ドクターズ・プロファイル   作:日名内 修

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書き上げてみれば1万字を超えてしまっていたので、前後編に分割しました。
後編も同時投稿しております。


アンジェリーナ -少女存在証明:前編-

 夕暮れの教室に、吹奏楽部の練習音が遠く響いていた。

 茜色が差し込む開けっ放しの窓。夏の気配が漂う風が、ふわりとレースのカーテンをたなびかせる。

 整列した勉強机の隅に集まってするのは、女子同士の内緒話だ。誰かが廊下を走る音が聞こえるたびに、トーンを落としてくすくすと笑う。

 ふと見ると、教室のドアの前に“あの人”が立っている。

 思わず、座っていた机から飛び降りてその人の前に駆け寄ろうとする。

 けれど、どれだけ走っても追いつけない。手を伸ばして触れられない。振り向くと懐かしい光景は、はるか彼方に遠ざかり、周囲は真っ暗な闇と化していた。

 

――また、この夢だ。

 

 まどろみのなか、安心院アンジェリーナはあちこち滲んだ夢の欠片を忘れようと軽く頭を振るが、あまり効果はないようだ。

 その瞬間、耳元で目覚まし時計の乱暴な音が鳴り響いた。

 

「ああ、もう!」

 

 なんとも言えない居心地が悪い寝起きに、アンジェリーナは枕に顔を突っ伏して足をバタバタとさせる。そして、ジリリッ!と鳴り止まない目覚まし時計を睨んで「うるさいっ!」と八つ当たりした。

 時計を止める気にもなれず、そのまましばらくうつむいてだれていると頭上から声が降ってきた。

 

「……ちょっと、アンジェリーナさん?」

 

――やばっ!

 

 勢いよく顔を上げると、二段ベッドの上段の所有者であるクリフハートの逆さまになった顔がぶら下がっていた。

 

「お、おはようエンシア。はは、今日もいい天気、だね?」

「目覚まし時計は10コール以内で止める約束だったよねぇ? 今にも心臓が止まりそうなんだけど」

 

 クリフハートの種族「フェリーン」は特別耳が良く、目覚まし時計の音は彼女曰く「土砂崩れと落雷と雪崩がいっぺんに起きた音」に聞こえるらしい。だからルームメイトのアンジェリーナは、クリフハートと同寮になったときに2つのルールを結んだ。

 1つは、“特別な日”以外はなるべく目覚まし時計を使わないこと。そして、目覚まし時計を使う日は必ずクリフハートに事前に連絡して、10コール以内に止めること。

 クリフハートの表情を察するに、後者の約束は倍以上は鳴ってしまっていたらしい。

 

「すいません、エンシア様! あとでへそくりで隠していた高級チョコレートを献上いたしますので!」

「……うむ。いいだろう、教官として大事なのは厳格さと寛容さのバランスだからな」

「なにそれ」

「ドーベルマン教官のまね。この前自分で言っていたよ」

 

 急に声色を変えたクリフハートとアンジェリーナは、小さく笑う。

 

「そんなことより、早く準備しなくていいの? 今日は“特別な日”なんでしょ」

「……ん?」

「ほんとたまにびっくりするほど抜けるよね。ドクターと会うんでしょ」

「そ、そうだった! なんで早く言ってくれないの!」

 

 急にエンジンがかかったアンジェリーナは、飛び起きてバタバタと部屋を駆け回り始めた。メイクにスタイリングにスキンケア。乙女の朝支度は、手間も時間もかかるのだ。

 コスメなどを引っ張りだしながらアンジェリーナはいつもの癖で、この部屋で唯一の窓を開ける。

 まだ色の薄い日差しが部屋に差し込む。

 

――どうか、今日が忘れらない日になりますように。

 

 アンジェリーナは、ほとんど無意識に太陽に向かって祈る。

 

「アンジェー。早くしないとほんとに遅れるよ」

「わかってるって!」

 

