ほとんど誰も知らない、ロドスのどこかにある秘密の場所。
その実、ただの忘れ去られた倉庫の一角なのだが、埃っぽい空気と静寂がロープは好きだった。
罹患者の無茶を咎める医療オペレーター。訓練室から漏れ聞こえる鬼教官の怒声と、訓練生たちの悲鳴にも似た掛け声。たまにドクターの部屋から聞こえる爆発音。
自室にいても同居人の少女に絡まれるから、意外と孤独を楽しめる場所がロドスには乏しいのだ。
だから、この薄暗くてかび臭い聖域を発見したときは嬉しかったのだが――。
「何しに来たの?」
ロープは肺に入れずに吐き出したタバコの煙が霧散していく様を見つめ、足元で壁に背中を預けてうずくまっているドクターを見下ろした。
そう、今日は先着がいたのだ。
ドクターは、バイザーの中の顔に意地悪な笑顔を浮かべたのだろう。
いつもより少し浮ついた声でこう言った。
「それはもちろん、デートの誘いさ」
Rope(ロープ)-帰郷-
※※※※※※※※※※※※
「もう一人いるなんて聞いてなかったんだけど」
「お邪魔してすいません。ただ、患者の監視も私たち医療オペレーターの業務の一つですから」
「相変わらず、お堅いなぁ。今日はオフみたいなものだし、楽しくやろうよ」
「それはできません。二アールさんとドーベルマン教官からは、ドクターの監視も言いつけられているので」
「……それは忙しいだろうな」
龍門の大通りをドクター、ロープ、アンセルの3人は並んで歩きながら、静かにそれぞれの主張をぶつけ合っていた。
いつもと変わらない不審者感まる出しのドクターと、白衣こそ着ていないものの私服と呼ぶには堅苦しい服装の二人は、人でごった返す周囲からは浮いている。
ドクターからデートという名のプロファイルづくりの提案を受けたのは2週間ほど前。こっそり抜け出して、たまたまロドスの航路付近にあった龍門に繰り出すつもりだったのに、どうやら医療チームに漏れ伝わってしまったらしい。
外出条件に医療オペレーターの同伴を突き付けられてしまったというわけだ。
「本当はロープさんの診療も行っているサイレンス先生の予定だったんですが、別の患者の容体が急変してしまって――」
「もう、いつまで仕事の話してしているのさ。ほらほら、私にいっぱいおごってよ~。とりあえず、喉が渇いたなぁ、男子諸君」
「財布はドクター持ちです」
「……まぁ、予想の範囲内だよ」
ロープが指差した色とりどりのフルーツが飾られているフレッシュジュース専門店に、心なしか肩を落として向かうドクター。いつもの自信満々の様子との落差に、ロープは思わず吹き出す。
ただ、その様子をアンセルに見られていることに気づき、慌てて空咳した。
◆
プラスチックに入った鮮やかなオレンジ色のジュースをストローで吸い上げる。
胸やけがするほど、甘ったるい味。昔の自分なら、むせて吐き出してしまっていたかもしれない。
「美味しいかい?」
「まぁまぁだね~。シエスタと比べるとフレッシュさが足りないけど」
「あそこは直産地だからなぁ。比較するのが酷だろう」
歩道と車道の間に整然と並ぶ街路樹。その前にある腰の高さくらいのフェンスに並んで座り、3人は揃ってジュースを飲んでいた。
「ロープは里帰りするのは初めてかい?」
「初めてだけど、龍門はお里って感じはしないなぁ」
「ロープさんの出身は、私と同じレム・ビリトンですもんね」
「……まぁ、そっちも住んでた記憶はほんとんどないけど」
頬をポリポリと掻きながら、ロープは返す。
「よく分からないんだけど、故郷ってさ、懐かしんだり、帰りたいとか感じるのが普通なんでしょ。私は別にそんなの思わないし」
久しぶりの龍門の空気と雑踏のせいだろう。思わず零した本音に、ドクターとアンセルが顔を見合わせるのを見て、ロープはしまったという表情を浮かべた。
「ほ、ほら。ぼくって強いし、家なんかいらないっていうか。放浪人ってのもカッコいいでしょ」
慌てて取り繕うロープにアンセルは少し眉をしかめたが、ドクターは「そうだな」と頷いてみせた。
「それじゃあ、龍門をリクエストした理由はなんだい? てっきり、帰省なのかと思っていたけど」
「ふっふっふ、さすがドクター。よく訊いてくれたね」
いつもより少しだけ明るく言い、ロープは立ち上がると同時に踵を返して、いつものようにへらっと笑う。
「昔よりもずっと健康になった私を見せつけてやろうかと思ってるんだ」
「見せつけるって誰に?」
アンセルに短く問われ、ロープはなぜか胸を張る。
「私の記憶の中の私だよ」
唐突な、ロープらしくない哲学的な回答に、医者見習いとロドスの頭脳は思わず唸った。
◆
龍門を最後に訪れたのはドクターが率いる選抜部隊として、レユニオンの襲撃を受ける街に乗り込んだとき。きっとあの時は、自分の命もかかっていたからだろう。スラムも、迫害してきた奴らが住む場所も等しく崩壊している光景を垣間見たはずなのだが、心はそれほど揺れなかった。
