――オマエはオマエの居場所を守りたいだけだろう?
――冬と春の境界線ってどこにあるか、あなたは知っているかしら?
そう尋ねてきたのは、どこの誰だっただろうか。
教師、親、それとも同級生だったのかもしれない。ただ一つ確信があるのは、その声の主はもうこの世にはいないということだけだ。
ズィマーはベンチの背もたれの上に腰を預け、寒々しい曇天を睨みつけた。
とある小規模の移動都市のゲート付近にある公園は、よそ者に威厳を見せつけるためか不相応なほど立派な造りをしていた。
中心にある立派な噴水。広い歩道はレンガが敷き詰められ、脇には綺麗に整えられたポプラの木々が整然と並んでいる。
公園の出入り口では催し物が行われていて、出店はもちろん、あちこちでピエロが色とりどりの風船を配っている。
それを手にするのは、親子だったり、恋人だったり。そんなありふれた幸せな光景に背を向け、ズィマーは分厚いコートに手を突っ込んで小さく舌打ちする。
――くだらねぇこと思い出したのも、コイツのせいだ。
貴重な休日のズィマーをここに呼び出した張本人は、彼女と背を向けるようにベンチに腰かけている。
呑気にコーヒーをすすっている、フードを被った黒ずくめの不審者を背中越しに一瞥する。
コイツの「お願い」なら無視してやっても良かったのだが、上官命令を下されるとズィマーに拒否権はない。
「久しぶりじゃないか。こんなゆったりと時間を過ごせるなんて」
「……アタシは暇じゃねぇんだ。さっさと用件を教えろ」
「なんだ、ツレないな。二人きりで話すのなんて、久しぶりだろう」
いつもの飄々とした様子のドクターにズィマーは少しだけ苛立つ。安穏とした空気は嫌いではないが、手持ち無沙汰な時間に意味を見出すほど高尚な性格はしていない。
その時だった。
「きゃあ!」
賑やかな声をつんざく悲鳴が響いた。ズィマーはすぐに身を翻して、その方向を向く。その表情には殺意にも似た警戒の色が宿っている。
悲鳴の理由は襲撃とは無縁だった。通路の反対側を歩いていた幼い少女が、ふいにバランスを崩し前のめりに転げたのだ。
その拍子に風船の紐が少女の小さな手を離れ、音もなく空に舞い上がった。
――赤、青、黄色。
まるで誰かさんたちの髪色の風船にズィマーは思わず手を伸ばすが、届くはずもない。
その時、わずかに宿った胸の奥に募る焦燥感の名前をズィマーはまだ知らなかった。
Zimmer(ズィマー)ー赤、青、黄。春の色ー
※※※※※※※※※※※※※※※
「やっちゃったな、ズィマー」
「ふざけんな、アタシのせいじゃねぇ」
一部始終を見ていたであろうドクターの軽口に、ズィマーは短くツッコむ。
少女が転げた瞬間、ドクターは僅かに腰を浮かせたがすぐに母親が駆け付けたのを確認すると、腰を落としていた。
「……あたしの風船!」
怪我はないようだが、それよりも少女にとっては風船がなくなってしまったことが一大事らしい。周囲に丸聞こえなほど大声で、鼻水と涙を出して盛大に泣きじゃくっている。
「ほら、泣かないの! また新しいの買ってあげるから」
「嫌だ、あれがいい!」
膝を折って言い聞かせる母親だが、少女は首を縦に振らない。少女が指差した先には街路樹の中ほどの枝に引っかかった3色の風船があった。
幸か不幸か、風船は空の彼方へ消えたのではなく目の見える位置に留まっている。だからこそ、きっと少女は諦めきれないのだろう。
ほんの少しでも、強い風が吹いてしまえばすぐに飛んでいきそうだ。きっと、諦めた方が合理的に違いない。
そんなことをぼんやりと考えていたズィマーだったが、ドクターに肩を叩かれて我に返った。
「ズィマー、ここは私たちの出番じゃないか」
「はぁ?」
妙に意気揚々としているドクターに、ズィマーは呆れたように返事する。
「まさかオマエ、首を突っ込むつもりかよ」
「そのまさかだ。私とズィマーなら不可能なミッションじゃない」
「いや、アタシは協力するとは一言も――」