 なんだかんだ言って世話焼きな同僚の声に急かされ、アンジェリーナはコスメを引っ張り出し、洗面台に向かってドタバタとあわただしく準備を始める。

 高鳴る鼓動の原因の半分は期待、もう半分は緊張。

 この日の前日譚というには、いささか直前すぎるこの模様と胸の内は、きっとアンジェリーナ本人しか知らないのだろう。

 

 

 

Angelina(アンジェリーナ)―少女存在証明―

 

 

 

※※※※※※※※※※※※※※※※

 

 

 いつもより15分ほど遅れて飛び込んだのは、ロドス本艦の最東端にあるガラスの温室だった。

 

「おはようございます!」

 

 入った瞬間、挨拶をしてしまうのはシラクーザでバイトをしていたときに身に付いた習慣だ。すでに作業着を着こんでいるアンジェリーナの姿を見れば、『パフューマー』ことラナの温室に来た目的は一目瞭然だろう。

 

「おはよう。アンジェちゃん」

「すいません、ラナさん。ちょっと遅れちゃって」

 

 温室の奥で作業していたラナに頭を下げるが、ラナは「気にしないで。いつも助かっているから」と手を横にひらひらと振った。

 ふいに一匹の子ぎつねが、アンジェリーナに駆け寄ってきてするすると肩に上ってくる。

 

「おはよう。今日も可愛いねー」

 

 子ぎつねの喉元をカリカリと掻きながら、アンジェリーナは笑う。ラナの相棒は気持ちよさそうに小さく鳴いた。すると、突然、温室内の花壇の影から一匹の影が現れ、アンジェはぎょっとして立ち止まった。

 中型犬ほどの四足歩行のドローンだ。さっきの子ぎつねと同じように尻尾をブンブンと振って軽快に駆け寄ってくるが、重厚なフォルムとのミスマッチ感でギャグみたいだ。

 そのドローンの頭が、巨大なカメラになっているのに気づき、アンジェリーナは「あっ!」と声を上げた。

 

「ラナさん! もしかしてこの子って――」

 

 言いかけた途端、今度は大きな影がすぐ目の前に現れた。

 

「やぁ、おはよう。アンジェ」

 

 黒と明るい緑色を基調にしたフードをすっぽりと被った男。紛うことなきドクターである。

 

「えぇ! なんでドクターがもういるの?」

「いや、せっかくだから私も手伝おうと思ってね」

 

 泥が付着した軍手を軽く叩いた後、ドクターは右手だけ外してアンジェリーナに差し出した。

 

「『ドクターズ・プロファイル』の制作協力ありがとう。今日はよろしく頼むよ」

「あ、はい。こちらこそ……」

 

 前髪を触りながら、アンジェリーナは握手する。

 不意打ちに、心臓が爆発しそうだ。

 その様子を面白そうにラナに見られていることに気づき、アンジェリーナは薄っすらと頬を染めた。

 

 

「オフの日は、温室の作業を手伝っているのか。知らなかったな」

「そうよ。本当に助かっているんだから」

「へへっ。午前の休憩までのちょっとだけどね。ラナさんにはいつも香水とか、お茶をごちそうになってるから……それに、花も好きだし」

 

 ラナとドクター、アンジェリーナは横長のプランターに苗を植え付けながら会話する。

 ラナはもちろんだが、アンジェリーナの作業の手際も大したものである。さらに意外だったのは、ドクターのそれも小慣れていることだった。

 

「ドクターも植え替え作業やったことあるの」

「ああ、初めてじゃない。私も温室を手伝うことがあってね」

「本当にたまにだけどね。ドクターくんが来るのはいつも突然だし」

 

 へぇ。と相槌を打って、アンジェリーナはほんの少しだけ、複雑な気分になる。

 その原因がラナとドクターが二人きりで会う時間があるからなのか、それとも、ラナを手伝ってくれる人がほかにもいたからなのかは、その時のアンジェリーナに分からなかった。

 

「それで、今日の二人の予定はどうなっているの? “密着”なんでしょう」

「あ、そうそう。一応、いつもの休みの日のルーティーンを書き出したんだけど。こんな感じ」

 