あれからしばらく経ち、スラムもかなり「キレイ」になったことを噂で聞いた時も、特に感情は動かなかった。
それでもロープの心のどこかには、毎日、生きるのが精いっぱいだったあの頃の記憶が残っていて、快適な夜を妨げることがある。
だから、今日はその清算をしに来たというわけだ。
だが、そこまでの理由はアンセルはもちろん、ドクターにも言っていない。眠れない日があると言って医療スタッフの監視がますます厳しくなるなんて御免だし、そもそも上手く説明できる自信がなかったのだ。
「……ここが元スラム?」
大通りから外れた路地を歩き、いくつかの架橋を渡った先にあるアーケードの前に立ち、ロープは思わずつぶやいた。
「そのようですね。道もお店も新しいですし」
「へぇ、随分と変わったんだね」
「……ロープ?」
短く返事したロープの声色を察したのだろう。ドクターがコードネームを呼ぶが、その声はなぜかひどく遠く聞こえた。
ここは境界線。昔であれば表の住人は絶対に踏み入れてはいけないし、逆にスラムの居住者は外に出てはいけなかった。
それが今では、ラフな格好をした様々な人が悠々と出入りしているではないか。ロープもゆっくりと足を踏み入れるが、当然、何が起こるでもわけでもない。
ゆっくりと歩き出しながら、せわしなく視線を動かし辺りを探る。
物乞いの子どもや力尽きた浮浪者たちは路地から消え失せ、その代わりに辺りは希望に満ちた表情のカップルや親子連れで溢れている。
路地裏にたむろしている鉱石病の罹病は影も形もない。きっと歩いている人のほとんどが非感染者なのだろう。
知らず知らずのうちに足取りが早くなっていることに、ロープは気づけなかった。
「ロープさん!」
後ろからアンセルが大声で呼んだときには、ロープはもう走り出していた。
◆
――どうしてだろう?
ビルの隙間のあちこちを覗き込んで煤に塗れた壁を探し、盛んに鼻孔を膨らませてあの汗と血が乾いたすえた臭いを見つけようとしながら、ロープは心のなかで首をかしげる。
なぜ、こんなにも慌てているのだろうか。
――ぼくも、街も、世界もキレイになることは良いはずだ。
ここには家族も恋人も友人もいなかった。あるのは飢えと苦痛、それから暗い未来。そんなものは、今、ここにはない。
自分も街もきちんと「捨てられた」はずなのに。
人波をかき分けるロープの息は次第に荒くなる。別に疲れたわけじゃない。それでもなぜか、ひどく胸が苦しいのだ。
立ち止まろうか、と思ったそのときロープの視界の隅にグレーの防塵用の布に囲われた一棟のビルが映った。
◆
「ドクター。こっちよ~」
散々走り回った挙句、なんとか工事中のビルの中に不法侵入したドクターとアンセルが、先行していたグラベルが指差した吹き抜けらしき場所に足を踏み入れた。
遥か上から落下して砕け散った天井の破片が辺りには散乱していて、薄暗い屋内には日光の筋が一本だけ差し込んでいる。
ロープはその真ん中に立ち、黙って二人に背中を見つめていた。
「いきなりどうしたんですか――」
問いただしながら駆け寄ろうとしたアンセルだが、ドクターはその肩を掴んで止める。そして、フェイスガードの口元にゆっくりと人差し指を一本立てた後、やけに小さく見えるロープの背中に近づいていく。
「……今の君を見せつけられたかい?」
「全然。見せつけたかったモノはもうないみたい。こんなキレイな場所には、今のぼくも似合わないね」
苦笑しているのだろう。少しだけ自虐を含む、いつものロープの口調だった。
「この場所は?」
「……ぼくが最後に捕まったところだよ。あの青髪の警官だけは最後まで撒けなかったなぁ。こんな恥ずかしい場所しか残っていないなんて、本当にツイてない」
チェンのことを思い出しているのだろう。本当に冴えない口調のロープに、ドクターは小さく笑いながら肩を並べた。
しばらくの沈黙。その間にアンセルもドクターの横に立つ。
「もう行きたい場所はないのかい?」
「うん。なんか、肩透かしだった」
「せっかく来たんだ。まだ付き合うよ」
「……どこに行こうっての。別に待っている人も場所もないんだから」
なにをいじけているんだ。とロープは我ながら思うが、口火を切った愚痴は気づいていても簡単に止められるものじゃない。
「ぼくってさ、随分と健康的になったでしょ。一日三食食べてるし」
「そうだね」
「スタイルも結構良くなったって言われる」
「確かに」
「服だって色々貰ったし、おしゃれを教えてもらった」
「……あぁ」
「ガリガリで顔が土気色だったぼくはもういない。だから、もういらないものは記憶から全部捨てて、忘れようと思った」
「……」
「でもなんでだろう。なんで、寂しいって感じるんだろうね」