文句を言い返そうとしたズィマーの言葉に背を向け、ドクターは母子の前に立つと風船を指差して二言三言、会話する。
母親は最初は戸惑っていたようだが、すぐに頭を下げた。
どうやらミッションは始まってしまったらしい。ズィマーは軽く額を抱えた。
「ズィマー!」
そして間もなく呼ばれた自分の名に彼女は何度目かの舌打ちする。
「これは貸しだからな!」
しっかりと宣言した後、ズィマーは腕をぶんぶんと回しながら立ち上がった。
◆
「あんなに自信満々だったクセにこのザマかよ!」
数分後、ズィマーは顔を赤らめながら吠えていた。
二人は肩車して、風船が引っかかっている街路樹に登れる枝を探していたのだ。ちなみにズィマーが上でドクターが下である。
母子は数歩下がったところで様子を見守っている。きっと行き交う人々は、この珍妙な光景を見ながら去っていくのだろう。
「は、早くしてくれ……。もう限界だ」
ドクターは早くもふらふらと踏ん張りがきかなくなっている。
「ったく! ちょっと揺れるから気を付けろよ」
そう言った瞬間、ズィマーは太ももに力を入れて腕を伸ばし、太い木の枝を掴む。そしてそのまま、腕力だけで上体を持ち上げ、あっという間に枝にまたがった。
洗練された動きに周囲から「おぉ……」というどよめきと、まばらな拍手が響いた。ドクターはそのまま倒れ、仰向けのままズィマーに黙って親指を突き上げる。
「いいぞぉ! 風船の場所はこっちで指示するから、登り始めてくれ!」
一瞥して返事し、ズィマーは葉の枯れ落ちつつも、まるでカーテンのように視界を遮る枝の中に入っていた。
◆
樹木の中は思った以上に動きにくく、また外の様子も分からなかった。
それでも外から聞こえるドクターの声による誘導のおかげだろう。茶色の枝の隙間には、あの風船がわずかにだが常に視界に捉えられている。
――赤、青、黄色。
そういえば、学生自治体のなかではそれぞれを色で示すことが多くなった気がする。例えば、青はイースチナ、黄色はグム、赤は――。
あの風船は、まるで自分たちのようだ。
ふわふわと目的もなく漂い、灰色の世界と比べるとまるでちっぽけな存在。細い糸でつながっていたとしても、傍からみるとあまりにも弱々しい絆。
「……ふざけんじゃねぇ」
力任せに枝を掴み、体を引っ張り上げる。
あの地獄を切り抜けた。それぞれが犯した罪も、負った傷も知っている。あんな頼りない風船に学生自治体と重ね合わせるなんて、リーダー失格だ。
――本当にそう思うのか?
耳元でそう問いかけたのは、まぎれもない自分の声だった。
――このままの関係がずっと続くとでも? 続いた方が全員幸せだと誰が決めた?
最悪のタイミングでの発作だった。耳の奥に響く無数の断末魔は大きくなり、枝の隙間からは脳裏に焼き付いた光景がちらついている。
「くそっ、ふざけるな」
小さく悪態を吐き、ズィマーはがむしゃらに枝を払いのけて登り続ける。ドクターの指示など、もはや聞こえていなかった。
――本当は分かっているんだろう。みんなの傷を癒すのは「ロドス」だ。オマエじゃない。
癒せるものか。薬剤師も、学者も、医者も、あの地獄は知らないのだ。体験したヤツでなければ理解なんてできやしない。
精一杯の反論は、誰かに鼻で笑われた気がした。
――結局、オマエはグムもイースチナも治って欲しくないんだろう。みんな、自分たちでロドスの居場所をつくっている。オマエは、オマエの居場所が欲しいだけなんだよ。
次第に腕に力が入らなくなり、動きが鈍くなる。それでもいつの間にか、風船が引っかかっている枝のすぐそばまでやってこれていたようだ。
歯を食いしばって手を伸ばす。
あと少し、もうちょっと、ほんの指の先……。
そのとき、ふいに寒風が吹きつけた。絡まっていた糸が解け、青と黄色の風船がバラバラに灰色の空に飲まれていく。たった1つ赤の風船だけが飛び立てずに残ったままだ。
――そのときは、意外に近いんじゃないのか?
