ドクターズ・プロファイル   作:日名内 修

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頑張り屋なパフューマーこと、ラナさんの手のひらと昔の「彼」のお話。


パフューマー -てのひらと指先-

「すまないな。こんなところしか用意できなくて」

 ケルシーの謝罪など後にも先にも、ラナはその瞬間しか聞いた覚えはない。

 医療棟の一角。数年ぶりの来客を出迎えた倉庫のような施設の床には、分厚い埃が層を作っていた。それなりの広さはあるが、日当たりはあまり良くない。水場も遠く、水道が引けるまでは水やりだけでも一苦労だろう。

 それでもラナの心は、陰鬱なこの場に似つかわしくないほど晴れやかだった。

「いいえ、ありがとうございます。無理なお願いを聞いていただいて。ケルシー先生、私、頑張りますから」

 軽やかな返事には嫌味や皮肉の気配は全く感じられない。

 それどころか、ラナの瞳の奥にはすでに理想の温室となった部屋が彩られていた。

 色とりどりの花束。その隙間を縫うように走る細い水路。天井からは明るい陽の光が注ぎ込み、鼻孔を様々な香りがくすぐる。

 思い描いていたのは誰から見ても幸せな光景だった。

 

――あれから、どれだけの月日が経っただろう。

 

 自分の手で少しずつ形作ってきた温室をぐるりと見渡した。降り注ぐ暖かい日差しの下では、ラナよりも幼い少女たちが花を慈しみながら世話をしている。濃い花の匂いと、この世のすべての色を集めたかのような花弁が咲き乱れる。

 あの時、想像した以上の幸福な光景がここにはある。

 

――前に進んでいる。そうでしょう?

 

 わざわざ自分に言い聞かせるのは焦っているから。でも、その理由は分からない。

 ラナはゆっくりと自分の手のひらを眺める。

 冬の作業を乗り越えたばかりの指先の幾本は縦割れし、手のひらはボロボロ。たっぷりとクリームを塗っていたにも関わらず、悲惨そのものだった。

「すいません、ラナさん! ちょっと聞きたいことがあるんですけど!」

 可愛いお手伝いさんの声にラナははっとして顔を上げる。手のひらをぎゅっと握り「すぐ行くわ」と返事した。

 踵を返したそのとき、懐かしい声が耳の奥で響いた。

 

――パフューマーさん、一輪だけ花を譲ってもらえないでしょうか。

 

 慌ててもう一度振り返る。ほんの一瞬だけ、まだ煤だらけだった頃の温室の出入口とその前に立つ、一人のオペレーターの姿が見えた気がした。

 

Perfumer(パフューマー)ーてのひらと指先ー

 

※※※※※※※※※※※※※※※※

 

「忙しいところ、お邪魔して悪いね」

「本当にそう思っているのかしら」

「それはもちろん、心からお邪魔してるって感じてるさ。なぁ、カシャ」

「そうそう! 機材はパパッと回収するから、あたしに任せてよ」

 いつもは安穏とした空気が流れている温室だが、大小二つの来訪者のおかげで良い意味で騒々しい。カシャとドクターがやってきた理由は、工房の端の花棚に設置されたメカカワウソ――もとい、定点観測用の高性能ビデオカメラだ。

「素材はいっぱい撮れてるからね! 編集したらすっごくエモい作品になると思うよ」

「……エモいってどういう意味かしら」

「あれ、知らないのかい? エモーショナルの略語だよ。最近の若い子たちの流行語さ」

「詳しいのね、ドクター」

「もちろん、指揮官たるもの若者文化にも精通していないと」

「よく言うよ。ついさっき、あたしに教わったばかりのくせに」

「……少しくらい格好つけさせてくれよ」

 偉そうに胸を張るドクターに、呆れた様子でカシャがツッコむ。見栄が即バレたドクターは小さく愚痴って肩を落とした。

 そんな二人のやりとりにくすくすとラナは笑う。周囲で作業している数人のスタッフからも、和やかな笑みが零れる。

「じゃあ、さっそく作業をよろしくね。ラベンダーティーを用意して待ってるから」

「やったー! よし、すぐに終わらせようよ、ドクター!」

 ナチュラルな雰囲気で上官に指示するカシャとそれに素直に従うドクターの後ろ姿を、ラナは口元に笑みを浮かべて見送った。

 

 ◆

 

