いたドアから手術用の手袋をはめながら、ワルファリンが現れた。もちろん、その表情は得意げな笑みが浮かべられている。
「ここは妾が代ろうじゃないか。顔でも洗って出直してこい」
「……どういう風の吹き回しだ?」
「言うまでもなく、善意に決まっているだろう……まぁ、後は患者が血がたっぷり出る外傷者ということくらいだ」
舌なめずりするワルファリンに、ケルシーはため息を吐いて「分かった」と短く言って立ち上がる。一挙手一投足を見つめる周囲の医療オペレーターたちに短く「ありがとう」と言う。そして、ワルファリンの横を通り過ぎながらカルテが挟まったバインダーを手渡し、ドアの取っ手に手をかける。
「後で健康診断しますから! 自室に戻るんですか?」
お節介を貫き通すフォリニックに、ケルシーは思わず苦笑して「風に当たってくる」と言うと、白衣を翻して立ち去った。
◆
ロドス本艦で一番高い展望台に、実は外通路があることは意外と知られていない。通路は展望台の屋根に続いていて、そこにはぐるりとフェンスに囲まれた秘密のスポットがある。
今にも沈みそうな夕日に背を向けていた先客と目が合い、ケルシーは思わず眉をしかめた。
「そんな嬉しそうな顔をしないでくれよ」
「……こんなところで何をしている」
「その言葉、そっくり君に返すよ」
ヘラヘラと笑うドクターを見て、ケルシーは本気で引き返そうとする。
「まぁ、なんとなく今日はケルシーに会える気がしていたんだ」
ケルシーの動きがピタリと止まる。その言葉の節々に、他意を感じたのだ。
――ドクターの経過観察と“変化”への対応はロドスにおける最重要事項の1つである。
「……なんて、冗談さ。本当に偶々だよ」
両手を天に向けておどけるドクターに向かって、ケルシーは歩き出す。そして正面に立つと腕を組んで、フードの奥にあるであろう彼の瞳を凝視する。
「様子がおかしいな」
「……そうかい?」
「あぁ」
「ケルシーも少し、いつもと違うな」
ピンと張った空気のなかに、もしも第三者がいたのなら、きっと気まずさに絶えきれずに逃げ出してしまっただろう。
「また、そうやってはぐらかすのか」
詰め寄るケルシーにドクターは苦笑する。
「その『また』は、私は知らない。ケルシーしか知らない『私』だ」
降参ポーズのまま、ドクターは続ける。その答えに、ケルシーも少しだけ目を伏せた。
「ロドスの辺境でばったり会えたんだ。せっかくだから、喧嘩じゃなくて少しだけ話さないか」
ドクターは踵を返してフェンスの向こうの荒野に目を向ける。
ケルシーも少し迷った後、その横に並んだ。
◆
「どうしてここに来たんだい?」
「好きで来た訳じゃない。手術室から追い出されたんだ」
「分かった。フォリニックにやられたんだろう」
「……」
「図星か。師匠にも容赦ないな……でも、彼女らしい行動だ」
普段、しこたま小言を言われている健康管理の担当者の顔を思い出して笑うドクターを憎々し気に一瞥し、ケルシーも言葉を返す。
「お前もどうせ、執務室から追放されたんだろう」
「あぁ、仕事を全部、ロサたちに取られてしまった。お互い、デキる部下を持つと居場所がなくなるなぁ」
ドクターの笑い声が耳の中でやけに反響する。現在(イマ)のドクターだけではない。あの日の、かつての彼の声もこだましている。そんな気がして、ケルシーはこめかみを押さえた。