耳元でささやかれたその時、全身の力が抜け態勢が大きく崩れる。その瞬間、目の奥に暗闇が現れた。
あの悪夢とは違う、ただ胸が痛い光景が広がった。
◆
真っ暗な廊下。そのなかに1つだけ、ドアの隙間から光が漏れている部屋がある。
孤独を一人だけで抱えきれなくなったとき、そのほんの一瞬を過ごすために司令官が半ば勝手に開放している執務室だ。
――堪えられなくなったら来るといい。
ズィマーがそう言われたのは、多分、オペレーターとして登用されてすぐの頃だった。すぐに「誰が行くかよ」と返したのを覚えている。当時は本気だった。自分だけじゃない、グムやイースチナだってぽっと出の大人にすがりつく訳がないと思っていた。
しかし、そうではなかった。
イースチナは「書籍目当て」という名目で度々、ドクターの部屋を訪れていたし、グムも料理やお菓子を手土産に訪問することが増え、少しずつ距離が縮まっていった。
学生自治体が、決して疎遠になったわけではない。むしろつながりは強くなっている。
けれどそれは地獄を共有した仲だからであって、グムやイースチナがロドスで繋いだ縁よりも血生臭くて、お互いの皮膚に食い込むほど強烈なものなのではないだろうか。
――そんなものは絆ではない。呪いである。
気づいてしまったのは、ほんの少し前のことだった。
眠れない夜中にこっそりと部屋を抜け出し、共有のトイレでえずいた後、あの光のもとを訪れたのだ。
指先がちぎれるほど冷たい夜。壁に腕を伸ばして体を支え、その部屋に近づく。だが、あと少しのところで足を止めた。
先客がいたのだ。
真っ白な肌と赤い瞳。バッサリと切り落とした髪の毛にズィマーは見覚えがあった。
――アブサントじゃないか。眠れないのかい?
冬の張りつめた空気のせいで、いつもと変わらない声色の小さな声も届いてしまう。
ほんの少し会話して、少女は光のなかに消えていく。ドアが閉まり、その光の大部分が遮断されると辺りは真っ暗に戻った。
ズィマーは歯を駆使張り、ゆっくりと踵を返す。
――会うのが怖かった。あの地獄を知る自分たち以外の誰かに。
前を向け、戦え、退くな。
いつも吠えるのは、そうしなければ居場所をつくれないからかもしれない。
間違っているつもりはない。けれど、それを確かめる術は知らない。
だからいつも、どうにもならない感情に苛まれたときに後悔するのだ。
――あの光に、誰かの優しさに触れてみればよかったと。
◆
「ズィマー!」
意識が再び芽生えたのは、体が半分落ちかけながらもギリギリのところで支えてくれていたドクターの声だった。
半ば反射的に枝の上で身を起こし、ついでにバランスを崩しかけていたドクターも支える。
「なにやってんだ、オマエ」
「それはこっちの台詞だ。途中で暴走するし、その後は急に元気なくして落ちかけるし、心配したぞ」
肩で大きく息をしているドクターをしげしげと眺め、ズィマーはようやく状況を飲み込んだ。
「悪かったな、助かった」
「まぁ、これで貸し借りなしってことで」
少しバツが悪そうに謝るズィマーにドクターは、手のひらをひらつかせながら答えた。
「それに風船も取れなかった。あるのは一つだけだ」
ズィマーはつぶやく。まだ十分目視できるものの、黄色と青色の風船はゆっくりと姿が小さくなっていた。
――もう手遅れだ。
どうやっても手に入らない。でも、それは彼女たちは幸せなのかもしれない。
神妙な面持ちのズィマーを横目で見た後、ドクターは小さく笑う。それに気が付いたズィマーは怪訝そうな顔つきでドクターを見た。
「諦めが早いじゃないか。ズィマーらしくない」
「あ? なんだそれ」
「慢性的な運動不足の私が、どうやってこんな高いところまで登ってこれたと思う?」
そう言うとドクターは口元に笑みを作った。
――秘杖、反重力。
影が差し、曇天に赤と白のローブが翻る。地上からは「おぉ!」という歓声に似たどよめきが起こった。