 ドクターズ・プロファイルの一環で、温室の植物の育苗から開花、収穫までを記録したいとドクターから提案されたのは四半期ほど前のこと。温室の管理人であるラナが異議を唱えなかったので即設置されたのだが、華やかな花棚の合間に設置されたメカカワウソは、主に景観的な意味で最初は作業を手伝ってくれているオペレーターやスタッフからはすこぶる評判が悪かった。

 カシャのおかげで作業自体に影響はないものの、「盗撮だと思われたくない」という彼女のプロ意識からメカカワウソの頭に「撮影中!!」と掲げられた大きなフリップが悪目立ちしすぎたのだ。

 もっとも、ひと月もすれば無骨な姿とはかけ離れた愛嬌たっぷりのメカカワウソの仕草のおかげで、批判もほとんどなくなったのだが。

 

――そもそも、どうしてドクターは温室の記録なんて撮ったのだろう。

 

 温室の片隅にある丸テーブルに、温室にいる全員分のマグカップを並べながらラナは考える。最近、話題のドクターズ・プロファイルは基本的にオペレーターとドクターの二人で撮ることが普通らしい。

 アンジェリーナのプロファイル作成に協力したこともあり、ラナは他のオペレーターよりもその辺りの事情は詳しい。アンジェリーナはプロファイル作成はひと騒動あったらしいが、それでも事後報告にきた彼女は笑顔だった。

 

――これで私のプロファイルはお終いなのかしら。

 

 自分の出番を待ちわびていたわけではないが、なんとなくもったいない気がしないでもない。

「パフューマーさんは忙しいから、か」

 最近、同期や年下のオペレーターから良く言われる言葉である。

 気が利かないようで、恐ろしいくらい人を見ているドクターのことだ。もしかしたらドクターも忙しい自分に配慮してくれたのかもしれない。

 それはそれで嬉しいのだが、胸の奥のモヤモヤは晴れない。無意識のうちに、ラナはまたてのひらと指先を見つめていた。

 

 ◆

 

 カシャの機材回収はほんの十分程度で終わり、瞬く間に来客の二人はラナが準備したラベンダーティーを舌で転がし、蕩けた表情を浮かべていた。

 他のスタッフも花壇に腰かけて休憩中でまったりとした時間が温室内に流れていた。

「本当に見違えるようだよ」

 ほんの少しだけ三人の間に鎮座した沈黙を破り、ドクターが温室をぐるりと見渡した。

 階段状に組まれた花棚と、その合間を縫うように流れる水。収穫済みの植物、精油するための大きな蒸留機。今は花はなくとも、ロドスの艦内とは思えないほど美しい光景である。

「君の努力の賜物なんだろうな」

「……私だけじゃないわ。ケルシー先生も、手伝ってくれるみんなのおかげ。もちろん、色々と手配してくれたドクターもね」

 なんとなく、プロファイルのまとめにかかっているような気がして、ラナにしては珍しく声色が若干曇った。同時にそんな自分に「しまった」と思い、慌てて視線を落とす。カシャはまるで気づいてないようだが、ドクターがカチャッとマグカップを置く音が聞こえた。

「……最近は忙しいのかい?」

「そ、そんなことはないの。最初の頃は私一人だったけど、最近はみんな手伝ってくれるから。あと、クロージャさんが精油も仕入れてくれるようになったから――」

「色々と考えられる時間も増えた?」

 ドクターの問いかけにラナは素直にうなずく。すると、ドクターとカシャは意味あり気に互いに目配せた。そしてビデオプレイヤーをテーブルに出すと、さきほどとは打って変わった真剣な顔でラナを見る。

「実はこれまで撮影した映像に気になるモノが映っていてね。君の仕事の邪魔になるなら、見せないようにしようとしていたんだけど……どうする?」

 ラナは首を傾げるが、二人が冗談を言ってるわけでないとはすぐに察した。だからこそ、すぐに首を縦に振る。

 これがラナのドクターズ・プロファイルの最重要事項だったのだ。

 

 ◆

 

 ビデオプレイヤーに映されたのは、温室の出入口とそこに佇む男だった。

 右上に撮影日時が表示されておりカシャが早送りすると、男は間もなく消え、また現れる。いつも決まった時間ではないが、大体三日に一度、それも数分間も微動だにせず温室の奥を見つめて立っていた。