横から聞こえてくるのは、オペレーターたちが成長したり、活躍する話。だが、反対の耳にはかつて彼が“駒”として使い捨てた者たちの悲鳴が響く。
――大した拷問じゃないか。
思わず、自分自身を嘲笑するケルシーの胸中を察したのかドクターは口を閉じた。
「信頼関係を築けているようで何よりだ。アーミヤも安心するだろう」
「そうかい。それで?」
「……それでとは何だ?」
「キミはどうなんだい」
「前にも言っただろう。オペレーターたちと交流を深めることに異論はない」
「そうじゃなくて、キミ自身はオペレーターたちとどんな関係値なんだい?」
意外な質問にケルシーは、眉にシワを寄せる。そして、医療オペレーターやS.W.E.E.Pの面々を思い出す。彼らに普段、どんな顔をして接しているだろうか。
「……悪くはないだろう」
「そうかい。それは良かった」
絆など、いずれ崩れてなくなる。強く結べば結ぶほど瓦解したときの傷は深くなり、致命傷に至る。身をもって経験したその答えに嘘偽りはないはずだ。
それでも事を為すためには、人とつながらなければならない。
――たとえ、どのような結末を迎えるとしても。
黙ったケルシーをよそにドクターはあっけらかんと笑う。
「なにか新鮮だなぁ。ケルシーとこうして部下や“仕事”の与太話をするなんて」
「そうか? 昔にも結構――」
言いかけて口を閉じる。
ロドス・アイランドを発掘する前後や修理途中、もっと以前にも組織や身内の話をしたことがあった。だが、それは今のドクターが知る由もない。それにさっきよりも、もっと血生臭い会話だった。
耳鳴りが強くなる。思わず左耳を抑えたケルシーを見て、ドクターは首を傾げる。
「大丈夫かい」
「君に心配されるほど、落ちぶれてはいないさ」
悪態を吐いたケルシーはそのまま立ち去ろうとするが、疲労感も相まってぐらりと体勢が傾いた。「危ない!」とっさにドクターが腕を掴むが、ひょろひょろな腕では華奢なケルシーも支えきれずそのまま冷たい床に二人して倒れてしまった。
言わずもがな、この一瞬後が冒頭の場面である。
◆
数歩先で警戒心を剥き出しにしているドクターを歯牙にもかけない様子で、ケルシーは立ち上がる。
「少しは鍛えたらどうだ」
「そうだな。華奢な私は、君に蹴り飛ばされたら多分、集中治療室に直行だな」
「……冗談だ。本気にしないでくれ。それから助けようとしてくれたことには礼を言う」
「いや、こちらこそ。不快な気持ちにしてしまったらすまない」
距離を取ったまま、二人はポツリポツリと言う。その途中でクスリと笑ったドクターをケルシーは眉にしかめて睨んだ。
「何が面白い」
「いや、意外にもお互い素直だったから……すべて、こんな風に解決すれば良いんだが」
――それはムリだろう。
記憶を無くしてから、平和ボケ著しいドクターにケルシーは内心で悪態を吐く。
「君が負っている業はこんなものではないだろう」
「私にはその業の正体すら分からない……まぁ、最近はなんとなく姿形が見えてきたけども」
ボヤくドクターの声と重なるように、また耳鳴りがひどくなった。
――君にはまだ聞こえないのだろう。この断末魔や悲鳴が。いや、それとも鳥のさえずりと同じ程度としか感じないだけか?