ポツリとつぶやいたロープの問いに回答はない。その代わり、優しく肩を叩かれる。その方向を向くとドクターがゆっくりと言った。
「もう少し、探索してみないか。諦めるにはまだ早い。ロープが探しているものがどこかにあるかもしれない」
その声にアンセルも短くうなずいてみせる。
ロープは思わず苦笑する。
――忘れていた。この人たちは、こういう人だ。
何もかも諦めることで、辛い今も暗い未来も受け入れてきた。だが、そんな妥協を簡単には許してくれない人たちに今、ロープは囲まれているのだ。
◆
結局、その後も龍門の旧スラム街をくまなく探索したが少なくともロープが知るスラムはどこにも存在していなかった。
鼠王が庇護していたスラムが本当になくなったのかは、甚だ疑問ではあるものの、別の場所に移ったか、それとも形を変えて存在しているのか。ロープには分からなったし、もう理解する必要はあまりないと思った。
「二人とも助かったよ。成果はゼロだけど」
すっかりと日が落ちてしばらく経った時間帯に、肩を並べた三人はロドス艦内に続く通路を歩いていた。
「力になれなくてすまなかったね」
「いや、いいよ。すっきりしたから」
その言葉に嘘偽りはない。諦めとは違う何かを得られた気がしていた。
「……ドクター。それよりも、私たちは覚悟しないといけないことがあると思います」
「……言わないでくれ。気付いているから」
腕時計をチラチラと確認する二人に、ロープが首を傾げたそのときだった。
ICカードでロドスの“正面玄関”を開けた瞬間、「帰ってきた!」という声が耳に飛び込んできた。
慌てて振り返ると、そこにはサイレンスをはじめとした医療オペレーターと、ドーベルマン教官のほか、数人の顔見知りのオペレーターたちが勢ぞろいした。
「え、なにこれ」
「アンセル、門限はとっくに過ぎていると思うんだけど」
「ドクター。定例会議に間に合わないどころか、欠席報告もないとは何事だ?」
「ロープっち~。龍門のお土産買ってきてくれた?」
サイレンス、ドーベルマンと何故かウタゲが三人にずいっと近づいてきてそれぞれがそれぞれの事情と文句を突き付けてきた。
平伏する二人が門限を超えてまで付き合ってくれていたことをロープは初めて知る。理由を説明しようと、ロープは口を開く。
「いや、二人は――」
「面目ない! ちょっとハメを外しすぎてしまったようだ……なぁ、アンセル?」
「……そうですね。きれいな女性もたくさんいましたし」
驚くロープに二人は小さくウインクする。医療スタッフとドーベルマン以外は二人の回答に思わず笑ってしまい、ほんの少しだけ空気が和やかになる。
「どうやら男二人は、合わせて説教する必要があるみたいね」
「そうだな。尋問室を抑えておこう」
サイレンスとドーベルマンのやりとりに、ドクターが思わず「うげぇ」と言い、さらに周囲に笑いが巻き起こった。
そんな明るい雰囲気にどこか入りにくそうなロープの腕を取り、サイレンスはじっと灰色の瞳を覗き込んだ。
「長く外に出ていたけど体の調子はどう? 今日は少しだけ寒かったし」
「大丈夫。それよりも、ここで待っていたの?」
「そうよ、心配だったから」
「……そっか」
軽口でも叩こうかと思ったが、なんとも言えない感情で胸がつかえてしまい、息を吐き出すだけで精一杯だった。
賑やかなで明るい光景。昼間の龍門と同じ感じだけれど、不思議と疎外感は幾分と和らいだ気がする。
醜い自分も、辛い思い出も未だに背負っている。今日の目的は何一つ達成できなかった。それでも、もっと大切な何かを今、自分は間近に感じているのだと思えた。
「おかえりなさい、ロープ」
当たり前のようにサイレンスが言うと、周囲から「おかえり」という声が口々に響いた。
ロドスに入ってから何回だって聞いた言葉。けれど、それを聞いた瞬間、胸が痛くなりロープは俯く。
「大丈夫? どこか悪いの?」
すかさず問いかけるサイレンスにロープはただ、首を横に振ることしかできなかった。喋ったら涙がこぼれてしまいそうだったから。
それでも言いたい言葉が一つだけある。やっと気づけた。だから返さないといけない。分かっているけれど唇が震えて、上手く言葉を紡げない。
そのときだった。
ふいドクターの声が聞こえた。
「ただいま!」
場違いな回答に「ドクターに言ってない!」と総ツッコミされるが、ロープはふっと笑う。
――なんだ、結局ドクターには全部バレていたんじゃないか。
それなら、多分、何も恐れる必要なんてないだろう。
ロープは思い切って顔を上げ、震える声で“らしくない”言葉を想像していた声量の一割ほどの大きさで伝える。
「ただいま、みんな」
帰りたい場所を、ようやく見つけた。
ロープのプロファイルはアークナイツにハマるきっかけの1つです。
過去も現在も、多分、これからの未来もツラいことが多いであろう彼女が満足いく人生を歩めるよう願わずにはいられません。