 表情はうかがえないが、ロドスのオペレーターの制服を着ている。

「これは……」

 さすがのラナも言葉が出てこない。

「先週くらいかな、カシャがこれまで撮った映像を見返していて“彼”に気が付いたんだ。なかには夜間の温室にも出現している。彼はこの温室の鍵は持っていないだろう」

「えぇ」

「さらに警報も作動していない。実は君に内緒でアブサントとグラニに温室付近を巡回してもらっていたんだけどね。彼女たちが問題ないと報告した時間帯にも“彼”は現れている。ちょっとおかしなことだらけなんだよ」

「誰かのいたずらってわけでもなさそうだしね」 

 顎を指でなぞりながらドクターは腕組みし、カシャも言葉を続けた。

「……知ってる」

「え?」

「私、この人知ってるわ」

「ほんとうに? この人は今どこにいるんだい?」 

 珍しく声色に感情が乗るドクターを見据え、ラナはゆっくりと首を横に振った。

「もう、ずいぶん前に亡くなってる。そうね、多分、ドクターがロドスに復帰する少し前のことだったと思う」

 固まった二人から花壇の奥にある、不自然に刈り取られていない一輪の白い花を見てラナは目を閉じる。

 

――パフューマーさん、一輪だけ花を譲ってもらえないでしょうか。

 

 苦労した思い出もずいぶんと色あせたが、その声だけはいまだに忘れることができないのだ。

 

 ◆

 

 彼がやってきたのは、温室を預かって間もない頃。まだ花棚の骨組みなんとか作り上げたばかりの時期だったと思う。

 夜通し作業していたラナを突然、訪れたのだ。

「昼間も作業していたのに、大丈夫ですか?」

「心配してくれてありがとうございます。でも、大丈夫ですよ」

「見かけによらず強いですよね、パフューマーさんは。本当にうらやましい」

 彼は新米の前衛オペレーターでどうやらロドスの支援部に彼女がいるとのこと。その彼女に送るための花を求めて、ラナのもとにやってきたのだ。

 だが、ご希望の花はまだ植えられる状況でない。さらに罹病者のための温室という特性上、今栽培できている僅かな植物も譲れないことを告げた。

 彼もそれをすぐに了承し「だったら早く余裕ができるように手伝う」と言い出したのだ。

「ありがたいのだけれど、本業に支障が出るようならダメよ。無理しないで」

「大丈夫ですよ! 体力だけは自身あるんです。ドーベルマン教官にバレるまでお手伝いさせてください」

 そう言った彼は笑っていた。

 一カ月以上、彼は毎日やってきた。孤独な夜の作業はほんの少しだけ華やいで、ずいぶんと助けられた。けれど、終わりは始まりと同じく突然やってきたのだ。

 派遣先の移動都市で突如勃発した抗争に巻き込まれ、彼は死んだのだ。非感染者だった彼の遺体は、ロドスに戻ることなく故郷に葬られたらしい。

 その数カ月後、彼が彼女に送るはずだった白い花が咲いた。

 

「それ以来、時期なると種を巻いて花はずっと残してあるのだけれど、どうすれば良いのか分からなくて」

「……なるほど。そんな事情があったのか」

「でもそれと映像に関係があるのかしら」

「残留思念にアーツが絡んで具現化した……なんて事象は聞いたことがないが、このままにしておくわけにはいかないだろうなぁ」

「そうよね……。私も最近、ふとしたときに彼の幻のようなものを見ることがあるの」

「それを聞いたら尚更放っておけないな」

 ドクターは「よしっ!」と端を切ると、テーブルに乗り出してラナにずいっと寄った。

「ここは私に任せてくれないか。何とかしてみせよう」

「え、えぇ。ドクターが言うなら――」

 戸惑いながらも相槌を打つラナに、ドクターは力強くうなずく。そして一言、ラナに注文をつける。

「直近で休みが取れるように、休暇申請と外出申請の準備をしていくれ」

 

 ◆

 