胸の中のドロドロが激しく波打ち、ケルシーの感情が珍しく左右にぶれる。
「ケルシー、君に聞きたいことがある」
「……なんだ」
「私と君が負う業は同じだろうか」
「……」
ドクターの質問と同時に耳鳴りが消える。そしてなぜか、視界の端であの人の薄紅色の髪の毛が揺れた気がした。
「私と君は違う。過去に犯した罪も、担う業も、腹の奥底に孕んでいる狂気もな……だが、そうだな。一部は同じものがあるかもしれない」
――仮にも、あの人の元で一緒に肩を並べたのだから。
「そうか! それは朗報だ」
「朗報?」
訝し気なケルシーにずいっと顔を寄せ、ドクターはほんの少し浮ついた声で言う。
「ケルシーと私は、共犯関係ということだろう。それなら、多少なりとも業を共に支えられるというわけだ」
「……何を言っている」
「こんな私でも、君を支えられる可能性があるという意味だよ」
フェイスガードの下で、ニヤリと笑ったのだろう。いつからこんな人たらしになってしまったのだろうか。かつての仲間――あの夢で倒れていった人たちも、これでは浮かばれないのではないだろうか。
ドクターはフェンスに全身を委ねて寄りかかり、ケルシーを真っ直ぐに見る。
「ケルシー、最近気付いたのだが、私はどうやらかなり強欲な性格だったらしい」
「……」
「どれだけ自分が無力だと痛感しても、罪を糾弾されても、多くを失っても諦めきれないんだよ。オペレーターの幸せも、アーミヤが描く理想も、君が負っている業とやらも、すべて良い結果で解決してみせたい」
――たとえ、どんな手段を使ったとしても。
そこに確かな危うさを感じながらも、ドクターの独白を止めることはできなかった。残照がドクターの輪郭をなぞり、ある種の不気味さと神々しさを演出している。
「……好きにすれば良い。君は君の、私は自らのやるべきことをやるだけだ。だが、いつか君が私たちに仇なす存在になったときは、きっと容赦はしないだろう」
「ケルシー先生が始末をつけてくれるなら安心だ。じゃあついでに、この子たちの処理もお願いできるかな?」
そう言って、ドクターはニヤリと笑って歩き出してケルシーを追い越す。そして、黙ってドアの近くまで歩き、ドアノブを回して一気に引く。
その瞬間、体勢を崩したオペレーターたちがドサドサと部屋のなかに雪崩こんできた。
◆
「……君たちは何をしているんだ」
呆れた様子で、ケルシーは床に突っ伏している10人近いオペレーターを眺める。
「ち、違うんです! 誤解です!」
「なんの誤解だ」
いの一番で声を上げたのはヴィグナだ。額には大粒の汗を浮かべている。
「わ、私たちはドクターの帰りが遅いからちょっと探していただけです!」
頷いたのは、ケオベやイフリータ、アズリウスといった執務室に居座っていた連中だ。彼女らが『ドクター一派』だとしたら、もう半分のスズランやミルラなどの医療組がケルシーの担当だろう。
「盗み聞きなんてしてないから、減俸処分は許して!」
「はいはい。分かった分かった」
すがりつく彼女たちとともにドクターは、悠々と出て行く。その瞬間、ふと立ち止まってケルシーの方を振り返った。
「ケルシー。君は多分、自分が思っているよりも優しいから『その日』が来たときに、その肩を支えてくれる人は少なくないのかもしれないよ」
そう言い残すと、ひらりと手を振ってドクターは賑やかな喧噪と共に姿を消した。
「……ケルシー先生?」
柄にもなく、ぼんやりと日が落ちた暗闇を見つめていると、スズランが服の裾をギュッと掴んだ。そしてか細い声で、遠慮気味に言葉を紡ぐ。
「私、知ってます。いえ、私だけじゃなくて医療に携わる人たち全員、ケルシー先生が身を削って患者さんに向き合っていること。だから、ムリしないでください」
「あぁ、ありがとう」
――前途ある君たちに託すことはしない。けれど少なからず『業』に巻き込んでしまうだろう。
ケルシーはゆっくとドアを開き、医療組を従えて外に出る。耳鳴りは遠く聞こえるが、それでも少しはマシになったようだ。
――ケルシーは、全てが終わったら一番にやりたいことってある?
懐かしい、あの人の残響が鼓膜のもっと奥で響く。
その日が来て無事にいられるわけがないけれど、ケルシーは冷えた夜の空気を吸い込み、その答えを静かに思った。
――とりあえず、ドクターの背中を思い切り蹴ってやろう。
読んでいただきありがとうございました!
本稿にて「どうしても書きたい!」と思っていたキャラクターたちの物語を書ききったので、今後はリクエストなどがあればそちらを参考にのんびり創作できたらと思います。
ツールはなんでも構いませんので、オススメのキャラクターなどいましたらぜひ教えてください!
飽きっぽい私が一区切りできるまで書き切れたのは、みなさんのおかげです。これからものんびりとお付き合いくださいませ~!