 アンジェリーナは軍手を外し、明るい赤色の手帳のカレンダーを広げる。

 それをラナとドクター、さらに撮影用ドローン『特製ミーボ』が覗き込む。途端に、それぞれがなんとも言えない表情をした。

 赤や緑のボールペンでぎっしりと予定が詰まっている。

 また、そのどれもが『訓練室で練習』、『ハイビスちゃんの手伝い』、『ペンギン急便のヘルプ』などまるで業務のような内容なのである。

 

「アンジェちゃん。温室(うち)以外も手伝っているとは聞いていたけど――」

「いろんなところに顔出しているんだなぁ」

「予定が空いてると、なんだかそわそわしちゃうんだよねー……変かな?」

「いや、素晴らしいと思う。けれども適度な休憩は必要だろう。そのうち、医療オペレーターの連中に目を付けられるかもしれない。ロープみたいに追いかけまわされたくないだろ?」

「あははっ! それなら平気! あたし、結構丈夫だし。ほら見て、給料日はショッピングも行くんだから」

 

 表情は大きく変わらないがなんとも微妙な空気感の大人の二人に、アンジェリーナは極めて軽い口調で返す。ただ、内心は少しだけ焦っていた。

 

――あれ、おかしいな。こんなつもりじゃなかったんだけど。

 

 アンジェリーナは、ドクターが「頑張ってるね。じゃあ、今日はそれをプロファイルしようか」という感じだと予想していたが、どうやらその通りには進まなさそうだ。

 

「すごいのねぇ……ちなみに、たくさんある予定のアンジェリーナちゃんのなかで、ドクターくんはどんな姿が見てみたいの?」

「……そうだなぁ」

 チラリとラナが目配せし、ドクターはわざとらしく手帳を覗き込む。

 

「やはり気になるのは、アンジェリーナの行きつけの店とファッションセンスだな」

 

 指先で手帳上の「龍門!」とだけ書かれた箇所をトントンと叩き、ドクターは少しだけいたずらっぽく言った。

 

「えぇ、龍門に行っていいの!? でも私、外出許可取ってないんだけど……」

 

 想像していなかった展開にアンジェリーナは少し挙動不審になる。ラナはその姿を見て、クスリと笑った。

 

「それなら大丈夫でしょ。ねえ、ドクターくん?」

「あぁ。自分で言うのもなんだが、ロドス内では多少は顔が効くからね」

 

 ロドスの重鎮が自慢げに胸を張った。

 

 

◆ 

 

 

 あるときはベッドルーム。バーやピザショップ、よくわからない研究室、噂では龍門と協定を結んだ際は、とある上位オペレーターの執務室を完全再現することで、当人たちの度肝を抜いたこともあるらしい。それくらいの恐ろしい早さで、ロドスのオペレーターたちが休憩する“宿舎”は模様替えされる。

 どうやらロドスのお偉方の意向が著しく関係しているようだが、その正体は明らかにされていない。おそらく、模様替えの度に渋い顔をする支援部が、もめごと防止のために情報をシャットダウンしているのだろう。

 そんな宿舎――今回は、ラウンジのようなシックなスタイルの様相だ。その片隅にある「コの字型」のソファの端に座り込み、アンジェリーナはうつむいていた。

 

――あ~、どうしよう! 緊張する!

 

 着替えのために帰った寮で、クリフハートに同行を願い出たが即お断りされた。彼女のお守りである輝石を投げ渡されて「幸運を祈る」とだけ言われただけだ。

 集合時間まではあと10分。

 胸の高鳴りが抑えられそうにない。

 

 

――どこに行こう? 何を話そう? あ、お金とかどうすればいいんだろう?