 それから一週間後、ドクターとラナはとある移動都市の共同墓地の前に立っていた。二人だけではない。後ろにはロドスの制服を着た女性がいる。

 ラナは胸に白い花束を抱き、女性に先導されて緑の芝の上を歩く。だだっ広い墓地には等間隔で平板状の墓石が並んでいる。そのちょうど真ん中あたりに彼の墓があった。

 ラナと女性は膝を付き、花をたむける。ドクターはその後ろでわずかに頭を垂れた。

「パフューマーさん、ありがとうございます。きっと、彼も喜んでいると思います」

 帰り道、女性はそう言ってラナに頭を下げた。

「いえ。私こそ、もっと早めにこうすれば良かったのに――」

 後悔の念を口にするラナだったが、その言葉は女性に遮られた。

「パフューマーさんは気にしないでください。あの人が巻き込んだことなんですから。ほんと、いつも勝手に行動しちゃってばかりで――もうっ」

 少し憤る女性に、ラナは少しだけ目を丸くする。さらにドクターもくすりと笑ったのでそちらに怪訝な顔を向けた。

「ずいぶんと面白いオペレーターだったんだね。ぜひ作戦を共にしたかったなぁ」

「ダメですよ、きっとヘマしてドクターにご迷惑をかけていたと思います」

「……ずいぶんとあっけらかんとしているんですね」

 彼女の態度にラナは、らしくない率直な言葉を口にしてしまう。彼女は「喪に服す期間は過ぎましたから」とほんの少しだけ寂しそうに笑って前を向く。

「あとは、気が向いたときにだけに思い出してやることにします」

 

――案外、そんなものなのかもしれない。

 

 温室の花を譲るのは、大抵、誰かが亡くなったときだ。オペレーターはまだしも、鉱石病の罹病者が死者は少なくないうえに、花と死体を一緒に“処理”するのは好ましくない。

 だから、まとめて献花用の花束を提供することがある。その時の表情は、やはりみんな明るくはない。だから、ずっとその表情のままだと心のどこかで決めつけてしまっていた。本当に囚われていたのは、自分自身だったのだ。

 

――残された者は、それでもやがて立ち上がる。

 

 それがきっと、生きている人のために、命を諦めない人たちのために花を育てる意味になるのだろう。

 一陣の強い風が共同墓地から出ようとしていた三人の背中を吹き抜ける。

 白い花弁が風に乗って天高く舞い上がった。

 

 ◆

 

――これは、後日に温室で撮影された記録映像である。

 

 温室の真ん中で正座したドクターとラナの姿が映し出されている。

「……ドクター。この前の件だけど、真相が明らかになったわ」

「そ、そうか! 幽霊じゃなかったってことなのかい?」

「もうとぼけなくてもいいのよ?」

「なんのことだろうか」

 ラナは膝を折ってドクターと目線を合わせるとにっこりと笑う。

「当時からなんとなーく分かっていたけど、彼女さんに教えてもらったの」

「二人は仲良くなったんだね。よかったよかった」

「話を折らないで」

「はい」

 即答するドクターに、撮影者は画面外で思わず噴き出した。

「彼の映像、彼女さんにもらった映像を利用して合成したんですってね。私と彼の事情も全部、彼女から聞いていたとか」

「ひ、人聞きが悪いな。映像をチェックしていたら、ラナがなんだか元気なかったからその理由を探っていたら彼女にたどり着いただけだ」

「だからって遠回りしすぎじゃないかしら。ドクターに質問されたら、私なんでも答えるのだけれど」

 腕を腰にあててラナはドクターを見下ろす。

 とはいえ、本気で怒っているわけではないし、むしろ感謝していることはきっとドクターも気づいてくれているだろう。

 だが、せっかく機会だ。もう少しだけわがままを言っても許されるだろう。

「今度、埋め合わせをお願いしても良いかしら。半日だけでもすごくうれしいわ」

「……最優先に善処するよ」

「やった! カシャちゃんも一緒に行きましょう」

「もちろん、いっぱいおごってよねー。ドクター!」

「いやいや、カシャはこっち側だろう!」

 抗議するドクターにふっと微笑み、ラナはゆっくりと手を差し出した。

 

 清楚で可憐なラナとはかけ離れた荒れた指先とてのひら。少し前までは、なぜか人に見られるのを避けがちだった。

 ドクターはなんの迷いもなくその手を握り、立ち上がる。

 その温もりはどんな陽だまりよりも心地よい。

 

「ドクター」

「なんだい?」

「……ありがとう」

 

 立ち上がったドクターの手をてのひらで包み、ラナはそっと口にした。

 




スタート時から一年経っても現役で頑張ってもらっているパフューマーさんのお話でした。
公式が色々と素晴らしいシナリオを量産されているので、なんとなく満足しちゃいがちな昨今ですね。。。
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