その少女をズィマーは良く知っている。何度も作戦行動を共にしているし、グムやイースチナ、ロサとも仲の良い同じ年頃のオペレーターだ。
杖にまたがった彼女は、ものの見事に2つの風船を捕まえるとまるで宙を泳ぐように移動し、ズィマーとドクターの目の前で停止した。
そして、一度は離れた2つの風船を呆然としているズィマーの前に差し出した。
「安心院アンジェリーナだったよな、どうしてここに」
「まだ秘密。それよりもほら、返してあげようよ。手を掴んで」
差し出された手のひらを握ると、アンジェリーナはドクターとともにゆっくりと地面に降りた。いつの間にか周囲には人だかりができており、若干、居心地が悪そうなズィマーが一部始終を見守っていた母子に風船を返すと拍手が巻き起こった。
その人だかりをかき分けてやってきて、有無を言わさずズィマーに抱き着いたグムとイースチナに、ズィマーは今日一番のポカンとした顔を浮かべた。
◆
「サプライズだった!?」
それから少し経ち、噴水の前でズィマーは思わず声を上げた。
「そう、風船の件以外はね」
苦笑しながらドクターは肩を竦めた。
「でもなんとか間に合ってよかった。あそこから落ちていたらさすがに怪我しちゃっていたよ」
まだ不安そうな表情を浮かべているのはグム。その横ではイースチナが静かに頷いていた。
「私の目測が甘かったみたいだ。もう平気かい?」
「……あぁ」
心配されるのは少しくすぐったく、ズィマーは明後日の方向を向きながら頬を掻いた。詳しいことを聞いてこないのはきっと、優しさなのだろう。
「それで、なんのサプライズなんだよ。誕生日は今日じゃねぇぞ」
半ば無理やり、話題を変えたズィマーにドクターはまたニヤリと口元に笑みを浮かべた。
「ズィマー、君が最も苦手な環境を作ってあげてようと思ってね」
ドクターは一歩前に進み、胸ポケットからゆっくりと銀色のバッヂを取り出す。そしてズィマーの左胸に付けた。
「これは――」
「昇進おめでとう。ズィマー」
「あ、あぁ。当然だろ……これがサプライズ?」
「いや、本当はオペレーターの前で授与したかったんだけど、それは君は嫌がるだろ。だからもっと盛大にして上げようと思ってね」
ニヤリと笑い、ドクターはパンッと手を叩く。
すると噴水の周りにいた人たちが、おもむろにクラッカーを取り出してズィマーに向けて紐を引いた。大きな破裂音が何度も響き、やがてそれは大きな拍手と「おめでとう」の声に変わっていく。
呆然とするズィマーはしばらく経ってようやく、自分を取り囲む人々のなかに見知った者が混ざっていることに気が付く。
「今日非番のロドスの職員とオペレーターからのプレゼントだよ、ズィマーには効くだろう」
「いや――」
周囲を見ると、ピエロの恰好をした男がたくさんの風船を持ってやってきたのだ。
周りの人だかりは自然に道を作り、ピエロはゆっくりとズィマーの前にやってくる。そして色とりどりの風船につながっている束をズィマーに差し出した。
赤、青、黄色。緑、白、桃色、紫……。ぶっきらぼうなズィマーには似つかわしい派手な格好。顔から火が吹き出るほど恥ずかしい。
だがそれ以上に口を開くと、何かが漏れてしまいそうでズィマーは思わず俯いた。
「キミの頑張りは誰もが知っている。ありがとう、ズィマー」
耳元でささやいたドクターにズィマーは一瞬、破顔しそうになる。それでもなんとか堪えて、全力でぶっきらぼうな表情をつくる。
――覚えてろよ。そのうち、その席ぶんどってやるからな。いい気になっているのも今のうちだぞ。
そう言ってやった。
仕事に忙殺されておりました。。
なんとかアークナイツもログイン勢から復帰できそうなので、投稿も再開します!
数か月書いていないと勘がなかなか戻らず。。やはり少しずつでも継続するべきですね。
リクエストありがとうございました!
引き続きよろしくお願いいたします。