 

 失望されないようにしないと。

 迷いのなかに生じる弱気に背を向け、アンジェリーナはリップを塗ったばかりの唇を薄くかむ。

 

「あれ~! アンジェやんか。こないなとこで何やってんの」

「クロワッサン!」

 

 オレンジ色と快活な薄い緑色の瞳。全身からパワフルさがにじみ出ているクロワッサンの姿を見て、アンジェリーナは少しだけ顔を輝かせた。

 クロワッサンの奥には、エクシアとテキサスもいる。「チャオ~」と手を振るエクシアに、アンジェリーナも手を振り返す。

 

「えぇ! あの旦那と二人で龍門に!」

「クロワッサン、声が大きいよ」

 

 ドカッとアンジェリーナの隣に腰かけたクロワッサンに、唇の前で人差し指を立てて抗議する。アンジェリーナを取り囲むペンギン急行の面々は、事情を話すとテキサス以外は瞳を輝かせた。そして、あーでもないこーでもないと、龍門のおすすめの飲食店やデートスポットを教えてくる。

 

「……そこは少し高すぎないか」

「なに言ってんの。ドクターが払うからアンジェには関係ないって」

「そうそうない機会なんやから、アンジェはたっぷりと旦那から搾り取ればええの」

「汚いやつらだ」

 

 盛り上がるクロワッサンとエクシアにテキサスが突っ込みをいれる。

 

「あのさ、ちょっと聞きたいことがあるんだけど」

「なになに? しおらしいアンジェとか珍しいやん」

「ふ、二人でどんなこと話せばいいと思う? これまでは仕事の話が多かったから、よくわからないの」

 

 服の裾をつかんでもじもじするアンジェをペンギン急便の面々はじっと見つめる。

 

「な、なに?」

「可愛いー! どうしちゃったのよー。いつもは気張ってばっかのくせに~」

 

 エクシアとクロワッサンがアンジェを抱きしめる。

 

「意外と振り回されるのは苦手みたいだな」

 

 テキサスもタバコの煙を後ろに向かって吐き、呟いた。

 

「それはまずいぞ。アンジェリーナ、ドクターはいつも人に振り回されているから、その辺りの配慮は期待できない」

 

 急に割って入ってきた野太い声は、マッターホルンだ。背後にはクーリエとシルバーアッシュもいる。マッターホルンの意見にクーリエも納得したようにうなづいて見せた。

 

「その通り。ドクターに頼れないのであれば、まずは自身の目標から棚卸してやるべきことを設定すべきだ」

 

 なぜか、ドーベルマン教官までもがそこに立っていて堅苦しいアドバイスを述べてくる。どうやら、休憩室に居合わせたオペレーターたちがぞろぞろと集まってきたらしい。

 

「……今日の自主練に来なかったのはこういう理由だったか」

「すいません、ドーベルマン教官」

「いや、お前はどちらかというと休憩が必要だったからな。これでいい。だがどうせ休憩するなら、気兼ねなく羽を伸ばすべきだ」

「あらー。いつもと言ってることが違うじゃない教官さん」

「当たり前だ。指導には厳しさと寛容さのバランスが大切だからな」

 

 エクシアの小言を皮切りに、ガヤガヤと周りがにぎやかになる。

 人混みの隙間からクーリエが手招きしているのを見つけ、アンジェリーナはいそいそと席を離れてクーリエとシルバーアッシュの前に立つ。

 

「シルバーアッシュ様がアンジェに用があるそうですよ」

「……これを」

 

 視線を合わさず、シルバーアッシュはアンジェリーナに青と白の艶やかな紐で結ばれた小さな石を手渡す。

 

「これは?」

「“モリオン”という。心を落ち着かせる効果がある。せっかくの我が盟友の休息の時間だ。楽しませてやってくれ」

「あ、ありがとうございます!」

 

 アンジェリーナは勢いよく頭を下げる。クリフハートと同室であることから、クーリエやマッターホルンと話すことは多いが、非常に気位も地位も高いシルバーアッシュと話すことはほとんどなかった。

 

「……エンシア様のこと感謝しているんですよ。シルバーアッシュ様」

「いや私全然、なにもしていないです。ただの友達だし」

「エンシア様にとって“ただの友だち”の存在が何よりも大きいです」

 

 そう言ってクーリエは片目を閉じる。

 

「あと、ちなみにドクターはチーズに目がありませんから」

 

――どうしてそんなことを。

 

 と尋ねようとしたとき、ドクターが「賑やかだなぁ」といいながら休憩室に入ってきた。

 それから集まった面々の詰問が始まり、二人が休憩室を後にしたのは小一時間経ったあとだったのは、言うまでもない。

 

 

 

 

⇒後編に続く

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